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珊瑚潭に臨む |
最初に断っておくが、ここは別段観光地と言う訳ではない(と、思う。ダムですから...)。
私が持ってきた観光ガイドには、一応載ってはいたが、ボート遊びができる位の記述である。
珊瑚潭とは、烏山頭水庫によって造られたダム湖の事である。
嘉義市から台南市に至る嘉南平野は、元々、河川が少なく不毛の地であった。
この嘉南平野に水を供給すべく、烏山頭水庫は計画された。工事は大正9年に始まり、
台湾総督府の年間予算の約半分と言う巨費を投じて、昭和5年に完成した。
このダムの設計・施工は、当時台湾総督府技師であった(着工時より同地の水利組合技師となる)、八田與一によって行われた。
八田與一は金沢の出身で、明治43年に台湾に赴任、桃園の大規模灌漑工事にも参加し、大正7年より嘉南平野の調査を開始した。
(蛇足であるが、私と八田與一は多分親戚ではないはず。出身地に距離があるから...)
司馬遼太郎は「台湾紀行」の中で、この烏山頭水庫と八田與一について、26ページに渡って記述している。
(私もこの本を読むまで知らなかった。)
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ダム堤防の横に佇む 八田與一の銅像。 後ろには、八田與一と外代樹夫人の墓。墓は日本の台湾撤退後に作られた。 また、銅像は昭和6年に造られたもの。 |
八田與一銅像の場所からの珊瑚潭の眺め。 |
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銅像の反対側より堤を撮影。 |
同じ場所より、上流側を撮影。 |
このダムは、石、砂、粘土を組合わせて構築された、セミ・ハイドロロックフィル工法を使用。 このため堤の部分は、ダムというより河川の堤防の様にも見える。 このダム湖は、上から見ると枝を張巡らした珊瑚の様にみえる為、 珊瑚潭の名が付いた。 |
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溢洪道 満水水量を超えた水は、ここから出る。 通常は烏山頭水庫入り口より右方向の 送水站より放水される。 |
八田與一銅像の近くにあった、古いSL。 |
現在、嘉南平野では稲作の風景が多く見られる。これら水田の水も、烏山頭水庫より流れ出た水が灌漑水路を経て送られているものである。
以前は、ボート遊びに興じる人々等で賑わっていたそうであるが、私が訪れた時(土曜日)は、人の姿もまばらで、
少し和らいできた日差しが珊瑚潭を静かに照らすのみであった。