栃木イメージ=マップへ戻る栃木県
足利公園古墳群(足利市)その3
坪井正五郎が発掘を行うきっかけとなったのがこの3号墳だといわれています。
近年の調査により、前方後円墳であることがわかりました。



足利公園3号墳(M号墳)


明治の初年に公園を作ろうという計画があるあたりが、足利という都市のすごいとこですな北東から見た後円部。墳丘は復原整備されている。明治19年春、公園化のため開墾中のこの山で偶然石室が発見された。近くの織物講習所の峰岸政逸がこの3号墳の発掘を請け負い、当時たまたま講習所を訪れ出土品を見た帝国大学総長の渡辺洪基が帰京後坪井に発掘を指示する所となり、日本初の学術的古墳調査が始まったのである。

西から。この古墳は長年にわたり円墳と思われていたが、近年の調査により2段築成全長34mの前方後円墳であることが判明した。きれいな姿に復原されています。周りはサクラなので、季節には見ものでしょうね

葺石や埴輪列まで復原するのは、やっぱりちょっと難しいのでしょう南西から前方部端。各段の傾斜面には河原石が葺かれ、1段目テラス上面にも細かな河原石が敷き詰められていたという。テラスの縁には全周にわたり密集した埴輪列が巡り、群の中で最も古い6世紀中頃の築造と推定されている。

南東に開口した横穴式石室。扉があり、中には入れない。1号墳同様に扉付き。真っ暗で、しばらく目を凝らしていないと中が見えません

やっと見えました。さっきの1号墳と似てるなあ石室内部。両袖型で奥壁は2枚で1号墳とも似ているが、側壁が自然石乱石積みになっている。5号墳の石室もこれと良く似ている。

次は足利公園古墳群(4)→→


一覧へもどるイメージ MAPへもどるイメージ 扉へもどるイメージ
一覧へもどる 栃木マップへ 扉ページへ