The La'o Hamutuk 会報
2001年10月 第2巻6/7号
特集:東チモールにおける正義の問題
目次:
1.はじめに:東チモールに対する正義?
2.正義に関する問題を扱っている組織
3.東チモールにおける新たな司法システム
4.受容・真実・和解委員会:概要
5.連帯と国際的な正義
6.東チモール国際法廷?
7.女性と正義
8.会説:東チモールの正義に関して真剣になるとき
9.最近の状況×
10.デメロからの手紙×
11.ラオ・ハムツクのデメロからの手紙への返答×
付録.正義を巡る過去2年の状況に関する年表
注:「×」は日本語訳がありません。
はじめに:東チモールに対する正義?
今から2年と少し前、インドネシア軍(TNI)とその手先の民兵が、東チモール
で最後のテロと破壊作戦を開始した。その結果はよく知られている。約70%の建
物とインフラが破壊され、2000名以上が殺害され、数は不明であるが多くの女
性が強姦され、何十万人もが追放された。これらの残虐行為はUNTAET設置に
影響したし、また、東チモールの人々に対してなされた人道に対する罪と戦争犯罪
の責任明確化を保証するような努力を促した。
本会報では、インドネシアが東チモールを征服し併合しようとしていたあいだに犯
された犯罪に対する責任明確化を達成しようとする試みを特集する。この犯罪はイ
ンドネシアがポルトガル領チモールに対する攻撃を開始した1975年に始まり、
1999年TNIが東チモール領土から撤退したことにより公式に終了した。けれ
ども、民兵とTNIで民兵を支援するものたちが今もインドネシア領西チモールに
何千人もの東チモール人たちを実質的な捕虜として拘束しているため、今日でもこ
の国際的な犯罪はいろいろな意味で続いていると言うことができる。
正義を達成するためのいろいろな試みを概観するとともに、本号ではUNTAET
による重大犯罪(ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪、殺害、拷問、性的攻
撃)調査と起訴に対する批判的分析も行う。また、国際法廷を実現しようという国
際的な連帯運動の活動について論じた記事も掲載する。そのほかに、生まれつつあ
る「受容・真理・和解委員会」についての概観、現在作られつつある司法システム
(一般犯罪に関するもの)に関する記事、東チモールの女性に対する暴力と現在作
られつつある司法システムとの関係に関する検討、国際法廷に対する代替案を検討
した小文を掲載する。また、現在も続く難民危機に関して暫定統治機構代表のセル
ジオ・デメロがラオ・ハムツクに宛てて出した手紙と、我々のそれに対する返答も
掲載する。過去2年間の重要な正義を巡る出来事に関する年表を付録として掲載す
る。
タイス・チモールの2001年9月号で、UNTAETは20の主要な達成につい
て概観しているが、その中には、重大犯罪処罰に関するものは何もない(UNTA
ETが機能している司法・法システムと述べているものは一般犯罪しか対象として
いない)。UNTAETが重大犯罪処罰について沈黙していることは、それに関し
ての進捗が不十分であるという広く認識された状況を反映している。むろん、この
問題の原因はUNTAETのみにあるのではない。さらに重要なのは、この状態が、
インドネシア及び国連の最も有力なメンバー国に、東チモールの正義を保証しよう
という政治的意志がないことによりもたらされていることである。そうではあるけ
れども、インドネシアによる侵略と占領という文脈において犯された人権犯罪に対
する正義を保証しようとするUNTAETの努力には深刻な問題があることも確か
なのである。
正義に関する問題を扱っている組織
正義を巡る活動に関係する組織は3つある。国際社会(より特定的には国連機構)、
インドネシア、そして東チモールである。
国連
国際的な場に関して言うと、国連はUNAMET使節が活動していたときに犯され
た残虐行為に対する調査を迅速に開始した。1999年9月27日、国連人権委員
会(UNCHR)は、国連事務総長に対して東チモールにおける大規模人権侵害を
調査するための東チモール国際人権調査団(ICIET)の設置を勧告する決議を
採択した。UNCHRは委員会の職務規程を1999年1月、インドネシアのハビ
ビ大統領が最初に東チモールでの投票を示唆した時期からに限定した。UNCHR
はまた、超法規的処刑、拷問、女性に対する暴力、失踪と強制追放に関する特別報
告者も要求した。
1999年12月10日に安保理に提出された報告書の中で、3名の特別報告者は
「殺害、拷問、性的暴力、人口の強制移送、そして財産破壊を含むそのほかの迫害
や非人道的行為」に、民兵とともにインドネシア軍が参加していたとし、これらの
犯罪が「広範あるいは体系的あるいは広範かつ体系的な規模で犯された」と報告し
た。特別報告者3名はまた、ジャカルタの調査が1999年の東チモールでのテロ
行為に関する調査と責任者処罰について「数ヶ月のうちに」信頼できる成果を出さ
ないならば、「国連安保理が国際刑事法廷の設置を考慮すべき」とも述べた。同時
に、報告者は、国際法廷は植民地勢力(ポルトガル)が撤退して以降に領土内で犯
された全ての国際法に違反する犯罪を誰が行ったかに関わらず司法権の対象とすべ
きとも明言している。
それから2ヶ月とたたないうちに、ICIETが報告書を発表し、1999年に犯
された犯罪を巡って、国連が指名した判事からなる国際戦争犯罪法廷を設置するよ
う国連に求めた。同報告を発表する際に、国連事務総長は、インドネシアのアブド
ゥルラフマン・ワヒド大統領による法を維持しようとする努力に勇気づけられたと
述べ、インドネシアで進められている国内的な調査を通した実行者の調査と起訴を
全面的に支持すると述べた。アナン事務総長はまた、インドネシア外相が、インド
ネシア政府は責任者を不処罰にすることは決してしないと事務総長に確約したとも
述べた。
コフィ・アナンはまた、犯罪の責任明確化が十分達成されることを保証するために
様々な方策を追求すると書き、とりわけ、そのために、UNTAETがそうした調
査を行う能力を強化し、また、UNTAETとインドネシアのKPP−HAMによ
る調査との協力を促進すると述べた。
最初がこうした状態であったため、安保理理事国、特にインドネシアの強力な同盟
者たちはジャカルタが自ら処罰をする能力があると求めたことを喜んで受け入れた
のである。けれども安保理はまた、インドネシアはできる限り早く実行者を裁判に
かけなくてはならず、また、国際法の基準を満たし、法の手続きに従って、迅速で
包括的、実効的かつ透明な司法プロセスを実現しなくてはならないと述べている。
それ以来、国連の公式議論の中では、ときおり、インドネシア政府に対して、進捗
が見られないならば国際法廷を設置する動きが改めて出てくると警告する以外、ほ
とんど何も起こっていない。国連では東チモール国際法廷設置に関して全く進歩は
ないし、有力諸国のいくつかは、当初示していた消極的支持すら取り消しつつある。
例えば、安保理において行われた東チモールに関する最近のいくつかの会議では、
国際法廷に言及した理事国はなかったし、また、UNTAETや東チモールの政府
筋も、会議の中の証言で国際法廷に言及しなかった。東チモール及び国際的なNG
Oと国際連帯運動によりこの問題が取り上げられ続けているのみである。
インドネシア
インドネシがが暴力的かつ嫌々ながら東チモールから撤退した直後、ジャカルタは
1999年の、人権及び国際人道法に対する重大な侵害を調査処罰すると約束した。
1999年9月22日、ハビビ政権は、インドネシアの公式の人権団体Komna
sHAMに対し、1999年に犯された人権犯罪を調査するための東チモール人権
侵害調査委員会(KPP−HAM)設置を認めた。その直後、ハビビはKomna
sHAMに東チモール及びその他の地域における人権犯罪に関して文民及び軍人を
裁くことができる特別法廷設置の権限を与える大統領令に署名した。
2000年1月31日、KPP−HAMは報告書の要約を発表し、「大量虐殺、拷
問と暴行、強制失踪、女性と子供への暴力(強姦と性奴隷を含む)、強制移送、焦
土作戦、財産の破壊といった基本的人権に対する大規模な侵害が、計画的、体系的
かつ大規模に行われた」と記述している。要約では、重大な犯罪を犯したとして3
3名の名を挙げている。その中には、東チモールの元州知事、5名の県知事、16
名の軍人、1名の警察官、10名の文民民兵指導者が挙げられている。報告書はま
た、1999年当時国防相でありインドネシア国軍総司令官だったウィラント将軍
と軍諜報部を率いていたザッキー・アンワル少将の名前も挙げている。
2000年2月上旬、インドネシア検事総長のマルズキ・ダルスマンは、Komn
asHAMの調査で容疑者とされたものたちに対して起訴を行うかどうか決定する
ために3ヶ月かかると述べた。この約束が実現することはなかった。2000年1
1月、ダルスマンは、インドネシア政府は、2001年1月から、東チモールに対
する犯罪容疑者である22名を起訴すると約束したが、これも実現しなかった。
2001年4月23日、インドネシア大統領アブドゥルラフマン・ワヒドは東チモ
ール人権法廷設置を認めたが、この法廷の対象は1999年8月30日の民衆協議
(住民投票)以降の犯罪に限られていた。多くの批判に応えるかたちで、メガワテ
ィは2001年8月に、法廷の対象範囲を1999年9月だけでなく4月も含むよ
うに規約を変更したが、他の月は含めなかった。同時に、この新たな大統領令では、
法廷の対象範囲をディリ、リキサ、スアイのみに制限した。
この規約改正により元民兵指導者のエウリコ・グテレス(現在メガワティ率いる闘
争民主党の青年団長)を裁判にかけることが可能ではあるが、この改正の目的は国
際的な批判を交わすためのようである。あるジャカルタの外交官が述べたところに
よると、メガワティは国際社会をなだめるためにグテレスを切り捨てる考えでいる
のかもしれないという。アムネスティ・インターナショナルはこれに関する批判の
中で、法廷の制限は1999年に東チモール中で起きた暴力の何百人もの犠牲者は
正義を否定され、起こったことに関する真実は明らかにならないと述べた。
2001年8月、法廷設置責任者であるBenjamin Mangkoedilagaは10月には法廷
で審理が始まるだろうと考えていると述べた。けれども、10月に、インドネシア
は、判事は12月までは任命されないだろうと発表した。こうした状況において、
ベロ司教が「我々はジャカルタで調査が行われることを信じていない。ジャカルタ
