日系人野球の100年




 セピア色に変色した一枚の写真がある。写っているのは大リーガーのベーブ・ルースとルー・ゲーリック。彼らを囲んでいるのはユニフォーム姿の4人のアジア人だ。
「なぜ、叔父さんが一緒にいるんだろう」
 米国カリフォルニア州フレズノ市に住む日系三世ケリー・中川(44歳)は、子供のころから、自宅の壁の写真を見るたびに首を傾げていた。訳を聞き逃した彼が、叔父の人生を調べようと思いたったのは5年前のこと。
 調べるうちに、写真は1927(昭和2)年、フレズノの球場で催された親善試合のものと判明した。その年、ニューヨーク・ヤンキースをワールドシリーズで優勝させた原動力、ルースとゲーリックがフレズノを訪問、地元の野球チームとプレイしたのである。白人勢に混じった4人の日系選手の活躍はめざましく、彼らが参加したゲーリック・チームは、ルース・チームを13対3で破った。
 このフレズノ近郊の農村地帯には、早い時期から多くの日系チームが生まれ、市町村対抗を盛んに行っていた。“日系二世のルース”の異名を取った叔父は、強豪「フレズノ体育会」の4番。チームは日本に二度遠征し、大学や社会人野球チームに圧勝している。
「それまで僕は、日系人にこんな素晴らしい野球の歴史があるとは知らなかった。もっと調べて、子供たちに伝えなければと」
 自らも大の野球ファンである中川は、テレビ局ディレクターの職をなげうって、埋もれた日系人球史を掘り起こし始めた。1920年代から30年代の最盛期には、西海岸を中心に100を越えるチームが、各地で「二世リーグ」を組織している。
 1996年、彼はフレズノで叔父たちの球史を伝える小さな展示会を開いた。展示会は大きな反響を呼び、会場を移すごとに大規模になり、昨年4月には、クーパーズタウンの野球の殿堂での展示会が実現した。ハワイに最初の日系人野球チームが誕生してから100年め。中川のもうひとつの夢が実現する。11月3日から23日まで、東京ドームの野球体育博物館で、彼が企画した展示会「荒けずりのダイヤモンド――野球と日系アメリカ人」展が開かれることになったのだ。(敬称略)>>


Page 1 それは一枚の写真から始まった
Page 2 日系人野球の父と呼ばれた男
Page 3 収容所のなかの白球
Page 4 日本野球を変えた日系人




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