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足利公園古墳群(足利市)その1
足利市の丘陵南端に位置する足利公園は1883(明治16)年の開設で、桜やつつじの名所です。
1886(明治19)年に日本初の古墳の学術的調査が、この足利公園で坪井正五郎によって行われました。出土遺物は東京国立博物館に所蔵されています。



足利公園1号墳(F号墳)


配水場寄りの駐車場近くにあった案内図。地形図と併せたものになっていて大変よろしい園内案内図。右上が北になる。1990〜94年の調査ではアルファベット順で、これとは一致しない(一覧表参照)。10号墳の上にJ号墳、11号墳の左下隣にL号墳さらにその下にO号墳跡が二重円で示されている。また、ここでは見えていないが1号墳の右下隣にはY号墳もある。欠番の4・6号墳はそれらのいずれかと思われる。この少し北の水道施設付近に「水道山山頂古墳」があったらしいが情報不足で今回は未踏査。

東から見た1(F)号墳。斜面利用の山寄せ式古墳のためか、ここの古墳は円墳でも石室が南向きでなかったりする。2段築成で各段の裾に河原石の葺石がめぐっている。1段目のテラスには一定間隔で埴輪列があった。山側は1段目の葺石・埴輪列ともに省略されていた。これは平成4年の発掘後に復原整備されたもの。この玉石の石段、ちょっと滑ります

ニキビの拡大画像みたいですな、なんとなく横(南西)から見るとこんな感じでちょっと情けない。もちろん北東から見ても同様。上の写真の位置からでは背後にこんな山があるようには見えない。正面からの見栄えを追求した設計はまんまと図に当たっている。

南から見た石室入口。入口は南東に向いている。通常は扉で閉鎖されている。ここはきちんと鉄扉があります。照明施設もいちおうありましたが点灯はしてません

内部を覗き見。肉眼では暗くて見づらかったのですが…石室内部。袖無型で長さ3.5m、高さおよそ1.8mである。側壁は河原石小口積み、奥壁は角岩(チャート)を2枚使用している。

近年公園整備に伴い行われた発掘当時の様子。この時に葺石や埴輪列の構成が明らかになり、埴輪列が完全に省略される一歩前の時代の7世紀前半頃の築造と推定された。1号墳の説明板その1。山寄せ古墳の造られ方がなんとなくわかるような気がする写真です

1号墳の説明板その2。坪井博士はいかにも学者らしいお顔ですなあ…坪井正五郎博士と当時の石室スケッチ。坪井は東京の弥生遺跡、芝丸山古墳、埼玉の吉見百穴などを調査し、日本の近代的考古学の礎を築いた。坪井らが調査した1〜3号墳は近年の発掘調査によって現1〜3号墳に比定された。


不明墳?


これは?? 墳丘のように見えるんですが、どうも案内などを見るとそれにあたるものがない…1号墳のやや下方の斜面で見かけた墳丘様のもの。1号墳の隣にY号墳があったが、それとはやや位置が違うようである。この公園には他にも墳丘状の所が多く、紛らわしい。背後の木立を透かして見えているのは3号墳の後円部。

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