では東チモールでの犯罪を指示したものたちは裁判を受けることがないだろう」と
述べたのは驚くことではない。
UNTAET
1999年9月20日、東チモールにInterFET部隊が到着して以来、十数
名のオーストラリア軍事警察が人権犯罪調査の任にあたった。InterFETは
1999年12月、この任務と書類を文民警察に委譲した。2000年3月20日、
UNTAETのセルジオ・デメロ代表は、この仕事をUNTAETの人権部(HR
U)管轄の部署に移した。この部署はやはり文民警察の中にあるものである。
責任を人権部(HRU)に移したことには多くの利点があった。特に、HRUは東
チモールの最近の歴史を理解しており、政治軍事的な大局的図式の中で人権犯罪が
どのような位置づけにあるかを知っており、また、東チモールNGOと良好な関係
にあった。それにも関わらず、人権部は責任を果たすために十分な資源を全く受け
なかった。
2000年6月から8月の間に、UNTAETは、重大犯罪調査を監督する起訴サ
ービスをまず法律問題部門の中に、ついで司法省のもとに移し、HRUからその責
を取り去った。UNTAETはまた、ディリ地方裁判所に重大犯罪特別陪審を設置
した。この特別陪審は、(時期制限なしに)ジェノサイド、戦争犯罪、人道に対す
る罪の事件についてを扱うと同時に、1999年1月1日から10月25日の間に
犯された殺害と性的暴力を扱う権限を東チモール内で全面的に担うことになった。
2001年7月新たな副代表が赴任して2001年9月に政府構造が変更されたこ
とで、UNTAETは重大犯罪の責任組織変更を検討している。本文章が印刷され
ている現在、詳細は確定していない。
重大犯罪調査団は1999年に起きた犯罪のうち10の事件を優先的に扱っている。
それには、リキサとスアイのカトリック教会での虐殺、マニュエル・カラスカラン
邸殺害が含まれる。検事局は、設置以来、人道に対する罪で、数名の下級インドネ
シア人及び東チモール人インドネシア軍兵士を含む42名を訴追しており、他に殺
害をはじめとする重大犯罪で多くのものを訴追している。これまでに7件の判決が
全て下級民兵団員に対して下された。インドネシア軍将校で法廷に出廷したものは
いない。
UNTAETの調査と起訴が遅いことについては多くの批判がある。これは、一部、
職員をはじめとする資源が不足していることによる。また、2000年4月6日に
署名された覚え書きでインドネシアがUNTAETと協力する義務があるにも関わ
らず、インドネシアが協力を拒否していることが、UNTAETの重大犯罪調査処
罰の効率を弱体化している。けれども、同時に、資源やジャカルタの協力拒否とは
別に、重大犯罪部内部及びその周辺にも重大な問題があるのである(次の記事を参
照のこと)。
他に正義が執行されうる場所としては、人道に対する罪、戦争犯罪その他の犯罪に
ついて、普遍的司法権に基づき、民事あるいは刑事裁判を執行することができる第
3国がありうる。最近米国でなされた、TNIのJohnny Lumintang将軍に対する(
不在)民事裁判で6600万ドルの支払い判決が出たのはその一例である。
UNTAETと重大犯罪
UNTAETが東チモールで活動を開始して以来の最も重大な責任は、1999年
に東チモールの人々に対して犯された犯罪の実行者の何名かに対しての責任追及を
開始し責任を明確にすることであった。使命の初期の段階で、UNTAETは重大
犯罪(殺害、強姦、大規模放火、さらに悪質な犯罪)を調査する人員を指名した。
もともとこの指名は人権部の一部であったが、2000年6月に司法省に移管され
た。この間中、重大犯罪部の行政運営責任はUNTAET指導者(特別代表と副代
表)にあった。本号印刷中に、重大犯罪部は大きなスタッフ及び構造の変更が行わ
れているところである。
総検事(General Prosecutor)は一般犯罪と重大犯罪双方の調査と起訴の責任を負
っている。一般犯罪・重大犯罪のそれぞれに副総検事(Deputy General Prosecutor:
DGP)が指名されている。重大犯罪のDGPは重大犯罪部(Serious Crimes Unit:
SCU)として知られるようになった部を率いている。これには、検事、法廷専門
員、データ管理要員、調査官が含まれる。けれども、実際にはSCUの構造は、そ
こで働く人々にとってすら、混乱していると同時にきちんと定義されておらず、S
CUはUNTAET指導部とETTA(東チモール暫定政権)司法省の双方に報告
責任を負っていた。
2000年8月から2001年10月半ばまで、モハマド・オトマンが総検事の地
位についていた。2001年7月から10月まで、ジャン・ルイス・ジリセンが、
それまで長い間空いていた重大犯罪副総検事の任についていた。SCUの調査課を
率いるOyvind Olsenが、ジリセンが着任するまで実質的にSCUの長としての役割
を担っていた。
UNTAETの中では、現在2001年7月にUNTAET副代表になったニュー
ジーランド人デニス・マクナマラに司法に関する全体の責任がある。2001年9
月、第二期東チモール暫定政府(全て東チモール人からなる)が結成されたときに、
アナ・ペソアがジタ・ウェルシュにかわって法務相になった。新たに総検事となっ
たのは、一般犯罪に関する副総検事を勤めていた東チモール人法律家Longuinhos
Monteiro(33歳)が赴任した。本号印刷時において、UNTAET/ETTAは
まだ重大犯罪部のトップ(以前はジャン・ルイス・ジリセンが占めていたポスト)
を指名していない。
こうした変更がどのような効果を表すか予測するのは不可能であるが、UNTAE
Tの指導部が長く続いた問題に取り組んでいるという点については楽観的である。
本記事の問題の多くは、10月までに見られたものである。
重大犯罪部は人道に対する罪で40以上の訴追を行った(ほとんどが民兵とその支
持者及び東チモール人TNI兵士)。また、何百もの殺害事件を調査した。この成
果は、重大犯罪部には多くの献身的で高い能力を備えた調査員と検事がいたことを
示している。それにも関わらず、多くの東チモール人や国際スタッフは重大犯罪部
の調査と起訴の進捗が遅すぎると感じており、SCUの目標は残虐行為の体系的か
つ調整された性質をきちんと勘案しておらずまた1999年以前の犯罪に及んでい
ない。
こうした問題は、いくつかの主要な要因からきていると広く信じられている。運営
ミス、能力不足、見通しの欠如、資源不足、国際社会の不十分な政治的意志である。
運営ミス、能力不足、見通しの欠如
ラオ・ハムツクは重大犯罪の調査と起訴とに関わった現在及び過去のスタッフにイ
ンタビューを行った。ほとんど全員が、Oyvind Olsenの指導に極めて批判的であり、
彼は多くのスタッフととても関係がよくなかったと述べた。また部内のコミュニケ
ーションに関わる問題、そしてオトマン総検事とジタ・ウェルシュ元司法相が人員
を巡る問題に対処しようとしなかったことを批判している。重大犯罪部の職員意識
は非常に低く、何名かの有能で献身的な職員が辞任するに至った。
ラオ・ハムツクは、重大犯罪部における、多くの、能力不足、戦略や目標の不十分
な定義、非効果的なデータ管理、悪しき判断について知るに至った。2001年7
月の東チモールに関する正義についての報告でアムネスティ・インターナショナル
が書いているように、10の優先事件を解決すること以外に、1999年そしてそ
れ以前の何千もの人権侵害に対する事件を調査するための戦略は存在しないように
見える。また、我々はSCU職員が東チモールの最近の歴史について最低限のこと
すら知らないことを示すいくつもの逸話について耳にした。SCU管理者達が最近
辞任したので、これについては詳しく述べないが、他の多くの人々と同様、UNT
AETに残された最後の数ヶ月の間に問題が大きく改善されることを期待する。
SCUには、残虐行為を生き延びた人々とコミュニティが当局が正義を実現するた
めに何をしているかについて知る必要があるような、トラウマを抱えた紛争後社会
においては必須である市民対策/情報公開プログラムがない。多くの人がSCUと
東チモール市民社会との間に協力関係がないことに批判的である。これには、SC
UがNGOや他のグループと、包括的に情報や証拠、資料を共有して働こうとしな
いことが含まれている。
SCUは、UNTAETの人権部(HRU)と協力しようとしなかった。HRUの
国際スタッフ及び全土の東チモール人スタッフは、東チモールの最近の歴史につい
て非常に良く知っていたにも関わらずである。HRUはまた、調査を支援できるよ
うな東チモールコミュニティや組織と強い連携関係を持っていたのである。
総合的に考えるならば、これらの例は、東チモール人が過程に参加するようにする
ために何もしない一方で、東チモールについての背景知識がない国際専門家に依存
しすぎることの危険を示している。現在の変更によりこれらの問題に対処できるか
もしれないが、多くの人々は、何故抗した問題がかくも長く続いたのか疑問を持っ
ている。
資源不足
アムネスティ・インターナショナルは、「人権侵害と人道に対する罪を調査し起訴
するための経験と専門知識を持つ調査員と検事を含むスタッフ不足が慢性的であっ
た」と書いている。例えば、2000年12月には、重大犯罪の検事は1名しかい
なかった。自体は改善されたが、今も検事は7名しかいない。
任務を終えた副総検事ジリセンは、任務を遂行するためには少なくとも55名の調
査員が必要であると見積もっている。けれども、SCUには26名の調査員しか任
命されておらず、契約のローテーションにより、一時に活動しているのは11名の
みなのである。調査員(多くは政府から6ヶ月契約で借り出している文民警官)の
頻繁な契約ロテーション(6〜12か月ごと)は、継続性と知識が失われるという
ことを意味している。
現在、重大犯罪の実行者を審理するために3名からなる陪審が一つ活動しているだ
けである。UNTAETはさらに二つの陪審を設置しようとしているが、同時に二
件以上の審理を進めるために必要なサポートスタッフ、通訳、国選弁護人等がいな
いことを大国人々が危惧している。最初の人道に対する罪の審理が既に3ヶ月目に
入ったことを考えると、既に訴追されている時間を審理するだけでも長い時間がか
かるであろう。
物的資源もまた不足している。例えば、調査員の半分は車を持っていない。副総検
事にも車がない。このような人的・物的資源の不足は効果的な司法システム設置を
困難にしている。
政治的意志の欠如?
