ニュース

12月30日(水) 
 私たち姉妹会のホームページのアドレスが、変更されました。
http://www.ne.jp/asahi/fraternity/wakayama/petitesoeur/

11月2日(月)
 10月中旬下関の姉妹達は、福岡の飯塚の炭鉱跡を訪ね、強制連行された韓国・朝鮮の犠牲者の方々のために祈りました。数ある慰霊碑の中で、ボタ山を背にした住友忠隈炭鉱後に案内されると、それは朝鮮半島の方角に向かって建っていました。周辺の在日の方々の集落は、ひっそりした佇まいだったそうです。下関の在日の方々の町内に住む姉妹達、高齢化する隣人達が助け合いながら生きている姿に、日々光を頂いて、和解の祈りを捧げています。

9月30日(水)
 引越しにあたふたしているうち、金木犀が香り、コスモスが咲き乱れる季節となりました。 9月4日に荷物を運び、8日の聖母の誕生と姉妹会の70周年を共に祝う初ミサにこぎつけた板橋の家。予想外の荷物の量にどうやって収めようかと色々頭を悩ましましたが ようやく落ち着いてきました。
 引越しの初日、疲れと安堵で床に入った私達の耳に「♪ばかいってんじゃないよ〜」とエコーの響く歌声が!押入れの薄い壁の向こうは“のみやさん”だったのです。えっ、毎晩これが・・・と青ざめましたが、せいぜい週末の2〜3日。そのうち歌声が聞こえないと淋しかったりして?荷物が一段落したら次は共同体造り。こちらは一生ものです。

8月24日(月)
刷新のため昨年12月、1年の予定でアラスカに出掛けた姉妹RM。そのあとさらに2年、アラスカの地区を手伝う事になり、現地でも運転できるように手続きに行ったところテストがありました。日常会話はOKでも、交通法規の用語となるとスラスラとはいかず、何回か落っこちました。職員の方々も段々親身になってくれて、ようやくパスした時は抱きついて喜んでくれたとか。アラスカの人々の暖かさを感じたと同時に、異国で手続きをする苦労が身に沁みて、この間日本での運転免許の取得に苦労したフィリピン信徒の気持ちがよく分かったと言っていました。いいことですね。で、しばらくは二つの家があるだけのアラスカ地区に日本人が3人!

8月7日(金)
 現在の池袋の家に代わる家を、板橋区に見つけることが出来ました。決まるまでの経緯を見ても、神様のお計らいとしか思えないことが数々ありました。手直しの工事も来週初めに終わり、いよいよ入居に向けて掃除、片付けです!新しい家になるのを機に、メンバーが2人から4人になります。新メンバーとなる私、自分の荷物の整理に取り掛かりましたが、つくづく私には整理の才能がない!と自覚を新たにしています。困った事だ・・・

7月29日(水)
 小さい姉妹マグダレナ愛子さんは、7月1日、日本188殉教者の記念日に御父のみもとへ帰りました。走るべき道を立派に走りぬき、義の栄冠を受ける・・・それぞれに委ねられているこの世での命への感慨を新たにしました。昨日報道された3名の死刑執行についても・・・

6月28日(日)
 去年、大きな手術の後に目覚しく回復し、その後日本でしばらく過ごした韓国に住む姉妹Aの容態が思わしくありません。既に5回も手術を受けました。弟さんも韓国へ向かいました。神様に全てを委ね、私達も祈り続けています。

6月10日(火)
 5月初旬にローマから総責任者と総顧問の訪問がありました。6年に1回のこと、私たちは緊張しつつも大いに喜び彼女達との日々を過ごしました。彼女たちは殆どの家を1ヶ月足らずで巡り、最後は全員集合して地区の集まりを持ちました。その中で実際に生きている事を振返り、明確に方向付け、新しい息吹を受け(最後の朝はちょうど聖霊降臨でした)それぞれ散って行きました。恵みの時に心から感謝です。

