The Security Blancket Club*My Favorites RC Cars
ワタシの愛車たち
My Favorites RC Cars

えー、ワタシはタミヤ派です(^_^;)それも第一世代である934/935系にふぇいばりっとだったりします。アソシのRC-12Eに浮気するまで、ずっとあのへんのコンポーネンツを使用したクルマがメインでした。よって、ボディはさまざまに変わっても、ずっと「タミヤの934を走らせているんだ!」という意識がありました。その後職業柄(^_^;)星の数ほどのRCカーを走らせてきましたが、ワタシにとってはいまでも「934がナンバー1!」なのです。このへんの微妙な感覚をご理解いただいた上でお楽しみいただければ幸いです。ここでは数多くの愛車の中からもっとも印象に残っている初期のマシンについて解説しました。

1. ポルシェ934
 いわずと知れたタミヤの934です。76年の後半に発売されたこのモデルからすべては始まったのでした。シャシーはまったくのノーマルでしたが、「ラジオの製作」を見て自作したライトパッシングとウインカーを付けて喜んでいました。当初はニッカドを買う金がなく乾電池で走らせてました(^_^;) その後友人に売っ払い、しばらくしてまたまた購入。こんどは某所から友人がギッてきた(^_^;)非常誘導灯用のニッカド(Sub-C4本パック)を2組、計8本9.6Vで使用。シャシー剛性向上のためにシャシーの前後方向を2本のピアノ線で補強してました。


2. BMW3.5CSL
 プラボディは破損が激しいので、なるべく強靱なクリヤボディを、と思い製作したのがこれです。メーカーはクライマックスというところで、もともとは12分の1のGPカー用のもので、ポリカも厚くクラッシュにも強かったのでした。シャシーは基本的に934のままですが、左右のボディキャッチを3ミリビスを利用したものに変更しているほか、前後にもアルミ板を曲げて作ったボディキャッチを新設している。写真はミツコシGPに初参加したときのもので、バッテリーは軽量化をねらってマブチ・スーパーセルをバラした600ミリ。ガムテープのパックがおしゃれかもしんない(^_^;)


3. シボレー・カマロ
 さすがのBMWもズタボロになってきたので、当時まだ在庫があったエース・エンタープライズのボディを装着することにしました。価格は2500円。934はフロントブロックを前後にスライドすることで、ホイルベースの調整ができるようになっているのですが、最大に伸ばすとこのボディにピッタリなのです。ボディは赤一色ですが結構気合を入れて塗った覚えがあります。ホイルベースが長くなって操作フィールがしっくりいかず、レースは雨で流れた京商のいちむらでやったのに1度でただけ・・・


4. 紫電
改造に改造を重ねたため、セッティングがぐちょぐちょになってしまったMY マシン。原宿ホコ天で直線をかっ飛ばしている分には問題なくとも、シビアなセットが要求される屋上レースなどでは話にならない、というわけで、シャシーや各部のパーツを新調し、新車時の状態に戻したのがこのマシン。とはいえ、ボディにトドロキから発売されたばかりの紫電のボディを使ったため、フロントブロックが当たるので、この部分のみはノーマルを切断してより10ミリくらい落としてありました。加えてグリップの悪い路面ではバッテリーを4本、4.8Vとし、絶対スピードは遅くても確実にコントロールできるようにしました。おかげでデビュー戦となったミツコシグランプリで入賞し、レースの面白さを知ることができました。ウイングにはRC12のパーツを使っています。


5. マーチ74s (1)
 紫電を発展させたもので、AYKのマーチ74sのボディを載せたものです。バッテリーは6Vが標準となり、シャシーは当時サードパーティー(名前失念)から発売されていた肉厚タイプとしたものです。このころはそこらじゅうのレースに出まくっていて、東武電動カーレースの優勝をはじめ多数の上位入賞をもたらしてくれました。


6. マーチ74S (2)
 ここにいたってやっと(^_^;)シャシーの主要パーツにタミヤ以外のメーカーが導入されました。フロント回りが京商のスーパースポーツのものになったのです。これは、メンバーをひねくる(^_^;)ことによって、キャスターやキャンバー調整が行えるということ、全高が低いので増えてきていたスポーツカータイプのボディを搭載しやすいこと、部品点数が少なく、整備がしやすいことなどが理由です。コントローラーにリレーアンプを導入したのもこのマシンでした。シャシー自体も2ミリのFRP板から切り出した自作のものに変更されています。もはや934の面影はモーターマウント回りにしかありませんね(^_^;)このマシンも長寿で、アソシを使うようになってからも屋上レースなどではこっちを使ってました。


7. RC-12E
 わが愛車のなかで初の舶来モンです(笑)モデルショーのヨコモ(当時は横堀模型でしたが)のブースに飾ってあったのを見て当時のラジコン仲間の一人がいたく感激。我々も引きずられてずるずると全員がアソシにチェンジしてしまいました(^_^;)今でこそ名車の誉れ高い12Eですが、最初は日本の路面に合わず、セッティングに非常に苦労しました。リレーアンプを載せるためにメカプレートを自作したのがこの写真です。ボディはマクラーレンM20を使ってました。


8. RC-12EX
 しばらくしてアメリカからライトウエイトキットというのがリリースされました。これは、当時増えてきていた8分耐久レースに照準を合わせたもので、まったく別のクルマのようによく走ってくれました。このマシンで当時もっとも格式が高いといわれ、メーカーのワークスやサポートドライバーも数多く参戦していたいちむらGCに出て、ワタシのウデでもそこそこ予選に残ったりしていたんですから(^_^;)


9. ソニックスポーツ
 2モーターによる4WDというシステムを持つ京商ソニックスポーツは、特にスリッピーな路面では抜群の走行性を見せました。スポーツカーボディ全盛の時代にBMW・M1でちゃんと走ってしまうのですから・・・前後のモーターの種類を変えることによって、マシンの特性に変化を付けることができたのも特徴です。後には京商の試作パーツを使った性能向上型「スーパーソニック」(仮称)にチェンジし、全関東などのビッグイベントに参戦しましたが、時代の趨勢が8分レースに向かう中、消費電流の多い2モーターマシンは消え去る運命にあったのでした。電動アンプをワタシが初めて搭載したのもこのクルマです。KOのRM-7シリーズは図体がデカいのが欠点でしたが、2モーターの過激な電流にも耐え、使い易かったのでした。



Go to Strenge Modeler's Page (模型のページの最初へ)
Go to The Security Blanket Club
☆禁無断転載☆
ALL PHOTOS AND NOTES By Hiroshi Oide (Email:nbh01510@niftyserve.or.jp)