少なくとも1年間、重大犯罪部が問題だらけであることは明らかであった。200
1年初期、暫定行政官セルジオ・デメロは、国連と長期にわたり尊敬をもたれた関
係を維持してきたメアリー・フィスクに、SCUの内部調査を行うよう依頼した。
UNTAETがフィスクの報告を公開することはなかったが、内実を知る人々は、
報告書では、新たな運営体制をはじめとする大規模な変更を勧告していたという。
大きな変更が行われるまでにそれから6ヶ月かかり、その間、UNTAETはフィ
スク報告が問題としていたスタッフとの契約を更新し、また問題を指摘してきた他
のスタッフはフラストレーションを抱えたまま放置されていた。
これは政治的意志を巡る疑問を提起する。元重大犯罪部職員が述べたように、UN
TAETの一部と寄付を援助国とは、本当に厳密な重大犯罪部を望まないのだとい
う議論があったという。これら諸国はインドネシアを困惑させたくないのだという。
こうした疑惑が本当であるかどうかを検証するのは不可能であるが、こうした疑問
がSCUの内部にすら存在するという事実が、SCUの問題の深さを示している。
この疑問は、国連で支配的な位置にある諸政府が、東チモールに関する正義につい
てほとんど何もしていないことによりさらに強められている。
UNTAETの任務が終了に近づくにつれ、国連はその後継任務の中で重大犯罪の
調査と起訴の計画をしており、国際スタッフ・東チモール人スタッフ双方の増加が
見込まれている。けれども、米国とフランスが、割り当て支援金に関して、伝統的
な平和維持活動の狭い範囲以外には使われたくないと述べているため、資金源を巡
る問題が存在する。国連事務総長は、UNTAET−IIにおける重大犯罪起訴が
評価割り当て式で資金を確保すべきと提案したが、一方、裁判官を含むほとんどの
文民機能は自発的資金提供に依存することになる予定である。
SCUは、現在、インドネシアの占領下で犯された人道に対する罪の実行者の責任
を追求することができる唯一の場所である。インドネシアの司法プロセスがどこに
も進まない状況で、また、国連が東チモール国際法廷を設置したがっていない状況
で、正義に対する期待は現在SCUにのみある。SCUはいくつかのことを達成し
はしたが、多くの領域でなすべきことがなされていない。そしてUNTAET指導
者及び影響力のある政府はともに行動を起こすことに消極的である。最近のSCU
管理体制の変更は、この状況がついに変化しつつあるかも知れないことを示してい
るが、この変化が有効かつ継続的な効果を持つことを保証するためには、継続的な
人々による監視とアドボカシーが必要となっている。さらに、UNTAETと国連
とが視野を広げ決意を深めるまでは、最悪の責任者の多くはインドネシアで不処罰
を楽しむことができるのである。
東チモールにおける新たな司法システム
(司法システム監視計画)
1999年10月にUNTAETが設置されたとき、インドネシア占領下で存在し
ていた司法システムは実質的に廃墟状態であった。インドネシア軍とその手先の民
兵は法廷の建物といったインフラや、法廷ファイルや法的文書といった文書を破壊
した。法廷システムを運営していたインドネシア官僚は東チモールから撤退し、そ
のときに判事や検事、資格をもった弁護士の大部分も撤退した。法の維持のみでな
く、適用すべき司法システムすら空白状態だったのである。その結果、UNTAE
T規約の緊急かつ重要な部分として、機能する司法システムを、それが機能するた
めに必要な基盤そのものも含めて再建することがあった。
それ以来、UNTAETは、ディリ、バウカウ、スアイ、オイクシの四カ所に地方
裁判所を設置し、また、一つの全国控訴裁判所を設置した。UNTAETはまた、
2000年初期に25名の判事、13名の検事と9名の国選弁護士を指名した。判
事は現在、刑事事件と民事事件とを審理している。民事には商業契約を巡る論争、
土地、国境統制活動等が含まれる。重大犯罪事件の審理−そのほとんどは1999
年の暴力に関係しているものであり、また、国際判事と検事が活動している−を行
うディリ地方裁判所の特別陪審を例外として、司法に関わる事件は東チモール人司
法職員が全てを行う。さらに、国際文民警察の支援を受けているとはいえ、チモー
ル人警察が現在設置された。また、国選弁護人が選ばれ、他に弁護士がいないとき
にはUNTAETが指名した弁護士の弁護を受けられるようになった。また、法廷
の建物と刑務所はほとんど再建され、司法システムをどのように運営するかに関す
る技術と知識を育てるゆっくりした仕事が開始された。
しかしながら、こうした進歩にも関わらず、機材と職員両面において資源が不十分
なため、司法の適切な運営が妨げられている。公正な裁判のための基本権、例えば
弁護士をつける権利といったものは、国選弁護人の数が不十分であるため危機にさ
らされている。さらに、1999年以前に法律の教育を受けた東チモール人がほと
んどいなかったこと、そして資格を持った東チモール人のほとんど全員がインドネ
シア政府の統治下で、実践を禁止されていたことにより、問題はさらに悪化してい
る。その結果、弁護士はほとんどあるいは全く実践経験がない。
同じ問題が新たに選ばれた東チモール人判事にも当てはまる。彼ら/彼女らは最低
限の訓練しか得ていないが、非常に沢山の事件を負担して奮闘しなくてはならない。
英米の慣習法を司法の伝統とする諸国では、判事は最も熟練した上級弁護士からし
か選ばれない。インドネシア法の基盤となっている大陸ヨーロッパ式民法の伝統で
は、判事は包括的な訓練プログラムを経て、小さな事件からのみ始める。
現在東チモールで適用されている法律は、インドネシア法とUNTAET規約と国
際人権法との珍しい混合からなる。ほとんどの日々の事件を巡っては、特に刑法に
関しては、占領下で使われていたインドネシア法が適用される。国連規約は、国際
人権法に合致するインドネシア法のみが適用可能であるとしているが、暫定政権は
今に至るまで、インドネシア法が国際的基準とどのくらい合致しているかを包括的
に検討していない。このため、大きな混乱が引き起こされている。それは法のもと
で生活する一般の人々だけではなく、警察、判事、検事、弁護士といった法律を把
握し適用しようとしている人々にもあてはまる。
ほとんどの東チモール人は独立公平な公式の司法システムを経験していないため、
公的司法システムに対する無知と不信が大きく残っている。苦情申し立てをどのよ
うに行うかや公的な司法システムに同訴えるかといったことを巡る、新たな司法シ
ステムに対する基本的な公共的情報提供は存在しない。また、弁護人を求める権利
や黙秘権などの、逮捕されたときの個人の権利に関する教育と情報が強く求められ
ている。既にこれまでに、警察が、ときに非常に深刻な容疑で、被疑者の権利を守
ることを保証するための弁護人の立ち会いなしに被疑者を尋問する例がいくつかあ
る。
さらに、東チモールには、司法コミュニティが誇るべき、コミュニティに依存した
あるいはその他の多くの調停システムがある。それらのいくつかは、ポルトガルの
植民地支配以前にまでさかのぼる長い伝統があり、リアナイン(伝統的法律担当者)
といった伝統的指導者によって運営されていた。またそれらのうちには、インドネ
シアの腐敗して恣意的な司法システムに対する代替として生まれたものもあった。
世界中の公式司法システムにおいて、しばしば硬直して高価になる法廷への訴えに
対する代替として、仲介をはじめとする紛争調停の有効性がますます認められてい
る。適切に適用されるならば、これらの体系は公式の司法システムを補完すること
ができる。同時に、注意も必要である。アムネスティ・インターナショナルは最近
の東チモールに関する報告の中で、代替的かつ司法における刑事裁判ではない手法
の利用は、十分な保護がなく規定なしに適用されるならば、深刻な人権侵害をひき
おこす可能性があることを指摘してる。
殺害や強姦といったいくつかの暴力的行為は特に刑事事件として扱い処罰する必要
がある。アムネスティは、女性や子供に対する暴力犯罪事件が、しばしば犠牲者の
希望に反して、金銭支払いといった手段で解決された例をいくつかあげている。コ
ミュニティの信頼を得た司法システムが機能していない状況では、女性や子供とい
った弱い集団が、自分たちを大きな危険にさらしてしまうようなコミュニティの裁
きを受け入れるような抑圧に直面することになる。
法の支配と人権尊重に基づく公正な社会の基盤として、独立公正な司法体系は最も
重要なものである。虐待その他の不正をおこなったものが処罰を受けずにいられる
ならば、法の下の平等という基本原則が失われることになる。東チモールにおいて
犯された過去の残虐行為や虐待の犠牲者に対する正義を追求することは重要な目的
である一方、再建過程においては、紛争を公正に解決し現在及び未来の犯罪を裁く
ための司法システムの適切な創設もまた優先事項である。
国際社会がUNTAET規約が終了した後もかなりの期間にわたり東チモールの誕
生したばかりの司法システムへの支援を継続することが重要である。新たな司法シ
ステムが必要な支援を得られないならば、インドネシアが残した不処罰と汚職の伝
統が、独立東チモールにおける法の支配の展開を阻害し続けることになりかねない。
受容・真実・和解委員会:概要
受容・真実・和解委員会とは
7月13日、UNTAETは東チモールに受容・真実・和解委員会(以下CRTR)を設立すると
定めた法令を採択した。CRTRは二つの一般的な活動分野があり、両分野とも東チモー
ルで人権を促進するねらいがある。
一つ目に,CRTRは1974年から1999年の期間に発生した人権侵害に関する真実を立証
する。その一方で、これらの事件の原因となった侵害と要因を報告する。この点につ
いて、CRTRは人権侵害を行った加害者個人のケースを調査するだけではなく、実際ど
の程度まで組織がおこした侵害の一部であるかという点も調査する。したがって、戦
争犯罪と人道に対する罪の申し立ては、CRTRの調査の一部をなしている。CRTRは、重
大な人権乱用がなぜ起こったかという十分な状況を提供するために、外国政府などの
国際アクターの役目も検討している。しかし、CRTRは、調査に対して限られた手段し
かもてない。CRTRはインドネシアや他国政府に証言や事実を強要したり、協力を拒む
人に対して告発する権限を持たない。
二つ目に、CRTRは、人権侵害の被害者に公開の場で自らを語る機会を与えることに
よって、犠牲者の人間的尊厳の回復を手助けする。CRTRは、他の行為と比較すると軽
微な犯罪と考えられる(家畜を殺すまたは、数件の家を焼き討つ)行為によって、コ
ミュニティーに害を与えた加害者個人に対する受容と(コミュニティーへの)再統一
を支援することで、東チモール人の間の和解を推進する担い手となる。これには罪を
犯した加害者が、犠牲者に対して責任を負うという意味が含まれる。CRTRは、「コ
ミュニティー和解手続」(CRP)を通して上記のことを行う。このCRPにおいて、加害
者は生存者とコミュニティーが意義あるものとする回復の行為を実行することに合意
する。例えば家を焼き払った罪を負えば、加害者はその家を再建しなければならな
い。地方裁判所に登録される「コミュニティー和解合意」は、和解の行為は元来の罪
に見合っており、遂行され、人権侵害をしないという確約をする。CRTRはCRPが扱う
資格のない重大犯罪を、おこりうる起訴としてとりあげるよう検察官に一任する。
CRTRはCNRTの議会のイニシアチブに続いて、UNTAET人権事務局に率いられる運営委
員会によって立案された提案によるものである。CRTRの運営委員会はフォクペルス、
ヤヤサンハック、カトリック教会の平和と正義の委員会、そしてUNTAETの関連部門を
含むさまざまな団体から構成されている。運営委員会は全ての県の市民社会と数ヶ月
にわたって協議を行った後、CRTR案を立案した。
紛争が終了したいくつかの国において、真実究明委員会は和解のための処方箋とし
て一般化した。重大な人権侵害が行われた状況の中で、誰が誰に対して何をしたかと
いう真実を公開することは、戦争または広がった重大な人権侵害から立ち直ろうとす
る社会の中に和解を推進することになるというう仮定に基づいて、真実究明委員会は
設立された。
真実究明委員会の機能の一つは、過去の人権侵害を調査し、個人の場合だけでなく、
そのような侵害のもとをなす様式と政策を概説する包括的な報告書を作成することに
ある。この報告書に加え、真実究明委員会はしばしば虐殺行為を行った加害者が、犠
牲者、つまり個人と社会へ謝罪することを促す。この点における真実究明委員会の役
割は、以前の敵が平和的に社会に共存する可能性を切り開く助けとなることである。
例えば、南アフリカの真実和解委員会(TRC)には、回復のための司法プログラムが
含まれた。これよって、加害者は犠牲者のために労働奉仕を行ったのである。TRC補
償プログラムも提案した。さらに、真実究明委員会は人権侵害の再発を防ぐための処
方策として勧告をすることができるのである。
東チモールの受容・真実・和解委員会の組織と役割
選任パネルは「品行方正、公平そして誠実」な七人(うち少なくとも三人は女性)を
CRTRを代表する全国委員として任命した。インドネシアが侵略する前に存在していた
4つの政党(フレティリン、チモール民主連盟、コタ、トラバルヒスタ)、NGO
フォーラム、女性ネットワーク、カトリック教会、政治犯連合、家族と失踪者の連
合、UNTAETの人権問題局、暫定行政官は、それぞれメンバー一人を選任パネルに任命
した。以前の併合派代表もいると思われていたが、前併合派はこの問題において協力
することを強く拒否した。
CRTRの任務期間は二年であり、6ヶ月の延長が可能である。全国委員と同程度の個
人的、専門的資質をもつ県委員が配属される6つの地域事務局がある。
CRTRは270人の東チモール人スタッフと400万ドルに近い予算をもつ予定である。
