榎本正樹のWebNikki(98年12月)

■12月31日
 大掃除も終了し、今年最後の一日を静かに送る。
 昨日買ってきた丹羽隆子『はじめてのギリシア悲劇』(講談社現代新書)、ウェンディ・ゴールドマン・ローム『マイクロソフト帝国 裁かれる闇(上)』(草思社)を読み始める。前者はタイトルとは裏腹に、アイスキュロス、ソプクレス、エウリピデスの代表作を網羅した好著。豊富な学識に裏打ちされた叙情的な文章がすばらしい。
 『マイクロソフト帝国 裁かれる闇』は、今年10月に始まった米連邦地裁によるマイクロソフト社の反トラスト法裁判の文脈を知るのに格好のテキスト。マイクロソフトを好きな人も嫌いな人も楽しめる一冊(^_^;)。マイクロソフトV.S.司法省の対立は、企業間から、企業と国家の戦いの世紀にシフトする21世紀の先駆的事件として記録されることになるかもしれない。

 今年もWebNikkiをお読みいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

■12月23日
 今日は天皇誕生日。年末の大掃除、第一弾。一階の床磨きをする。
 今年の大掃除では5種類の洗剤を使い分けているが(^_^;)、12チャンネルの通販番組「テレコン・ワールド」でおなじみのクイック・ブライトを、床磨きには使ってみた。汚れの落ち具合はすばらしい。宣伝に偽りなし。明日はこれで浴室を磨いてみようと思う。
 ここ数ヶ月テレビの調子が悪くてそろそろ寿命かもしれないと思いつつ使い続けてきた。12月も終わりに近づき年末年始テレビ番組をきれいな画面で見たいということもあって、意を決して(というほどの大袈裟なものではないが)新しいテレビに買い換えた。スペースの関係でコンパクトでありつつ高機能なものをセレクトした結果、パナソニックの「T(タウ)シリーズ」のスタンダードテレビの新製品、BS内臓の29インチ「TH-29FB1」に決定。いま流行のフラットブラウン管を搭載した機種である。
 さすがに新品のテレビは発色が違う。しかも曲線的なブラウン管と異なり、光の透過率が高く、フラットなので四隅までクリアに画像が再現されている。あまりの再現性の良さに違和感を覚えるほどである。これまで使っていたテレビは一体なんだったんだ。皆さん、バーゲンのテレビなど買わずに、こういうテレビを買いましょう。パナソニック、おススメですよ。
 ところで、17日のWebNikkiでマック版のRealVideo G2がリリースされていないと書いたが、昨日ベータ・ヴァージョンがリリースされた。全機能は使えないプレリリースだが、G2のほとんどの主だった機能は内蔵されているようだ。さっそく「村上龍展」のG2ファイルを聴いてみた。RealAudioやRealVideoより格段に音質が向上している。バッファの時間も格段に短くなっている。
 G2はここからゲットできる。まだインストールされていない方はぜひ使ってみてください。画面構成もかっこよくなってますよ。「村上龍展」のインターネット放送も聴いてくださいね。
■12月20日
 先週の15日に集英社文庫版『KYOKO』が発売された。22人の感想文が一堂に会した巻末の「解説」は圧巻である。文庫の解説史上に残る快挙だと思う。
 ただページの関係で文字の大きさが小さくなってしまったことが残念。誤植等の多さも目に付いた。たとえば高浪真理さんと児玉佐智子さんの原稿は、最終原稿と違っている。編集者は最終チェックをきちんとしたのだろうか。どれもすばらしい感想文なので、執筆者が最終的に書いた原稿が反映されることが望ましい。もう一度原稿をチェックし直して、2刷では最終原稿と同じものがアップされるように切に願っている。集英社の担当者の方、大変な作業でしょうが、ぜひお願いします。
■12月17日

