2001/05/03

 この日もまたイベント。
 今度は「Leaf2000」というイベントで、場所はまた都産貿。
 GW中ということで、似た様なイベントが乱立したせいか、この日のイベントは全体的にまったりしていてのんびりとしたものになった。
 お隣がオリカ掲示板での知り合いであったため、適当に話をしたり、知り合いのサークルなどに挨拶に行ったりと適当に過ごす。
 ぶらぶらと歩き回っている時に、最近、趣味としているモバ絵で知り合った作家さん(LFTCGの原画も描いている人)がこのイベントに参加していることに気づいたので、挨拶に行こうと思ったのだが、遅れているとかで当人がなかなか姿を見せない。
 結局、先方が到着したのはこちらの撤収作業も終わった、イベント終了間際のことで、こちらからは土産の本などを持っていくこともできなかった。先方からはコピー本を頂いたりしたので、どうも済まない気持ちになる。
 6月に開かれるサンシャインクリエイションに先方も参加するらしいので、その折にはきちんと挨拶に行くことにしよう。

2001/05/04

 この日はこちらの掲示板で連絡を取っていたオフ会の日であった。
 といっても、参加するのは旧68天国のメンバーばかりなので、あまり新奇な感じはない(笑)まあ、それはそれで悪くはないが。
 昼過ぎに会場となる〆鯖さんの自宅のある北上尾に到着。早速、連絡してもらっていた電話番号にかけてみたのだが、聞こえてきたのは「この電話番号はただいま使われておりません」という録音。うぐぅ。
 仕方がないので、昔の記憶に頼って、〆鯖さんの自宅を探すことにする。だが、どういうわけか見つからない。方向音痴の気はさほどないはずなのだが……。
 結局、重い荷物を抱えて一時間ほど歩いた後、誰か来ているかもしれないと駅へと戻ってくる。予想通り、友さんが改札前にいたので、友さんが送ったというメールに〆鯖さんが気づくことを待ちつつ、二人して時間をつぶす。
 二時頃になっても変化がなかったため、友さんから〆鯖さんの家の大体の位置を聞き、様子を見に行くことにする。場所の見当がついたため、今度は道を間違えることなくストレートで到着。何度か呼び鈴を鳴らして〆鯖さんを呼び出し、事情を話して、〆鯖さんには他の人に連絡を取ってもらうことにし、私は友さんを迎えに戻った。
 〆鯖さんの部屋に落ち着き、状況を確認した所、かーずさんとは連絡が取れたが、モ○星人さんとは連絡が取れないということが分かる。
 仕方がないので、メールなどの到着を待つこととし、ゲームをプレイしたり、本を見せたりしながら時間を過ごす。
 モ○星人さんからのメールは5時過ぎには着いた。が、チェックが遅れたため、実際に見たのは6時過ぎ(^_^;) まあ、それでもなんとか合流はできたので良しとする。
 その後、かーずさんも無事に到着し、時間も時間なので夕食へと出ることにする。やはり68天国などでの知り合いの爆撃機さん(仮称)が車を出してくれるとのことだったため、近所の「馬車道」で夕食を取ることにする。
 が、連休中ということもあってか、料理が出るのが遅い。テーブルも片付いていないものが多く見受けられたので、どうやら店員自体の数が少ないらしい。
 それでも料理はそれなりに揃い、色々と話をしながら食べたので楽しいことは楽しかった。
 そうこうする内に時間的に厳しくなってきたので帰宅することとする。
 残りの人は泊まっていくらしいが、私は翌日に予定も入っていたため、そうもいかなかったのだ。
 電車の方はまさにぎりぎり。本川越の駅で店員が「終電が出ます、お急ぎを」と言っている横をすり抜け、切符も買わずに駅に飛び込む。降りる駅で払えば良い、という話であったが、狭山市の改札辺りに駅員が誰もいなかったため、定期を利用して外に出る(笑)
 なにはともあれ、楽しかったが疲れた日ではあった。

