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INDEX of ふくろう通信II

今回から、NIFTY HPより先にこちらに掲載します。
022 [97/04/05 1:14] 墓場のふくろう/ふくろうと雄鶏
023 [97/04/21 1:20] 墓場のふくろう/TrainspottingとToilet Training
024 [97/05/03 0:49] 墓場のふくろう/語りの位置について
025 [97/05/20 2:15] 墓場のふくろう/記憶の回復
026 [97/05/25 0:54] 墓場のふくろう/不履行の契約関係
027 [97/05/25 1:34] 墓場のふくろう/動く書斎
028 [97/05/28 22:21] 墓場のふくろう/声の届く場所について
029 [97/05/30 23:10] 墓場のふくろう/泣くということ
030 [97/06/04 22:09] 墓場のふくろう/うなぎの刑期について
031 [97/07/13 1:35] 墓場のふくろう/ひとりごとの交信
032 [97/07/19 0:15] 墓場のふくろう/ヒューマンインターフェース
033 [97/08/04 1:26] 墓場のふくろう/中央線について
034 [97/08/06 21:30] 墓場のふくろう/そんな昔の話じゃない
035 [97/08/20 01:23] 墓場のふくろう/反復強迫
036 [97/08/26 01:09] 墓場のふくろう/ヒューマンインターフェース2
037 [97/09/21 23:50] 墓場のふくろう/転居
038 [97/09/22 00:36] 墓場のふくろう/消しゴムについて
039 [97/09/24 22:55] 墓場のふくろう/ヒロシマわが愛
040 [97/10/05 23:45] 墓場のふくろう/身体が移動する


本文

022 [97/04/05 1:14] 墓場のふくろう/ふくろうと雄鶏

 先日、大阪大学で発達心理学会があり、中内敏夫氏と松岡悦子氏が公開シンポジウムで話題提供された。 そこで述べられたいくつかの話題には、あえて要約すれば、今日意図的に行なわれている近代の産物である「教育」やそれによって促される「発達」の概念の陰に忘れ去られてしまったものへ、まなざしが向けられるべきであるという主張が含まれていた。
 質問に立った古澤頼雄氏は、それでもなお、それらの意見には、中内氏自身も述べている「歴史研究は未来を見通すためにある」という主張の「未来」への提言の部分が欠けているのではないか、という旨の指摘をした。
 これまでわれわれは人間とりわけ子どもを、いろいろと眺めまわしてきた。しかし、大切なことはその生活の世界にさらに関与し、そこに新たな生活の場を作り上げることに関与することでもあるのだろう。それによってはじめて「研究対象」はその生々しい姿を現わすことになるのかもしれない。
 それにしても、私を含め、相対的に若い研究者からそのような意見が出ないのはどうしたことだろう。実験室の研究対象から見い出される資料も尽きて、「たまごっち」の養育者的な位置からモデルを作ることに専念しているのだろうか?...といつもながらのあいもかわらぬ評論家的な感想。


023 [97/04/21 1:20] 墓場のふくろう/TrainspottingとToilet Training

 乳児の死を前に泣き叫ぶ母親という構図は、多くの映画のシーンで使われるものであるにもかかわらず、Danny Boyle監督、"Trainspotting"で描かれる乳児の死を前にした母親の号泣には、なにか内向的なものがあった。おそらく母親の感情を「共有」し代弁していた主人公Rentonの唯一の行動が「ヤクをやる」であったように、殆どが暗い室内で展開される、進歩のかけらもないプレイバックの繰り返しのような場面は、自己を不安から如何に守るかに向けられている登場人物たちの拠り所なき心理を的確に表現している。一体、この映画のどこに世代間のギャップなどという健全なものがあるだろう。
 終始、床すれすれの位置にカメラの視点が置かれ、「生活」を感じさせない部屋のなかの唯一の家具であるベッドはマットレスのまま床に投げ出されている。これは床に放り出され這いずり回る乳児の視点への退行である。われわれはいつの間に、食べる、寝る(睡眠とsex)、排出するという基本的な生活の行為までも奪われてしまったのであろう。それはもはやビデオの中にしか見い出せないのであろうか。
 私にはベッドに横たわる幼児の死体の表情と、ラストシーンで画面をはみ出るほどに過度に大映しにされたRentonのにこやかな表情が二重映しになってしょうがないのである。それでも若者は元気に走り続ける。おそろしいものである。


