東ティモール国防軍兵士離脱問題

文珠幹夫

4/30発行 『季刊東ティモール』




 東ティモール国防軍(FDTL)内の昇進差別などを理由に2月8日404名の兵 士が兵舎を離れディリで抗議活動を行った。3月1日、FDTL司令官のタウル・マ タン・ルアク准将は、無断で兵舎を離脱したことを理由に彼ら(その後離脱者が増え 591名)全員を解任した。解任された士官・兵士らは大統領府に抗議に向かった が、この騒ぎに便乗した者たちによって3月24日マーケットなどで略奪事件が発生 した。4月28日、再度政府庁舎で抗議活動を行ったが、一部治安部隊と衝突、2名 の死者と約30名の負傷者を出す騒ぎとなった。

■事件の背景

 FDTLは2001年2月1日に創設(陸軍が主体で海洋部隊もある)された。一 方、1999年の住民投票で勝利するまで、20数年間山に籠もってインドネシアの 侵略と闘ってきたFALINTILはその日をもって解散となった。UNTAET主 導で行われた「ゲリラ組織」から国防軍への衣替えは、東ティモールの人々、特にF ALINTILのメンバーだった人に不満が残った。多くのFALINTILメン バーが新しいFDTLに採用されなかったからである。各地域を統括していた司令官 (コマンダンテ)の何人かも採用されなかった。採用されたのは20代の若者が多 かった。UNTAETがなぜそうしたのか、憶測も飛んだが、よくわからないところ がある。その後、オーストラリアなどが軍事訓練を申し出、多数の兵士が外国で訓練 を受けた。

 今回の事件の背景に、東ティモール内に古くから存在する問題がある。東の人(ロ ロサエ人)と西の人(ロロモヌ人)の心の奥底にある微妙なわだかまりである。ポル トガル植民地支配下で、ポルトガル植民地政庁はロロサエ人を末端の役人として採用 し植民地行政を行った。ロロモヌ人にとって、ロロサエ人が植民地収奪の先兵と見え たのである。ポルトガル植民地政庁の政策だったのか、ロロサエ人は東ティモール内 で初等・中等教育を受けた者も多かった。ロロサエ人の中にはその「エリート」的な 振る舞いをするのもいた。一方、ロロモノ人の中にはそれに対抗できないため、時に は腕力を用いることもあったと言う。
 インドネシア不法占領時代の闘いでは、そのわだかまりは縮小し解放闘争に団結し たのである。シャナナ率いるFALINTILがその団結の象徴となったのである。 そのFALINTILが、FDTL創設で半ば分裂状態にされたのである。  インドネシアに勝利した後、そのわだかまりは政治の場や社会の中でも微妙に頭を もたげ始めた。

■事件の経緯

 FDTL創設5周年記念日から1週間経過した2月8日、404名のFDTL士官 や兵士がメティナロ(ディリの東約30km)とバウカウにある軍の基地を離脱しディ リに向かった。シャナナ大統領(FDTLの最高司令官)へ請願に向かうためであっ た。彼らの請願内容は「軍内で昇進差別」があり、「軍内の生活でロロモヌ出身者が (憲兵らに)嫌がらせを受けている」ので「これを改めて欲しい」「この行動に政治 的背景は無い」(ガスタオ・サルシニャ中尉)と言うものであった。その後、彼らの 多くはメティナロ基地に帰還したが、間もなくディリ市内西方のタシトルに集結し解 決を待つことになった。
 ルアク司令官は「直ちに基地に帰還するよう」命じたが、彼らはその命令を無視 し、ディリに居続けた。マリ・アルカティリ首相は、もし基地に帰還しないなら処分 を行うと発言した。翌週、タウル司令官は「(帰還)命令に従わねば解任する」とマ スコミに発言した。
 現在、東ティモールでは軍に関する法規も軍事法廷も無い。政府は、5名の将校や 法律家からなる委員会を問題調査のため設置した。ルアク司令官は「この問題は解決 可能であり、また彼らが訴えた問題については近く調査が行なわれる」と発言した。 しかし、この委員会は、委員の構成や調査の透明性に疑問があったため、ほとんど機 能しなかったようである。そして、その後も離脱者が相次ぎ591名にまでなった。  この抗議活動に関し、東ティモールの人権団体HAK協会のジョゼ・ルイス・オリ ベイラ代表は「FDTLには、軍の規律に関する規約も昇進などに関する規約も無 い」「この問題に端を発する問題はFDTL内に広がっている」と懸念を表明した (The Australian、2月27日)。また、エルネスト・フェルナンド元FALINTI L司令官(西部のエルメラ地域を担当していた)は「東ティモール人はひとつで、独 立闘争をともに闘ったのであり、特定の地域だけで勝ち取ったのではない」「東ティ モールは東も西もなくひとつだ」と通信・マスコミ各社に発言し、暗にFDTLの体 質を非難した。同様に、ティモール抵抗民主民族統一党(UNDERTIM)のコルネリオ・ ガマ党首(元FALINTIL司令官で西部のボボナロ地区担当)は、「我々がジャ ングルで戦っていた頃には、東だの西だのといった話しはなかったが、独立国となっ てからそうした問題が生じてきた」とマスコミ各社に語った。