2001/05/05

 この日は友人Tとの約束で「バンパイアハンターD」の映画を見に行く。
 ゆっくりしていたつもりはなかったのだが、到着した時には会場時間ぎりぎりで、急いで切符を買い、劇場へと飛び込む。
 ワーナーマイカル十周年記念とかで、入場料が1000円というのがありがたいところ。
 映画の方は面白かった。
 原作ファンには納得の行かない所(デザインとしての十字架の多用、神祖絡みの話の削除、キャラクターの性格、能力などの設定の変更)も多々見受けられたが、劇場映画としてそれ一本で完結させるための演出として考えればどれも納得のいくものであり、映画としては100点満点の出来であったため、敢えて目をつぶることにする。
 なお、日本のアニメ映画でありながら、音声は全部英語で、字幕がつくという形であった。これも映画の雰囲気をより良くしていた。
 映画を見おえて、パンフレットを買いにキャラクターグッズのコーナーに行くと、小学生くらいの女の子達が「格好良かったねえ」とか言いながら、Dのチラシを集めたり、グッズを物色していたりした。Dのファンというのは結構コアだと思っていたため、結構、意外な光景であった。
 昼食をちゃんこ屋で取った後、Tと共に友人Fの家に行き、近い内に始めようと思っているスペオペTRPGの設定を詰める作業をする。といっても簡単に了解事項をチェックしあった程度ではあるが。
 Fの家には猫が二匹いるため、猫アレルギーの私は帰りには目と鼻がやられてかなりきつかった。猫は嫌いではないのだが……。

2001/05/06

 この日は一日中どこに出かけるでもなくのんびりと過ごす。
 さすがに連休中出ずっぱりであったため、疲れが溜まったというのが最も大きいのだが……単に怠け者なだけかもしれない(笑)
 とはいえ、溜まったレスやHPの更新を少しでも片づけなくてはならないので、午前中から二時過ぎくらいまで文章を書き続ける。なかなかどうして大した量である。
 3時過ぎくらいになって、ふと気が向いたので、某掲示板で話題になっていた「成恵の世界」という漫画を買いに行く。
 ちょっと離れた本屋で3巻まで揃っていたが、好みに合うかどうかが分からなかったので、取り敢えず1巻だけ買って読んでみる。
 独特の作風ではあるがなかなか面白かった。続きも買ってこようかと思ったが、疲れていたこともあり、会社帰りにでも買ってくることにして、その後はそのままごろごろと寝て過ごす。自堕落な午後であった……。

2001/05/07

 会社帰りに高田馬場の芳林堂書店によってマンガ本を何冊か購入する。
 てけてけマイハート、ハーフ&ハーフ上下巻に、成恵の世界の残りなど……と書きたかったのだが、どういうわけか成恵の世界の二巻だけが売り切れており(一巻、三巻は平積みで大量にあった)購入できず。
 結局、二巻が購入できたのは、翌日になってからのことであった。
 内容自体は購入したどの本に関しても満足できた。

2001/05/09

 朝食の席で、少年老い易く学成りがたし、という言葉の続きは何だったかという話になる。
 それから話が発展して、鳥辺山に煙が絶えない話だの、枕草子だのの話となる。兄がいれば喜んで(?)話に加わっていたのかもしれないが、私は面倒なので適当にまぜっかえして遊ぶことにする。
「春はあけぼの」と来たから「春はkonisiki」と言ったら、父はすぐに分かったが母は分からなかった様子。しばらくして理解したのか笑い出していたが、この程度の小ネタでウケられてもこちらが困ったり(笑)修行にならん<何の?
 朝食が終わったので席を離れる時に「徒然なるままにその日暮らし」と言い残して去ったらこれも妙にウケた様子。
 まあ、笑うのは健康に良いらしいし、笑いが絶えない明るい家で良いことである(爆)

2001/05/12

 朝方、「かなしばり」さんに叩き起こされる。
 夢うつつの状態でうつ伏せで寝ているとの背後に気配がして、何かが軽くのしかかってくる感じがする。しばらくあちらこちらのしかかった後、今度は布団を引っ張られる感じがして意識がはっきりしだすと、何か言葉のかけらのようなものを残して気配が消える。
 ま、たまにあることである(オイ
 私の母などは「かなしばり」さんの姿まで見えるそうだし。
 ものの話によると、金縛りというものは、意識がぼんやりしている時に生じる錯覚だとも言われているから、それでも解決はつくであろう。
 尤も、昔、昼中に私の部屋でTRPGをしていた(私も含む)3人の内、2人までが反対側(ベランダ)に誰もいない窓ガラスがノックされる音をはっきりと聞いていたりする(聞かなかった人間は全く聞こえなかったと主張しており、聞いた人間は窓を真正面から見ていて誰もいないのが見えているのにノック音が聞こえたのでたまげたと証言している。ちなみに私は窓に背中を向けていたので、音だけしか聞いていない)ので、その手の話ではないとも言い切れないが。
 どちらにせよ、実害はないので共存共栄を目指すしかない(笑)

