Someone come, someone gone
台南
台南は、古くからの史跡の多く残る街として知られています。
その内のいくつかについて...
安平古堡 ( Zeelandia Castle )
渤海島占領に失敗したオランダ人が、1624年の9月、明国の勢力範囲外にあった台湾に上陸して築城を開始した城。
オランダ人は、ここを手始めにして台湾経営に乗り出し、鄭成功による台湾侵攻までに多大の利益を上げるようになる。 また、オランダ人は労働力として、多数の漢民族移民を台湾に送り込んだ。
(漢民族の大量移住の始まりとなる)
当時のこの当たりは、三方を海に囲まれた砂嘴の様な所だった様だが、今日周囲は埋め立てられており、周りは陸地と化している。
安平古堡を正面から臨む。
この右側には、当時の見張り台(?)を模した展望台がある。
城壁
当時の大砲
展望台から撮影
鄭成功像
台湾では、外国人から台湾を奪還した「民族英雄」となっている。
ただし、鄭成功自身は清との戦闘に敗れ、大陸の拠点を失った故、窮余の一策として台湾へ侵攻した。
このへん、台湾(国府)の現状と似ている。
なお、鄭成功は「国姓翁合戦」の主人公にもなっている。
赤嵌楼
もとは、オランダ人がゼーランジャ城に次いで築城したProvidentia城。
鄭成功の侵攻により、ゼーランジャ城より早く開城。 陥落後、鄭成功はここを承天府として行政府とした。
(単に武器庫だったとの説もある)
なお、ここにはオランダ人が鄭成功へ降伏する像が立っているが、故 司馬遼太郎はこの銅像について、「後世の政治意識が投影されすぎている」と、著作「台湾紀行」の中で述べている。
(工事中だった為撮影できず)
入り口近くより赤嵌楼を臨む。
文昌閣
安平へ続く井戸があったらしい。
プロビデンシャ城の復元模型
赤嵌楼の近くにある寺院
関羽を祭っているそうだ。
億載金城
清朝が1875年に築城した城。
清朝が日本に台湾を割譲した際に建国された台湾民主国の防務副司令官、劉永福がここを本拠として、
南下する日本軍と戦闘を行った。しかし、1895年10月、劉永福は厦門に逃亡。
日本軍第二師団は、長老教会牧師Thomas Barclayの仲介で台南無血入城を果たす。
億載金城正面
撮影当時、内部が工事中だったため、中には入れず。
億載金城の中の様子
工事用のフェンスの穴から撮影。
真ん中に砲台らしきものがあった。
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