こふんぐんイメージ
「古墳軍外伝」ログ

【1】 2001年3月4日分   【2】 2001年3月20日分   【3】 2001年4月30日分 
【4】 2001年7月13日分   【5】 2001年10月19日分   【6】 2002年1月1日分 
【7】 2002年4月25日分   【8】 2002年9月9日分   【9】 2003年1月9日分 
【10】 2004年1月3日分   【11】 2005年1月29日分   【12】 2006年2月3日分 
 
アンカー 001「開眼」(2001年3月4日)
 もう15年近くの昔、奈良の明日香を高松塚目指して一人で貸し自転車で走っていたら、道を歩いているおばさんグループのひとりに「古墳はどこですか」と聞かれた。
 世の中に古墳は高松塚しか無いと思っているらしい。一瞬絶句しかけたが、明日香巡りの必需品、浅田萬葉社の『航空写真地図 明日香』片手に教えてあげたものだった。
 そう言う自分も埼玉県東部の、古墳が全く無い地域に生まれ育ったので、埼玉にこんなにたくさんの古墳、それも群集墳があると知ったのはつい5年くらい前のことである。
 特にドライブマップの記載をたよりに訪れた川本町の鹿島古墳群、美里町の広木大町古墳群、児玉町の長沖古墳群などの、平らな田畑にポコポコと円墳が立ち並ぶ光景にはまさに目から鱗が落ちる思いで、それを原点に今に至る古墳踏査が始まったのだった。
 初めのうちは情報源も少なく、観光ガイドやドライブマップに記載のあるものを探したが、これがなかなか曲者で、いくら地図の場所を歩いてもさっぱり古墳の気配も無いことがたびたびあった。
 時にはわざわざ他県に遠路はるばる赴きながら空振りに終わることもあれば、近くを通りながらも知らないために古墳を見逃してしまったということもあった。
 そのうち、日帰り可能な有名どころに大体行ってしまうとネタ切れになって行き詰まりかけ、古墳熱もそこまでかと思われた。
 そうした時にあの「さきたま風土記の丘」の資料館で催された昔の周辺古墳の写真展を訪れた時に、事態を打開する一冊の資料に出会うことになったのである。

 
アンカー 002「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」(2001年3月20日)
 さきたま資料館で出会った一冊の書物、それがこの長い題の本であった。
 同資料館では受付で各種報告書を実費で頒布しているが、それらのうちの一つとして置かれていたもので、当時5,000円ぐらいだった。現在は同資料館で販売している資料は極めて種類が少なくなり、資料館の年報ぐらいしか無い状態である。同報告書も在庫が切れているようで、当時たまたま訪れた我々が入手できたのは非常に幸運であった。
 この「報告書」は1994年に埼玉県教育委員会が発行したものである。その主旨は「古墳の基礎資料を一層充実させるとともに、今後の開発事業等との調整を図るため、国の助成を得て、平成元年度から5か年計画で、埼玉県古墳古墳詳細分布調査を実施」した結果を「今後の保存整備や開発との調整の基礎資料として、また学術研究や教育普及に資するため」に活用することを目的としている。
 約300頁のうち、約120頁が表形式の4700基あまりの古墳データ、約70頁が35000分の1地形図による分布図、約13頁が15000分の1地形図による主要古墳群の拡大詳細分布図、残りの頁がピックアップされた17箇所の古墳の詳細調査報告、で構成されている。
 分布調査は、昭和30年代の調査を基本に、各市町村担当の調査員を委嘱し、地元の伝承、地籍図などあらゆる情報源から行われ、数千基におよぶ古墳ひとつひとつをすべて確認するという大変な事業であったようだ。
 おそらく「辛亥銘鉄剣」を出した埼玉だからこそ国から予算が付いてできた調査であろうが、そのおかげで我々のような素人でもほぼピンポイントで各古墳に到達することができる、非常に貴重な資料であり、苦労して作成に当たられた皆さんには全く頭の下がる思いである。
 もっとも、膨大なデータを人間が処理するゆえに、完全とは言えないようで、我々が追踏査する過程でも、消滅のはずが墳丘が残っている、分布地図に無い古墳がある、など若干の過誤らしき記載もあるようであるが。
 何はともあれ、この報告書との出会いから前人未到(?)の埼玉県古墳全踏査の旅は始まった。そして、この報告書に無い、新しい(?)古墳を発見すること、それが我々のささやかな夢である。