2001/05/13

 17日から海外出張に備えて、色々と準備をこなしていく。
 ジャケットに、Tシャツ、ウォーキングシューズと、持っていても古びてしまったものや、シグマリオンをシリコンオーディオプレイヤー代わりにするためのCFカードなどを買い出しに行く。
 朝の内に近所のスーパーで安手のジャケットを購入し、池袋のサンシャインで開かれているコミックレヴォリューションという即売会での知り合いへの挨拶回りついでに池袋のABCMartでホーキンズのトラベラーというお気に入りのブランドの靴を購入、その後、秋葉原に出てCFカードを購入しにあきばおーという店に向かうこととする。
 レヴォは暑いわ、臭いわ、で、うげ、という感じであった。
 ブロック分けされた一部の会場(要するに成年向けのブロック(笑))には入場待ちの列が何百mも続き、入場用のチケット代わりのカタログは既に売り切れという状況では仕方がないが……。
 まあ、挨拶だけの予定の私にとっては入場料を取られないのは嬉しかった。
 取り敢えず、AAProjectの十倍さんと、オリカ掲示板で親しくしている竜騎士07さんのところに挨拶に行く。というか、この二つは隣同士だったのでひどく手間が省ける(笑)
 十倍さんとだべっている間にメッコールをもらったり、これから参議院戦が終わるまで休みがないという竜騎士07さんにねぎらいの言葉をかけている内に時間がなくなって来たので、さっさと撤収をし、氷川へきるさんという同人作家さんに挨拶だけしてサンシャインを離れる。
 ABCMartでは予定通りホーキンズのトラベラーを購入。
 秋葉原に到着後、かーずさんと友さんが買い物に出てきていると聞いていたので早速連絡を取る。
 待ち合わせ場所に向かおうと、大通りに出ると、神田祭ということで、普段とは異なり、電気街の中を十数台の御輿が練り進んでいた。なかなかに新鮮。
 その後はどたばたしながらもCFカードなど欲しいものを無事に購入し、肉の万世で食事をして帰宅する。
 インターネットで調べた値段よりも、CFカードの値段がかなり高かったのが残念であったが、Windows95版「だいなあいらん」が一本500円で売っているのを見掛けたりと色々とそれ以外の収穫もあった。
 まあ、全体的には良い買い物であった。

2001/05/17

 この日からロサンゼルスで開かれる世界最大のゲームショー『E3』の見学に出かける。
 と言っても、プライベートで出かけたわけではなく、会社の研修旅行という形である。見本市の類を見学に行くのが好きな私でも、さすがにプライベートで海外まで出かけることはない。コストも掛かるし、何より面倒である(オ
 前の週末くらいから用意を進めていたため、着替えや常備薬などの基本的な荷物は勿論、暇つぶし用の本やモバイルツール(Sigmarion)、携帯ゲーム機(Wonder Swan Color。以降WSCと略)まで準備万端に整っている。
 研修旅行に参加する上司、同僚達とは東京駅地下の成田エクスプレスのホームにて待ち合わせることになっていたため、普段通りの通勤経路を利用して東京駅へと向かう。
 途中、西武新宿線>山手線の乗換えをする高田馬場で途中下車をし、駅前のビルの地下のラーメン屋で、昼食としてごついチャーシュー麺などを食べる。
しばらくアメリカに滞在することになるので、出掛けに日本食(?)を食べたくなったためだ。店の名前は覚えていないが、ボリュームもあり、味もそこそこいけるラーメン屋であった。
 時間に余裕を持って家を出たこともあり、東京駅の成田エクスプレスの地下ホームに着いたのは切符に記された列車の発車時刻より一時間も前であった。
 仕方がないので、ひどく人気のないホーム周辺を歩き回ったり、WSCを取り出してゲーム(Wizardry1)をしたりしながら時間をつぶす。
 そうこうするうちにぽつぽつと同僚達が集まりだす。
 私は荷物もさほど多くなかったため、ボストンバック一つとショルダーバック一つという軽装であったが、女性陣の多くは大きなスーツケースを抱えていた。
E3ショーでもらった資料をもらさず持ち帰りたいという事情もあったらしい。
 旅には良くある話で、時間ぎりぎりまで姿を見せない人もいたが、発着時刻には参加者全員が揃い、無事に成田へと向かった。
 成田エクスプレスは空港への送迎専門の特急だけに、入り口間近に荷物置き場があったりと少し変わった設計がされている。頭上に荷物スペースがある辺り、旅客機のような設計だな、と思ったが、実際の旅客機には成田エクスプレスとはまるで違う点があることををすぐ後に知ることになった。
 車内では隣り合わせの席に座った同僚のUさんと、出身地の話や車関係の話をしながら快適に過ごす。Uさんとは向こうでの部屋も同じなので、お互いに気心を通じておくのは悪くない考えである。

