国際理解教育

98/04/02 02:08:48

3/10 東松山市民ホールにおける服部先生(大妻女子大助教授、早稲田・中央大講師)のご講演  

文化とは大きく、教養文化と生活文化に分かれている。主に今まで教養文化の"押し付け"が多かっ た。それゆえの誤解も多く生じている。例えば日本の国技相撲は日本の誇れるスポーツ文化である。 しかし、相撲とりがフランスに行ったとき、フランス人にはどうしても理解できない点があった。 (略)。 また、文化の違いは発想の違い・母国語直感力にも影響している。例えば、子供が絵を描い たところで先生が同じ絵を描く事を期待してしまうのが日本人教師、"違った絵を描くことが良い"とす るのが欧米人教師。"Originality"を重んずるか否か。 また、「一匹、二匹、三匹、四匹、、、、」と数える数え方で、"Ippiki、Nihiki、Sanbiki、Yonhiki 、、、"とどうして"匹"の発音が違うのか欧米人には理解できない。「発音しやすいから」の理由でも 尚理解できない。その発音しやすさ自体が既に母国語直感力になっている。 私自身(服部先生)が海外帰国子女として日本で小学生時代を迎えた時はまったく逆カルチャーショ ックといじめで苦しんだ。すなはち、海外長期滞在するということはその国の文化を全部背負って帰国 することだということを実体験した。

異文化を指導するのには3段階ある。 1.単語のレベル、2.表現のレベル、3.論理のレベル

1.単語のレベル エスキモー人には"雪"を表現する単語が30以上存在するし、英語で一般に魚料理は"fish"でしかな いが、日本人は魚料理を極め細やかに分類しているし、主に島国ではそうである。また、「月」を色 で表現するなら「黄色」が普通だろうが、欧米人にとって「黄色」は太陽であり、月は「白」なのであ る。また、Windowには"Wind" + "eye" の語源があり、「小さな窓から敵を見る」といった意味合いが あるが、日本の場合「風除け・光を入れる」といった認識がある。SoupはDrinkのイメージだろうが、 実際はEatのイメージである。Good-byeにしても"God be with ye"であって、「神の御加護を」の意味 あいがある。宗教に関する表現または語彙が数多く存在し、それは日本人に簡単に理解できないことで ある。

2.表現のレベル 例えば、教師が生徒学生と接する仕方はどうだろう? 日本の場合、師弟関係であるから「礼儀」と 「尊敬の念」がなければならない。しかし、欧米社会では"Friendly"が先行するから「学生との距離 を置かない」ことが良いとされる。 また、「謙譲」「謙り」「慎み・謙遜」の概念はなく、「共感」"Friendly"の概念であって尚「甘えの 構造の無い」「自己の弱点を見せない」社会構造なのである。 したがって、"It's a nice tie, you're wearing !" に対して、その答えは "Oh, thanks !"(an American) / "No,no, it's a cheap one."(a Japanese) という答え方の発想の違いに表われる。また、日本語の「よろしく」を簡単に英語にできないことも 甘えの構造日本社会を浮き彫りにしている表現である。欧米社会の場合、入社してきて「よろしく」で はなく、即実力を発揮することを行動と結果で表現することを要求される。 具体的な表現法にも発想の違いが現れていて、例えば高校英語で良く難問として出てくる「仮定法」 であるが、良くその使用法が難しいので日常会話に関係無いと見なされて回避されている。しかし、実は この「仮定法」は欧米社会では商談成立の際にもっとも多用される「丁寧語」="Business communication language"なのである。このことを日本人で理解できている人は極めて少ない。

3.論理のレベル 日本文の論理展開というか、文章構造は「起承転結」であり、尚且つ「比喩表現」が多い。しかし、 欧米の英文では「主題が先」で「相手を説得する」手法が多い。これは"Universal"なLogicであり、 国際社会の舞台で"Public Speaking"に応用される。 確かに、日本語独自の味わい、奥ゆかしさも大切であり「英語の考え方」と「日本語の考え方」の中 間を取りながらも国際舞台ではLogicを変える、変えることのできる日本人が要求されている。 よく、国際理解というと即「欧米崇拝主義」に陥る人がいるが、それでは"Idendity"に欠けすぎて いる。例えば、Native Americanのナバホ族も自分達を"ディネ"と呼び「真の人間」と表現している。 また、日本人ほど自国のことを卑下して批判的にしか見られない国民もそう多くはない。 異文化を理解するということは「自分の世界を見る窓を広げる」ということである。

英語を学びなが らも「視野を広げ」「違いを知り、認め」ていくことにおもしろみを感じてくれば良い。 文化とはベニア版1枚程度が完全な違いであり、残り95%は全人類共通の人間性ではないだろうか。