CRTRは虐殺行為の生存者から10000件の陳述を引き出すことを望んでいる。CRTR
の全国事務局には、インドネシア占領期に多くの東チモール政治犯が拷問をうけた
ディリのコマルカ刑務所を修復する計画がある。この旧刑務所はCRTRが二年で任務を
終えた後、旧政治犯連合によって運営される博物館と視聴覚センターになる予定であ
る。
西チモールにいる東チモール難民の帰還は、今のところCRTRの目的と考えられてい
ないが、この目的はCRTRの創設につながった数多くの議論に活気を与えた。UNTAET人
権部門に代わるCRTRの暫定事務局調整官であるPat Walsh氏がラオ・ハムツクに説明
したように、CRTRの根底にある理念の一つは、西チモールの難民が帰還するきっかけ
を提供することにある。難民の多くはコミュニティーに戻ったとき、報復を恐れる民
兵である。CRTRの設立に指導的役割を担った人々は、民兵らが「コミュニティー和解
手続」を、軽犯罪の説明責任を行うために、個人とコミュニティーの要望を満たすこ
とによって帰還者の安全を確実にする手続きであり、自らが受け入れることのできる
司法メカニズムであるとみなすことを望んでいる。しかし、難民支援に従事した人の
中には、CRTRはこの点においては担い手とはならないと考える者もいる。CRTRはか
えって逆効果でさえありうると恐れる者もいる。他国の同類の真実究明委員会と比較
して、東チモールのCRTRのより独特な要素のひとつは、東チモールの紛争の性質であ
る。重大な人権侵害は国内紛争よりもむしろ真っ先に国際的な事件の結果生じるた
め、戦争犯罪と人道に対する罪を犯した大多数の者、つまりインドネシア軍とインド
ネシア政府当局、は国外にいるのである。そして1999年に民兵派TNIに直属する東チ
モール人の一員にとって、最もひどい罪のかどで告発される多くの人は、UNTAMET後
の恐ろしい投票運動の参加に引き続き、逃げ場としてインドネシアにとどまってい
る。いずれにせよ、このような一個人はCRTRに協力しようとは思っていない。コミュ
ニティー和解手続に参加する資格がないからである。
CRTRは証言者、政府当局、外国人からの情報を要請し、収集する権限をもつが、東
チモール人以外の人に協力を強制する力をもたない。それゆえ1975年から1999年にか
けて重大な人権侵害に対してもっとも責任のある人は、真実を語る過程に参加しない
だろう。このため、CRTRの作業は東チモール人と紛争の首謀者であるインドネシア人
の間に和解を推進することはほとんどないだろう。
いくつかの懸念
重大犯罪は、CRTRの役割の範囲外ではある。しかし国連、ドナー政府、東チモール政
府でさえ、重大犯罪を犯した者に対する訴追が進まない理由を、CRTRの存在のせいに
するのではないかという懸念がある。威圧的な要求と圧力(国内外)に加えて、予算
問題に直面する新政府は、とりわけ限られた予算と経験を考慮して、刑事訴追の優先
度を低めたくなるかもしれない。
2001年7月の司法に関する報告において、アムネスティーインターナショナルは
CRTR規定を歓迎した。この規定は重大犯罪の件を検察庁に一任させる権限をCRTRに与
えるものである。しかし、アムネスティーは、重大犯罪の件を効率よく調査するため
の機能が目下、または時宜を得て存在するかどうかかなり疑っている。法廷での取り
扱い件数を減らすことは、CRTRを正当化するために用いられた論拠の一つである。し
かしこの点において、アムネスティーは、司法プロセスを省いた司法組織を、さもな
ければ利用可能とする資金をCRTRが集めることができると恐れている。従って、アム
ネスティーは、「国際的基準に準拠する過程に基づき」司法システムがCRTRによって
一任をうけた件を起訴する機能を持つまで、CRTRを設立しないよう勧告した。
UNTAETと東チモールの政治指導者は、西チモールから多くの難民の帰還を促したい
という望みを抱いて重大犯罪、人道に対する罪さえ犯した容疑をかけられる民兵の指
揮官と交渉を行ってきた。この交渉とCRTR(重大犯罪部も同様)の間の関係は不透明
である。西チモールにいる幾人かの民兵の指揮官が恩赦を求めているのは、驚くこと
ではない。そしてすでに東チモールの幾人かの主要な政治指導者は「実際の恩赦の価
値」を認めていた。このような言葉が生み出しているのは、将来の政府はCRTRを司法
の代用として用いるかもしれないという懸念である。
このような懸念に対して、UNTAETとETTA当局はCRTRは司法の代用ではない、そして
重大犯罪に対する恩赦はない、と約束した。事実、UNTAETとETTA当局は、CRTRは司法
プロセスの補足機関であると主張する。たとえば、人権侵害の公式記録を作成するこ
とで、CRTRは説明責任を促す手助けとなるといったことである。
現在、一般大衆、とりわけ西チモールにとどまっている難民の間では、CRTRとその権
限はほとんど理解されていない。Pat Walsh氏が認めるように、「このプロセスにつ
いての公共情報と公共教育が必要である。国境の向こう側には情報の空白がある。」
CRTRが、人々の意義ある参加を募り、和解に真の影響を与えたいと願うならば、東チ
モール人社会のあらゆる分野がCRTRのプロセスと基本原理を認識することをCRTRは確
かなものにしなければならないだろう。
最近、CRTRの暫定事務局は CRTRの基本原理を説明するために、前併合派の指揮官と
会合を開いた。暫定事務局の一員であるFrancisco Guterres氏はこう述べている。
「民兵らがCRTRは長期的に彼らの利益を促すものと受け取ることが重要である。和解
プロセスに民兵が参加しなければ、彼らはコミュニティーから孤立してしまうだろ
う。」
もしCRTRが西チモールの難民の帰還を促すのならば、難民の移動を制御する民兵組
織の上級レベルからの協力が必要であろう。しかし、民兵指揮官はCRTRの発展に関
わっていなかったのだから、彼らの多くはCRTRを自分たちの利益を満たすものとみな
さないだろう。CRTRは法の根拠に左右されないプロセスで報告書や語りを収集する、
とすれば、とりわけもっとも重大な罪のかどで告訴されている民兵は、CRTRのプロセ
スでは、自分たちが公平な裁判を受ける可能性が少なくなるかもしれないと恐れるだ
ろう。
連帯と国際的な正義
ポール・バーバー(TAPOL)
東チモールは、ニカラグアやモザンビークのように、一度独立が達成されたら国際
的な活動家の支援は必要でないと信じるような道はたどらないであろう。我々は、
東チモールの闘争を世界中の関心を持った人々の支援を得て行ってきた。そして東
チモールの歴史におけるこの新しい段階において、そうした人々のことを思いだし
また頼りにし続けるだろう。(ジョセ・ラモス・ホルタが2000年5月にユトレ
ヒト国際連帯会議に宛てた手紙)
1999年9月の焦土作戦で東チモールが破壊されて以来、国際連帯運動は、イン
ドネシア軍とその手先の民兵とが犯した人道に対する罪の責任者達を裁くための国
際法廷を求める東チモール人達の要求を支援することに力を入れてきた。外交的考
慮は、東チモール人指導者達がこれについて声を挙げることをしばしば妨げ、また、
UNTAETも法廷の問題を論じてこなかったため、東チモール人NGOと学生活
動家、そしてそれに同調する国際的な活動家の声がしばしば最も大きな声であった。
2000年5月、ヨーロッパ、米国、インドネシアの活動家達がオランダのユトレ
ヒトで会合を行い、インドネシア軍の犯罪責任を明確にする努力を促すとともに、
東チモール特別国際法廷設置を要求することを再確認した。その結果、国際東チモ
ール連盟(IFET)と世界中の80の組織及び人権活動家が国連のコフィ・アナ
ン事務局長に2000年7月、手紙を出した。同様の手紙は各国政府及び欧州連合
にも送られた。
それより前、米国政府によるインドネシア軍への資金援助及び訓練を禁止する法律
(リーヒー修正)を議会が採択するにあたって、米国の活動家達が重要な役割を果
たしていた。この法律は、東チモールでの暴力の責任者が司法のもとで裁かれるま
で、米国の二国間軍事協力を禁止するものであった。この法律は、米国東チモール
行動ネットワーク(ETAN)をはじめとする米国の活動家が、ブッシュ政権によ
る軍事協力再開の試みに対して継続して法律を守らなくてはならないという状況で
はあるが、今も有効である。
インドネシアは、純粋な正義を追求するためにほとんどなにもせずに、国際法廷設
置を避けるために最低限必要なことを見せるというパターンが出来た。ジャカルタ
との間で軍事協力関係を再開したい各国政府や、正義を進めるために実効的な手だ
てを取ることに消極的な政府は、インドネシアにおける形ばかりのあるいはほんの
わずかな展開を進歩として受け入れることに熱心である。
メガワティ大統領もこの方略を継続している。米国による軍事関係再開を促す試み
のように思われる行為の一環として、メガワティは、就任後、インドネシアの東チ
モール特別人権法廷の司法権を、1999年の投票後に行われた犯罪のみから、4
月と9月に行われた犯罪へと変更した。けれども、彼女は同時に、司法権を、ディ
リ、リキサ、スアイの3地方で犯された犯罪のみに制限した。この改変にはほとん
ど実質はないが(訴追も始まらず、法廷設置は亡霊のようなものである)、多くの
政府が、ジャカルタには、東チモールでの残虐行為の責任者を処罰するためにさら
にまた時間を与えるべきであると、またもや言っているのである。
多くの国際連帯グループは、法廷の司法権は、1975年にインドネシアが東チモ
ールに侵略して以来、東チモールで犯された戦争犯罪と人道に対する罪を含むべき
であると考えており、また、共犯及び命令責任も含まれるべきであると考えている。
いかなる国際法廷であれ、個別の司法権と任務は政治的妥協の産物となることは避
けられないが、ほとんどの活動家は今も、有罪である全てのものの責任が追求され
なくてはならないと信じている。
連帯グループの対メディア活動が、司法に関する問題を報道が扱うときに国際法廷
の可能性についても言及される状況を維持するにあたって一助となっている。連帯
活動家はまた、ジュネーブでの国連人権委員会でも重要な役割を果たした。例えば、
2001年の東チモールに関する議長声明(関連する政府の同意を表明したもの)
は、完全とはまるで言い難いにせよ、2000年の議長声明よりもましであった。
2001年の声明は国際法廷について述べてはいないものの、国際的な行動という
選択肢を含めている。2002年3月から4月に行われる人権委員会の次期会期で
も、正義を求める圧力を維持するために協力したロビー活動が求められる。
国際連帯運動は、国際法廷を求める重要なイニシアチブを−ベロ司教とともに−取
った教会グループとも密接な連絡をとって活動している。2001年6月、キャン
ベラで開催された国際援助国会議の際、45の教会援助団体と人権団体が国際法廷
の要求を繰り返す声明を提出した。
アジアの東チモール支援グループもまた法廷を求めている。東チモールに自由を全
国協議会は、法廷設置をキャンペーンの優先項目に挙げ、日本政府と国連安保理理
事国を対象にキャンペーンを行っている。フィリピンでは、東チモールアジア太平
洋協議会(APCET)は、問題を強調し、証拠をかため、公的な法廷に向けた動
きを創出するために、民衆法廷(非公式の検事が証拠を公式の判事ではない専門家
からなる陪審に提出する形式のもの)が有効な方法になりうると述べている。他の
国々のIFET参加団体も、正義を求めるキャンペーンを最優先事項としている。
米国においては、東チモール行動ネットワーク(ETAN)が、国際法廷を支持す
る議会決議を目標に活動している。ETANはまた、1999年の拷問の生存者及
び殺害犠牲者の親族6名による、元インドネシア軍(TNI)副幕僚長Johny
Lumintang 将軍の告訴を支援している。2001年9月、ワシントンの裁判官は、
原告に対して被害総額6600万ドルを被告は支払うべしという判決を下した(恐
らく原告がこれを得ることはないだろうが)。裁判官は、インドネシア軍の第三位
の将軍として、軍の他の上級メンバーとともに、配下のものたちが、東チモールの
人々を恐怖に陥れ追放し、独立を支持した東チモール人を弾圧し、独立投票後に東
チモールのインフラを破壊する行為を実行に移すことを計画し、命令し、鼓吹した
ことに関して、Lumintang は直接に責任があると判断した。
オランダでは、人権及び民主活動グループがインドネシアにおける不処罰の蔓延を
知らしめ、インドネシアと東チモールでの残虐行為に責任がある主要な将軍達を裁
判にかけることを促す大きなキャンペーンを開始した。
曖昧な国際社会の政治的意図の中で、連帯団体はその位置づけと戦略とを維持して
いる。連帯運動は、国際的な正義を要求する声が消えてしまわないようにしなくて
はならない。そうした要求なしには、正義は実現されないであろう。国際社会が、
UNTAET後に東チモールで生まれつつある司法システムの重大犯罪に関する仕
事への支援を減らす公算が大きい一方、インドネシアは自らの司法システム改革に
対する誘因をさらに感じなくなるであろう。
国際連帯運動はまた、不処罰に終止符を打つことはインドネシアのNGO運動にお
ける同僚にとっても大きな関心事項であることを心にとめて、戦略をいろいろな側
面から練る必要がある。中心的な将軍に対する起訴立件の準備をし、例えばベルギ
ーのように人道に対する罪に関して普遍的な司法権を行使する意志を示した国の法
廷を使い裁判を進めることも、連帯運動が真剣に考慮しなくてはならない。連帯団
体は、12月上旬にアムステルダムで予定されている不処罰に関する会議でこの問
題や他の問題を議論することができるであろう。
正義への要求はとぎれずに続き、そして、東チモール史におけるこの新たな時期に
おいて、国際連帯運動には今も、なすべき多くの支援活動があるのである。
東チモール国際法廷?