『ノルウェイの森』発表風景

クリスマスプレゼントの山

 今日は今年最後の授業。年内最後の仕事である。
 クリスマスも近づいているので「クリスマス特別授業」と銘打って、趣向を凝らした授業を行った。吉本ばなな『アムリタ』と村上春樹『ノルウェイの森』の学生発表と質疑応答の後、クリスマス・ストーリーとして秀逸な吉本ばななの『ホーリー』について講じた。とはいってもこの作品は現在では絶版なので、僕が作成した版下を人数分印刷してもらい、それをテキストにした。ちなみに『ホーリー』は角川グリーティングブックスの一冊として88年12月に、村上龍『友達のラリルレロ』と山田詠美『HER』とともに刊行された幻の一冊である。僕は『HER』しかもっていない。付属の封筒に入れてプレゼントするという趣向で刊行された期間限定で刊行された本(というかリーフレット)なので古書店などに出る可能性も低く、僕も図書館でコピーしたものしかもっていない。単行本にも所収されていない短編である。以前、角川書店に問い合わせたことがあるが、角川書店の資料室にもないということであった。もし持っている人がいたら、かなり価値のある本なので大切にしてくださいね。テキスト用として作った榎本版『ホーリー』は少部数残っているので、もしほしい方はメールをください。
 『ホーリー』を購読した後、クリスマスプレゼント大会。僕の授業の履修者は130人ぐらいいるので、全員にプレゼントを渡すことはできない。限定10名でくじ引き形式でプレゼントを配った。ちょうど先週の12日の「村上龍展」で使用したナンバリングが入ったチケットが残っていたので、それを流用した。クリスマスプレゼント大会は予告していなかったので、学生たちは大喜び。大いに盛り上がる。大したプレゼントではなかったけれど、喜んでくれました。当たった皆さんおめでとうございます。外れた方はごめんなさい。
 何か今年は僕の授業はイベントのようなことばかりしている。僕は大学の授業の形式(教壇の前に立ち、前に並んだ学生たちに向かって黒板に板書しながらワン・ウェイで語りかけるやり方。おそらく明治時代あたりから、その基本的なスタイルは変わっていないんじゃないか!)に疑問を抱いていて、学生といかにインタラクティヴに情報を交換することができるか実験的な授業を行ってきた。授業中もあまりうるさいことをいわないし、学生たちの自主性に任せている部分もある。
 文学はそんなにえらくない。僕は文学の特権性を鼻にかけるような授業はしてこなかったし、これからもするつもりはない。しかし文学でなければ伝えられないメッセージがある。特に現代文学の場合、現代を生きる僕たち自身のライフスタイルや考え方のモードそのものに直結するような大切なメッセージが多く含まれている。そういうメッセージを文学テキストを媒介にして一生懸命学生たちに伝える努力をしてきたように思う。遊ぶこと、自分が本当に好きなことを見つけること、恋愛をすること、友達を作ること、自分の意見をきちんと述べること、たくさん本を読むこと、そして勉強すること。そうしことを一生懸命語ってきたように思う。僕は彼女たちの人生の指導者じゃないし、有能な教育者でもない。でも僕でなければ伝えられないことがあるはずだ。その「確信」は、いつまでも持ち続けていきたいと思う。
■12月17日
 元ワイアード編集部の揖斐憲さんから来春刊行予定の新雑誌「サイゾー」のパイロット版が送られてくる。日本語版「ワイアード」の編集長小林弘人氏が設立した新会社インフォバーンが版元だ。「『小市民ジャーナル』をモットーに、最終的には『ワイアード』とは180度違った低俗な雑誌を目指すつもりです」とある。すばらしい。デジタルカルチャーにおける「噂の真相」を目指してもらいたい(笑)。
 「ワイアード」の突然の休刊は雑誌界を驚かせたが、その後も、「大手出版社、編集部まるごと買い取りか」とか「元編集部員が集結して『ワイアード』を踏まえた新しい雑誌を企画している」などの噂が絶えなかった。「ワイアード」的なセンスをうまく継承して、日本におけるデジタルカルチャーの中心的な情報誌として育っていってもらいたい。「ワイアード」の最終号では原稿依頼を受けながら、突然の休刊決定で企画が全面的に変わってしまい原稿を書くことができなかった。新雑誌では元ワイアード執筆者としての僕も、何か書かせていただきたい。揖斐さんも「是非書いてください」といってくださっていることだし、その節はよろしくお願いします。
 コロラド大学で現代日本文学の教鞭を執っている友人のFaye Kleemanからメール。久しぶりですね。僕が担当している現代日本文学の講義・演習のシラバス(年間計画書)がほしいとのこと。コロラド大学で日本文学を専攻している学生と僕が担当している学生とのインターネットを使っての情報交換・相互交流ができないかという提案も受けた。これは面白いかもしれない。インターネットを使って相互にリアルタイムの授業をするとか、学生同士でメール交換をさせるとか、いろいろ展開が考えられそうだ。来春まで時間があるので少し考えてみよう。
 『龍声感冒』で、「村上龍展」の音声放送が開始された。第一部と第三部の模様が順次アップされていくようである。当日会場に来れなかった村上龍ファンの皆さん、ぜひアクセスしてみてください(でもRealVideo G2でしか聴けないようですね。僕のマックだとエラーが出ちゃいます。マックの方はG2のリリースをお待ちください)。
■12月12日