 
アンカー 003「こふんぐん動物記」(2001年4月30日)
 古墳を探して歩いていると、道中さまざまな動物に出会う。
 もっとも多いのはやはり犬で、庭につながれているもの、自主的にふらふらと散歩しているもの、稀には家の中の窓からのぞいているものなど、いろいろである。
 我々は風体行動が怪しいので、だいたいの犬は吠えかかってくる。吠えても尻尾をうれしそうに振っている奴は退屈で退屈でしようがなかった所に人が通りかかったものだから、「遊んでっ!」と言っているらしい。
 遊んでやりたいのはやまやまだが、こちらも用事があるし、ただでさえカメラを持ってうろうろしている怪しい人物が人様の庭先に落ち着くわけにも行かず、挨拶がわりに1枚(以上)撮影させてもらってすぐさま撤退することにしている。
 古墳があるような地域では庭が広くて2頭、3頭と複数の犬を飼っている家も多い。犬にも役割分担があるらしくて、片方の犬は吠えても一方は黙っていたりする。案外吠えている方が下っ端で、黙っている方が親分のような気がする。
 猫はもちろん道端でも出会うが、古墳の墳丘上でも見かけることのできる動物でもある。
 古墳群のある丘陵地には牛や豚の牧場や養鶏場も多いし、今回アップした写真にあるように、エミューの牧場があるような所もある。
 珍しい例ではキジであるが、それでも今までに3回は出会っている。オスのキジは目立ってわかりやすいが、大きなハトが歩いているなと思ったらメスのキジだったりしたこともある。いずれも結構人家が近い所であり、いても我々の方で気付いてなかった場合も多いのかもしれない。「鳴かずばうたれまい」と言われるほどは鳴かないようである。不思議なのはいずれも地上を歩くか疾走している状態で、飛んだり木などに止まっているキジは見たことがない。
 時には出会わないほうがお互いに幸せな場合もある。ある古墳群に近いちょっとした山の峠を越える時に、熊のものらしい、まだ新しい足跡を見たこともあった。
 「蛇塚」「蛇穴山」などという名前が付いている古墳もあるくらいで、古墳周辺では蛇もよく見かける動物である。暗い石室に踏み込んで隅のほうをライトで照らしてみたら、カマドウマのような昆虫がびっしりと天井に貼り付いていて、その石材の隙間に2、3匹のアオダイショウが詰まっていたこともあった。茨城のある古墳群では猛毒のヤマカガシに出会ったこともある。
 そうこうしながら数年にわたって撮り溜めた動物の写真も600枚を超えるほどになり、ただ死蔵しているのももったいないので今回のアップに至った。古墳の箸休めとしてお楽しみいただきたい。あくまで付録のつもりなのだが、こっちの方が人気が出てしまわないかと心配ではある。