Jon Cina
制憲議会選挙(2001年8月30日)へ向けたキャンペーン期間中、国連に対し
て、東チモールをインドネシアが不法占領していた間に犯された犯罪の実行者を調
査し裁くために国際刑事法廷を設置する要請が改めて活発になった。こうした要請
は、UNTAETとインドネシアによる有罪者に正義をもたらす今日までの試みに
対する大きなそして広く共有される失望感を反映している。その結果、東チモール
市民社会の様々な部門で、国際法廷のような組織の設置を求める機運が高まってい
る。
こうした要求は以前からあったが、国際刑事法廷が東チモールの正義という大儀を
実際に進めることができるかどうか、どのようにしてできるかについての議論はあ
まりなかった。それゆえ本稿では、そうした法廷を支持するあるいは批判する議論
のいくつかを検討することにする。
何故国際法廷か?
国際法廷は、判事、検事、調査者、弁護士及び運営組織からなる組織で、とても深
刻であるため国際社会全体の関心対象であるような特定の犯罪を処理するために設
置される。国際法廷は、国家の司法システムの外で、調査と裁判を行う。国際社会
の名のもとに活動する国連安保理が、法廷設置の特別な権限を行使することができ
る。安保理はまた、法廷に対し、各国が法廷を支援するよう求める法的権威を付与
することができる。こうして設置された法廷に対して、国連が国際判事と検事を任
命する。さらに最近では、国連が独立国の政府との合意のもとで特別法廷を設置し、
それを安保理が認めるという方法もある。こうした協定を現在国連は、シエラレオ
ネやカンボジアと交渉中である。こうした法廷の場合には、安保理が直接設置する
法廷と異なり、国連と当事国が選ぶ当事国の判事が参加する。
国連が世界コミュニティの名において設置する法廷は、東チモールやインドネシア
の国内法廷よりも大きな正当性と権威を持つことが仮定されている。国際法廷は、
インドネシアやオーストラリアを含む諸国に、実行者に関する諜報資料といった証
拠を提供するために協力するよう命じたり、そうした国にいる被疑者の身柄を引き
渡すよう命じたりする権力を付与されることもありうる。インドネシアや他の政府
がそれを拒否した場合、理論的には、法廷はこうした不協力に対して安保理に適切
な対応をとるよう求めることができる。それゆえ、提唱されている国際法廷とその
検事局は、道徳的に強力な正義の提唱者となる可能性を持っている。
国際法廷はまた、東チモールで犯された体系的、残虐かつ持続的な犯罪に対する妥
当な法的対応であると見なされている。特に、1999年の犯罪の背後にある政策
の一環としてUNAMETに対する攻撃があり、これは安保理の権威に対する攻撃
でもあったからである。
国連東チモール国際調査委員会の報告は、2000年1月に国際法廷を勧告してい
る。けれども、国連事務総長と安保理は、国内法に基づく平行的アプローチを優先
させた。それゆえ、インドネシアに対して自国の司法権に基づき当事者を調査し処
罰するよう求められた一方、国連はUNTAET内に重大犯罪部(SCU)を設置
し自らも訴追を行うこととした。
国際法廷は効力があるか?
過去の犯罪に対する責任明確化において極めて具体的な困難は、上級の犯罪に関与
した人々をどうやって拘留するかである。これらのものたちのほとんどは、インド
ネシアにいて、協力しようとしない政府と軍に守られている。SCUはこうしたも
のたちに対する訴追や裁判を全く行えていない。けれども、国家の協力について可
能な限り最も広範な権力を付与された国際法廷でも、このジレンマを解決すること
は難しい。これは、インドネシア政府が国際法廷に反対すると述べており、また、
インドネシアの強力な同盟国の多くが安保理の理事国として、インドネシア政府に
国際法廷に賛成するよう圧力をかけることがありそうもないからである。
他の国際法廷では、容疑者の拘留を一般にうまく行うことができた。けれども、こ
れは国際法廷の位置づけによるというよりも、個別の状況によることのほうが大き
い。ドイツと日本の例では、外国の軍隊がこれらの国を制圧していたため、ニュル
ンベルグと東京裁判で、ほとんどの容疑者の出廷を確保することが可能だった。ル
ワンダでは、協力的な国家政府及び地方政府が容疑者を逮捕し出廷させた。
東チモールは、旧ユーゴスラビア諸国に近い状況に直面している。旧ユーゴスラビ
アの場合、旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY)が残虐行為で告発したもの
たちに対していくつもの国が保護を与えている。ICTYの規約には諸政府にIC
TYに協力させる権力があり、また、旧ユーゴ地域には容疑者を逮捕する権限をも
った多国籍軍がいるが、有力な西洋諸国が上級の容疑者を引き渡すよう諸政府に圧
力をかけることを優先事項とするまでに何年かかかっている。国連を支配する諸国
にとってのインドネシアの経済的・戦略的重要性は、ユーゴの重要性より一般に遙
かに大きい。それゆえ、国際法廷といえども、インドネシア政府に容疑者引き渡し
の国際的圧力を実効的にかけるための政治的障害を乗り越えることは難しそうであ
る。
国際法廷が対処しなくてはならないもう一つの大きな障害は資金である。1993
年と1994年にそれぞれICTYとルワンダ国際法廷(ICTR)が設置されて
以来、これらの法廷費用は700万米ドルを超えている。ICTYは2020年ま
でかかると考えられている。この費用と法廷期間とは、両法廷が、制限があるとは
いえ実行可能な国際刑事裁判システムとして成功している印である。この成功は、
両法廷を設置したものたちにとっても、その予測と意図を大きく越えたものであっ
たろう。けれども、これらの成功はまた、実質的に、国際社会が、それ以後他の特
定の状況に対して、実行者を見つけ裁くために期限のない献身を行うことを二度と
はしないだろうということを確実にもした。カンボジアとシエラレオネに国連法廷
を設置しようとする現在進められている努力は、東チモールに対して国際犯罪法廷
の非常に制限された形態にたいしてしか支援がなされないであろうことを示してい
る。
このような状況下での、誰が裁かれるべきかに関する難しい決定は、現在UNTA
ETやインドネシアのプロセスに対して人々が不満を持っているのと同様多くの人
に不満を与えるかもしれない。国際法廷は、誰の責任が明確化されるべきかに関す
る現在の緊張を悪化させるかも知れない。東チモールはルワンダと似た状況に面す
るかも知れない。ルワンダでは、下級の実行者は、奮闘しているルワンダの司法シ
ステムで、比較的速やかに、あまり厳格な法的保護なしに裁かれる一方、最終的な
責任をおうものたちは自由なままでいたり、国外にあるICTRにより、長い時間
をかけて、法手続きに厳密に従って裁かれている。それゆえ、東チモールにおいて、
国際法廷とSCUと受容・真理・和解委員会の間には特に綿密な考慮が必要なので
ある。
国際法廷設置の決定と、調査と裁判の開始との間には、避けられない遅れがあるで
あろう。他の法廷の経験から、多くの異なる国の、法廷の規約と協力を求める法廷
の権限に関しての見解間で合意に至るまでに何年もの交渉が必要である可能性もあ
る。予算を確保し有能なスタッフを雇用することも、通常、遅々とした、複雑な過
程である。
国際法廷に対する代案はあるか?
インドネシアとUNTAETのシステムは大きな欠陥を持っている。国際法廷を求
める意見の多くは、これらのシステムがうまく働いていないことに基づいている。
けれども、ここには、それらの効率を改善するためにこれ以上できることはないと
いう仮定がある。これはインドネシアに関しては一般に妥当するかも知れない。短
中期的には、ジャカルタは上級オフィシャルの役割を法的に調査することを避け続
けるだろうし、身柄引き渡しも拒否し続けるだろう。一方、組織改編のあったUN
TAET重大犯罪部(SCU)は、国際法廷を支持する人々が求めている目標の多
くを達成する潜在的可能性を持っている。
※ウィラントやスハルト、キッシンジャーや日本政府、フォードといったものた
※ちの責任明確化がなされるのでしょうか。。。
貧弱な管理と視野の狭い規約解釈、そして不十分な政治財政的支援による問題をか
かえているSCUは、東チモール人や国際的な活動家からほとんど信頼されていな
い。けれども、SCUを支援し続ける理由がある。重大犯罪特別陪審とともに活動
するSCUは、実行者を調査し起訴するための、国連安保理が規約を定めたプロセ
スなのである。それゆえ、SCUは国際法廷が提供する権威と正当性に近い権威と
正当性を持っており、UNTAET、安保理、そして直接の二者間協議を通して、
インドネシアに対する圧力を強めるためにSCUの規約を用いるというより創造的
かつ積極的な方策があり得る。
さらに、SCUと特別陪審は東チモールにあり、その活動には東チモール人が全面
的に参加することが要請されている。ともに、正義が東チモール人の手に届きまた
東チモール人のインプットを反映するよう保証するために決定的に重要な要素であ
る。これに対して、国際法廷が東チモールに設置されたり、東チモール人スタッフ
を実質的に取り込んだりする保証はない。東チモール人の参加がなければ、東チモ
ールで犯された大規模暴力に対処するために法的規制を用いようとする努力はいず
れにせよ、東チモールの人々の期待に対して不十分なものとなる運命である。
それゆえ、現在のシステムの可能性を、代替的な刑事裁判メカニズムに乗り出す前
に試す必要がある。これは、SCUと関連事務所の構造、スタッフそして資金に対
する大規模かつ純粋な改革から始められなくてはならない。
この努力の一環として、国連はまずSCUと特別陪審の活動に対する専門的な検討
を委嘱し、その結論を実行に移すために努力しなくてはならない。UNTAETは
また、SCUと特別陪審、弁護団を、過去の犯罪に対する責任明確化の重要性に鑑
み、現在の政治構造の外部に移さなくてはならない。さらに、UNTAETはより
多くの検事、弁護士、調査者その他の専門スタッフを雇用し、国際職員の役割を減
ずるべく東チモール人職員の雇用を促進しなくてはならない。
それに加えて、SCUは緊急に1999年以前の犯罪についてのポリシーを検討し
なくてはならない。UNTAETは東チモール中で刑事犯罪の責任に関する情報を
広める継続的かつ包括的な公共教育プログラムを開始すべきである。また、SCU
スタッフと特別陪審は、できるだけたくさん、ディリ以外で活動すべきである。ま
た、SCU、特別陪審、弁護団と情報及び意見をやりとりすることを促すために、
東チモール人及び国際NGOその他の関連するグループからなるコンサルテーショ
ン委員会の設置も検討すべきであろう。
正義に対する独立後のオプションを考えるために、UNTAETは、東チモール人
NGO、国際NGO、市民社会の諸セクター、国際的な法律専門家の代表が参加す
るような、実質を伴った会議を主催すべきである。
Jon Cinaは最近まで、UNTAET重大犯罪部のCase Maneger and Legal Adviser
