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〜特別編−茨城県の古墳関連石室石棺材〜 【2009/05/18〜】→バック
ナンバー


◆ 特別編 茨城県石づくし ◆
工場直売は定期的にやっているようですね
野殿古墳石室(筑西市・旧下館市)。常陽製菓工場内に復原保存。バレンタインチョコレートの直売をやっている時に行くとお得。
コンクリの枠に支えられてます
高崎山古墳群西支群第2号古墳石室(土浦市・旧新治村)。立正寺筑波霊園のはずれに移築復原。同古墳は前方後円墳だったらしい。
トリのフンが苦手な人にはちょっと辛い空間かも
武者塚古墳石室(土浦市・旧新治村)。ゴボウ畑の地下で発見されたという。「みづら」出土で有名。覆屋の中に保存。
なにやら意味ありげな石材
田村神社内石造物(桜川市・旧真壁町)。真壁小学校との間にある。境内には別に石の築山もあり、真壁は石材の町なので最近のものかもしれない。
集成の茨城編は間違い多すぎかも
仙原塚古墳石室(桜川市・旧真壁町)。「全国遺跡地図」「茨城県遺跡地図」では北椎尾天神塚の南にあることになっている。該当地付近の集落内で見られた石室状のもの。「前方後円墳集成」では全く違う山の上にあるようになっていて間違いの可能性が高い。
畑の端に無造作に置かれた石材
羽鳥天神塚古墳近くの石材(桜川市・旧真壁町)。天神塚自体のものだったかは不明。羽鳥天神塚は最近標柱や階段が整備されて見学しやすい。
雪中古墳探索もなかなかオツなものです
八幡山古墳石室材(桜川市・旧真壁町)。上谷貝の八幡神社。墳頂に置かれている。ここにも標柱あり。
古墳じゃないような気がしますが、かなり目立ちます
丸山古墳群北方の田中の巨石(石岡市・旧八郷町)。佐自塚古墳方面に向かう途中にある。接近して見ると大きな塊の岩石で板状ではなかったので自然石かもしれない。
この手の板石を組んだものとしてはかなり大きめ
加生野古墳群付近の稲荷神社境内の石棺材らしきもの(石岡市・旧八郷町)。八郷南中に隣接する神社。裏側に宝篋印塔が建っている。中学校をはさんで反対側にはいくつか墳丘のあるものも残っている。
雨の後は登れないんじゃないかと思われる坂道を登ったところにあります
細谷古墳群域内の石棺材様のもの(石岡市・旧八郷町)。フラワーパークの北西。少し入り口のわかりにくい細い道を登った奥にあったもの。左の例同様、五輪塔が建てられている。この後、他地域でも類似例に出会うことが多かった。
これは町史にも載ってます
佐古墳群石棺(つくば市・旧大穂町)。鹿島神社境内にある。中の奥壁部には仏像が刻まれている。境内には一面にタイヤが貼り付けられた墳丘らしきものもある。
なんだかいろいろ置いてある境内の一角
金田八坂神社境内の石室材らしきもの(つくば市・旧桜村)。他にもいくつか境内に散在。同神社は社殿の彫刻も立派。
怪しいと思い始めるともう止まりません…
八坂神社古墳前の水路の蓋石(つくば市・旧筑波町)。北条の八坂神社前の水門付き水路。我々の目には怪しい石材が使用されている。
まだ新しい幣束が供えられています
泥障塚古墳群内の石室材らしきもの(小美玉市・旧美野里町)。説明板によると出土物は伝えられていないことになっている。
よく見ると蓋石が1枚脇に落ちてました
房中古墳群石棺?(かすみがうら市・旧霞ヶ浦町)。旧霞ヶ浦町(現 かすみがうら市・旧旧出島村)郷土資料館の屋外展示。説明板には「房中台からたまたま出土したもの」とある。
これもけっこう大きな石材
兵庫峰古墳群石棺(かすみがうら市・旧霞ヶ浦町)。集落センターの裏山にあったもの。牛渡牛塚古墳や牛渡銚子塚古墳も近い。
もとの墳丘の様子を想像しにくい現況
太子古墳(かすみがうら市・旧霞ヶ浦町)。装飾石室で有名な「太子のカロウド」。残念ながら文様は現在はほぼ消滅。中に潜るのは少々厳しい。
ここはいつ行ってもとてもきれいにされてる印象があります
東台古墳群13号墳石棺。(土浦市)。上高津貝塚ふるさと歴史の広場考古資料館前に展示。寸詰まりの前方後円墳だったらしい。