 空港ではロビーへの経路の煩雑さにちょっとうんざりさせられた。まあ、乗り入れている航空会社などが多いので仕方がないのであろうが、あちらの通路を通り、こちらのエスカレーターを登りと実に面倒である。
 ロビーに到着すると利用する航空会社のカウンターに行き、必要な出国の手続きを取る。
 実を言えば、私はこれが初の海外渡航で、初の旅客機への搭乗であったりしたのだが、周りに渡航経験のある会社の人達がいたおかげで無事に事務処理を終えることができた。多謝多謝。
 面白かったのは荷物検査の様子。機械を通して荷物の内側を画面で確認できるのだが、ここまで見えるものなのだな、と驚かされる。アメリカのコメディ映画「フライング・ハイ」で荷物検査の機械の画面にゲートを通過する美女のヌードが映るというギャグがあったが、そういう連想もむべなるかなと思える。
 その後はパターン通りの免税店巡り。
 といっても、私は煙草やブランド品が中心の免税品にはまるで興味がないので、父に頼まれていた煙草を2カートン購入しただけであった。
 指定の発着ゲートに着くと、途端に暇になる。仕方なしに待合スペースの売店を覗いたり、エコノミー症候群に備えて飲み物などを購入したりしながら時間をつぶす。
 搭乗の時間が来ると、ビジネスクラス、エコノミークラスの順で搭乗をしていく。うちの会社の場合、安いのが魅力(と話に聞く)の航空会社を利用しているくらいなので、当然、エコノミークラスで乗り込む(笑)
 ここで、旅客機と成田エクスプレスの差がはっきりと分かった。
 座席が狭いのである。左右も狭いが前後が特に狭い。ちょっとした荷物を手元に置くのが精一杯で、身動き一つまともにできない感じである。まあ「エコノミー」なのだから仕方のないところではあるが、日本の特急列車の座席がひどく恋しくなった。
 このまま座席に縛り付けられて9時間の飛行。先が思いやられるものである。

2001/05/18

 日本時間にして18日の午前5時、現地時間にして17日の午前11時にロサンゼルス国際空港に到着。
 機内での不便の数々は、海外渡航時に旅客機のエコノミークラスを利用したことのある人には説明する必要もないであろう。寝られない、動けない、トイレに行くのもままならない、である。まあ、この往路に関しては通路側の席だったので、トイレには行きやすかったが。
 機内食はそこそこの味。まずくもなく、うまくもなくといった感じ。
 コンパクトにまとめられたパッケージには感心させられたが、身動きが取れないので、ナイフを使うのも一苦労である(^_^;) これではスターリンに「ニキタ、ナイフを使え」と言われても「誰を? 書記長」と立ち上がることすらできない(笑)<一部の友人限定ギャグ
 機内での暇つぶしには、Sigmarionに収めた130曲近いwma形式の音楽ファイルと、WSCとが役に立った。
 特に携帯照明のワームライトをつけたWSCは、就寝時間となって明かりを落とした機内で周囲の乗客に迷惑を掛けない娯楽となり、その得意な形状から通りすがりのスチュワーデスを「so cute!」と感心させていた。
 長時間の固定につりそうに強張った足を動かして機を降りると早速入国検査。
 基本的には機内で書いた書類を提出して簡単な質問を受けるだけなのだが、初めての海外ということで構えていた私は、
係員「KANKOO?」
私「Yes」
係員「KIKANHA?」
私「For five days」
 と、お互いに相手の母国語をカタコトで使い合うという間抜けな光景を見せてしまった(笑)
 まあ、それでも特に不審にも思われなかったのか(当たり前)無事に入国審査をパスし、ロサンゼルス市内へと足を踏み出した。気温的には特に日本と変わらず、湿度が低くさっぱりしている分、気持ちが良い。
 街並みにあふれる英語、様々な人種が歩き回る風景は、アメリカに着いた実感をいや増してくれる。