4月24日(金)
 この間、姉妹Nがお母さんと友人と一緒に宮寺を訪れました。彼女のお母さんは90歳なのですが、頭は飛び切りしっかりしていて、趣味は折り紙。それもちょっとやそっとではありません。頭の中には数え切れないほどのレパートリーがあり、その上、何か新しい作品に出会うとそれを解体(?)して折り方をマスターしてしまうのです。私達、さっそく折り紙教室に弟子入りしました。私の場合、飲み込みは悪い、一つして次のをするとさっきのを忘れる・・・といった具合で、改めてお母さんの利発さ・好奇心・集中力・忍耐力に恐れ入りました。それにしても折り紙を発明した人はすごい!

3月27日(金)
 聖ヨゼフの祝日の3月19日未明、私達の小さい姉妹テレジア・トシ子さんが天の国に召されて行きました。78歳になりあまり丈夫ではありませんでしたが、特に病気もなく普通に過ごしていただけに突然の旅立ちはショックでした。小さい姉妹の名に相応しく、とても小柄で、気も若く、マイペースで飄々と生活を楽しんでいました。昭和30年代、川崎に家があった頃はそこに長く暮らし、製粉工場で働きました。労働者の保護者聖ヨゼフへの信心が篤かった彼女をヨゼフ様が呼ばれたようです。日本での創立から55年にして初めて彼女が天の国の門を開きました。これからはもっと身軽に私達と共にいてくれることでしょう。

3月13日(金
 この前の日曜日、所沢教会で、宮寺教会の主要メンバーのフィリピン人夫妻・セザールとプリシラの銀婚式が行なわれました。来日以来、幾多の苦労を乗り越え、子供たちも共に日本に定着しています。経済状況の悪化で、長年勤めた会社も自分達の首も不安定な中で行なわれたお祝い。フィリピンでは盛大にするそうですが、それにしても結婚式かと見まがうような、いや、それ以上で度肝を抜かれました!でも、その華やかさはもとより、ミサの間に繰り返されるシンボルや誓約は、神が結び合わされた結婚の意味を新たに、より強く示してくれました。仲間たちは、皆で協力して本当によく準備を手伝いました。主に感謝し共に食卓を囲むミサの意味が最大限に表わされた式でした。

3月1日(日)
 稚内では例年にない大雪で、旭川より積雪が多いようです。陸・海・空と、交通網は全て欠航が続いています。姉妹達が朝から晩まで、晩から朝までと雪投げに従事しても一向になくならない雪の山!先日は、屋根の雪下ろしをしていた近所の婦人が転落して亡くなったそうです。稚内で初めての冬を過ごす姉妹Yは、最初は雪の美しさに驚嘆していたのですが、連日の雪投げで足・腰・歯まで痛みが・・・それでも喜びのうちに、雪に閉ざされた中でローソクやカード作りに励み、共同生活と祈りの生活の向上に心を砕いている前期高齢者と後期高齢者の3人の姉妹達です。

2月14日(土)
 先週の日曜日、茨城県の常総教会の献堂式に参加してきました。去年のブラジル移民100周年を記念して建てられた、日系ブラジル人を中心とした共同体です。外壁の教会の名前には、日本語とポルトガル語が並んで表記されています。ミサはもちろん2ヶ国語で、共同祈願ではさらに数ヶ国の言葉が加わりました。私達もめったに訪れる機会のない、関東平野の広々とした風景を満喫し、さいたま教区の国際性を改めて認識した次第です。経済情勢の悪化で、多くの人たちが職を追われる中での献堂式。こういう状況の中でこそ、希望の光となるでしょう。

