吉川邦夫 超短編集3

【敵性音楽】

予報が当たってドーヴァー海峡は快晴になった。天気が良すぎて上昇気流が気になる。海岸沿いは風が強すぎて条件が悪いから少し離れた位置で、と顧客を納得させたボスに感謝しよう。ただし本番が終わってから。
「キャッスル。準備完了した。エンパイアどうぞ」
「エンパイア準備完了です」間を置かず、明瞭なアメリカ訛りが耳に飛び込んでくる。
「了解。ギャラクシーどうぞ」
「ギャラクシー、OKです」若いパイロットだが落ち着いた声だ。
「キャッスル了解。最後のコースに入る。時刻、コースとも予定通り。以上」
機首を海岸に向け、計器を睨みながら高度と速度を合わせていく。まばゆいほど青い空と海の間に白亜の断崖が見えはじめ、それが大きくなるにつれて、崖の上に草原の緑が広がっていく。気流による上昇は計算に入っている。リハーサルよりもスロットルを開き加減に。よし、大丈夫だ。プロペラの回転数も完璧だ。うまくやって顧客を喜ばせてやろう。
その進路の先、誰もいない朝の牧草地のど真ん中に、皮張りの安楽椅子が一脚だけ置いてある。そこに座っている男が顧客だが、百歳も超えたかと思われる白髪の老人だ。家系を示すキルトを膝に掛け、髭の間に古色を帯びた大きなパイプを銜えている。その頭上、300フィートの高度で、双発戦闘機キャッスルが通過する。その僅か上をエンパイア、さらにその上をギャラクシー。この瞬間のために再現された3機のメッサーシュミットBf110だ。排気が描く直線が、120度の角度で交わり、離れて行く。しかし老人は空を仰ぎもせず、目を閉じている。彼が聴いているのは、遥か昔、少年の日々に聴いた音。どうしても忘れられなかった和音を、もう一度聴くために、彼の半生は費やされた。爵位も広大な領地も売った。愚行か。非国民か。いずれにせよ彼が聴きたかった音楽は、いま終わる。


【妄想竹】

我輩は竹である。名前はまだないどころかたぶん永久にない。固有名詞で呼ばれることなどa prioriに断念せざるを得ないところの無名性のイネ科常緑植物である。幹の中がからで節があり弾力に富みまっすぐ伸びる。主にアジアに産し種類が多い。松・梅と共にめでたい植物とされ風雅の友ともされる。このへん岩波国語辞典を引用している。もっとspecificに叙述するならば我輩は竹製品である。もとは竹という植物だったが人間の手によって加工されある種の道具となって永遠とは言わないまでも生物としての寿命を超越して存在し続ける器具的実存として自他共に認識されている。しかり我輩は物干竿である。であるけれどもしかしそのように名前を与えられ定義されて満足できるほど我輩の存在は単純ではなく竹的存在としての我輩はいわば一人のジプシーがジプシーと呼ばれる共同体の根茎の一部であり一個の脳髄が人類と呼ばれる根茎の一部であるように竹と呼ばれるグローバルな超国家的アジア的温帯生命の根茎の一部なのである。その我輩を腹が減ったからといってノコギリで切断し長時間圧力鍋で煮てはならない。警告するが、そのような行為は忌避されるべきだ。かかる高熱と高圧を与えられた我輩は煮えてしまうであろう。我輩は食われてしまうであろう。我輩は竹である。しかし考える竹である。熱い熱い。煮てはいけない。我輩は苦しい。我輩は死ぬ。

©吉川邦夫 2004