こんな感じでコンクリに埋め込まれてる物件もよく見かけます
愛宕山古墳の石段中に埋め込まれた石室材らしきもの(美浦村)。愛宕山は100m級の前方後円墳。JRAトレセンで有名な美浦村は実は古墳の宝庫。
畑の真ん中に板石が積んであります
君島古墳群石室か(阿見町)。この先の林中にいくつか墳丘のあるものも見られた。近くに八幡古墳群・大形古墳がある。
埋まってるのかはみ出てるのか…
立ノ越古墳群(阿見町)。尾根沿いに数基の小古墳が見られ、一部に石材が散乱していた。
薄手ですがかなり立派な石材
山王塚古墳(笠間市・旧岩間町)。明らかに石室材が露出している。同様のものがもう一枚あり昭和9年銘の「供養塔」にされている。
これはどうも新しいもののような…
岡岩屋古墳付近(小美玉市・旧玉里村)。岡岩屋古墳捜索中に見つけたもの。加工痕の様子からすると新しいものかもしれない。岡岩屋古墳は道が見つからず断念。
埋蔵文化財センター近くにある露出石室
虎塚4号墳石室(ひたちなか市・旧勝田市)。虎塚古墳の近くでこれも比較的有名。かなり大きい、というか視認できるものでは茨城最大級だが崩壊が残念。
凝灰岩の石材。この上は墓地になってます
増井古墳(城里町・旧城北町)。墳丘が旧水戸街道で切断され石室が露出。「大」の字形の線刻があるという。
板状の石が置いてあるのが見えます
宮山観音古墳(筑西市・旧明野町)。墳丘上にあるブリキの祠の中に謎の石が…。
積んだ石の上に小祠が。「鳥居だったもの」らしき石材が途中に挟まってるのも見えて何がなんだか
諏訪山古墳(石岡市・旧八郷町)。フラワーパークの北の自然休養村近くの民家内。かなり迫力ある石材だが詳細不明。
露出石室。羨道部分は失われているようです
岩屋古墳(小美玉市・旧玉里村)。玉里北小学校近くの丘の畑の中にある。近年の調査では終末期の30m級の前方後円墳。別に小さな箱式石棺も存在したらしい。
季節によっては見えなくなりそうな石材
要害山古墳群3号墳(石岡市)。墳頂の石材。要害山1号墳の北西およそ300mの27mの円墳。破壊予定で調査されたが幸い保存された。昔、地元の方が石棺に入って遊んだと伝わる。
他にも細かい石材がいくつか置いてあります
大井戸古墳石棺?(小美玉市・旧玉里村)。またの名を伝馬塚あるいは小舟塚。一説に100m級の前方後円墳とも言われるが前方部と後円部の一部が削られて円墳状に残っている。墳頂に石棺の一部が露出しているとされる。
防空壕?
宝金剛院不明石造物(常陸太田市)。梵天山古墳のある宝金剛院の入口付近にある謎の物件。コンクリートの枠の中に石垣か石室のようなものがある。
眺めのよい丘の端に立てられています
蔵福寺不動明王板碑(阿見町)。詳細不明だが古墳の石室材利用と言われる。
質素な姿の金剛界大日如来
木原根火山遺跡内古墳上の大日如来像(美浦村)。説明板からは古墳石材流用とも読める。
あらかた埋まってますけど、いいのでしょうか…
木原根火山遺跡内古墳上の石材(美浦村)。説明板によると古墳石材流用の板碑があるとされるがこれがそうらしい。
玉里史料館を訪れても裏に回ってみる人はあまりいないのではないかと思われます
玉里総合文化センター内展示石棺(小美玉市・旧玉里村)。センターと隣の神社との間の目立たない所に展示されている。手前が山田峯5号墳、奥ふたつが富士峯古墳のもの。
茨城では数少ない複式構造の石室だったようです
岩屋(岩谷)古墳(石岡市・旧八郷町)。希少な破壊を免れた開口開放石室。墳丘はかなり縮小した模様。石室は中でさほどかがまずに歩ける大きさ。中に多数の石仏がある。
塚の下の鳥居付近にもなんだか怪しい石材が
吉沼愛宕神社古墳(つくば市・旧大穂町)。墳丘上の愛宕大権現碑の石材が少し怪しい。
これもかなり立派な板石。この上のお堂の礎石やその周辺の石碑も怪しい片岩の板石でした
玉取弁天塚(つくば市・旧大穂町)。玉取千手堂古墳の近くの近世塚ということになっている弁天島に渡る橋の石材。
石碑も土台もともに雲母片岩の大きな板石です
安食稲荷塚古墳群域内(つくば市・旧筑波町)。稲荷塚の北西200mほどの集落近くの石碑。古墳群自体は稲荷塚以外は明瞭な墳丘が見られなかった。