2009年1月8日(金)
松の内も終わる頃ですが、あけましておめでとうございます。
生田(長野県下伊那郡)の家では、5日に恒例の“女達の正月”を祝いました。元ヒッピーの幾つかの家族が大鹿村に住んでいますが、そこからSさん、Mさん。近所に住むHさん、Eさんと姉妹達。おせちやら手作りケーキやらを持ち寄り、掘りごたつに足を突っ込んでほのぼの楽しいひとときを過ごしました。町から移り住んで、それぞれの信念を持って自然体で山と共生する彼女達。最後、Mさんの連れ合いのシンガーソングライター・Bさんがタゴールの詩に曲をつけた歌を皆で聞き、ガンジスの悠久の流れが伊那谷の天空で溶け合ったようで、みんな魂を揺さぶられる思いでした。

12月25日(木)
 クリスマスおめでとうございます。宮寺では23日に一足早くクリスマスを祝いました。24日は所沢教会で国際色豊かなクリスマスのミサ。最近、稚内から「内地へ下りて来た」姉妹は、「こんなに人が多くて、日本にいるかどうかわからないミサにあずかったのははじめて!」と目を白黒させていました。今日は日中のミサに与かり、共同体でお祝いしました。
 年末に向かっての解雇で職も住まいも失う人々が後を絶たず、明日はわが身かと思わせる現在の状況です。イエス様をして、闇の中で輝く光・・・という表現が今こそぴったりくるように思います。あらゆる闇を通して輝かれる光に希望を置いて、この降誕節に祈りたいと思います。

10月20日(月)
 とある日の午後、東北訛りの女の子が青森りんごの販売にやってきました。「そうね〜、ちょっとみせてもらおうか」というと、今度はイケメンのお兄ちゃんが車を庭先まで。東北から若い2人で行商・・・にほろりときて、なんとなく高いなぁ?宮城ナンバー?と不審に思いながらも、大枚をはたいてしまった私達。友人にその事を言うと、「そりゃぁ、だまされたんだんべ!」
振り込め詐欺に注意、とのニュースに、「これだけ騒いで、どうして騙されるのかねぇ」と首をかしげていたら、この始末です。やっぱり、気をつけましょう!

10月5日(日)
ペトロ岐部と一八七殉教者の列福式が近づいてきました。今日からは7週間の準備の祈りが始まります。京都教区の信徒が作られた京都近辺の殉教者についての紙芝居「52名の殉教者」を持って、京都の姉妹Kが8月末から巡回教会、小教区、老人ホームなどで上演して回っています。独特の語り口と、超〜豊かな感情移入で観客を引き付ける彼女のこと、時には台詞を読む前に感極まって涙・涙・・・どこかでこの紙芝居を語る彼女に出会ったら、きっとよい準備になること請け合いです! (まだ見てないけど)

8月22日(月)
さいたま教区で平和旬間の締めくくり、熊谷で行なわれた平和を祈る集いに行ってきました。平和ミサで始まり、原爆をテーマにした朗読劇では、被爆した長崎純心の女学生が病床でも日曜日の勤めを忘れず、母親に「泣かんでもよかとよ」「天国でいい場所とって待っとるけんね」と言って息を引き取った・・・など、数々のエピソードで戦争の理不尽さを語りかけてくれました。そのあと神道、立正佼成会、聖公会の方々の祈りを合わせて、平和を祈願しました。熊谷の神父さまの「平和は上から降ってくるものでなく私達が作り出すものだ」とのメッセージが心に残りました。日々、心に留めていたいです。

7月14日(月)
1週間前の7月8日、霊的家族のイエスの小さい兄弟会で10数年ぶりにひとりの兄弟が誓願を立てました。ヨゼフ直樹さんは、和歌山で生活を始め、あかつきの村で修練期を終えました。この時代に修道召命はもとより、地味(!)な小さい兄弟になる若い人は少ないので、ある兄弟は、「今どき小さい兄弟になるのは馬鹿か聖人かどちらかだ」と・・・なかなかいい得て妙です。きっと神様の呼び掛けに彼らしく答えていくことでしょう。

