吉川邦夫 超短編集6

【遭遇時に記憶される旋律について】

移動ドの階名を使うならば「レミドどそ」と表現されるあの旋律に何かの意味が隠されているのではないかという問題を私は長年研究してまいりましたが先日ついにその答えを得たのであります。彼らはアメリカ合衆国に大いなる関心を示しているによって問題の旋律は米国流に解釈されなければならないことは明白である。ドレミ階名が欧米でも一般に使われていることは「ドレミの歌」の普及度を見ても明らか(「ド」を「Ut」と読む国もあり「シ」は「死」に通じると日系移民の指摘もあって米国では「ティ」と読まれている。)ですがハニホヘトイロに対応する米国の音名はCDEFGABであります。「レミドどそ」を音名とみなすならば米国では「ニホハはと」ではなく“decCG”と読まれなければなりません。この結論には研究開始から僅か数年のうちに到達した。しかるに“decCG”とは何か。数多の資料を渉猟し各界の知恵者を煩わせしも要領を得ず隔靴掻痒の日々を過ごしてきたのでありますが先日タケルと申します大学院生の愚息がパソコンをば行使しておったので“decCG”とは何かと戯れに尋ねてみたところ即時に解答を得たのであります。decとは米国に実在する大手コンピューター会社Digital Equipment Corp.の略称でありCGとはComputer Graphicsの略語なる由!念のためUFOとコンピューターに詳しい富田勲氏にも尋ねたところ「他に解釈のしようがない」との答えを得ている。しかしその意味を解明するのは私の能力を超えた仕事でありコンピュータ専門家諸兄にぜひとも専門的判断を仰ぎたいと思いまして拙文を公開する次第であります。


【オーケストラリア】

高田馬場から山手線に乗ったら、フルートを奏でている高校生らしい女性がいた。「今朝、私の家の庭に咲いた花は何でしょう」と彼女の楽器は歌った。
「アマリリスではありませんか」と、和装の若い男性が渋いチェロで応える。
「いいえ、いいえ」フルートは控えめなグリッサンドで、もどかしさを表現する。
「きっとそれはライラックね」と、魔法使いのような高齢の女性が枯れたヴィオラで甘すぎるヴィブラートを奏でる。
高揚した気分で俺もヴァイオリンを構え「スミレでしょう」と、やってみる。
フルートは「その通りでした」などと、ふざけたような、嬉しそうでもあるような、音階を奏でてくれた。ざまみろっ。
「えー、次はシンフォニア。シンフォニア。お出口は右側でございます」いつもながらタイミングを心得た初老の車掌が、年期の入ったファゴットで告げた。
若いサラリーマンのコルネットが「それって新大久保じゃねーの」とつぶやく。車内に笑いの合奏が巻き起こる。オーケストラリアの首都、東京の賑やかな一日は、こうして始まる。

©吉川邦夫 2004