 
アンカー 004「消滅」(2001年7月13日)
 またまたほとんど古墳と関係無いお話。パソコンに興味無い方は飛ばして下さるように。
 常連の方は(もしいらっしゃるとすれば)お気付きになったかもしれないが、6月中頃、少し更新がもたついて、古墳の数が少ない町とかをアップしたりしてお茶を濁していた。なぜかというと、このサイトのデータを一括して保存していた外付けのハードディスクが使用不能になってしまったからである。DOS時代から愛用していた、たった240メガバイトの小さなものであるが、かえって管理しやすいので作成途中のページやら他県の地図データやら材料をすべて放り込んであった。古いものなのでいちばん騒音がやかましかったがある日突然妙に静かになった。おかしいと思ってケースをあけて確認すると、放熱のファンが回っていない。近くのパーツ屋で探したが同じ規格のものは1個では売っていない。仕方なくパソコン本体の拡張ベイに取り付ける3連ファンを買ってきてそのうちの1個をもぎ取って交換した。ついでにSCSIのアドレスを設定するディップスイッチと基板の間のケーブルが一部抜けていた(端子がスカスカのいいかげんな設計だった)のを発見して当然直して、清掃後、元に戻して再び使用を始めた。ここまではまだ無事に読み書きできていた。
 ところが、「こいつももう老体なので少しいたわって使おうか」と思い、なまじSCSIコントローラーの設定で一定時間読み書きが無いとモーターを停止するようにしたのが運の尽きだったらしい。却って再始動を繰り返す負担がかかってしまったのか、数日後、全く本体から認識されなくなってしまったのである。さあ大変。バックアップは数日前に取ってあるが、その間にかなりの量の作業をしてあるので、それをもう一度やるのも悔しい。長年使ったものなので愛着もある。確認してみると、SCSI機器として認識はされていないが、ディスク自体は回っているようだ。とすると考えられるのはコントロール基板の故障か、読み書きヘッドの駆動部の故障のみで記憶ディスクは無事かもしれない。ヘッド部がやられていると駄目だが、基板ならまだ可能性がある。
 というわけで同じ型のジャンクのドライブを求めて秋葉原じゅうを歩き回るはめになった。発見できたのは型番が2番違いのもので、基板の形も全く別物だった。古墳探しよりもよほど歩き疲れた1日だった。
 むしろ古いものは地方に残っているかもしれない。そう思って次は日頃古墳めぐりで鍛えた土地勘を生かして埼玉県内の某中古品チェーン店を12軒ハシゴしたがやはり同型のものは無い。
 一通り駆け回ってみると気が済んだというかあきらめが付いたというか、もうそれ以上がんばる気力も無くなった。後は自分のサイトからダウンロードしたデータとバックアップを合体してできるだけ最新のデータを復元して失った分は再作成するという、何だ、初めからそうすれば良かったではないか、という結末に至った。まあ、人間何かを失った時はむしろじっとしているよりもバタバタと動き回っていた方が精神衛生上よろしい。
 所詮人間が作ったものはいつかは消えて無くなってしまう。それも自然によってではなく人間が自分で壊してしまうほうが多い。古墳の「消滅」ではなく「湮滅」と言う考古学者も多い。古墳が勝手に蒸発して消えるはずが無く、ほとんど何らかの人為がからんでいるという気持ちを込めたものと思われる。近代考古学の先達、坪井正五郎博士も「古墳は一回発掘すれば又旧に復する事能はず、嗚呼幾多の古墳は無益に発掘されたるか」と足利公園古墳の発掘報告書に記している。
 そんなわけで今回のデータ消失事故の教訓を込めた古墳軍他県進出の第1弾は栃木県足利市となった次第である。その他の県も少しずつ取り上げる予定なのでご期待乞う。

 
アンカー 005「伏兵」(2001年10月19日)
 古墳を見て歩いていると多少の草地や薮に踏み込まなければならないことは日常茶飯事である。冬の終わりから春先にかけての草が枯れきっている時はまだ見通しが効いて良いのだが、それ以外の時期は変なものを踏み付けたりしてしまうことが多い。
 秋になり夏草も枯れて古墳観察のシーズンだとばかりに調子に乗って草地に入る時にやっかいなものの一つに「チヂミザサ」がある。
 この草はイネ科の多年草で、ササに似た小さな葉のふちが縮れているためにこの名がある。高さは30cmぐらいで、秋に小さいエノコログサのような穂をつける。日当たりの良いひらけた所よりも、古墳のまわりにありがちな少し薄暗い所に好んで群生していることが多い。
 そのままなら何と言うことの無い草であるが、動物に種を運ばせるためにその穂の先が粘って物に付着しやすいようになっているので始末が悪い。毛がかぎ状になって衣服に付着するタイプならいくらでも払い落とせるが、こいつに限ってはいったん付着したら最後、その日は黒いネバネバが付いたままであきらめなければならない。
 まあ、別に毒でもないのでそんなに気にすることもない。しかし、ただでさえ古墳を見つつ、クモの巣・ハチ・ウルシ・クマ・イノシシ・ハンターその他諸々に注意しなければならない所にこの季節は余計に1個注意事項が増えてしまう。
 まさに「悩みのタネ」である。
 


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