6月19日(木)
 昨年末、大きな手術を受けた姉妹Aが、韓国から日本に暫くの間来ることになりました。驚くばかりの回復をした彼女を皆で心待ちにして、その日空港に迎えに行った姉妹R。朝早く張り切って宮寺の家を出発。少し早めに着いてゆっくりしよう、と思いつつ到着ロビーでソウルからの便を掲示板で探したのですが見当たらない。おかしいなぁ、と尋ねたところ、「お客様、それは羽田到着便です」・・・彼女が信じて疑わず向かった空港は、成田!でした。家の黒板には”羽田着”と書かれていて、彼女もそれを見ていたのですが、自分が迎えに行くのは羽田、と頭の中で結びつかなかったそうな。まさに「参った、まいった、成田山」でした。

6月8日(日)
板金工場で勤め始めてそろそろ4ヶ月。この間、3人の新人さんが加わり、その内の1人は女性でした。おじさんから「先輩になったな」と云われ、職場の雰囲気もなんとなく和やか・・・と思ったのも束の間、翌日の時間になっても姿が見えず。工場長には、「1日中立っていて疲れた」と電話があったとのことなのですが、そればかりでもないでしょうねぇ。
最近、「蟹工船」やシモーヌ・ヴェイユの「工場日記」に描かれている労働者の気持ちが身につまされる、と言ったらちょっとオーバーかな? また明日から仕事だ・・・

5月22日(木)
 岡下さんのことを何度かニュースで取り上げました。先日、池袋の家で彼のための追悼ミサが行なわれました。いつかわからない執行の日に怯えながらも、歌を詠み聖書の言葉に勇気付けられ、自らの為した行為の償いの儀式として執行を受け取られたそうです。

 大切な一日 それなりの行き方がある 残された人生の最初の日

 執行四日前に詠まれた最後の歌です。

5月6日(火)
 GWも終わりですね。5月4日に幕張メッセで開かれた憲法9条の集会に参加した姉妹。・・今までは9条を守らなければ、という思いだったが、世界のある国は、9条を自国の憲法に盛り込んでいる、という積極的なものになっていることに驚いた。そして、主催者側の予想を遥かに超えて、会場に入りきらないほどの大勢の人が集まった事に希望を感じた・・・という感想でした。

4月16日(水)
 (池袋の姉妹より)4月10日の4人の死刑執行のニュースに大きな衝撃を受けました。その中の1人、岡下さんとは数年来親しい交わりを持っていました。彼の歌集「終わりの始まり」を読み返した友人が、過ちを犯した人からこのように逞しく清らかな気持ちから湧き出ることに打たれ、死刑執行の無意味さを改めて思ったといいます。

元気でも明日迎えが来るかも その思いが今をふるい立たせる/歌集より

執行が急速に進んでいることを深く憂います。

3月30日(日)
 春は移動のシーズン。宮寺教会も司祭の移動があり、昨日が初顔合わせのミサでした。K神父曰く、宮寺教会はアカペラの聖歌が東方教会風、畳の聖堂が和風、対面式の座り方が大修道院風と、和洋+中東折衷だと新鮮に映った様子。
説教では、戸を閉め、肝心な時に役に立たない弟子たちの真ん中に立ち、この腰抜けをまずイエスは祝福された、何かをするとか、役に立つからではない、それが大事な事だと話して下さいました。
私達もK神父の率直な語り口に新鮮な感動をおぼえました。本当に、春は出会いの季節です。

3月23日(日)
 昨晩、宮寺教会で久々に復活徹夜祭のミサがあり、古い障子の木っ端を燃やして火の祭典で始まりました。
ろうそくの光のもと、英語も交え旧約の朗読を終えたところで、栄光の賛歌で畳のお聖堂に光が充満。代々教会を守り続けている一族のご主人が教会の鐘を高らかに鳴らし、その孫が侍者で腕を力いっぱい振ってベルを鳴らしました。伝統と新生の二つの鐘が響きあい、この夜洗礼を受けたフィリピン人の女の子の赤ちゃんは信仰の普遍性、国際的なさいたま教区のシンボルのようでした。
例年こういうミサに与かる機会の少ない近所の信者さんたち、子供たちは長時間にも疲れを見せず、「もう〜、最高!」と大喜びでした。主はまことに復活された、アレルヤ!