10枚ほどの板石で、うち2枚は大きいもの。組み立ててみたい…
台宿古墳群3号墳石棺(つくば市・旧豊郷町)。歓喜院境内やや目立たない片隅に積まれた石材。寺院では石材など珍しくもないので特に厚遇もされないのか。
4号墳は埋め戻されたことになっているので、2号墳の石棺材なのかも
台宿古墳群(つくば市・旧豊郷町)。群南端部の墓地の裏に積まれた石室材。墓地自体は4号墳かと思われる。つくば市遺跡分布調査報告書の記述は南北が逆のようである。
宝筐印塔をこんなふうに使ってるのは初めて見ました。奥の板石に大日様が彫られています
長高野行人塚群(つくば市・旧豊郷町)。3基あるうちの1基か。古墳とされていないが大日如来像や宝篋印塔五輪塔などに入り混じって石室材風のものも積まれている。
素敵に眺めのよい丘の上です。上に立てられているのは大日碑
水守古墳群南端の1基(つくば市・旧筑波町)。水守小学校の南東500mほど。芝畑中で見つけやすい。小学校内の古墳より小さめの墳丘に無造作に石材が露出。
接近できないのでこんな画像ですが、たぶんこれ、かなりでかいです
水守古墳群石室材か(つくば市・旧筑波町)。水守小学校の南東すぐの畑の中に見られるもの。近付いて見れば相当大きなものではないかと思われる。
この敷石も10枚ほど。石棺一式分って感じですな
吉瀬鹿嶋神社内石材(つくば市・旧桜村)。境内天満宮前の敷石。同神社内には吉瀬東古墳群の2基が現存している。
敷石になっているものとよく似た大きさ形状の板石でできてます
吉瀬東古墳群(つくば市・旧桜村)。社殿西方に並ぶ2基のうち西寄りの方墳とされるものの上の大日如来。この地方でよく見られる鼻の大きな大日様である。
こちらも幅2mほどもある大きな板石。文字は摩滅したのか読めませんでした
八竜神社境内石材(つくば市・旧桜村)。中根とりおい塚古墳群近くの公園に隣接した同神社で見られたもの。
境内には他にも石材がいくつか見られました
体見神社境内石材(つくば市・旧桜村)。滝の台古墳群に隣接の神社。古墳群自体は藪の山の中で見られるものはわずか。
巨大で厚みもある石材。墓地は丘の鼻にあたる場所にあります
山口古墳群(つくば市・旧筑波町)。群北端近くの墓地内、墳丘のように見えるものの傍らにあったもの。ここには他にも石室材流用風の異形の石灯籠など石造物多数。
このあたりは地山からもこの石が出るので紛らわしく、なんともいえませんが…
山口古墳群(つくば市・旧筑波町)。群北端部にあたる地点付近の山中で見られた石室材風のもの。近くには墳丘様のものも見られた。
石碑なのかとも思いましたが、違うみたいです
山口古墳群(つくば市・旧筑波町)。石室開口の1号墳のすぐ南の道端にあったもの。
これも似たような形の石材。碑として立てられたものにしては場所が妙です…
山口古墳群。(つくば市・旧筑波町)。1号墳の南東の道端にあったもの。
1号墳より目立つ塚の上にあるもの
山口古墳群(つくば市・旧筑波町)。1号墳南東の塚の上の「ふれあい地蔵菩薩」。
近づいてみるとびっくりするくらい大きい石材。とりあえず2枚が見えてます
北条中台古墳群(つくば市・旧筑波町)。石室露出の1号墳の北西200m付近の畑の中に見られる石室材様のもの。旧町史で「石棺のみが残存」とされる4号墳か。
「石棺」と書かれた標柱つき。ほんとにこの形で出土したのかな…
中台遺跡出土石棺(つくば市・旧筑波町)。北条の無量院の一角に集められ展示されている石造物の一つ。通常の古墳の石棺にしては異常に小さい。
藪には慣れたつもりの古墳軍も、道場山はひーひー言いながら登りました
上の台古墳(つくば市・旧筑波町)。漆所古墳群のはずれ、北条の道場山の幻の1基。急斜面の猛烈な藪を強行突破して到達。墳頂付近に石材様のものが露出していた。東隣の城山古墳は同様の藪で未確認。
墳丘上の白いものは桜の花びら
西大橋中内台古墳群(つくば市・旧谷田部町)。北端の集落センター前の1基。石棺材らしきもので毎度お馴染みの大日塚が作られている。
ここは面野井城跡でもあり、古墳のある丘のすぐ南側にあたります
