![]() | 〜古墳軍ニュース〜【2009/10/21】 取材は進めどなかなか追い付かないデータ整理と更新。放置して鮮度が落ちては惜しい情報を何とか救済すべく設置したコーナーです。古墳をめぐる最近の動向などを随時掲載・更新しますのでお見逃しのないように。 | →バック ナンバー |
![]() 北町古墳群(勿来町関田和久)。東から。金冠塚古墳の南東約1.5kmの丘の東側にあるとされる。分布域内では古墳らしいものは発見できなかった。 | ![]() 北町古墳群付近(勿来町関田和久)。分布域北端付近にある滝沢不動尊。横穴墓利用のようにも見えるが付近には横穴墓群等は無いことになっている。 |
![]() 北町古墳群付近(勿来町関田和久)。北から。不動尊のさらに北東の住宅脇にある塚状のもの。土地を狭めているのにわざわざ残している気配がある。 | ![]() 北町古墳群付近(勿来町関田和久)。群域の北には伊勢両宮神社がある。その境内東端付近の最高地点で見られた伊勢山城の櫓台跡らしき前方後円墳状の地形。 |
![]() 北町古墳群付近(勿来町関田和久)。伊勢両宮神社入口から南西に向かう道脇にある塚状物。分布域西側に近い。小祠があるので単なる地形ではないと思われる。 | ![]() 四沢古墳群(勿来町四沢)。東から。中央の丘の中にあるらしい。入口はあったが急傾斜で危険なので進入は断念した。すぐ右に見えるものも中身のある塚である。 |
![]() 酒井原古墳群(勿来町窪田稲荷塚)。西から該当地付近。常磐道いわき勿来ICの南約700mにある。立地は良さそうであるが進入路不明で確認できなかった。 | ![]() 御宝殿古墳(錦町御宝殿)。南から。御宝殿熊野神社参道脇にある。庚申塔、十九夜塔など各種石造物置場になっている。 |
![]() 綾ノ内古墳(錦町綾ノ内)。御宝殿古墳のほぼ真南250mほどにある。墳頂に小祠がある。すぐ隣の畑で作業していた土地の方の話では古墳との認識は無かったそうである。 | ![]() 鷺内古墳(錦町鷺内)。いわき市民会館の南南東およそ450mにある。数年前の航空写真と比較すると畑地と道路の整備により縮小された疑いがある。 |
![]() ウツギサキ古墳(錦町ウツギサキ)。鷺内古墳の南南西約250m付近が該当地であるが完全に宅地化され今も区画整理進行中で痕跡無し。 | ![]() 大塚古墳群(錦町東原)。金冠塚古墳の東約1.5kmにある。群域南端の痕跡らしきもの。左寄り背後の林の中に円墳がある。 |
![]() 大塚古墳群(錦町東原)。群域北東端の林の中で見られた最も古墳らしいもの。形は良いが規模は「大塚」にはもの足りない。 | ![]() 大塚古墳群(錦町東原)。群域北西端の観音堂脇で見られたもの。墓地になっている。低平だが周囲の田や宅地が避けている状況を見ると径はかなりあるものと思われる。 |
![]() 大塚古墳群(錦町東原)。群域南西端に見られたあるいは痕跡かと思われるもの。付近の林の中にある墓地群も古墳跡であるのかもしれない。 | ![]() 天神林古墳(岩間町塚原)。常磐共同火力発電所の東、竜宮岬の北西約800mにある。奥の草が小高いあたりが該当地だが接近できず未確認。 |
![]() 後田古墳群(後田町源道平・月山下)。子安観音堂の塚付近が1号墳か。大正期に横穴式石室から出た陶棺は東北唯一とされる。山中の2号墳は前方後円墳の可能性あり。 | ![]() 千速古墳群(小名浜下神白字千速)。小名浜高校の北東標高約50mの丘の上の漁業無線局。近年は扱う遠洋漁業船も減少しているらしい。入口の両脇に古墳がある。 |
![]() 千速古墳群(小名浜下神白字千速)。北東から。径20m高4mほどとされるほぼ同規模の円墳が北西から南東へと並ぶ。見た目の高さは2m程度。左の古墳上には小祠が見られた。 |
![]() 君ヶ塚古墳(小名浜岡小名字君ヶ塚)。北東から。小名浜の市街地の君ヶ塚稲荷神社。モダンアートな鳥居の参道は長く緩やかで登ると結構な高さがあり墳頂も広い。 | ![]() テントー塚古墳付近(小名浜南富岡字北ノ内)。該当地に至る山道の途中標高100mほどの山頂の浅間神社。この先急な下りで夕刻も迫り断念。「テントー」は「天道」か。 |
![]() 牛神社裏古墳(常磐馬玉町大久保)。牛宮神社の西脇の竹薮の中にある。墳丘の範囲が不明瞭。参道脇には祭神が乗ってきた牛だったと伝えられる牛石がある。 | ![]() 忠多古墳群(常磐西郷町忠多)。東寄りの1基。能満寺の墓地の西端に2基現存。能満寺はエイサーの始祖と伝えられる袋中上人の出身地で国重文の虚空蔵菩薩像がある。 |
![]() 忠多古墳群(常磐西郷町忠多)。西寄りの1基。見晴らしの良い舌状の丘陵端に巨木(スダジイか)と朽ちかけた社と道具立ても揃ってマイナー古墳マニア大納得の光景。 | ![]() 忠多古墳群(常磐西郷町忠多)。全景。いわき周辺は意外に高所の古墳が多い。樹木を伐採したのは墓地拡張のための可能性もあり、この景色も今回で見納めかもしれない。 |
