ルポ アメリカ先住民の今(1)
“民族自決”への果てしなき苦闘


90


 ドアを開けて食堂に入ったとたん、敵意に満ちた視線が突き刺さってきた。アジア系の顔が珍しい田舎町で、好奇の目を向けられたことは何度かある。しかし、空気がフリーズするような敵意を感じたのは、サウスダコタ州パインリッジ居留地に接する、その白人の田舎町が初めてだった。
 クリントンが初めて大統領候補に指名された八年前。私は雑誌の取材で、日米経済摩擦と大統領選に対するごく普通のアメリカ人の本音を聞こうと、アメリカのパン籠=中西部を中心にした二十一州の田舎町を、写真家と一緒に回っていた。
 それまで何度か近くを通りながら、なかなか訪ねるチャンスのなかったパインリッジ居留地も目的地のひとつだった。サウスダコタ州には九つの先住民居留地がある。パインリッジはオグララ・スー族の“首府”で、一九七三年に「民族自決」を掲げたスー族とAIM(アメリカ・インディアン運動)が占拠し、七十一日間にわたってFBIと銃撃戦を展開したウーンデッド・ニーのある場所だ。アポイントもなく飛び込んだ私たちを、ちょうど卒業式をやっていたラコタ・コミュニティ・スクールの先生たちは、少々驚きながらも快く迎えてくれた。白人町での不快な体験や、駐車中の車を覗いていただけで居留地の住民が白人に射殺され、裁判で白人が無罪になったという、町でスー族の酔っ払いヴェトナム帰還兵から聞いた最近の事件を話すと、校長のチャック・コンロイ氏は、穏やか な笑みを浮かべながらこう言った。
「ようこそ、居留地へ。このあたりは私たちに対する偏見が強いんですよ。事件の話も本当です。サウスダコタやノースダコタでは、いまだにそういうことが続いているんです」
 大平原のなかに小さな集落がぽつりぽつり。部族政府や学校、病院、郵便局などの建物と、ひとつだけのスーパーマーケットを除いては、ブロックを積み重ねた質素な平屋や二階建ての民家が点在するだけの土地。「ごらんのように、ここには産業が何もありません。ここは全米でもっとも貧しい郡で、失業率は九十%、水道のない家が八十%以上。大部分の人々は小規模の農業や牧畜と、福祉で生活しているのが実情です。しかし、居留地を出ても町の暮らしは楽ではありません。だから、今、私たちに必要なのは子供たちに高等教育を受けさせ、この居留地のなかに産業を起こすことなんです」
 校内の壁には、生徒たちの手による壁画がいくつも描かれていた。偉大なスー族のチーフや戦士たちと、大平原で草をはむバッファローを組み合わせたものなど、部族の誇りや歴史をモチーフにしたものが多い。出来栄えが素晴らしかったので、そのことを告げると、「子供たちにとって大切なのは、自分に対する誇りです。それが未来を切り開いていくことを私は教えてきましたから」と、コンロイ先生は嬉しそうにうなずいた。
 嵐が来るからと引き止められ、私たちは休暇で生徒が帰省した学校の寄宿舎に一泊させてもらった。翌日、部族政府の水道課に勤めるリトルさんの案内で、前日の大雨でドロドロにぬかるんだ道にハンドルを取られながら、何軒かの家を訪問した。
 “アメリカの第三世界”と呼ばれる貧困のなかで、それを克服し誇りを取り戻そうとしている先住民たち。“インディアン居留地”を、私がしばしば訪ねるようになったのは、この旅がきっかけだった。 >>


Page 1 失業率90パーセント 全米で一番貧しいスー族居留地
Page 2 増加続ける先住民人口
Page 3 居留地は州と対等の独立部族国家
Page 4 経済的自立へのさまざまな模索
Page 5 切り札として登場したインディアン・カジノ経営




Copyright (c) Mayumi Nakazawa