設営中の会場風景

各社提供の龍さんの単行本

生原稿、手書き資料、古井由香さんの原画。はっきりいって、超一級資料です。


 村上龍展当日。スタッフは11時に会場の東放学園専門学校に集合。会場に向かう途中、甲州街道添いの歩道で、栄花・塩野・酒井君らとばったり会う。
 会場到着後、すぐさま設営開始。机の配置や展示物の場所を確認。会場への下り階段の途中にある踊り場に受付を設置することにする。ビデオや音響、マイクのチェック、インターネット回線の接続の確認など、作業はスムースに進む。ただ問題が一点、会場の場所がわかりにくい。本館前に看板を立てさせてもらい、レインボー館との間にナビゲーションのための人員を配置することにする。
 正午前、受付を担当の渡辺さん、斎藤さんも到着。生原稿、手書き原稿等の設置・監視担当は大学院の後輩にあたる南雄太君(彼は『龍声感冒』で、村上龍全著作の梗概執筆という大事業に取り組んでいる)の担当。彼は若手の村上龍研究者だが、当日公開される手書き原稿やメモの資料的価値に驚愕している。そりゃそうだ。これだけの資料を無料で見られる機会は滅多にない。今後、二度とないかもしれない。そんな貴重な資料を、来場者は手にとって触ることができるのだ。
 『ワイン 一杯だけの真実』のサイン本を25冊準備することができた。急遽、店番として室橋&青柳さんを起用。さきほどの渡辺さんも含めて、3人は僕の演習を履修する学生で、文庫版『KYOKO』の感想文執筆者でもある。
 開場時間を早めにして、展示物を公開。龍さん愛用のPowerBook1400cや生原稿のブースに人が集まる。総合司会のぽんちゃん到着。ご主人と下のお嬢さんを伴って和服でのご登場である。第一部の出演者の4人も揃い、別室で直前打ち合わせ。
 開演の時間は刻々と迫る。

『KYOKO』トークショー開始

和服の人がぽんちゃんです

榎本&伊藤浩子さん

児玉佐智子、高浪真理、山口みもさん

 『KYOKO』トークショーは、今月15日発売の文庫版『KYOKO』の発売とリンクしている。解説として採用された感想文執筆者の中から、伊藤浩子(ヒロヤマ)さん、児玉佐智子さん、高浪真理さん、山口みもさんの4氏をお招きして、『KYOKO』の作品的意義とその魅力について語り合うセクションだ。
 実は本番までの数週間、僕を含めた出演者5人の間でメーリングリストのようなものを作って、当日語り合うテーマや解釈上の問題点について議論してきた。膨大な量のログには、『KYOKO』を解読するためのキーワードやテーマ群が横溢している。メールでの議論を通して、『KYOKO』をめぐる問題系のかなりの部分を抽出できたのではないかと思っている。したがって、当日はメールでやり取りしたコンテンツの「ライブ版」のような感じになった。キョウコへの違和感の根拠に始まり、キョウコという存在の分析、寓話としての作品解読、「触媒」としてのキョウコ、映画と小説の比較、作品に流れる女性性の問題など、「感想」を超えた批評的なレベルのトークができたのではないかと思う。こうした批評に耐えうる『KYOKO』というテクストの強度を改めて確認した次第である。
 とにかく出演者の皆さんはすごい。そして、かっこいい。作品を読んだ感想を批評的レベルで組織化していく言葉のテクノロジーをもった人たちだ。敬意を抱かずにはいられない。メールのやり取りを含め、多くのことを学んだ『KYOKO』トークショーであった。45分という時間が本当に短く感じられた。