![]() 竜ヶ崎古墳(常磐白鳥町竜ヶ崎)。中央の丘の上に現存。忠多古墳群の北西約1kmにある。「全国遺跡地図」に記載が無いようなので近年発見されたもののようである。 | ![]() 竜ヶ崎古墳(常磐白鳥町竜ヶ崎)。丘の上の住宅街の一角の小さな公園のそのまた一角に残されている。古墳が発見されてしまったので仕方なく公園化されたようでもある。 |
![]() 塚前古墳付近(小名浜林城字塚前)。塚前古墳南西100m付近の病院駐車場で見られた塚状物。塚前古墳は単独墳扱いだが周辺に群があっても不自然ではない。 | ![]() 塚前古墳(小名浜林城字塚前)。北西から。塚前古墳の西側にある塚状物。塚前古墳が道で分断された残りかもしれない。道路側に丁寧な石の土留めが施されている。 |
![]() 塚前古墳(小名浜林城字塚前)。南から。前方後円墳とされるがいわゆる「ナマコ形」で形状がはっきりしない。中央にイチョウの木があり、その根元に祠があるのでそこが後円部か。小屋のさらに左に上記の小さな塚がある。 |
![]() 塚前古墳(小名浜林城字塚前)。南東から。階段を登った所に祠がある。横穴式石室を持つとされるが位置不明。上の写真の小屋の後ろあたりが怪しいように思える。壷や杏葉が出土したとされる。 |
![]() 塚前古墳付近(小名浜林城字塚前)。塚前古墳のすぐ北西の山を登った所に若宮八幡神社がある。そのそばにあった塚。右の木の根は板根化している。 | ![]() 大志田古墳(平下高久字大志田)。神谷作101号墳の北東約800m付近。地図上は老人ホームで消滅と思われ確認のため訪れてみるとそれすら移転して跡形も無くなっていた。 |
![]() 久保ノ作古墳群(平下高久字久保ノ作)。怪しい盛り上がり。大志田古墳のすぐ北西の隣の谷地にある。福島県教育年報に1959年発見届けと記載がある。 | ![]() 久保ノ作古墳群(平下高久字久保ノ作)。谷の奥に祠があり、その背後の草の中に塚状のものがあった。教育年報には1958年に「円壇石堂」の発見届けとの記載がある。 |
![]() 久保ノ作洞窟(平下高久字久保ノ作)。古墳群のある谷の入口東側にある。狼の指骨製装飾品をはじめ縄文期の人骨・土器・石錐・鹿角製釣針・銛・獣骨など出土。 | ![]() 牛転古墳群(平下高久字牛転)。群域東端付近の古墳の痕跡とも見える一角。子安観音や馬頭観音他石造物の集積所になっている。 |
![]() 牛転古墳群(平下高久字牛転)。子安観音の西100m付近。2号墳の横穴式石室の一部らしきもの。付近は砂地で砂鉄採取などのため大部分の古墳が破壊されたらしい。 | ![]() 神谷作101号墳(平神谷作腰巻)。南から該当地付近。彩色文様のある人物等国重文の埴輪が有名。周辺一帯が神谷作古墳群であるが視認可能な古墳は現在ほぼ全滅。 |
![]() 神殿古墳群(神谷作字細谷)。南西から跡地付近。出土玉類は市文化財。神谷作101号墳の南東およそ300m。神谷作古墳群に含める場合もあるようだ。 | ![]() 白穴古墳群(平神谷作字白穴)。南東から。神谷作101号墳跡地の南方の墓地の西側が該当地。藪で確認不能。101号墳との間には白穴横穴墓群がある。 |
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2009年8月取材 恒例の東北探索行・福島編7回目はいわき市南部。昨年の遠征で玉山古墳などを探訪した際に気づいたのが、「…いわき市広すぎ!」。これは何回かに分けて訪ねることになりそうだ。今回探索したのは勿来、錦、泉、植田、小名浜、常磐、平といった地域である。 例によって資料がなかったり下調べが足りなかったりで、行き着けなかった古墳がいくつもあったが、全体としては地味ながらまずまずの収穫といったところ。 行く先々で階段や山道を登ったり降ったり、今まででいちばん足腰を試される探索行でもあった。茨城の古墳探索で上り下りにはかなり慣れていたつもりだったが、テントー古墳所在の山へ向かう道は素人向きではなさそうで、やむなく断念(雨のあとでなければ、行けたかも…)。 そんなわけで、来年にいろいろと課題を残して福島をあとにした古墳軍であった。 ※今回接近を試みたその他の古墳 寺下古墳群(勿来町関田北作)山中で進入路不明。 小田小路古墳(常磐上矢田小田小路)卸売市場敷地となり消滅を現地確認。 ※補足情報 後田古墳について「ふくしま教育情報データベース」に石室の動画がある。 大志田古墳は「全国遺跡地図」に記載が無くほぼ同所在地に「天神塚古墳」の記載がある。 | |
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