                  視点

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−−−−−−−−−−−−−−−−−− ベニア版
//////////////////→人類共通の部分
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上記の簡単ではあるけれども奥の深いスーピーチで、やはり「グローバルな視点」の重要性をあらため て感じた。もっとも有意義なことに、「単語レベルの異文化理解」がある。これはなかなか素材集がな いと難しいものだが、普段の授業に即応用でき尚且つ「生徒の身近な異文化実体験の場」だと痛感した。 この手の「単語レベルの異文化」を研究してまとめたいと痛感した。

論理展開に関しては「レトリック手法」として広く知られていることである。英文の論文や国際舞台では Topic-centered でないともはや通じないことは周知のことである。 また、私の研究でも挙げたが、Californiaでの"Bilingual"イメージで服部先生と同じくした考えを私 も強く抱いている。日本で"Bilingual"は誠に響きの良い単語だが、ことCaliforniaでは第一Minorityで あるHispanic系民族にあたいすることで良いイメージではない。すなはち、"Language minotiry students" にたいする単語であり、白人社会での熱烈な研究者は現時点でそう多くはない。また、あっても過去の 産物であるし、ESLの教室もHispanic系民族の生きるための英語教室になっている。 日本は完璧なESL教授法ではいけないと思っている。EFLであることは勿論だが、私たちには守るべき文化があり、異文化完全輸入は個人に委ねるにしても全体でしてはならないと思っている。「ことばは文化」 なのである。

 

我が国の国際理解教育

日本は一九五一年七月、国際連合の加盟国となると、すぐにユネスコ憲章を日本の条約として公布し、 ユネスコ憲章第七条による国内委員会設置のための準備をすすめ、一九五二年八月に文部省の一機関 として日本ユネスコ国内委員会が発足した。 日本におけるユネスコ活動の目標は「国際連合教育科学文化機関憲章の定めるところに従い、国際連 合の精神に則って、教育、料学及び文化を通じ、我が国民の間に広く国際的理解を深めるとともに、 我が国民と世界諸国民との間に理解と協力の関係を進め、もって世界の平和と人類の福祉に貢献する ことを目標とする。」と定めている。 一九五三年、日本ユネスコ国内委員会は、国内活動の方針と対外活動の方針の二つからなる活動基 本方針を採択した。国内活動では国際理解教育の重要性をあげ、次のように述べている。「学校教育 はもとよりあらゆる方法によって、広く我が国民の間に、世界諸国民の生活と文化についての理解を ひろめ、諸国民が柑互に依存している事実の認識を深め、かつ諸国民と協力する態度を育て、世界共 同社会の成員としての自覚と責任感を養うこと。」また対外活動に関しては「東西両洋文化の融合点 として果たしてきた我が国の歴史的役割に鑑み、さらに積極的な東洋文化と西洋文化の総合調和をは かり、それぞれの特色を生かしつつユネスコの普遍性の理念にかなった世界文化の創造に寄与するこ と。」 と述べている。 日本では一九七四年のユネスコの勧告を受けて、一九八二年日本ユネスコ国内委員会が「国際理解教 育の手引き」を刊行し、次の6項目にわたる国際理解教育の目標と構造を明らかにした。@平和な人間 の育成、A人権意識の滴養、B自国認識と同は的自覚の涵養、C他国・他民族・他文化の理解の増進、 D国際的相互依存関係と世界の共通課題の認識に基づく世界連帯意識の形成、E国際協調・国際協力 ヘの実践的態度の育成。 中央教育審議会は一九七四年五月、「教育・学術・文化における国際交流について」と題する答申 を発表し、「国際社会において積極的に活躍し、貢献できる日本人の育成」のために教育の国際化の 必要性を強調し、次のように述べている。「我が国が、国際社会の一員として、積極的にその義務と 音任を果たすためには、国民一人ひとりが日本及び諸外国の文化・伝統について深い理解を持ち、国 際社会において信頼と尊敬を受ける能力と態度を身につけた日本人として育成されることが基本的な 課題である。今後は、このような認識に立って、これらの能力を備え、知・徳・体の調和のとれた日 本人の育成を目指し、学校教育、社会教育及び家庭教育の全般を通じて改善充実を図る必要がある。 特にその場合、国際理解教育、外国語教育等の一層の充実を図り、国際協調の精神を培い、国際理解 を深めるよう配慮すべきである。」 一九八四年八月、臨時教育審議会が発足し、一九八五年から一九 八七年の間に四次にわたる答申を出した。 一九八五年六月の第一次答申は自文化に目を向けさせる内容であり、一九八六年四月の第二次答申は 逆に外国に、それも近隣諸国に目を向けさせるものであった。一九八七年四月に出された第三次答申 は、異なるものに対し関心と理解を示すことが強調され、同年八月の最終答申は、国際社会への貢献 を責任と前面に打ち出したものとなった。  臨教審の最終答申に次いで一九八七年十二月に教育課程審議会の答申が出され、教育課程の基準の 改善のねらいとして「文化と伝統の尊重と国際理解の推進」が示された。教育過程審議会の答申の趣 旨を踏まえ、一九八九年三月、文部省によって新学習指導要領が告示された。その際、改訂の基本方 針として「我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視するとともに、世界の文化や歴史につい ての理解を深め、国際社会に生きる日本人としての資質を養うこと」という立場が明確に示された。

