東京イメージ=マップへ戻る東京都
港区(芝丸山古墳など)
東京タワーから見下ろせる芝丸山古墳は、あの坪井正五郎が調査したことで知られています。
かつては11基の円墳を従えており、昭和33年の開発まで数基が残っていたようです。
亀塚を調査したのも坪井だとか。まだタワーがなかった頃の東京のお話でした。

古墳名墳形規模(m)所在地立地・現況出土品備考
芝丸山古墳前方後円墳108
(前方部幅40高6、後円部径64高8、くびれ部幅22)
港区芝公園4-8台地・公園埴輪(円筒・人物)半壊。都史跡。推定後円部墳頂埋葬施設。5世紀後半
亀塚古墳円墳?37.5(高4.3)港区三田4-16-15台地・公園土師器片・須恵器片都旧跡。形状未確認。年代不明

※参考資料…「日本の古代遺跡(32) 東京23区」(保育社)など


芝丸山古墳


東京タワーから見る芝丸山古墳東京タワーより見下ろした芝丸山古墳。ゴルフ練習場のネットの向こうの森の中、右上が前方部、左下が後円部。過去には周辺にも円墳群があったと言う。

公園内、丸山古墳説明板と前方部への登り口。この東南には縄文後期の丸山貝塚もある。夏の芝公園、このあたりでは蚊の来襲にご注意を

誰もいないのは真夏の平日だから…?東側より。樹木のため写真では大きさ、形ともにわかりにくい。東京では登れる前方後円墳はここぐらいしかない。公園だから登り放題なので、ぜひ登って大型前方後円墳独特のパース感を味わってみることをおすすめする。

前方部より後円部を望む。奥にちょっと見えるのが例の有名な伊能忠敬測量偉功表の碑。その手前にちょこんと坪井正五郎の標識の石があるが、文字は風化して読み取りにくい。「瓢形大古墳、外部遺物・埴輪、石槨・無シ、遺体・不詳、副葬品・鏃其他鉄器・馬歯」と記されている。樹木を取り去った復元古墳には及ばないが、遠近感の片鱗を感じることができる。古墳標識の字は彫りが浅すぎ。もっとちゃんとしたものを残せばよかったのに…



亀塚古墳


芝公園から亀塚まで歩いて移動する。お昼休みでくつろぐ人々がいた北西より。公園に寄り添うように存在。現状では方墳のように見える。「更級日記」竹芝寺伝説地、太田道灌の斥候所と伝えられる旨を記した「亀山碑」が墳頂にある。説明板によると現在でも古墳とは断定されていないことになっている。

南より。向かって右側は崖になっており、崖下は御田八幡神社である。地図などでは神社から登れるように見えるが、現在は閉鎖されている。当初は御田八幡からの登りを企んでいたので、ちと遠回りしてしまったのだった



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