ムスリムになった日本人 (1)



 澤田達一さん(四二歳)は、イランのイスラーム法学校でイスラーム学を学んだ、日本でただひとりのシーア派の聖職者である。イラン大使館に依頼され、イスラーム相談、結婚・離婚の手続き、ペルシャ語教室、イスラーム書の翻訳などを行う「アフルルバイト(ムハンマドの家族)・センター」を、東京・品川で運営している。イスラームの少数派、シーア派のモスクは、日本にはまだひとつもないが、澤田さんによれば、イラン人と結婚した日本人とその家族を含めると、信者の数は一万人以上。「日本では、決して少数派じゃないんです」

 澤田さんがムスレムになったのは小学校のころ。唯一神道を信じる宗教者だった父親は、七〇年代の石油危機のころイスラームに出会い、研究しているうちに「コーランにあることは、日本人の古来の考え方と同じだ」という結論に達して、東京モスクでムスレムに改宗したとう変り種だ。澤田さんもそのときに一緒に入信したが、ムスレムになったという自覚はなく、モスクにもほんの数回しか行っていない。
「僕にとってはイスラームもいろんな宗教のひとつ。教会もお寺も神社もモスクも同じ祈る場所だと思っていたから、違和感も持たなかったかわりに、特に関心もありませんでした。普通の日本人の感覚と同じです」高校卒業後、日本の若者をひとりイランで学ばせたいと頼まれた父親は、澤田さんに留学することを勧めた。

「僕は典型的なモラトリアムで、歴史に興味があったので、それを勉強したいと漠然と考えていただけでした。父に『お前、行け』と言われたときにも、イスラーム文化を知るいい機会かもしれないくらいの意識で、深く考えないまま行ってしまったんです。しかし、行ってみると百聞は一見にしかずでした」
 一九八九年、一九歳の澤田さんはナジャファバードの外国人学校に入学し、まずペルシャ語を勉強した。欧米人の学生が大多数の学校で、澤田さんがショックを受けたのは、日本人がいかに内向きで、ひとりよがりかということだった。広島・長崎に投下された原爆が話題になっても、意見をきちんと言えない自分が恥ずかしく、歯がゆかった。

「もうひとつびっくりしたのは、日本で考えられていたのと実際のイスラームが、全然違うということです。イスラームは厳しくて時代遅れだと言われていたけれど、実は非常に論理的。日々の暮らしに根ざした社会的な宗教です。むしろ、キリスト教のほうが時代に合っていないと僕には思えた。それと、助け合いの精神が生活の中に生きていて、家族の温かさがうらやましかった。母親と子どもとのスキンシップが豊かで、しかも、しつけがしっかりしているんです。当時のイランには、昔の日本が持っていたいい部分がたくさんあって、こういうのはいいなと思いましたね」

 その根にあるイスラームという宗教を、もう少し勉強してみようと考えた澤田さんは、学問の中心地であるコムのイスラーム法学院に入学。途中二年間、日本に帰国したが、都合七年間、イスラームの神学、法学、論理学、解釈学、政治学などをそこで学び、聖職者となった。九八年に帰国した澤田さんは、翌年「アフルルバイト・センター」をオープン。自宅兼事務所には、さまざまな電話が入り、さながら日本に住むシーア派の信者たちの“よろず相談所”といったところだ。ターバンに長いローブの聖職者姿で、日常を過ごす澤田さんだが・・・・。
「僕は聖職者というのを、あまり固く考えていないんです。イスラームでは聖職者はいろんなことができるし、ほかの仕事を持ってもいい。日本の人たちにわかってほしいのは、皆さんが考える以上に自由な宗教だということ。イスラームは多様性があって、とても面白いですよ」(続く)


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