024 [97/05/3 0:49] 墓場のふくろう/語りの位置について

 十字架の上に釘づけにされた死体を、われわれはなぜ日々眺めて過ごさなければならないのか。見て見ぬふりを決め込むことも可能だろうし、単なる日常の風景の一つにしてしまうこともできるのかもしれない。しかし、子どもというものは正直である。痛ましい場面を直視し、痛がっていればそれを助けてあげようとする。他人を助けることで、自分の心の安らぎを得ようとしているかのようでもある。Luigi Comencini監督のMarcelino Pan y Vino(マルセリーノ パンと葡萄酒)に登場する屋根裏部屋のキリスト像は母を失った少年の傷ついた心の象徴でもあるかのようだ。この映画では主人公が自分自身の物語の語り手として登場する。マルセリーノはどのような位置からわれわれに語りかけているのであろうか。マルセリーノを見送って地上に取り残され、呆然と立ちすくむ修道士の心境で喧騒の梅田駅に向かった。
(原作者のJose Maria Sanchez Silvaの作品で「さようならホセフィーナ」という物語があった。自分の空想の世界に生きている鯨の体内に乗り込み、旅をする少年の話しである。鯨との別れを機会に少年は成長する、というストーリーであったように記憶する。小学校のころに愛読した本である。)


025 [97/05/20 2:15] 墓場のふくろう/記憶の回復

 ここ数日、帰り道に山手幹線沿いを歩いていると、何か懐かしい気分がするのでどうしたものかと思っていた。どうやら、本山第二小学校と本山中学校の校舎が出来始めたことが原因らしい。以前は街路に面した大きな樹木の向こうに古びてはいるが落ち着いた気配を漂わせる校舎が南側(海側)の視界を遮るように建っていた。これらはいずれも地震で全壊し、取り壊されてしまった。だから、なにかその空間が、ぽっかりと抜け落ちているような感覚で、いつもその前の道を通り過ぎていたのだった。
 普段、なにげなく通り過ぎて行く街並みも、われわれを静かに支えてくれているらしい。街の回復は私にとっては記憶の回復でもあるようだ。ただし、記憶の回復は、同時に構想をも含むものでなければならない。
 雨もよく降る今日この頃、六甲山は青々としている。


026 [97/05/25 0:54] 墓場のふくろう/不履行の契約関係

 「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること。」おそらく何十万何百万という人々が、この言葉を復唱しながら、みずからの置かれた現状の困難さをあらためて認識させられてきたに違いない。また、占有と所有の本質的な違いの指摘を読んで、人と人、人と物の関係についての認識を新たにし、それに安住してしまった人達もいるはずだ。The internetによりすべての人々が実質的に結び付くことのできる条件が物理的に(のみ)整備されつつある今日のこの国で、私もここで、このルソー(Rousseau,J.J. 1712-1778)の言葉を復唱し、未だ不履行の課題を確認し、嘆息することにしたい。
(ルソー「社会契約論」桑原武夫・前川貞次郎訳 岩波書店 を講義準備のために読んでいて。)


027 [97/05/25 1:34] 墓場のふくろう/動く書斎

 東西線が開通して2ヵ月ほど経つが、自宅と仕事部屋の行き来に利用する。最近、京橋と摂津本山を乗り換えなしでつないでくれるこの線を利用するメリットは、そのことだけではないことが判明した。
 阪急で梅田に出てしまうと、必ず紀伊国屋書店に寄ってしまう。寄ったが最後、長い時は1時間以上、ここで過ごしてしまうのである。それだけそこにいると、魅力的な本に出会ってしまう。あまり浪費しないタイプだと自分では思うのだが、それを本の購入で補償しているらしく、自宅も仕事部屋も足の踏み場がない。「読みたい」本が山のようにあるのはわかるのだが、「読めない」ことがいま一つ理解できていない。バンヴェニストの「一般言語学の諸問題」が2冊も本棚にあるのに気づいて、我ながら危機を感じたこともある(高いのだ!)。読みの速度がついて行かないのだ。本が積まれて行く。だから、重複して買ってしまう。
 東西線は空いている。特に休日の夜など、京橋から摂津本山まではゆったりと座って読書が出来る。途中、書店の誘惑に駆られることもない。
 言うことなしだと思ったら京橋に駸々堂書店があるのを思い出した。四条畷あたりまで乗らねばなるまい。