3月14日(金)
 「パンダ〜、卒業したよー。」(パンダに似ている?)姉妹の元に近所の女の子がそういって報告に来ました。
姉妹はしばらく留守だったのですが、その子は、姉妹に高校合格を真っ先に知らせたかったのでした。
彼氏と同じ高校にかなりランクを上げて挑み、見事合格。パンダと彼女は涙を流して抱き合って喜びました。
愛の力が彼女にハードルを越えさせました。希望の春、御復活の喜びも間近です。

3月9日(日)
 HPを立ち上げて数年経ちます。が、私達の力不足で更新もせずそのまま…
そこで、この方面に明るい小さい兄弟が、ニュースを書き込めるようにしてくれました。
というわけで、こうしてニュースをお届けしています。
そして、嬉しいことにこのページを楽しみしてくださる方からメールを頂きました。
こういう反応を頂くととても励みになります。世間のHPから比べると埒が明かないようですが、これからも細々と続けていきたいと思います。

3月2日(日)
 クリスマス前にイラクの姉妹に宛てた手紙が戻ってきました。でも余り汚れもせずに帰ってきたので、ちょっとびっくり。彼女とは1年以上一緒に生活しました。普通に暮らしていると、彼女の国の情勢の大変さに私は思い至らないことが多かったです。
少し前のメールで、病院で働いていること、イスラム教の仲間のことなど知らせてくれました。イスラム教徒の人々のために生きるという私達の会のカリスマを一番直接に、難しい状況の中で生きている姉妹たち。
2ヶ月のあいださ迷っていた手紙の足跡に思いを馳せました。時期はずれの手紙、もう一回何かの形で届けようと思います。

2月25日(月)
 先日、高森草庵に縁のある方を訪ねました。無農薬に徹底した畑作りをされた方たち。
当然、生活もぎりぎりでしたが、作った野菜を市場で売って多くの人と出会い、障がいを持つ仲間と畑をしたり。
その中のお一人が最近、天国へ旅立たれました。彼はその生活を振り返り、「楽しかったなあ〜」そして病院で最後の言葉は、「きれいな畑だなぁ」。
丁度、その時その方が畑に居られたことを見た人がいたのです!その生き方の爽やかさ、素朴さ、高潔さに心打たれました。

2月16日(土)
 この前の週末、関東地区に住む姉妹たちが十数人集る機会がありました。話しを聞きあった後、
家のお風呂は手狭なので、希望者はごみ焼却炉の熱を利用した近くの市営のお風呂に行くことになりました。
張り切って出かけようとしたら何と雪!それでも我が家の自家用車でおそるおそる出発。
ハンドルを握る姉妹は死ぬ思いで、何とか辿り着くと雪のせいか車もまばら。ゆっくりはいれるなぁ〜と思ったら、
先にお金を払うと入って行った姉妹がそそくさと出てきて、「今日は5時までだって・・・」ガーン!
私たちは雪より白く洗い清められませんでした。その代わり、次の日はちゃんと昼間に行きました。

2月12日(火)
 今、何人かの姉妹は仕事を探しています。決して若くない年齢なので、なかなか難しいです。
日曜日にどさっと入る求人の折り込み広告を、目を皿のようにして探して、電話して、面接・・・
そして、送り返される履歴書!
私たちに電話を掛けてくる友達は、最近挨拶代わりに「見つかった?」といってくれ、仕事探しについて色々とアドバイスしてくれます。
「10件ぐらい 行かなきゃぁ〜」と言う言葉に励まされ、今日もまたアタックです。

2月3日(日)
 昨日、2月2日は主の奉献の祝日でした。昔、カトリックでは”マリアの清め の祝日”と言っていたそうです。
お産の40日後、マリアとヨゼフは長男であるイエスを神殿に捧げました。今で言う幼児洗礼、この時は割礼ですね。いけにえの鳩も持って行った、ということは・・・血が流れたのですよね。捧げることには、ある痛みが伴うということかもしれません。この日に修道誓願を立てる事が多いのですが、私もまたその意味を新たにしました。
ちなみに、フランスではこの日にクレープを食べます。光の祭典でもあるこの日に、太陽を思わせるクレープを食べ、春を待望するようです。あちらの冬は、暗いですものねぇ。
私もそれにあやかって作って見ました。かなり分厚いクレープになってしまいましたが!