であった。東チモールに来る前、彼は、コソボでの戦争犯罪資料作成に4ヶ月従事
し、旧ユーゴスラビア国際戦争犯罪法廷で3年間働いていた。
女性と正義
Kate Halliday
報道によると、東チモールでの女性に対する暴力事件は急増している(ラオ・ハム
ツク会報第2巻第1/2号を参照)。暴力をふるったものの大部分は夫や男兄弟で
ある。東チモールの女性活動家は繰り返しこの問題に対する憂慮を表明してきた。
ディリにある文民警官(CIVPOL)の「弱い立場にある人々部」もまた、過去
1年の間に、家庭内暴力を報告する女性が増えたと述べている。けれども、同時に、
女性は刑事プロセスにおいて困難な状況を経験しており、暴力に対する苦情を取り
下げるような圧力に対してとても弱い立場にある。
司法システムは、多くの重要な方法で、女性に対する暴力に対処することができる。
−暴力を明確に禁じる。
−司法システムが、家庭内暴力を他の形態の暴力と同じように扱うことを保証する。
−暴力の継続から女性を守る。
−暴力による傷害に対して十分かつ公平な賠償を提供する。
女性に対する差別の廃止条約は、女性は法のもとでの平等であると述べている。女
性に対する暴力撤廃宣言では、女性に対する暴力は、平等及び人権の全面的行使に
対する侵害であると認めている。
現在東チモールでは、いくつかの領域でインドネシアの法律が今も有効である一方
で他のいくつかの領域ではUNTAET規約が発効しているため、女性に対する暴
力を巡る法律の状況は極めて複雑である。けれども、1999年にUNTAETが
採択した最初の規約は、女性に対する全ての差別を撤廃する条約に含まれる基準を
含む国際的な人権基準が東チモールの法律において明確な役割を果たすことを明言
している。公務員はこれらの基準に従って自らの義務を果たさなくてはならない。
インドネシア法は、それが国際人権基準に合致している限りで、あるいはUNTA
ET規約に取って代わられるまでの場合にのみ適用される。
インドネシア刑法は女性に対し暴力からの保護を十分提供していない。例えば、イ
ンドネシア法では、男性が妻を強姦することは禁止されていない。暴力の威嚇と攻
撃未遂は法律で禁じられていない。インドネシア刑法は、家庭内暴力が他の暴力と
同じであることをコミュニティに対して明確にはしていない。また、暴力からの保
護を求めるにあたり女性は全面的な支援を得られないという点で、国際人権基準に
も合致していない。
UNTAETの刑事訴訟法は暴力の犠牲者に対するいくつかの重要な権利を導入し
た。この法律のもとでは、担当判事には、法廷が暴力事件を調査し裁判している間、
家庭内暴力で逮捕された実行者を家に住ませることを禁止する権利がある。暴力の
実行者への判決においては、判事は犯人に対して犠牲者への賠償を宣言することが
できる。これは、多くの暴力の犠牲者が、実行者に対して賠償を求める民事手続き
を進めることができないため、重要な法律である。
多くの東チモール人コミュニティでは、伝統的な論争解決手段を使い続けている。
その中に、犯人からの犠牲者への賠償金支払いという解決法もある。けれども、最
近、一部の判事が公的な法律体系における権威を伝統的な役割と混同して、家庭内
暴力を犯罪行為として適切に起訴するかわりに単に賠償金を払って解決しようとす
る例がみられた。判事と検事の双方が家庭内暴力の問題に関して十分な訓練を受け
ることが決定的に重要である。
法そのものが女性を保護し、また、国際人権基準に合致するようなものであること
を保証することは第一歩にすぎない。これに加えて、女性の権利と法律の妥当な適
用に関して効果的なコミュニティ教育が必要である。
女性が法のもとで完全な平等を達成することを保証する責任は、法律作成者、警察、
検事、弁護士、判事など、司法システムに関与する全てのものの責任なのである。
Kate Halliday はオーストラリアの法律家で、最近、ディリのフォクペルスでボラ
ンティアとして働いた。
会説:東チモールの正義に関して真剣になるとき
世界中の全ての人と同様に東チモール人にも正義を得る資格がある。この国が24
年にわたる対立と大規模な人権侵害から復興しようとしている今、国際社会の全面
的支援のもとで正義と責任明確化を行うときである。インドネシアによる1975
年の東チモール侵略は国際法に対する明らかな違反であり、20世紀後半において
人口比で最も高い死者を生み出した。
1999年9月、大多数の東チモール人が独立に投票したあとの、インドネシア占
領下で犯された最後のテロ行為は、インドネシアがその国際的義務を臆面もなく破
った行為であった。2000年1月に東チモール国際調査委員会(ICIET)が
書いたように、東チモールにおける人権侵害と国際法違反の行為は、国連安保理決
議に反して行われ、国連安保理決定を実行すべくインドネシアと国連の間で到達し
た合意に反するものであった。
東チモール人市民社会からは、東チモールで人道に対する罪を犯したものの責任を
追求するための国際法廷を求める多くの声が挙がっている。2001年10月16
日にディリで行われた会議では、75名の東チモール人活動家と生存者が満場一致
で国際法廷を支持した。これは、東チモール国民評議会(以前の立法機関)、多く
の東チモールNGO、16の政党全て、そしてカルロス・ベロ司教のような著名な
個人からの要請を足場としてなされたものである。ICIETもまた、安保理に対
する報告で同じ勧告を行っている。UNTAETは1999年の犯罪のいくつかを
調査し起訴しているが、その資源もまたインドネシアの協力を取り付ける力も極め
て限られている。
2000年1月、安保理は、インドネシアを尊重して、国際法廷を設置しないと決
めた。安保理は同時に、インドネシア政府が実行者を出来うる限り早く裁判にかけ
なくてはならないと述べ、それに失敗したら安保理は東チモール国際法廷を設置す
ると示唆した。
20ヶ月以上経った今、インドネシアは東チモールでの犯罪を巡ってただの一人も
訴追していない。それにも関わらず、国連は、インドネシア政府がその責務を果た
さなければ法廷を設置すると述べた約束を実行に移そうとはしていない。このため、
UNTAETによる民兵に対する何件かの裁判以外、正義のプロセスは行き詰まっ
ている。
メガワティ・スカルノプトゥリが2001年7月インドネシアの大統領になったと
き、東チモールで犯された1999年の犯罪のいくつかを扱う特別法廷を設置する
と約束した。我々は彼女の献身に疑問を持っている。大統領になってすぐに、メガ
ワティは、特別法廷の対象範囲を1999年8月30日の投票以後の犯罪のみから、
1999年4月の犯罪も含むよう変更したが、同時に、同じ大統領令により、ディ
リ、リキサ、スアイの3県で犯された犯罪のみを扱うと制限された。アムネスティ
インターナショナルはこの新しい大統領令に幻滅を表明し、これを、一歩前進して
二歩後退するものと述べたが、オーストラリア外相アレクサンダー・ダウナーはこ
れを非常に積極的な前進と述べた。ほとんどの政府は沈黙を守った。
メガワティはついでM.A.ラフマンを検事総長に任命した。昨年、東チモールで
の犯罪に対する訴追を決めるチームの長として、ラフマンは、最も責任があるもの
を除外し、下級将校のみを訴追するよう勧告した人物である。彼がチームの仕事を
妨害したと述べるものもいる。
インドネシア政府は国連が関心を失うまで対応を行わないことを考えている。せい
ぜい、主に民兵からなる何名かの下級実行者を1999年のいくつかの犯罪につい
て処罰して国連を支配する諸国を懐柔するくらいであろう。インドネシア政府は裁
判の行き詰まりを続ければ、安保理が国際法廷設置に必要な政治的・財政的資源を
使うことを避けられるのではないかと考えている。東チモール政治指導者の中には、
国連の支援がないと東チモールはほとんどインドネシアに対して影響力がないため、
法廷を強く要求したりインドネシアの不協力に面と向かって対したりしようとしな
いものもいる。
こうした理由から、現在選挙で選ばれた立法府と東チモール人内閣が確立した東チ
モール内部と世界中との強調したそして持続的な国際法廷設置要求を行わなくては
ならないのである。
現在まで、東チモール内そして国際的な人権連帯コミュニティの声は不十分であり、
1999年に犯されたいくつかの犯罪の末端実行者を裁判にかけながら、責任者を
裁判にかけず、また1975年から1998年の犯罪を全く扱っていないという明
らかに不公平な状況を受け入れようとする国連に対して十分疑問を呈してきたとは
いえない。
2001年10月16日にディリで開かれた東チモールのための正義と責任明確化
セミナーでは、多くの関心を持った活動家が、国際的な法廷を満場一致で支持した。
彼ら/彼女らの熱意が、東チモールそして国際的な場でのキャンペーンを改めて活
性化し効果をもたらすことを望む。
Jon Cinaが示唆したように、通常考えられているような国際法廷が東チモールに正
義をもたらす唯一の道ではない。国際法廷それ自身は目的ではなく、ひどい犯罪の
実行者に対する正義と責任明確化を保証するための手段である。潜在的なメカニズ
ムはいくつかありえ、それぞれに、国際社会が政治的支援と物質的資源とを提供す
る必要がある。どのような手段がとられたとしても、東チモール人の参加そしてプ
ロセスが東チモール人のものであることが必要であり、また、市民社会とともに働
くコミットメントが必要である。
東チモール内での包括的な対話により、正義のための妥当なメカニズムと最良の手
段とを同定しつつある。国際活動家とシビル・サーバントはこの点で支援を行うこ
とができる。東チモールの政治指導陣はインドネシアとの関係を維持する必要性と
国際社会の有力メンバーを除外することを避ける必要性とにより大きな制約を受け
ている。それゆえ、東チモール中で聞かれる正義の要請に東チモール活動家が応え
ことを可能にするようなスペースを作り出すことが東チモール国際連帯団体にとっ
ての義務である。
2000年8月、国際連帯活動家達はCNRT総会に、正義の問題は東チモールだ
けの問題ではないと手紙を出した。東チモールでTNIが犯した犯罪は通常犯罪で
はない。それは人道に対する罪であり、それゆえ、全人類の問題である。この問題
の責任を追及しないことは、さらなるこうした犯罪の追求と回避のための国際的努
力を減じることになる。それゆえ、正義は、東チモールにとってのみでなく、イン
ドネシアにも、また世界全体にとっても重要なのである。
1975年から99年に犯された戦争犯罪と人道に対する罪とに対する責任を完全
に明確にすべきである。これは、UNTAETと国連に挑戦することであるが、よ
り重要なことは、東チモールにおけるインドネシアの犯罪を支えた、米国や英国、
フランス、日本といった大国に挑戦することでもある。これらの国が、東チモール
が必要としまたその権利を持つ正義を受け取ることに対してほとんど何もしていな
いことは驚くべきことではない。
責任追及はいつ開始すべきか?