 3月に入り暫くしてから、ルアク司令官は「3月1日付けで、抗議活動を行った士 官・兵士591名を正式に解任(除隊処分)した」とマスコミや通信各社に発表。マ リ・アルカティリ首相ら政府首脳はこれを全面的に支持。フランシスコ・グテレス国 会議長(元FALINTIL司令官の一人)もこれを支持した。しかし、離脱士官・ 兵士らの請願内容に関しては考慮された様子はなかった。シャナナ大統領のみ「ルア ク司令官の決定は誤りであり不公平である」と発言。また、「軍内の規律の問題など が未解決なまま処分を行うのは問題である」とも発言した。しかし、ルアク司令官の 決定に対し「それはそれで尊重する」とも発言した。
 FDTLの兵士は総数約1500名(他に予備役が1500名)である。約4割の 591名という士官・兵士が離脱し解任されたことは前代未聞の出来事である。隣国 オーストラリアではこの問題に対し、ラジオ・オーストラリアが2月27日の報道し たところでは、労働党からは「深刻な事態であり、治安上問題である」と心配の声が 上がった。また、「FDTLを規律問題を含めトレーニングしたのはオーストラリア 軍」なので、その責任の一端がオーストラリア政府にあるのではと批判した。一方、 オーストラリア国防相ベルダン・ネルソンは「オーストラリアにとって差し迫った危 機は無い」「今回の行動は不満から出たストライキの一種であり、緊張度は高くな い」「東ティモール政府はこの問題のために委員会を立ち上げた」と、オーストラリ ア国内の沈静化をはかった発言をおこなった。インドネシア軍は国境付近に軍や艦艇 を集結させた。

 しかし、東ティモールの政治的指導者たちは、これが大問題で有るとの認識が薄 かったように思える。3月に入ると、大統領や首相は外遊(首相は3月23日に来 日)に出かけた。問題解決に真剣に取り組んでいるのか疑問視された。
 3月22日〜23日にかけ、解任された士官・兵士らが大統領の帰国に合わせ抗議 活動を行うとの噂が広まった。そして、3月24日、騒ぎに乗じる形でタイベシ (ディリ南)やコモロ(ディリ西)のマーケットで略奪や暴力事件が発生した。この 騒ぎを引き起こした者たちに関してパウロ・マルティンス警察庁長官は「解任された 士官・兵士ではなく、この機会を利用して状況の不安定化を狙ったグループだ」「逮 捕者に彼らはいない」と説明。しかし「逮捕者に複数の解任された兵士がいる」「彼 らはニンジャのような服装と覆面をしていた」等の噂がながれた。その後の調査で逮 捕者に解任された兵士はいなかったようである。これらの地域でいつも騒動や暴力沙 汰を起こしている(空手やテコンドウを軸に集団化した)武闘集団(日本のストリー トギャングの様な集団)によるものだったようだ。しかし、1999年のインドネシ ア軍らによる大破壊の恐怖のトラウマのある地域住民や商店主には十分な恐怖を与え たようである。その後、数日間連中は騒ぎを引き起こし噂を撒いたたようである。そ のためか警察は威力警備を毎夜行った。これも住民に恐怖を与えたようである。

 その後、解任された士官・兵士らはほぼ全員タシトルに集結した。4月はカトリッ クにとって重要なイースター(復活祭)の月である。今年は4月14日〜16日であ る。この間、彼らの多くもカトリック信者であるため、抗議活動は自粛していた。
「イースター明けに抗議活動を再開する」との噂が流れたため、タシトル地域の住民 の中には避難する人も少なからずいた。また、抗議活動の中心となる政府庁舎近くや デモの通り道の商店や屋台店主らは店を閉めたり屋台を撤去し始めていた。しかし、 以外とディリ市内は平静であった。

 抗議活動は4月24日から始まったようだ。そしてこの原稿を書いている最中、4 月28日政府庁舎前での抗議活動がエスカレートし、投石を始める者や車や商店に放 火する者が出た。治安に当たっていた警察は催涙ガスを発射したようである。この混 乱でコモロのマーケットで2名が死亡し、30名近くが負傷したとの情報が飛び込ん できた。4月29日朝、FDTLの兵士たちが、解任された士官・兵士たちがいるタ シトルに進駐し一部発砲を始めたようだ。タシトルに籠もっていた解任された士官・ 兵士らは襲撃を恐れ山に逃げたらしい。現在(4/29)、タシトル地区はFDTL のコントロール下にあるようだ。一方、他のディリ市内では、治安に関し警察とFD TLのどちらが主導権を握るかでもめているらしい。

 今後、どうなるのか、東ティモールの将来がかかった大問題である。注視して行き たい。