 余談ではあるが、ロサンゼルス市中で英語の次に多く見かけた言語は意外にもハングル(朝鮮語)であった。ちょっと市中で車を走らせるとすぐにハングルが目に飛び込んでくる。ハングルが漢字の十倍以上多く見かけられるという事実は、アメリカに朝鮮資本が盛んに進出しているという事実を表すのか、或いは単に日本や中国企業は漢字を使わないので目立たないだけか(市中のあちこちで見かけた『吉野屋』も『YOSHINOYA』であったし)、ま、どちらでも良いことではあるが。

 喫煙組(このツアーに同行した参加者の大半がそうであった)の久しぶりの一服が済むと、空港前で待ち合わせをしているレンタカー会社のバスに乗ってレンタカー会社の敷地へ移動する。
 さすがアメリカらしく、レンタカー会社も日本のそれとはひどく違う。異常にだだっ広い敷地内(大げさに言えば、果てが見えないくらい)に無数の車が置かれている様は何とも圧巻であった。
 無事にレンタカーを借り出し、8人からの人間+荷物が乗りこむと、早速、E3ショーの開かれているロサンゼルスコンベンショナルセンターへと向かう。
 走り出してすぐに気づいたことであるが、やはり向こうは土地が広いせいか、道路が非常に広く、また高い建物が少ない。そのため、日本と比べると街並みの見通しが全体的に良くなっている。
 向こうの交通事情であるが、日本的な感覚からすると異常にシビアなタイミングでの車線変更、最大片側6車線もあるハイウェイなどが印象的であった。特に違和感があったのは、一度に多車線を横断する車線変更が平気で行われることであったが、これは単に日本にはそんなことのできる道路がないためであろう。
 フリーウェイを利用して、空港からロサンゼルス市中に入ると、E3ショーの会場であるコンベンションセンターはすぐそこであった。幕張メッセの数倍はあろうかという馬鹿でかい建物の周りをしばらく回って駐車場を探すが、これがなかなか見つからない。
結局、仕方がなく会場の真ん前の駐車場に駐車料金をぼられながら車を停め、一日目の見学に入る。

