ムスリムになった日本人 (1)



 日本人ムスリムでもっとも多いのは、外国人ムスリムと結婚した日本人とその子どもたちだ。しかし、一九五二年に設立された日本で最古のイスラーム団体のひとつ、日本ムスレム協会の会員は、ほとんどが外国人との婚姻関係のない日本人で、家族単位の参加が多い。会員は全国で約二〇〇家族(単身者なども含めると五〜六〇〇人)。日本航空を定年退職後、協会の会長職を引き受けた樋口美作さん(六二歳)は、三〇年以上の会員歴。「温厚な人格者」として、日本のムスリム界ばかりでなく、外部からも尊敬と親しみを集めている。

「私が入信したのは、日本人がムスリムになるなど珍しい時代で、当時、イスラームは“未開の国の宗教”と呼ばれていました。そして、一 九七〇年代の石油危機のころは“後進国の宗教”、今は“過激な宗教”ですから、イスラームのイメージというのはいまだにネガティブですね。でも、日本でもいい本がだんだん増えてきたし、とくに昨年のテロ事件以降、関心が高まってきたのは嬉しいことです」

 樋口さんの入信は一九六二年。高度経済成長時代のニーズをいち早く察知した教授から、「これからは英語だけではなく、特殊外国語をやるといい」と勧められ、早稲田大学を卒業後、東京では拓殖大学の夜間部に唯一あったアラビア語講座に通い始めたのがきっかけである。樋口さんには、国際社会を股にかけて仕事をしたいという夢があった。だから、講座に通い出してから一年ほどたったころ、権威ある宗教大学、エジプトのアズハル大学に留学しないかと勧められたときには、若い心を躍らせた。だが、入学の条件は「ムスリムであること」。「イスラームに対する当時の日本人の知識といえば、一夫多妻とか、目には目をといった偏見がほとんどでしたから、入信するのは正直言って、勇気がいりました。私が入信できたのは、子どものころ日曜学校に通い、ある意味で一神教になじんだからでしょうね。しかし、イエスが神の子だということがどうしても納得できず、洗礼は受けませんでした。ところが、イスラームでは、神は自分自身と向き合う唯一の存在です。これなら受け入れられると思ったし、留学して本物のアラビア語やイスラームを勉強し、自分の将来の目的を達成する契機にしたいと考えたんです」

 六人の仲間とともに日本ムスレム協会の推薦を受けて留学し、アズハル大学でアラビア語などを三年間学んだ樋口さんは、“アラブ要員”として日本航空のカイロ支社に入社した。その後は、イラクのバクダッドやサウジアラビアのジッダで勤務し、中東で十二年間を過ごしている。日本航空では唯一のムスリムだった。

「いちばん大変だったのは、お酒と礼拝の問題でしたね。豚肉を食べないとか、ラマダンで断食をやるのは、比較的簡単です。だけど日本の企業では、お酒は人間関係やビジネスの潤滑油とされているので、飲まないとどうしてもつき合いが狭くなってしまう。礼拝も会社ではなかなかすることができないし、金曜日が休みにならないと集団礼拝にも行けません。だから、ちょっとした時間を見つけては、コーランの言葉を唱えるようにしていたんです」

 イスラーム圏では同胞意識で迎えられても、日本では「変わった人」と受け取られる。そういう意味では、樋口さんのムスリム人生は、日本社会、特に企業人であることとの闘いだったと言ってもいいかもしれない。

 日本人ムスリムは、日本社会のなかでマイノリティとしてひっそりと生きてきた。しかし、「コーランは人が共存する道を探るもの」と樋口さんが語るとき、それは「人(多民族)が共存するということは、どんなことなのか」「宗教とは何なのか」という、異文化や宗教に無自覚な日本人社会への問いかけとなってくる。 >>


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