人道に対する罪は普遍的なものであり、制限はない。誰がいつどこでどんな状況で
犯したとしても裁くことが出来る。最初から、国連における努力には基本的な問題
があった。国際社会はインドネシアの声に従って1999年以前の犯罪を無視した。
そのため、国連もその加盟国もインドネシアも1975年から1998年に犯され
た犯罪を調査し訴追しようと言う公的な努力を何もしていない。
我々は、国連のこうした立場が、インドネシアの有力な同盟国や安保理の見解を反
映したものであるだけでなく、主な国連の職員の不十分なコミットメントからも来
ているのではないかと恐れている。その中には、国連人権高等弁務官メアリー・ロ
ビンソンも含まれている。2000年8月、ロビンソンはあるディリの会議で、国
連は、1999年9月の出来事にのみ関心を持つ、というのもそれは国連ミッショ
ンの間に起きたからだと述べている。
こうした立場には国際法的な根拠は何もないが、国際人権団体の中には、全面的な
責任明確化を求めることが東チモールの正義に関して既に弱すぎる支持をさらに失
わせるのではないかと考え、こうした条件を受け入れているように思われる団体も
ある。また、1999年の正義に対する小さな要求がそれ以前に犯された犯罪を処
罰する扉を開くと述べるものもいる。
我々は、東チモールの正義について狭い枠組みを支持する外交関係者の政治的動因
を理解するが、人権団体はそうした枠組みを、公にそしてはっきりと批判する義務
を負っていると考える。自ら妥協案を設定するのは危険である。要求を制限するな
らば、得るものはさらに少なくなりがちである。
東チモールで1975年から1999年に犯された人道に対する罪は数知れない。
国際法廷で全てを追求できはしないだろうが、1975年の侵略、1979年のマ
テビアンでの大量殺害、1981年ラクルタ虐殺、1983年クララス虐殺、19
91年サンタクルス墓地での虐殺、そして1999年のいくつかの最も残虐な犯罪
といった、いくつかの最悪の犯罪を扱うことはできる。こうしたアプローチは、一
方で法廷の期間と費用とを制限しながら、インドネシアの侵略占領の全期間をカバ
ーすることで主な計画者・執行者の多くの責任を追求する可能性を高める。
これにより、また、インドネシアによる東チモール侵略、占領そして破壊が、イン
ドネシア政府最上層部において計画され命令された、長期にわたる、体系的で犯罪
的な陰謀であったことも明らかにされよう。実行者の多くは、東チモールに最も近
い隣国インドネシアで、今も権威と影響力とを維持している。東チモールとインド
ネシアの双方にとって、平和と正義、民主主義の未来は、最上級の実行者の責任追
及にかかっているのである。
付録
1999年
9月22日:インドネシアのハビビ政権が、インドネシア国家人権委員会(K
omnasHAM)に対し、1999年1月から10月の間に東チモールで犯
された人権犯罪を調査するための東チモール人権侵害調査委員会(KPP−H
AM)設置を認める。
9月23日:国連人権高等弁務官メアリー・ロビンソンが、インドネシア治安
部隊が暴力行為に関与していたとして、東チモール文民虐殺に対する国際調査
を提唱。
9月27日:国連人権委員会(UNCHR)がジュネーブの特別会期で議決1
999/S−4/1を採択。同議決は国連事務総長コフィ・アナンに対して東
チモールにおける大規模人権侵害調査のための国際人権調査団設置を勧告。議
決はまた、超法規的処刑・集団処刑・恣意的処刑に関する特別報告者、拷問に
関する特別報告者、そして女性に対する暴力とその原因及び結果に関する特別
報告者が東チモールで調査を行い、国連人権委員会と総会に報告することを求
めた。
9月28日:インドネシア政府は国際調査を拒絶、一方で、自国の調査に対し
てUNCHRの協力を求めた。UNCHRはこれを受諾。
10月3日:インドネシアのB・J・ハビビ大統領が制令に署名。これにより
KomnasHAMが将来の人権侵害に関して文民と軍人とを処罰するために
法廷を設置することが可能になる。インドネシア国会はこれを2000年3月
に却下。
10月15日:国連人権高等弁務官事務所が国際調査のために5名の専門家を
指名。
10月25日:国連安保理は1272/99決議を採択しUNTAETを設置。
同じ日、インドネシアは公式に東チモールを撤退し、国連に統治が移る。
11月4−10日:3名の国連特別報告者が東チモールを訪問。調査の一環と
してジャカルタ及び西チモール訪問を望んだにも関わらず、その要請に対して
インドネシアが返答を遅らせたため、実現せず。
11月21日:米国クリントン政権の国連大使リチャード・ホルブルックが、
ジャカルタの記者会見で、インドネシアに犯罪責任を全面的に明確にするよう
求める。
12月:InterFET(東チモール国際軍)が、重大犯罪調査とその事件
資料との全任務を文民警察(CivPol)に引き渡す。
12月10日:国連特別報告者は報告の中で、「殺害、拷問、性的暴力、人口
の強制移送、そして財産破壊を含むそのほかの迫害や非人道的行為」に、民兵
とともにインドネシア軍が参加していたと述べる。また、これらの犯罪は「広
範あるいは体系的あるいは広範かつ体系的な規模で犯された」と指摘。特別報
告者3名はまた、ジャカルタの調査が1999年の東チモールでのテロ行為に
ついての調査と責任者処罰について「数ヶ月のうちに」信頼できる成果を出さ
ないならば、「国連安保理が国際刑事法廷の設置を考慮すべき」とも述べた。
国際法廷は「植民地勢力(ポルトガル)が撤退して以降に領土内で犯された全
ての国際法に違反する犯罪を誰が行ったかに関わらず司法権の対象とすべき」
と記述。
2000年
1月:UNTAETが最初の東チモール人判事たちと検事たちを指名。
1月31日:国連の東チモール人権侵害国際調査団(ICIET)が発表した
報告で、調査団は国連に対し「国連が指名した裁判官からなる国際人権法廷の
設置」を要求。同調査団はこれを「東チモールの将来の社会的・政治的安定に
とって不可欠」なステップであると指摘した。調査団は「基本的な人権に対す
る重大な侵害のパターン」の証拠を入手し、また「脅迫、テロ、殺害をはじめ
とする暴力行為に対してインドネシア軍に最終的な責任があるという見解」を
表明した。「人権と国際人道法を侵害する東チモールでの行為は、国連安保理
の決定を犯して行われたもので・・・安保理決議を実行すべくインドネシアが
国連と交わした合意に反する」という点で国際的な処罰をさらに必要なものと
していると調査団は述べている。
1月31日:KPP−HAMも報告書を公開し、「大量虐殺、拷問と暴行、強
制失踪、女性と子供への暴力(強姦と性奴隷を含む)、強制移送、焦土作戦、
財産の破壊といった基本的人権に対する大規模な侵害が、計画的、体系的かつ
大規模に行われた」と記述している。報告書では、1999年当時インドネシ
ア国軍総司令官だったウィラント将軍、ザッキー・アンワル少将の名前も挙げ
ている。
インドネシアの大統領(当時)アブドゥルラフマン・ワヒドはICIETの国
際法廷設置勧告を拒否した一方、大規模犯罪に関与したとされる少なくとも3
3名をインドネシア国内で調査し裁判にかけることを支持すると述べた。
2月:KomnasHAMの調査で非難されたものたちに対して起訴を行うか
どうか決定するために3ヶ月かかるとインドネシア検事総長のマルズキ・ダル
スマンは発表。
2月18日:報告書に対して、国連安保理はインドネシアに対し、「できるだ
け早く」実行者を裁判にかけ、「国際的な司法の基準と法手続に従って、速や
かで包括的、実効性のある透明な法的手続きを執行するよう」要求した。
3月22日:セルジオ・デメロが公式に「重大犯罪」の調査責任をUNTAE
T人権部の責任下にあるCivPolのもとの特別部に移す。
4月6日:UNTAETとインドネシア政府が法的交換・協力に関する覚え書
きを締結。覚え書きは「可能な限り広範な相互支援をお互いに可能にする」こ
とを両者に義務づけた。けれども、インドネシア当局は、UNTAET調査者
が何回かジャカルタを訪問したときにインタビューをしようとした証人へのア
クセスを拒否した。
6月6日:UNTAETは重大犯罪調査を主導する検事局を設置。またディリ
地方裁判所に重大犯罪特別陪審を設置。各陪審は1名の東チモール人と2名の
国際判事からなることに。陪審は、(時期制限なしに)ジェノサイド、戦争犯
罪、人道に対する罪の事件について、及び、1999年1月1日から10月2
5日の間に犯された殺害と性的暴力を扱う権限を持つ。
7月4日:「1975−1999正義の同盟」と称する50名以上の東チモー
ル人がディリの米国連絡事務所前で抗議集会。同グループはインドネシアによ
る東チモール侵略と占領に対する米国の共犯関係について、政府文書の公開、
公式調査と謝罪、補償と国際刑事法廷設置の積極的な支援等の要求を出した。
7月5日:国際東チモール連盟(IFET)が世界中の80の団体が署名した
手紙をコフィ・アナンに提出。署名団体は、事務総長に対し「東チモール国際
法廷設置のために迅速な対応をとるよう安保理に勧告する」ことを求めた。
8月上旬:ディリにおける国連人権高等弁務官メアリー・ロビンソンとの公開
会議の中で、東チモール人たちは提案された国際法廷が1999年以前に犯さ
れた犯罪も扱うよう要求。
8月18日:インドネシア国民評議会が憲法修正を採択。犯罪が犯されたとき
に法的に犯罪を構成しなかった行為に対する処罰を禁止。これにより、東チモ
ールやインドネシアでこれまで犯された戦争犯罪や人道に対する罪で個人を処
罰することが禁止されることに。
8月28日:CNRT(チモール民族抵抗評議会)総会の代表たちに対し、多
くの国際連帯団体や個人活動家が手紙を出し、CNRTが1975年から19
99年に犯された大量殺害や破壊についての議論をしていないことを憂慮し、
そうした犯罪の責任を明確かする必要があると表明。
8月31日:欧州議会メンバーの訪問使節団との会談の中で、インドネシアの
司法人権相Yusril Ihza Mahendraは東チモールで犯された人権侵害に対する処
罰を求める国際的圧力は逆発すると警告。「独立戦争と占領時代に犯された戦
争犯罪についてオランダや日本政府に要求ができる」と。
9月1日:インドネシアのマルズキ・ダルスマン検事総長は、調査結果として、
19名の名前を、1999年東チモール人権侵害に関与したとして発表。アダ
ム・ダミリが最高位で、ウィラントやザッキー・アンワルは名前があげられて
いない。
10月30日:シャナナ・グスマンは、1999年の犯罪に対する責任は「個
人に帰される」べきではないとし、一人一人の民兵指導者に対してのみ注目す
ることに対して警告。彼は、インドネシアの将軍達を裁判にかけるためにより
多くの努力をすべきと述べた。
11月4日:セルジオ・デメロは、1999年に犯された犯罪の責任者を調査
し起訴することについてインドネシアが真剣であるかどうか証明するためには
「もう少し時間を」与えるべきと述べた。
11月6日:インドネシア議会が人権法廷設置法案を可決。
11月:インドネシアのマルズキ・ダルスマン検事総長がジャカルタは200
1年1月に人道に対する罪に関与したとされる22名の容疑者を起訴すると発
表。
11月20日:東チモールとインドネシアに対する国連安保理使節団が報告書
を発表。「UNTAETは東チモールで1999年におきた重大な人権侵害に
対する責任者を裁判にかけるにあたり重大な困難に面している」。報告書はま
た、「東チモール人の正義に対する期待に十分応えるためにはこの問題に対処
する手段を取らなくてはならない」と促した。使節団のインドネシア訪問時に
は、ジャカルタは1999年の犯罪を実行した容疑者を真面目に調査し起訴し
ようとしていると再確言した。
12月1日:「東チモールのカトリック及びプロテスタント会派と長期的に協
力してきたキリスト教組織と教会」の国際連盟が「インドネシアと東チモール
の双方が参加する国際特別法廷」を求める声明を発表。
12月11日:UNTAETが1999年の重大犯罪のうち最初の12の訴追
