西パプアの人々に対する秘密戦争

2006年3月11日
ジョン・ピルジャー
antiwar.com 原文


1993年、私は4人の知人とともに、秘密裡に東ティモールを訪れた。インドネシアの独裁政権が東ティモールで犯しているジェノサイドの証拠を集めるためだった。この小さな国については徹底的な沈黙が行き渡っていたため、訪問前に手に入れることができた唯一の地図はといえば、東ティモールは空白のままで「地理データ不足」とのスタンプが押されていたほどである。けれども、残虐な軍隊により東ティモールほど汚され暴虐を尽くされた地域はほとんどない。人口比で言えば、ポルポトでさえ、インドネシアの暴君スハルトが「国際社会」の共謀のもとで行ったほど多くの人々を殺すことに成功はしなかった。

東ティモールで私が出会ったのは墓だらけの国だった。黒い十字架が目に入った。丘の上の十字架。丘の中腹に並ぶ十字架。道ばたの十字架。それらの十字架は、乳児から老人まで、共同体の全体が殺されたと語っていた。2000年、東ティモールの人々が歴史上例を見ないほどの勇気を振り絞ってついに自由を勝ち取ったとき、国連は真実委員会を設置した。2006年1月24日、2500ページにのぼるその報告書が公表された。私はこれまでこのようなものを読んだことがない。多くを公式の文書記録に依拠しながら、同報告書は東ティモールの血塗られた犠牲の苦い全貌を詳しく述べている。18万人の東ティモール人が、インドネシア軍に殺されたり、強いられた飢餓により命を落としたと報告書は語る。報告書はまた、米国、英国、オーストラリアの政府がこの大虐殺において「主要な役割」を果たしたとも述べている。「大量処刑から強制追放に至る、また、性的な拷問をはじめとする様々なおぞましい拷問から子どもの虐待に至る」多くの犯罪においてアメリカ合州国の「政治的および軍事的支援が必要不可欠」だった。東ティモール侵略の共謀に一枚かんでいた英国は、イ, 鵐疋優轡△悗亮舁徂雋鐵鷆々颪世辰拭8什潺ぅ薀C鮗茲螳呂牘賈襪慮「海Δ砲△訖深造鮓C匿燭離謄蹈螢坤爐鰺Q鬚靴燭い覆蕕弌△海諒現颪北椶鯆未垢戮C任△襦:タ 錫鮠錫鮠 報告書を読みながら、私は、私のフィルム『ある民族の死』が公開されたあとで英国外務省が心配する人々や議員に向けて書いた手紙のことを思い起こしていた。これらの手紙は、真実を知りながら、英国がインドネシアに提供したホーク戦闘機が藁葺き屋根の家々を粉々に破壊し、英国が提供したヘックラーウントコッホ機関銃が住民の息の根を止めていたという事実を否定していた。手紙はさらに犠牲の規模についても嘘をついていたのである。

同じことが、いま再び起きている。同じ沈黙の中で、そして「国際社会」はまたも、身を守る術のない人々を粉砕する後押しをし、それにより利益を手にしながら。インドネシアによる西パプア----広大で資源に富んだ地方で、東ティモールと同様、住民の手から盗み取られた----への残忍な占領政策は、現代における大きな秘密の一つである。最近、オーストラリアの「通信」相ヘレン・クーナン上院議員は、オーストラリアと同じ地域にある西パプアの場所を地図で指し示すことさえできないことを示した。まるで西パプアなど存在しないかのように。

10万人にのぼるパプア人、すなわち人口の約10%が、インドネシア軍により殺されたと推定されている。難民たちの語るところでは、この数値さえ全体の一部でしかない。今年1月、西パプア人43人が、丸木船を使った6週間の危険な旅の末に、オーストラリアのノースコーストに到着した。食料は尽き、最後の飲み水は子どもに与えていた。「インドネシア軍が私たちを捕まえたならば、ほぼ全員が命を失っていたでしょう。インドネシア軍は西パプアの人々を動物のように扱います。まるで動物であるかのように私たちを殺すのです。インドネシア軍はパプア人を殺すために民兵と『聖戦』軍を創設します。東ティモールと同じなのです」。一行を率いたヘルマン・ウァインガイはこう語る。

この1年あまりの間に、推定で6000人を超える人々がジャングルの密林に隠れている。インドネシア軍特殊部隊が村と作物を破壊したためである。西パプアの旗をあげることは「反逆罪」とされる。ただ旗をあげようとしただけで、二人の男性が15年と10年の禁固刑で投獄された。ある村を攻撃したときには、一人の男性が「例」として引っぱり出され、ガソリンを体にかけられて髪の毛に火をつけられた。

1949年、インドネシア独立を認めたとき、オランダは、西パプアは地理的・民族的にインドネシアとは別の存在であり、異なる民族的特徴を持つと主張した。ハーグにあるオランダ歴史研究所が昨年11月に発表した報告書が明らかにしたところでは、オランダは秘密裡に「パプア国家の設立の開始を誤解なく」認めていたが、その政策は、ジョン・F・ケネディ政権によりお蔵入りにされた。ケネディ政権は、西パプア----ホワイトハウスの顧問は西パプアを「人喰い族の住む数千平方マイルの土地」と呼んだ----に対するインドネシアの「暫定的」支配を認めたのである。