028 [97/05/28 22:21] 墓場のふくろう/声の届く場所について

 ファミリーレストランでの朝食は、岡本のカフェと異なる雰囲気がある。車で乗り込むことができるということも、その大きな理由なのだろう。20代前半の男性が、向かいに座った女性に、自分から離れてゆく気持ちを何とか引き留めようと、言葉巧みに説得を試みている(つもりでいる)。その向こうでは、突然けたたましく鳴りだした携帯電話に、営業で現地に向かう途中という風情の男性が、大声を張り上げている。対話の相手の声が聞こえてこないという点で両者は共通している。
 その日の夕方、ある食堂で、夫人とおぼしき人を相手に、おそらくは夫人が理解することがほとんど無いであろう話題を、大声で独り言のようにまくし立てている男性をみた。同席していた子どもは、会話に割り込もうとして、果敢な試みを繰り返したが、それを遂げることができずに動揺して食器を落としてしまった。
 はたして、これら男性は誰に話しかけていたのであろうか?少なくとも私は、しっかりと聞いていたことになるのだろうが。


029 [97/05/30 23:10] 墓場のふくろう/泣くということ

 Robert Cullen原作の"The Killer Department"(「子どもたちは森に消えた」という邦訳で早川書房から訳本ありとのこと)を映画化した、Chris Gerolmo監督・脚本の"Citizen X"(邦題「チカチーロ」)を観た。重厚な音楽を背景にして、ロシアの地(ロケはおそらくハンガリー?)で繰り広げられる、52人の連続殺人犯の捜査の物語である。
 52人という多数の人間を死に追いやった気弱な殺人犯人と、恐らくは、それとは桁違いに多数の人民を真綿で締め上げてきた官僚制の、各々の犯罪が明らかにされてゆく。
 犯罪を短絡的に社会問題に還元してしまうこともなく、並行して描かれるこの二つの犯罪捜査の過程で、捜査員の主人公ブラコフは、何度かにわたって涙を流す。おそらく、拠り所の無い無念の涙というのはこういうものをいうのであろう。独力で如何ともしがたい力の前で、人間は泣くしかないのであろうか。
 しかし、これも案外な力を生み出すこともあるのではなかろうか。彼を取り巻く、一見素朴で無能であるかにも見えた脇役達が、彼の誠実な行動に地味ながらも協応してゆく描き方には静かな感動を覚える。最後に市民から送られる拍手の意味するものは、52人という殺人者が逮捕された喜びの表現ではなく、彼の流した涙への共感の表現なのかもしれない。
 姿無き殺人犯にいまだ怯える神戸の街にて


030 [97/06/04 22:09] 墓場のふくろう/うなぎの刑期について

 今村昌平監督「うなぎ」(1997年度作品)のなかで、不貞に及んだ妻を殺害した過去を持つ主人公が、殺しの場面を回想して話す場面がある。「忘れようとしたが、この手が覚えてる。骨にはじかれて肉をつき刺す包丁の感じや、内臓をえぐった時の生暖かい拳の感じは忘れられるもんじゃない。(シナリオより)」人間の人体は粘土のように均一な物質ではないことは分かりながら、映像に依存した生活では、この感覚がつい忘れ去られてしまう。人殺しという特殊なかかわりの在り方に限らず、対人関係というものは常にそのような臨場感の中で進行するはずのものである。映像の可能性が追求される映画というメディアで<ことば>がこれほど臨場感を醸し出しているのは、映像=鑑賞するという姿勢、がまさに「人間粘土説」(!?)を主導してきた報いかも知れない。
 妻の作った弁当を持って、黙々と週末の夜を、魚を待ちながら過ごす生活を続けてきた彼にとって、妻の過ごす時間はこれまた同じく、均質なものであるべきであったに違いない。おそらく、この夫婦は給与明細と弁当箱によってかろうじて物質的に交換関係にあったに過ぎなかったのではなかろうか。嫉妬から殺人に及んだこの事件は、彼が始めて妻のリアルな存在を感じた瞬間であったはずだ。その意味で、彼の第二の女性にたいする感情移入には、過度ともいえるものがある。主人公が、自分の捕まえたウナギをおとなしく水槽の中に閉じ込めて均一の日々を強いることを放棄して釈放した時、おそらく彼は、残りの刑期を終えることの意義を見いだしたに違いない。「日本昔話」のような環境が、それを支えたことはいうまでもない。