を発表。ほとんどは既に拘留されている比較的ランクの低い民兵を対象として
いる。訴追の一件は人道に対する罪を適用し、インドネシアにいるインドネシ
ア軍人一名も対象に含まれている。
2001年
1月:ディリ地方裁判所特別陪審の前で最初の重大犯罪裁判が開始される。元
民兵指導者のジョアン・フェルナンデスが独立派活動家1名の殺害を自白。
1月25日:ヒューマンライツ・ウォッチが声明を発表。「ジャカルタにもデ
ィリにも、上級民兵司令官あるいはその背後のインドネシア軍将校たちを起訴
する体系的な方略があるという証拠は全くない」とし、「1999年の主要な
実行者全てがインドネシアにおり、インドネシアでの起訴は完全に行き詰まっ
ている」と報道官が発表。
3名からなる陪審がジョアン・フェルナンデスに12年の禁固判決。
1月30日:米国議会の29名の議員がコリン・パウェル米国国務長官に手紙
を書き、「東チモールで犯された戦争犯罪と人道に対する罪を扱う国際法廷を
米国政府が無条件で支持すべきときがきた」と述べる。
2月6日:ディリ地方裁判所の特別陪審が人道に対する罪に関する第二の訴追
を行う。1名のインドネシア軍将校(TNI)を含む5名が対象で、ボボナロ
県ロロトエ軍で住民投票の前と後にTNIと東チモール民兵が行ったという殺
害、強姦、拷問、不法な自由の剥奪、非人道的かつ残虐な扱いと虐待が罪状。
2月14日:インドネシアのアルウィ・シハブ外相はインドネシアの議員たち
に対して、ジャカルタは東チモール人権侵害を国際問題から国内問題に変える
ことに成功したと自慢。「つまり、インドネシアは自国の市民を引き渡すこと
を拒否する」と彼は述べた。
3月5日:ジョセ・ラモス・ホルタは「インドネシアが容疑者を裁判にかける
ことができないならば、国連安保理には、東チモール特別法廷を設置する以外
に選択肢はないと我々は信じる」と述べる。
3月14日:東チモールに自由を!全国協議会が日本の河野洋平外務大臣に手
紙を提出。「東チモールで犯された人道に対する罪と戦争犯罪に対する国際法
廷設置」の決議を予定されている国連人権委員会で求めるよう日本政府に要請
する。また、「人道に対する罪と戦争犯罪の調査の一環として、インドネシア
政府と軍に対して財政的、軍事的、外交的支援を与えた諸国の責任を明確化す
る」よう日本政府に要求。
3月:UNTAETは、重大犯罪部の問題を調査するために専門家Mary Fisk
を送るよう国連本部に要請。Fiskの報告をラオ・ハムツクは入手できなかった
が、この報告は重大犯罪部の実効性に対する障害として何名かの個人を名指し
ているという。ここで名指された人物たちは、7ヶ月後も重大犯罪部におり、
UNTAET指導部がFiskの結論を個人的に認めたにも関わらず、彼女の勧告
を実践するための手だてはほとんど取られなかった。
4月18日:インドネシア国家人権委員会(KomnasHAM)のアスマラ・
ナババン代表が、はじめて、東チモール国際法廷設置に同意すると述べた。「
正義の実現のためにはそれが唯一の方法」と。
4月19日:国連人権委員会議長のLeandro Despousyが、東チモールでの残虐
行為に責任を持つ軍や警察、民兵の指導者達を裁判にかけるべく決定的な手段
をとらないならば、国連は国際法廷設置を決定するかも知れないと警告。
ジャカルタを訪問したシャナナ・グスマンは、ジャーナリストに対し、国際法
廷設置は「私にとっては優先事項ではない」と述べ、「東チモールの社会経済
的問題を乗り越えることのほうがより大きな緊急の心配事だ」と述べる。
4月23日:東チモールNGOフォーラムがシャナナの発言を批判し、東チモ
ールでの残虐行為を行ったものたちを起訴することがインドネシアで進んでい
ない状況で、国際法廷は「真剣に検討」されなくてはならないと発表。
4月23日:インドネシア大統領ワヒドが東チモール人権法廷設置を承認。1
999年8月30日の住民投票(民衆協議)以後の人権侵害のみを起訴対象に。
4月23日:カルロス・ベロ司教が、旧ユーゴスラビアやルワンダで設置され
たのと類似の東チモールで犯された人道に対する罪を裁く国際法廷の設置を要
請。「ジャカルタで調査が進められることについては全く信頼していない」と
述べる。
4月24日:オーストラリアの退役した外交官ジェームズ・ダンによる「東チ
モールにおける人道に対する罪1999年1月から10月:その性格と原因」
というリークされた報告を発表。UNTAETの検事長が委任した報告である
が発表を控えたもの。ダンは、「9月の大規模破壊、移送、殺害作戦は基本的
にTNIが計画し実行した作戦で、それに民兵が参加したものであり、併合に
反対する投票をした東チモールの人々を罰する目的であった」と。
4月25日:アムネスティ・インターナショナルが、ジャカルタの東チモール
人権法廷に対して「失望した」と発表。「一歩前進二歩後退のもの」と。
4月28日:シドニー・モーニング・ヘラルド紙がインドネシア検事総長事務
所のために準備された「秘密報告」を入手しそれについて報道。この秘密報告
は、インドネシア政府の直接の財政支援のもとで東チモール独立投票後の暴力
とテロ作戦をインドネシア軍が指示したことが確認されている。
5月2日:KomnasHAMのアスマラ・ナババン事務局長が1999年の
住民投票以前の犯罪裁判を除外する大統領令を改訂するよう求めた。
5月2日:東チモール法廷が人道に対する罪に関するもう一つの訴追を行う。
TNIと民兵によるものとされるリキサ県での犯罪行為に関するもの。
5月3日:UNTAET人権部のPatrick Burgess が、インドネシアが発表し
た東チモール人権法廷の規約規定範囲の狭さを批判。「(インドネシアの)特
別法廷が信頼するに足るものと見なされるためには、1999年全体にまで規
約は拡張されなくてはならない」と。
5月4日:2000年9月アタンブアでUNHCR国際職員3名が殺害された
件を巡り、ジャカルタ法廷は6名のインドネシア人を「暴力扇動」で有罪宣告。
6名は10ヶ月から20ヶ月の禁固刑を受ける。6名のうち少なくとも3名は
被害者を刺したことを告白したにも関わらず、殺人罪で有罪とするには十分な
証拠がないと判事は述べた。国連事務総長コフィ・アナンはこの判決を「全く
受け入れられない」と述べる。
5月7日:人道に対する罪の容疑者として名前が挙がっていたインドネシア軍
将軍の何名かが、東チモールから撤退後、昇進していたという報告が新聞上で
なされた。東チモール問題に関心をもつジャカルタのある外交官は「これらの
昇進は、誰の責任も追及する意志など全くないということの証拠である」と述
べた。
5月23日:インドネシア当局は、武器不法携帯の罪で有罪とされ6ヶ月の自
宅拘留を宣言されたエウリコ・グテレスを23日間で釈放。グテレスは裁判の
前にすでに自宅拘留されていたという理由で。
5月30日:東チモール暫定政権(ETTA)のジョセ・ラモス・ホルタ外相
は、UNHCR殺害で起訴された6名に対する軽い判決は「腹立たしい」と述
べ、東チモール国際法廷を国際社会が設置する時期が来たと述べた。
6月6日:東チモール法廷が人道に対する罪に関するもう一つの訴追を行う。
TNIと民兵によるものとされるリキサ県での犯罪行為に関するもの。
6月8日:オーストラリアのアレクサンダー・ダウナー外相が、東チモールで
1999年に犯された暴力の責任者をインドネシアが裁判にかけないならば、
国際的な手だてを取らなくてはならないと警告。
7月9日:ディリで人道に対する罪に関わる最初の裁判が開始される。訴追で
は、1999年4月21日から9月25日の間にロスパロスで起きた、殺害、
拷問、文民の追放と強制移送を含む人道に対する罪を犯したとされる11名を
扱う。
7月13日:UNTAETの政治問題相Peter Galbraith は退職にあたって、
インドネシアが暴力の責任者を裁判にかけるようまじめに努力しているという
「証拠をほとんど見ていない」とし、国際戦争犯罪法廷設置を呼びかけた。
7月26日:ジャカルタで、インドネシアの人権法廷設置の責任を持っていた
Syafiuddin Kartasasmita 法務相が、正体不明のものたちにより暗殺される。
8月2日:インドネシアのメガワティ・スカルノプトゥリ新大統領が、東チモ
ール特別法廷の対象範囲を変更する大統領令に署名。1999年9月だけでな
く4月も含むものとした(他の月は対象としない)と同時に、ディリ、リキサ、
スアイで行われた犯罪のみを扱うよう司法権を地理的に制限。
8月9日:インドネシアの特別法廷設置準備チームの新代表Benjamin
Mangkoedilaaは、10月から法廷での審理が開始されだろうと述べる。
8月24日:アムネスティ・インターナショナルはメガワティ・スカルノプト
ゥリに手紙を出し、1999年8月30日の投票以前及び以後に犯された人道
に対する罪の容疑者を法廷で裁くことが遅れていることに抗議。また、新たな
法廷の司法権が制限されていることも批判。アムネスティはその決定を見直す
と同時に、これ以上遅延なく裁判を開始するよう求めた。
8月31日:米国国務省東アジア太平洋問題副長官James Kelly は、ジャカル
タを訪問中、2000年9月にアタンブアで殺害された3名のUNHCR職員
(その1名は米国市民)の殺害者をきちんと処罰しない限り、米国はジャカル
タとの全面的な軍事関係再開は行わないと述べた。
9月:インドネシアのテンポ誌とのインタビューで、シャナナ・グスマンは、
東チモール国際法廷の可能性について訪ねられ、「1999年9月におきたこ
とだけに集中するのではなく、24年前にもさかのぼらなくてはならない」と
述べた。
テンポ誌はまた、1999年9月ディリでのオランダ人ジャーナリスト、サン
デル・トーネス殺害事件の調査をインドネシア検事総長が打ち切ったとも報告。
インドネシア当局筋は、公式に調査を打ち切ってはいないが、ほとんど進捗が
ないことを認めた。
9月2日:ディリのインドネシア代表部代表のKristio Wahyono は、国連に東
チモール国際法廷設置を要求する人々が今も東チモール及び国際的にいること
を残念に思うと述べた。彼は、インドネシアは今年末までに東チモール法廷を
組織するので、国際法廷の必要はないと。
9月10日:米国連邦裁判所裁判官は、6名の東チモール人原告に有利な判決
を下し、インドネシア軍のJohnny Lumintang将軍に賠償として6600万米ド
ルの支払い義務を認めた。法廷は、Lumintang が、1999年、原告に「対し
て犯された人権侵害に直接的及び間接的に責任を負う」と宣言。インドネシア
外相のHassan Wirayudhaはこの判決は「実質的というより象徴的なもの」にす
ぎないとし、ジャカルタは「ただこれを無視するだけ」と述べた。
9月27日:UNTAET検事は、1999年9月10日、オイクシにおける
47名の「計画的大量殺人」の罪で、2名のインドネシア軍兵士と9名の民兵
を起訴。彼らはまた、他の殺人及び何百名もの人々の国境外追放の罪にも問わ
れている。起訴されたものの一名は拘留されている。UNTAETは残りの被
起訴者の身柄引き渡しをインドネシアに要求したが、それが実現する可能性は
あまりない。
10月3日:インドネシアのYusril Ihza Mahendra法務相は、議会は11月に
も特別人権法廷の判事を選択する予定と述べ、ジャカルタは法廷を公式に12
月には設置すると述べた。
10月16日:東チモールでNGOが、正義と責任明確化に関するワークショ
ップを開催。参加NGOの満場一致で、国際法廷を求める決議が採択される。
10月31日:国連安保理でUNTAETの今後について協議する会議が開催
される。東チモール内での重大犯罪処罰の体制を巡る議論はあったものの、国
際法廷については一切言及なし。
11月8日:インドネシア法律扶助協会代表のHenradi は、インドネシア政府
が特別人権法廷の判事を選ぼうとしていることは進歩ではあるが、検事をきち
んと選ばないと問題であると指摘した。東チモールやアチェでの人権侵害の多
くのケースが通常犯罪として扱われてしまうと。