面野井西台塚(つくば市・旧谷田部町)。面野井古墳群近く、TX高架のすぐ西の小山の北端近くにある。中近世塚とされているがこのような石棺材流用らしき大日塚であった。
厚みのある石材で、地中埋まっている部分も考えると大きさもかなりのもの
島名榎内古墳群付近(つくば市・旧谷田部町)。群の西側で見られた馬頭観音碑。群付近の山林内に小円墳サイズの妙な円形の陥没があったのも気になる。
畑の真ん中にぽつんと残っている石棺。この状態になってからずいぶん経っているもよう
島名榎内西古墳(つくば市・旧谷田部町)。榎内古墳群の西やや離れた所。「一部湮滅」とされるが石棺のみ残存の模様。
加生野ではこういう石材があちこちに見られましたp
加生野古墳群付近(石岡市・旧八郷町)。中学校北東の小円墳から北西に下った道端で見られたもの。
こちらの石材は厚みがすごい
加生野古墳群域内(石岡市・旧八郷町)。青麻神社内で見られたもの。付近には墓地などに他にも石室材風石材多数。
石碑はみんな怪しく見えます
加生野古墳群付近(石岡市・旧八郷町)。川又川と青柳川の合流点付近で見られたもの。
下のは大日碑で、上の石も板碑なのかも知れません。なんで倒れてるんだ…
原表古墳群付近(石岡市・旧八郷町)。群北西の果樹園の角付近。下のものは日天月天を刻んだ板碑か。
あらゆる石材が怪しく見えてきました
大塚山古墳付近(石岡市・旧八郷町)。須釜諏訪山古墳から小幡の大塚山古墳に至る道の途中で見られたもの。
りっぱな碑に仕立てられているとなおさら怪しく見えます
千部塚(小美玉市・旧玉里村)。岩屋古墳の北東の丘の頂にある近世供養塚とされるもの。見かけは8m程の円墳である。塚裾の「寛永十五年」銘の供養碑が石室材風に見えた。
画像ではよくわかりませんが、結構な枚数の石があります
田宿天神塚古墳(かすみがうら市・旧霞ヶ浦町)。旧旧出島村の天神社境内60m級の前方後円墳。墳丘上に石材を寄せ集めた作った祠があった。
こうなるとどこからどう見ても石棺材にしか見えません
富士見塚古墳(かすみがうら市・旧霞ヶ浦町)。後円部北西に置かれていた石棺材風のもの。
12号墳と思われます。この東側にある道祖神1・2号墳の主体部は横穴式石室とのこと
染谷古墳群(石岡市)。風土記の丘近く、海洋センター北東の山林の中の露出し再び埋もれかけた石棺らしきもの。この藪のさらに谷を越えた奥には円墳群がある。
石碑にしてはなんだか配置が妙です
柿岡八坂神社(石岡市・旧八郷町)。2本の大ケヤキのある境内の片隅に置かれた板状の石材。
形と大きさの揃った板石
高山古墳付近(石岡市・旧八郷町)。柿岡市街地西端八郷高校近く。古墳に至る道のそばで見られた石材。
意外に奥行きのある内部には石仏が置かれています
宮下古墳付近(石岡市・旧八郷町)。宮下古墳のある香取神社に向かって参道を進むと左側にこのようなものがあった。右手にも小古墳らしきものがある。
ゴミとか入れられててなんだか不憫な石室。2号墳の石室材は今どこに?
下林五霊古墳群1号墳石室(石岡市・旧八郷町)。スーパーの駐車場の片隅に残存。説明板等は無し。分布図から見ると原位置のままかと思われる。
左に見えてるのはリヤカーの車輪。石材のとんでもない巨大さがうかがえます
宮下古墳付近(石岡市・旧八郷町)。西から。宮下古墳の南方、地形図等高線に見られた大きな塚状地形攻略を試みるも挫折して退却中に偶然発見。各種資料にも記載無し。
天井石と思われるものの、まぁなんと巨大なこと。移動できないのでこのままにされているようですが…
宮下古墳付近(石岡市・旧八郷町)。北から。かなり破壊されているがこの大きさは衝撃的。一見の印象では虎塚4号墳に匹敵する規模である。
リヤカー石室材に比べると小さいけれど、これもかなり厚みのあるりっぱなもの
宮下古墳付近(石岡市・旧八郷町)。リヤカー石室のさらに北で見られた石材。これらの他宮下古墳周辺には資料に記載の無い墳丘や石材が多数見られた。

 


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