 ちょうど現地時間では昼過ぎということで、まずは腹ごしらえから始めたが、ショーの会場には、高くてまずいジャンクフードしか食べるものがない。
 同じ見本市会場でも、日本のビッグサイトならもう少しましなものが食べられるのだが……欧米は物価が安いとは誰が言った言葉だ? とか考える。何しろ、パスタと玉ねぎとピーマンにケチャップ系のソースを掛けただけのどうしようもないジャンクフードが日本円で1000円以上もするのだから。特に私は玉ねぎとピーマンが好きではないので、無駄な金を使ったようにしか思えない。
 何はともあれ、取りあえず腹も満ちたので会場内を歩き回ってみる。
 展示ホールに入ってすぐに感じたことであるが、向こうのショーは日本よりも演出がうまい感がある。暗めの照明でけぶった、広く、遮蔽物の多い会場を歩いていると、自分がどこにいるのかも分からなくなってくる。
 日本国内で開かれたゲームショーの類にはいくつか行ったことがあったが、このような経験をしたのは初めてであった。
 ディズニーランドなどもそうであるが、遊びの場に現実とは違う異世界を演出するのが向こうの得意芸なのかもしれない。
 会場内には当然のごとく現地人があふれ返っていた。
 東洋系の顔立ちをしている人間も見かけられたが、仲間同士、平気で英語で話し合っている様子からすると、私のような渡航客ではなく現地人のようである。
 個人的に関心を持っていたCAPCOMvsSNK2のプレイ可能な筐体がカプコンのブースにあったので、それを二回ほどプレイしてみる。実際に対戦してみた感じ、なかなか良さそうな感触であったのでこれは発売が待ち遠しく思える。
 到着初日ということから見学は軽いものとなった。
 時間的にも制限が厳しかったため、会場の4分の1ほどを見ただけでE3会場を後にし、その足でホテルへと向かう。
 途中、ハリウッドスターの手型足型の敷石のあることで有名なチャイニーズシアターに寄り、ちょっとした観光気分を味わう。遠くの山に有名な「HOLYWOOD」の文字が見えるのがいかにもという感じである。
 ホテルに着くと、早速、一悶着。
 予算の関係もあってか、ツインの部屋にエクストラベッドを入れて3人で泊まることになっていたのだが、あてがわれた部屋を見回してもエクストラベッドがない。
 早速、フロントに赴き、その旨を伝えてエクストラベッドを注文したのだが、夕食から戻ってきてもベッドは届いていない。
 同僚のSさんは、フロントに文句を言いに行く時にUさんと二人で行ったためにホモだと思われて、私の英会話能力の不足からエクストラベッドはいらないと言ったのだと勘違いされたのだろうと主張していたが、私の考えでは、エクストラベッドが運んでくるボーイ用にチップを置いていかなかったのが問題だったのだろうと思える。
 実際、その後、何度かフロントの人と話をする機会があったが、その折には問題なく会話もできていたし、ベッドを持ってきたボーイもチップをもらうまで動かなかったりしたのだから。
 まあ、旅の土産話としては前者の方が面白いのは確かではあるが(笑)
 夕食はプライムリブステーキで有名な店で食事。
 席の準備ができるまでの間、時間をつぶしていた、入り口付近のバーで飲んだ大ぶりの器に入ったマティーニ(何となく戦国時代の武将が使った大杯が思い出されてしまった)が効いたのか、久しぶりに調子よく酔い、普段以上に良く食べ、良く飲み、良くしゃべった。日本語でも英語でも。尤も、英語の方は通じていたのかどうか定かではない(笑)

2001/05/19

 ロサンゼルス滞在二日目。
 もはや、日本時間が何時なのかということは意識にも浮かばない。
 この日は朝から曇り。一年を通じてカラッと晴れている日がほとんどのカルフォルニアにしては珍しいことである。メンバーの中にとんでもない雨男(女)でもいたのであろうか?(笑)
 この日のE3ショー視察では昨日行けなかったパソコン系のブースなどを中心に回るつもりであったが、渡航中の疲れが出たのか、朝の集合時間に社長と常務が遅れてきたため、ホテルを出発するのが遅れ、また、年配者が疲れているということもあって会場への滞在時間自体が減ってしまったため、満足の行く見学は出来なかった。
 それでも今秋発売予定のゲームハード、XBOXとGAMECUBEのブースを見て回ったり、ショー的な要素の少ない、ビジネス系の見本市的な小さなブースの立ち並んでいるKentiaHallにてF&CTCGの米国版を出そうとしている会社の人と話をしたりとそれなりの見学はしていた。
 午後も半ば過ぎた辺りにE3ショーの会場を離れ、有名なショッピングモールに行き、遅めの昼食を取る。予想通りというかなんというか、向こうの飲食店にはどっさりといかにもカロリーの高そうなものが並んでいる。馬鹿でかいホットドックにヌードル、十数種類のバリエーションがあるリンゴ飴などというものまで売っていた。
 昼食自体はホットドック屋のキッズ向けセットで済ます。
 キッズ向けとはいえ、十分な量があり、また油でぎとぎとに光ったポテトがえらくきつく、少々もてあまし気味になってしまった。ちなみに値段的にはそこそこであった。
 その後はショッピングモール内で買い物。
 兄に頼まれた銃関係の本を探したり(結局見つからなかったので、戦争関係の雑誌の真珠湾攻撃特集号を買ってきた(爆))、母に頼まれた安手の口紅を探したりした。
 その合間におもちゃ屋やCD屋を覗いてみたが、平然と日本のアニメのDVD(王立宇宙軍、CCさくらなど)やおもちゃ(ドラゴンボール、セーラームーン、ガンダムなど)などが売られているのにはちょっとびっくり。PGZガンダムやMGのサザビー(どちらも比較的最近に発売されたガンプラ)まで売られていた。更には、昔、従姉妹の娘にあげた覚えのあるUFOキャッチャーのセーラームーン人形とかまで箱に入って売られていた(笑)

