日系ブラジル人のホームレス支援




 この週末、浜松に行ってきた。ヤマハやホンダの工場とその関連企業のある浜松は、全国でいちばん日系ブラジル人の多い町である。浜松市の人口は60万人だが、日系ブラジル人は現在1万1000人。この夏、全国でもっとも日系ブラジル人を中心とした外国人労働者の人口比率の多い、群馬県の大泉町(人口の13%が外国人)を訪ねたときに、日系人労働者のかかえるさまざまな問題を目の当たりにし、浜松もぜひ訪ねてみたいものだと思っていた。そんなとき、たまたまお会いした静岡大学の笹沼弘志さんから、「浜松で日系ブラジル人やペルー人がホームレス支援をしているから、一度見にきませんか」というお誘いを受けた。

 笹沼さんは大学で憲法学を教えるかたわら、静岡でホームレスのための炊き出しグループをつくったり、県内の外国人労働者の問題にコミットしたりしている“行動する学者”だ。私はホームレスの支援や外国人労働者問題の取材をしているので、これはいい機会と笹沼さんと現地で落ち合うことにした。
 ホームレス支援をしているのは、日系ブラジル人二世の比嘉エバリストさんというカトリックの神父さんを中心とした“エスペランサ”(希望)というグループである。比嘉さんが日本にやってきたのは7年前の93年。89年の入管法改正で日系人の就労ビザが取りやすくなったのを契機に、ブラジル人の出稼ぎ労働者が急激に増えたため、日本の修道会から「ポルトガル語でミサができる人を」という依頼を受けてのことだった。

 比嘉さんの両親は沖縄移民、サンパウロから1000キロほど北にあるカンポグランジという町で、農業を営んでいる。六人きょうだいの末っ子として生まれた比嘉さんは、子供たちに勉強をさせようと両親がたまたま入れたカソリックの学校でキリスト教に出会い、その後、両親の大反対を押し切って神父になった。当初しばらくは学校の先生をしていたとあって、今でも子供たちの教育問題に関心が深い。
 浜松に赴任した比嘉さんが、ホームレスに出会ったのは翌年の秋のこと。ボランティア活動をしている日本人の友人から「ブラジル人のホームレスがいる」と聞いて、一緒に出かけたのがきっかけだ。そのブラジル人は見つからなかったものの…・。
 「たくさんの日本人ホームレスがいるのにショックを受けたんです。日本に来るまでの日本のイメージといえばお金持ちの国とかテクノロジーの発達した国。こんなにホームレスがたくさんいるなんて、想像もしていなかった」
 ブラジルでもスラムの支援活動をしていた比嘉さんは、さっそく教会の信者たちに呼びかけ、炊き出しを開始した。当初は月曜・土曜の二日間だったが、月曜は休みの取れる人が少なかったため、現在は土曜のみ。比嘉さんの3DKのアパートで2時半ころからスープとおにぎり150食分をつくって、ミサのあと市内の4ヵ所を回る。衣類や薬も持参、ときには比嘉さん自らホームレスの散髪もする。

 比嘉さんのアパートを訪ねると、10人ほどのメンバーが調理の真っ最中だった。笹沼さんから「日本人の支援と違って、ホントに楽しいんですから」とは聞いていたが、挨拶をすると全員が陽気に迎えてくれて、すぐにその場にとけ込んでしまった。刻まれた大量の野菜や肉は味噌ベースのスープの材料。ブラジル人は三角オニギリを握るのが苦手なので、日本人教会からやってきた2人のボランティアが握って、ブラジル人が海苔を巻くという共同作業。日本語とポルトガル語が飛び交って、ワイワイと何とも楽しそうだ。
 これを毎週欠かさず五年間。お正月にはお赤飯も登場する。調理をするのは10人ほど。「エスペランサ」のメンバーは100人以上いて、夜の配布には20〜30人近くが入れ替わりで参加している。

 今では近所の人たちも理解を示しているが、炊き出しを始めた当初は住民からの反発が大きかった。出稼ぎ労働者の相談役となっている比嘉さんのアパートは、ブラジル人たちの出入りが多いため、「うるさい」とか「炊き出しをやめてほしい」という苦情が、町内会から出たこともあったという。

 「お役所もそうですが、日本人は温かい心を忘れていると思います。法律を守るだけで心がない。ブラジルは貧しい国ですが、より貧しい人たちを助けたり手伝ったりすることが、子供のころから当たり前になっています。ホームレスもたくさんいるけれど、食料を配るばかりではなく、貧しい人たちに家を開放してお風呂に入れたり、洗濯をさせるといったいろんなホームレス支援があります」
 しかし、日本人はホームレスにものを与えるとよけいに働かなくなると言う。
「でも、人はいろんな事情でホームレスになるんです。ブラジル人に対する接し方も同じですね。出稼ぎだからと見下したり、顔は同じなのに言葉や習慣が違うと理解しようとしません。何か問題があると“ブラジルへ帰れ”と言ったりする。国民性の違いもあるのでしょうが、日本人は冷たいと悩んでいる人たちがたくさんいます。だから、ホームレスのことは人ごとじゃないという気持ちが、メンバーにはあると思いますよ」

 準備が終わって、7時半から4キロほど離れた修道院の講堂でミサが始まった。ブラジル人、ペルー人など中南米人に、フィリピン人や日本人も何人か混じっている。席が一杯になったこの日の参加者は180人ほどだったが、多いときには入り口まで人があふれることもあるという。
 音楽好きの私は、キリスト教という異文化の教会音楽が、現地の音楽と結びつくことによってどう変化するのかといったことに興味を持っているので、外国に行ったときには必ず教会を覗くことにしている。アメリカでもハーレムの教会や南部の黒人教会にはよく通ったし、ミクロネシアやアフリカでも、教会に飛び込んでミサに参加させてもらったものだ。同じ讃美歌でもその土地の音楽と結びつくとまったく違った音楽になる。カトリックの場合は普通、プロテスタントの教会音楽よりも原形に近いヨーロッパ的なものになるのだが、メキシコ以外中南米には行ったことがないので、この点でも興味津々だった。比嘉さんによると「日本のミサはおとなしいけど、ブラジル人のミサは音楽がいっぱいで楽しいですよ」とのことだが・・・・・・。
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