 第二部は村上龍さんがキューバで撮影した未公開のビデオの上映会。キューバでダンスのレッスンを受ける高岡早紀さんの様子や、映画で使用されるキューバ音楽の録音風景など、貴重なビデオ映像が上映された。実はセクションの間に設定した休憩時間の間にも、龍さんが監督したビデオ映画『ニューヨーク・シティ・マラソン』を上映した。今回のイベントのために何とマスターテープを貸し出していただいた。何とぜいたくなイベントだろう。
 キューバ・ダンスのレッスン風景は、映画の準備風景を記録するという次元を超えて、身体論的な意味で非常に重要な示唆を与えてくれたように思う。特にインストラクターのキューバ人と早紀ちゃんのダンスの微妙な違いが面白かった。バーバリックでありつつ繊細なキューバダンスを、高岡早紀はバレーのように踊る。非常に美しいダンスだった。映画と違って軽装なので、体のラインや筋肉の動きがよく把握できる。習得の速度も速い。同じミスは二度と繰り返さない。高岡早紀がキョウコへと変貌していくさまを、映像的なリアリズムで確認できたことは幸いだった。
 著作権や肖像権の問題があるかもしれないが、こういう貴重な映像を恒久的に保存・提供する場はないものか。キューバ音楽の収録風景を含め、「村上龍展」参加者だけの特権としてしまうには、あまりにも惜しい映像の数々であった。

村上龍編集者によるトークセッション。なぜかこのセクションを撮影したデジカメ写真はすべてぼけてました。


 第三部は村上龍担当編集者によるトークセッション。
 石原正康さん(幻冬舎)、加藤孝広さん(講談社)、山田憲和さん(文芸春秋)をお招きして、栄花君の司会で身近な目から見た龍さんについて語っていただくセクションだ。
 会場からの質問を軸に進行したこともあって、大いに盛り上がった。特にカツカレーのエピソードでは、場内大爆笑に包まれる。執筆依頼のやりとりや旅先での様子、また出版界の裏側にまつわる話など、普段うかがい知ることができない数々の興味深いエピソードが披露された。作家村上龍の魅力の一面に迫れたセッションだったように思う。編集者の皆さん、お忙しいところありがとうございました。

