Weird Worldは引っ越しました。引っ越し先はここです


3.16
 今日は半休。短篇Bを仕上げ、ネットで調べ物(男の和服とか自衛隊とか)をしながら句集の献本リストの作成にかかる。
 囲碁将棋番組のピックアップは早指し選手権。安食女流1級の「そうですかあ」といういかにも受け将棋らしいおっとりした聞き手ぶりは実になごみますね。
 

3.17
 短篇Bをメールし、「魑魅」の再校ゲラを返送。連載をとりあえず再開する。棋力アップにはこれだなと思い、「目標 詰め碁と詰め将棋を一日十題! クラニー」と書いた紙を寝室の壁に貼る。なんだか受験生の部屋みたいである。
 

3.18
 連載と長篇Aを進める。せんじつめれば私は〈私〉にしか帰属していないわけで(最近とみにジャンル的規範は鬱陶しく感じられたりする)、だからこそ保守系アナキスト兼特殊小説家なんだけど、その〈私〉がいっこうに統合されていないからなかなかに面倒なのである。去年あたりからアッパー系とダウナー系を分けるという方針で執筆しているのですが、どうも分けすぎているような気がしないでもない。連載と長篇Aはとても同じ人が書いているとは思えないのだが。
 

3.19
 今日は第三句集「魑魅」(邑書林)のカバー見本が届く。装画は私の本ではおなじみの久枝アリアさん(アリアドネさん)、装幀は版元の島田牙城さん、瀟洒な本に仕上げていただきました。発売は4月中旬の模様です。しばしお待ちください。
 というわけで、いまひとつですが今週の十句です。
 
春ゆふべむかしのわれとすれちがふ
画数の多い漢字や星朧
死んでゐる我が友の手にいぬふぐり
左手は右手を知らず揚雲雀
観潮の一人落ちたり夢木灘
赤潮の割れて砕けて触手かな
幻氷にあらず白い手の巨人
つちふるや終末の日は永遠に
廃屋の暗がりにあり桜餅
春塵や八年前のカレンダー
 

3.20
 長篇Aの第十一章まで終了、500枚をクリア。ひと区切りついたので半休にして浅草へ。ROXビルで本とCDとぬいぐるみを買ってから蕎麦ツアーという定番コース。帰宅後は久々にカラオケの練習。私が「もらい泣き」を歌うと「もらい叫び」みたいになってしまうから、これはやめたほうが無難かもしれない。
 棋王戦は丸山九段が大逆転の三連勝で羽生竜王からタイトル奪取。それにしてもタイトル戦は横歩取りがむやみに多くてつまらんな。誰か風車をやってくれないかしら。無理か。
 

3.21
 このところ囲碁と将棋の話題ばかりで恐縮なのですが、ある種の人々にとってのボードゲームは意外な効用がありまして、将棋はともかく碁は歳をとっても強くなると思えばつらい浮世で正気を保ちながらひとつ長らえてみようかという気分にもなったりするわけです。45才で死んだけど小栗虫太郎が一時期碁会所通いをしていたというエピソードが妙に頭の片隅に引っかかっているのですが、いったいどんな碁を打ったのだろう(意外に堅い、地を這うような棋風だったかもしれない)。棋譜は残ってないんだろうな。


3.22
 例によって泥縄なのだが、資料を調達に神保町へ。叢文閣とグランデの二階を続けて回ると頭がクラクラしますね。その後は個人的な愉しみの本をバッグ一杯分買う。グランデの囲碁将棋コーナーが地下へ移動されていてちょっと不便なのですが、写真集を贖う若者の列に並んで渋い本を買うのもまた乙かもしれない。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうは、クラニーせんせいがぬいさんを二ひきかってくれました。ちいさいリスさんで、コリスちゃんとトリスちゃんです。オコジョさんたちのおともだちになりました。おわり。
 

[読書メモ]
(小説)モーリス・ルヴェル「夜鳥」(創元推理文庫)。
 期待値が高すぎたせいか、ルヴェルはやや隔靴掻痒の感あり。もはや抗体ができていて多少の毒では反応せず、猛毒じゃないと気持ち良くならない体質になってしまっているのはちょっとだけ哀しかったりする。
(小説以外)武宮正樹「定石後の打ち方」(土屋書店)、別冊宝島編集部「今こそ知りたい自衛隊の実力」(宝島社文庫)、パトリス・ボロン「異端者シオラン」(法政大学出版局)、勝浦修「終盤力養成講座2 詰将棋」(創元社)、山前譲編「本格一筋六十年想い出の鮎川哲也」(東京創元社)、心霊リサーチ研究所編「こわいこわい話」(竹書房文庫)、加藤隆「一神教の誕生」(講談社現代新書)、「次の一手 自信をつけるための23題」(「碁ワールド」4月号付録)。
「異端者シオラン」は非常に興味深く読んだのですが、何人いるか知らないシオラン愛読者以外にこんな馬鹿高い本を薦めても仕方がないのだった。とりあえず最も印象に残ったくだりを引用します。
「諧調を夢み、あるいは夢みているようなふりをしながら、彼の思想は決して諧調となって閉じられることはない。それは永久に開かれたままであり、確固たる結論もなく、いわば宙吊りの状態で、思考の原因となった曖昧さに穿たれたままである。事実、二つの項、二つの極の和解は不可能であり、思想は両者のあいだを永遠に揺れ動く。またこの思想には、〈超越〉も、あるいは上位のジンテーゼもないし、たとえばニーチェの場合のように、あらゆる価値の〈転倒〉ないし〈価値転換〉という目的(スローガンといったほうがもっといいだろう)もない」