 なお、そこで話の種にと向こうのアイスクリームを食べてみたが、これがまたアメリカンサイズ。レギュラーサイズであるのに、アイスの玉が5、6個分は盛り付けてある。
 放っておくとどんどん溶けてくるので、いそいで食べたが、こんなことならコーンではなくカップで注文すればよかったと後悔する。

 その後はサンタモニカの通りに行き、大道芸人たちの芸を見たり、マガジンスタンドで銃の雑誌を見つけて購入したりしながらのんびりとロサンゼルスの夕方を過ごす。
 ちなみに向こうの日暮れは遅く、午後8時くらいになっても、日本の午後4〜5時くらいの明るさだったりする。本格的に日が暮れるのは午後9時くらいであろうか。
 夜は海外沿いのシーフードレストランに向かう。
 金曜日ということもあって、案内待ちの客がいっぱい。待合室代わりのバーでビールを飲み、自由につかみ取りのできる樽の中のピーナッツをつまみながら順番を待ったがなかなか順番が来ない。
 状況確認の任を押し付けられ、受付の金髪ガールの立て板に水の英語に辟易しつつ、何とか用件を伝え、ようやく席に案内される。
 腹も空いていたことで、皆で調子よく注文をしたのはいいのだが、こちらでも量がアメリカンサイズ。食べられる量の倍も料理がきてしまい、結局、かなりの量を残すことになってしまった。
 一応、テイクアウトを頼んで、ほとんど手をつけていない皿のものは持ち帰ったが、ホテルの部屋に食器がなかったこともあり(当たり前)、結局、翌朝にエビフライのいくつかをつまんだ程度で大半は捨ててくることになってしまった。
 この日は一日中曇りで、件のレストランで海に沈む夕日と夜の星空が見られなかったのが残念であった。

2001/05/20

 この日は一日フリーということで、本場ユニバーサルシティのユニバーサルスタジオに遊びに行くこととなった。
 全体的にディズニーランドよりもリピート性の弱そうな感じを受けるテーマパークではあったが、初めてということもあり、なかなかに楽しめた。
 スタジオ見学ツアーでは、ヒッチコックのサイコの宿の裏手が完全にセット丸出しなのを見せたり、色々な映画で色々なシチュエーションで使われている町並みが実は皆同じものであることを示したりと、映画の裏舞台をネタに楽しませてもらった。時々、撮影中の所でしばらく待たされるのもらしかったりする(笑)
 ただ、私のヒアリング能力では、解説の7割方は理解できず、もっと英会話を勉強しておけば良かったと後悔したりする。
 その後も様々なアトラクションを見てきたが、個々に感想を書いても意味がないので、面白かったとだけ書く。
 日本国内のテーマパークと違い、多種多様の人種が歩き回り、楽しんでいる様が実に新鮮であった。中国系の漢字の縫い取りのされた制服を着た女子中学生(?)やターバンを巻いたインド人男性やサリーを巻いたインド人女性など、変り種の人たちも見かけた。
 夜はさすがに皆疲れていたので、外食はせず、ホテル内で食事を取る。
 ビュッフェ形式のホテルの食事もなかなかにうまく、人によっては外で食べたよりもおいしかったという者も。
 どうでもいいことだが、食事の度に、ウェイターが私のところに伝票を持ってくるのは何故なのだろうか? 服装とかも影響していた(私はジャケットで、社長はジャンパー、常務はジージャン)とは思うが、私はそんなに金持ちに(あるいは偉そうに)見えるのであろうか(笑)