 第三部終了後、抽選会を開催。抽選役はもちろんぽんちゃん。
 景品は龍さんのサイン入り大型パネルと、サイン入り『トパーズ』レーザーディスクの2点。大型パネルは横山伊津子さん、レーザーディスクは何と山口みもさんに当たった。実はみもさん、僕とのメールでレーザーディスクを絶対にゲットすると予告されていたのであった。おめでとうございます。すばらしいクリスマスプレゼントになりましたね。
 「村上龍展」は予定通り、5時過ぎに終了。来場者には龍さんの著作をモチーフにした特製カレンダーと『ライン』のロングインタビューが収録された『「村上龍展」特別記念CD‐ROM』(しかも龍さんのサイン入り)をプレゼント。今日のみ配布する限定品だ。
 客出しも完了して、撤収開始。6時前にすべての作業は終了。今日は村上龍MLなど、いくつかのメンバー間で飲み会が行われるらしい。僕は山口みもさんが企画してくれた打ち上げに参加。会場となった教室の最終確認をしたあと、手伝ってくれた学生たちを引き連れて新宿に向かう。途中、先にお帰りになったとばかり思っていた石原正康さんと山田憲和さんに、代田橋の駅でばったり。新宿まで、両村上とばなな&詠美などについてお話する。そうなんです石原さん、ばななの『ホーリー』は傑作なんです。今度、ばななさんにぜひ会わせてくださいね。山田さんは学生たちに取材していたみたい。何を話してたんだろう。
 打ち上げ会場のメンバーは、伊藤浩子、久保田啓、児玉佐智子、酒井一太、小田原将司、塩野洋、栄花均、山口みも、高浪真理(敬称略)など、20名ほど。その後二次会、三次会(^_^;)と、朝まで新宿で飲みまくる。
 僕はオフ会的な場は嫌いで、そういう場所にはこれまで参加することを拒否してきたのだが、土曜日は「村上龍展」そして飲み会ともオフ会のような内輪的な部分が一切なく、「村上龍」という存在に魅力を感じている人たちの自由な集まりという雰囲気があったように思う。打ち上げでは、みんなと離れがたくて朝まで飲んでしまったけれど、大いに飲み大いに語ることができた。来場者の方たちにも十分楽しんでいただけたイベントだったと確信している。
 会場とインターネット回線をお貸しいただいた東放学園専門学校の関係者の皆様、そして貴重な資料の貸し出しから、ご著書へのサイン、プレゼント景品へのサインなど、龍さんの全面的なご協力で今回のイベントは実現しました。本当にありがとうございました。
 なお当日撮影した、デジカメ写真は隠しページに一括して保存してあります(^_^;)。レタッチをしていないので見にくいかもしれませんが、よろしかったらご覧ください。それから当日撮影した写真(ポジ or デジカメ・データ)をお持ちの方で、もしご提供いただける方がいらっしゃいましたら、榎本までご一報ください。
■12月10日
 今週土曜日に開催される「村上龍展」の準備に忙殺されている。とにかく今回はなるべくお金をかけずに、限られたスタッフでイベントを実行しようとしたので、個人にかかる負担は大きい。出講先の東放学園専門学校の担当者の先生との交渉、プログラムや当日配布のプリント、掲示物などを作るのが僕の仕事。展示物の下に敷く布は、明日池袋のキンカ堂で購入予定(^_^;)。
 今晩はこれから明日の授業の準備をしながら、僕がコーディネートする第一部『KYOKO』トークショーのプロットづくりをするつもり。  栄花君もここ数日はほとんど寝ていない状態なのではないかと思う。
 本番まであつ2日。がんばろうぜ。
■12月2日
 『ワイン 一杯だけの真実』の著者インタビュー。龍さん滞在の西新宿のホテルに、「ダ・ヴィンチ」編集長亀谷誠さん、カメラマンの澤野泰利さん、幻冬舎石原正康さんと一緒にお伺いする。
 ワインを飲んだ一瞬の記憶に真実を求める主人公たちの姿は、なるほど『トパーズ』以降の無自覚なまま「外部」との出会いを求める女性のイメージから連鎖してくるものだが、この短編集の意義とはそうしたテーマ的連繋性とは別のところにあるように思える。
 村上龍は、『ワイン 一杯だけの真実』において、風景や内面と五感的世界の溶融した新しい語りの文体を発見したように思う。西欧の歴史や空間が封入されたワインという隠喩的な媒介物を一つのモチーフにして、近代文学的な「風景」を更新する「新しい風景」(今の段階ではこれ以上の言葉で言説化できない)を発見したように思うのだ。
 今月号の「群像」掲載の「共生虫」での主人公ウエハラの公園を突っ切っていく場面(会話が一切排除されたロングシーン)にも当てはまることだが、ここ数年「描写」というものに力点を置いてきた村上龍は、いま「描写」を経て「新しい風景の創出」のような地点に移動しようとしているのではないか、そうした漠然とした印象をもたらす前駆的な作品として、『ワイン 一杯だけの真実』を評価できるのではないかと思う。
 なおインタビューは、「ダ・ヴィンチ」99年2月号に掲載予定です。