二、国際理解・異文化理解の基本姿勢

異文化を理解しようとした場合、最も重要な点は自文化内で通用している価値観、ものの考え方を 基準にして異文化を評価してはならないということだ。それぞれの文化の価値は、それが属する文化 のコンテキストに即して理解され、評価されなければならない。全ての文化は、どれほど小規模であ ろうとも、それぞれに存在価値を有している。人間は、それぞれが生活している土地にあった歴史と 生活信条を持っており、それが独自の文化を生んできた。それぞれの文化は優劣で価値判断などでき るはずがないのだ。このように、それぞれの文化に独自の価値を認めあう考え方を文化相対主義、ま たは文化相対論という。フィールドハウスは著書「食と栄養の文化人類が学」(和仁皓明(訳)、中 央法規)の中で文化相対主義について次のように説明している。「文化的な慣習というものは、その 文化をもたらした集団の論理の中で判断されるべきものであって、もしその集団内でその文化的な慣 習がきちんと機能しているならば、それが我々の社会において慣れ親しんできた習慣とどれほど違っ ていたとしても、それは「正常」として受入れられるべきである。要するに、文化の相対主義とは、 万人共通の行動基準など存在しないという考え方である。」佐野正之他は、『異文化理解のストラテ ジー』の中で、文化相対主義の立場から次のように述べている。「人間はどこで生きようとも、食べ たり、寝たり、愛したり、自分を守りたいという共通の欲求を持っている。欲求を満たす方法は自然 環境や歴史によって異なり、それが独自の文化を生むのである。だから文化を未開と進歩とに分類す るのは無意味で、それぞれの状況に応じた欲求への対応だととらえて、相互に尊敬し、受け入れるべ きである。」文化相対主義は、二十世紀前半のアメリカ知識人の持っていた欧米文化中心主義に対抗 する概念として生まれたものであり、文化の多様性を主張するこの考え方こそが、異文化理解・国際 理解の要であると考えてよかろう。

三、国際理解・異文化理解の障害

 (一)エスノセントリズム
エスノセントリズムは、文化相対主義と対極にある概念で、自文化中心主義、または自民族中心 主義ともよばれている。アメリカの社会学者サムナーが、著書「フォークウェイズ」のなかではじめ て用いた用語で、自文化を美化し、その価値観を尺度にして他の文化をはかろうとする態度をいう。 エスノセントリズムは、人類史上存在した実に多くの民族集団にみられる共通の傾向であるといえよ う。一九三〇年代から一九四〇年代のヒトラー統治下のナチスドイツにおける選民思想とそれによる ユダヤ人の迫害などが最も顕著な例であるが、人間は多かれ少なかれエスノセントリズムの考えを 持っている。幼児期からの自文化の学習によってエスノセントリズムは内面化されてしまうが、国際 理解・異文化理解のためには、どうしても除去しなくてはならないものである。

  (二)ステレオタイプ 
ステレオタイプは、リップマンが著書「世論」において用いた用語で、「まず見て判断するので はなく、判断してから見る」という心理メカニズムを指しており、あらかじめ抱いていたイメージを 修正しょうとしない態度のことである。人間は外界の事象等に対して、その都度、時間と労力をかけ て認識し判断するのではなく、固定化されたステレオタイプに基づいてとらえようとする。ステレオ タイプはまた善悪、優劣などの感情を伴うことも多い。異文化間では、自己の持つステレオタイプの 存在を意識し、これを超えて相手文化からの解釈を加味する方法を常にとる努力が必要となる。

四、今後の国際理解・異文化理解教育

 国際理解教育には、人類の多様性を認め、相互理解の必要性を説くものと、人類が直面している 人口問題、環境問題等の地球上の重要課題を相互協力によって解決しようとするものがある。異文化 理解能力やコミュニケーション能力を養成する英語教育は前者の立場を、社会科教育や道徳教育は後 者の立場といえる。しかし、これからは前者と後者を統合し、地球人的立場に立つ人々を育成するた めの教育を今まで以上に展開していく必要がある。          

(はっとり たかひこ)

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