2001/05/21

 この日はいよいよ帰国の日。
 Sさんの社長への進言から少し早めにホテルを出ることにしたのだが、予想以上にハイウェイが空いていたため、出発予定時刻の3〜4時間前には空港に着いてしまった。
 とはいえ、それが悪影響を及ぼすことは特になく、無事にロサンゼルスを発つことができた。尤も、私が金属探知機に引っかかり(靴がまずかったらしい)周りの人間から「人間凶器」とからかわれるといった一幕もありはしたが(笑)
 出発前、乗り損ねた乗客の荷物を下ろすとかで、40分ほど出発時刻が遅れたが、到着時刻は予定通り3時半過ぎであった。旅客機というものの推力にはどうやら多少の余裕があるらしい。
 自国民だけに日本での入国手続きは簡単なもので、さくっと終了してそのまま外に出ることができた。
 行きと同様、成田エクスプレスで都内に戻ることにしたが、荷物を目の届かない荷物置き場に置いてきても安心していられるのが日本の良い所だと思い、ほっと一息をつく。

 楽しくもあったが、同時にひどく疲れた海外出張であった……。

2001/05/27

 オリカ掲示板での知り合いが主催するボードゲームの集いに参加するために昼前に家を出る。
 途中、一度Tの家に寄り、「悪の帝国」という昔のカードゲームを回収し、Tが借りたがっていたソフトなどを渡し、パソコンの設定を少しいじってやってから駅へと向かう。
 Tの家に向かう途中、スーパーの傍で漫画に出てきそうな楕円形の顔に黒ブチの奇妙な顔をした犬を見掛け、妙に知性を感じさせる目つきに気味の悪さを感じたため避けて帰ろうと思っていたのだが、悪いことに飼い主と共にこちらの通り道で出くわしてしまった。まあ、良くあることである。
 集いの会場である豊洲文化センターに向かう途中、高田馬場で途中下車をし、高田馬場駅のすぐ傍で開かれているというガンパレードマーチのオンリー即売会を覗いてみる。が、私がついた時点で、2時に入場できる整理券を配っているというような駄目駄目な状況だったので、あっさりパスして豊洲へと向かう。
 豊洲ではオリカ掲示板での知り合いを始めとする多くの人達と会い、初めてプレイするゲームで多いに盛り上がる。勿論、初めてプレイするゲームが多かったため、勝つことができたのは一回だけであったが。
 やはり駆け引きが主体となるマルチプレイヤーゲームは面白い。
 21時前くらいにそろそろ時間が遅くなってきたので集いを辞去し、豊洲駅前のステーキ屋で食事をして帰った。
 隣の席の男女混合のグループが「D-Direct」がどうのとか、「あずまんが」がどうのとか、「ワギャンランド」がどうのとか、妙に耳馴染みのある会話をしていてちょっと意外に感じる。こんな普通のところで、知り合いでもないグループが、すぐ隣でそんな話をしているところに出くわすのは初めてであったためだ。

2001/05/30

 Yahooオークションにて35500円で落札したZaurusMI-E1が届く。
 1999年に発売され、それまでのZaurusとのデータ互換に問題があったり、価格が非常に高かったり(定価160000円)したため、既存のZaurusユーザーから大バッシングを受けたという曰く付きの機械であるが、この機械には一つの現在の最新PDAにもない特徴がある。
 それは液晶がVGA(640X480ドット)のカラー(65535色)液晶だということである。
 現在主流のPDAであるPalmの解像度は大半が160X160ドット。
 Palmよりも基本性能が高く画面の大きいPocetPCでも320X240である。
 液晶のサイズがさほど変わらない場合、この解像度の差は極めて大きいと云わざるを得ない。
 勿論、その分、サイズは大きく、Palmと比べると縦の長さも厚みも1.5倍ほどある。重さ自体はそれほど重くもないが、この大きさはやはりごついとしか言い様がない。駆動時間もPalmなどと比べると明らかに短い。
 しかし、PDA絵を最近の趣味の一つとして私にとっては、そういったデメリットを十分に埋め合わせる魅力がVGA液晶にはあった。良いツールを使って、絵を描いていると、紙にでも描いているような気分でPDA絵を描くことができるのだ。
 Zaurusを使用するのは初めてということもあり、現在はまだ設定方法や使い方の勉強中ではあるが、この買い物は実に満足の行くものとなった気がする。

#ちなみに最初にザウルスにインストールしたソフトが、ビジュアルアーツ系の AVGをエミュレートする「わっふる」というソフトだったいうことは秘密である(笑) CFカードに「AIR」のデータが入っていて、どこでもプレイできるというのは更に秘密である(爆)

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