西パプアの人々は騙された。オランダとアメリカ合州国、英国、オーストラリアは、表向きは国連が行ったことになっている「自由選択行動」を支持した。実際には、25人からなる国連監視チームの行動はインドネシア軍により制限され、また通訳さえ付けられなかった。1969年、人口80万人の西パプアで、たった1000人の西パプア人が「自由選択行動」の「投票」を行った。1000人全員がインドネシアにより選ばれた人々だった。銃口を突きつけられた中で、これらの人々はスハルト大統領----1965年に権力を掌握した。後にCIAはその掌握劇を「20世紀最悪の大量殺人の一つ」と呼んだ----の支配下にとどまることに「合意」したのである。1981年、亡命地で行われた西パプア人権法廷で、インドネシアの初代西パプア州知事エリエセル・ボナイは、1963年から1969年の間に約3万人の西パプア人が殺されたと証言した。このニュースは、西洋諸国ではほとんど報じられなかった。

「国際社会」の沈黙は、西パプアに膨大な富があることから説明できる。1967年11月、スハルトが権力掌握を確固たるものにしてまもなく、タイム=ライフ社が驚くべき会議をジュネーブで主催した。参加者には、銀行家デーヴィッド・ロックフェラーを筆頭に、世界の最も有力な資本家たちが名を連ねた。机を挟んで反対側にはスハルトの手下たちが座っていた。その中の数人は米国政府の奨学金でカリフォルニア大学バークレー校に留学したことがあったため、「バークレー・マフィア」として知られていた。3日間にわたる会議で、インドネシア経済は一部門一部門切り分けられていった。西パプアのニッケルは米国と欧州のコンソーシアムに手渡された。森林は米国・日本・フランスの企業が手にした。しかしながら最大の獲物----世界最大の金資源と世界第三位の銅資源、文字通りの銅山と金山は----米国の巨大鉱山企業フリーポート=マクモラン社のものになった。オランダ歴史研究所の報告書によると、米国国務長官として、スハルトに東ティモール侵略の「青信号」を与えたヘンリー・キッシンジャーが、同社の役員会に名を連ねていた。

今日、フリーポート社は、おそらく、インドネシア政権にとって最大の資金源であろう。フリーポート社は1992年から2004年の間にインドネシア政府に330億ドルを提供したと言われている。そのうち西パプアの人々の手にはほとんど何もわたっていない。昨年12月、ヤフキモ郡で55人の人々が餓死したと報ぜられた。ジャカルタ・ポスト紙は、「膨大な富」を有する州で餓死者が出ることは「恐ろしいアイロニー」だと指摘した。世界銀行によると、「パプアの人々の38%は貧困生活を送っており、これはインドネシア平均の二倍以上である」。

フリーポート社の鉱山はインドネシア軍特殊部隊が警護している。東ティモールで犯した犯罪の記録からもわかるように、インドネシア軍特殊部隊は、世界でも最も熟練したテロリストである。コパススの名で知られる特殊部隊は、英国から武器の提供を受け、オーストラリアから訓練を受けている。昨年12月、キャンベラのハワード政権は、パース近くの豪SAS部隊吉でコパススとの「協力」を再開すると発表した。当時の豪国防相ロバート・ヒル上院議員は、真実を180度逆転させて、コパススのことを「対ハイジャックや人質救出に対して最高の対処力を持つ」と述べた。様々な人権団体が積み重ねてきた記録は、コパススのテロリズムで溢れんばかりである。1998年7月6日、オーストラリアのすぐ北にある西パプアのビアク島で、インドネシア軍特殊部隊は100人以上の人々を殺した。そのほとんどは女性であった。

それにもかかわらず、インドネシア軍は、パプアの人々の自由パプア運動(OPM)を粉砕することができなかった。1965年以来、ほとんど自分たちだけで、OPMはインドネシアに対し、ときに大胆に、インドネシア人は侵略者であると知らしめてきた。最近2カ月のレジスタンスに対し、インドネシアはさらなる部隊を西パプアに緊急派遣している。英国が提供したタクティカ武装人員輸送装甲車が2台、放水砲を備えてジャカルタから西パプアに到着した。英国がインドネシアに最初にタクティカを提供したのは故ロビン・クックが外交政策における「倫理的側面」を唱えていた時期である。BAEシステムズ社製のホーク戦闘爆撃機は西パプアの村を攻撃するために使われている。

オーストラリアに到着した43名の亡命申請者も不安定な運命のもとに置かれている。

国際法を冒して、ハワード政権は彼らを本土からクリスマス島に移送した。クリスマス島はオーストラリアの難民「隔離地帯」の一つである。彼らの身に何が起きるか注意深く見なくてはならない。人権の歴史が有力諸国の不処罰の歴史と同じでないのならば、国連は、ついに東ティモールに戻ったように、西パプアにも戻らなくてはならない。

それとも、私たちは、十字架がさらに数を増すのをいつでも待っていなくてはならないのだろうか?

支援等の情報については、http://www.freewestpapua.org/をご覧下さい。

  翻訳:益岡賢 2006年3月21日