1月26日(土)
(池袋の姉妹より)私たちは拘置所にいる死刑囚の方々を訪問しています。最近、Oさんの俳句が入選しました。

 “封筒を開けばこぼれる故郷(くに)なまり 悩みの一つどこかへ隠れんぼ”

悩んでいた時に届いた家族の手紙に対する思いを歌ったものです。

1月18日(金)
キリスト教一致祈祷週間ですね。今朝は私達も心を合わせてお祈りしました。…一致週間か否かにかかわらず、
私達が積極的に行くわけでもなく、なぜか 私達の家にはいろいろな方々が来ます。創価学会、エホバの証人の
方々、立正佼成会の方々は本格的で、一緒に祈りの時を持ったり「手芸を教えます!」なんてわざわざ
来てくださったり…みんな一生懸命なんだなぁ、えらいなぁと、小さい姉妹たちはただただ関心するばかりです。
私達は小さな集まりなので、できることはほんのわずか、いつも家の扉を開いていて、誰でも喜んでお迎え
することでしょうか。でも、いつも、家の扉も私達の心も、いっぱいいっぱいにひらいていたい、そう思います。

1月6日(日)
昨日、私達の家の隣にある巡回教会の宮寺教会では…巡回教会だからミサはいつも前日の土曜なんです…
ご公現のミサをみんなでお祝いしました。子どもたちは楽しそうに博士達のお人形に見入っていました。
今日は、近所のお宅を訪問して、なんとカラオケ大会!カラオケが大好きな お年寄りがたくさんいらっしゃるので、機械を持っている人がいるんです! 姉妹たち、それぞれの世代、好きだった歌を夢中になって歌いまくりました。
あー楽しかった。でも、こうやって地域の人が自然に集る場所があるなんて、素敵だと思いませんか?

12月31日(月)
無力な姿を通して神の愛を世々にいたるまで伝え続ける幼な子イエスの姿は、イエスの小さい姉妹たちが
一番ならいたい生き方。一番の宝物。クリスマスだけじゃなくってね。

みなさんクリスマス、いかがお過ごしでしたか?良いお年をお迎えください。小さい姉妹たちは大晦日の今日も
走りまわっています。蕎麦屋のバイト?窓ふき?夜は祈りにふけるでしょう…。

12月16日(日)
今日は待降節第三主日、クリスマス、イエスさまをお迎えする準備も着々と すすんでいます。教会の周りの家々も、キリスト教じゃなくてもイルミ ネーションを飾って大はりきり。なんだか楽しそう!

今日は姉妹たちがカトリックあきる野教会へ行きました。 日曜学校の子どもたちのクリスマスパーティがあって、
ご招待をうけました。 とっても楽しかった!

私たちの本部のそばにある、宮寺教会でも来週の日曜日は一足早いクリスマスミサです。巡回教会だからいろいろ限界はあるけれど、信者さんたち、楽しく集っていますよ!ミサ後は持ち寄りパーティ。どなたでもお気軽に
どうぞ!

宮寺教会:主の降誕夜半ミサ 12月23日(日)19:30〜

12月5日
今、祈りの家を探しています。

12月3日
eメールアドレスが変りました。

12月2日
姉妹会のホームページが新しくなりました。

12月1日
兄弟シャールの命日をお祝いしました。
小さい姉妹の本部、宮寺でもたくさんのお友達が来て祝ってくれました。


Copyright(C) イエスの小さい姉妹の友愛会
E-MAIL : miyadera@m.ictv.ne.jp