031 [97/07/13 1:35] 墓場のふくろう/ひとりごとの交信

 「見せかけの姿ではなく、ほんとうの君を知りたい。魂の奥を覗いてみたい」という主人公の男性は、もう一人の主人公である女性の身体を、最初は眺め、次にはいたぶることを通じて、その目的を達しようとする。はたして、彼はそのような目的を達しようとしたのだろうか?あるいは「覗き見る」ことで満足してしまったのか?
 人間関係における深みの探究、本当の他者の発見は、ただ相互的関係の深化なかでこそ可能であるとするならば、即ち他者を操作し、他者から操作される関係ではなく、「操作」のなかで「操作」される関係が実現されることで始めて可能になるとするならば、最初から女性に対して文字=書き言葉を通じて「命ずる」ものとして登場せざるを得なかった男性の意図が、具体的行為の次元で崩れ去らざるを得ないのはある意味で必然である。
 電子メールのやり取り関係には、時間的に完全な住み分けが成立している。互いに孤立し、自律した情報単位が、整然たるturn takingの実現をつうじて交信される。互いにふれあうことは許されず、他者の介入できない「私」のメッセージが相手に突きつけられる関係を維持しつづけることが出来るのである。
 空間性すなわち身体性が消去されることにより、見かけ上の親密なるコミュニケーションが維持されるようでいて、電子メールはいつまでも他者を寄せつけない特殊なコミュニケーションの様式である。郵政省メールは到達時間と筆跡と封書や葉書により、身体の独立性が維持され、それゆえ、融合関係の幻想には抑止がかかっているのと、それは対照的である。
 彼は、内面に空虚感を抱え安定した存在を求めながら、その一方で男性という存在を受け入れることの出来ない女性と電子空間で出会ってしまった。物ではなく互いの自己を受け入れ与えるということを主体的に性行為のなかで担うことの出来ない二人は、ネットワーク上での文字のやりとりで感じられた「相互的」なコミュニケーションの幻想のなかで結び付くが、身体がかかわりはじめるや、その関係はたちまち醜悪なものになってしまうのである。
 電子的ネットワークは思いやりはないが論理的である。彼女の「別れたい」=「物理的存在を消去したい」という思いは男性の身体の消去によって達成されたかもしれない。しかし、ネットワークという絶対的存在に"BYE"を告げてもそれは受け入れられず、エラーメッセージが発せられ、無慈悲に無視されてしまうのであろう。その意味で本書の最後の文は、"NO CARRIER"ではなく、"The command is not accepted"でなければならない。彼女は電子メディアの牢獄につながれたままである。
(アップル・ジャム 山川健一著 中央公論社刊)
付記:NECのACOSは"BYE"を受け入れてくれる。しかし彼は"BYE"と応じてくれないのだ。


032 [97/07/19 0:15] 墓場のふくろう/ヒューマンインターフェース

 ゆきつけのダイエー摂津本山店で小さなパッケージの杏仁豆腐1個を買い求め、部屋に戻って容器を開こうとしたら、中のシロップが噴出して、あたりをシロップ漬けにしてしまった。後日、再び同じ品物を購入し、今度は気をつけねばと、まずフタの把手を覆っているカバーを取り外そうとしたら、把手の部分も引っ張ってしまい、再びほぼ同じ場所をシロップ漬けにしてしまった。おそらく、同様な取り扱いで、シロップ漬けになった部屋が、この近辺でもかなりあるのではないかと想定される。
 一般に、このての製品を開発する際には、そのような物が利用者にとってもっとも快適に使用できるように設計されるはずである。その意味で、この容器は失格である。
 しかし、今日、その同じ製品を購入はしなかったものの、帰り道でそのことについて真剣に考えてみた。おそらく私は後日、また同じ製品を買ってしまうであろう。それは、その容器に対する一つの構えが出来上がったこと、それによって過ちは二度と起こさないという確信が芽生え始めたこと、が理由であり、その杏仁豆腐の味がさほど悪くなかったことにもよるのであろう。
 われわれは既に、「角をつかむ」ことでジュースや牛乳の紙パックという難儀な存在を受け入れ、牛乳噴出の事故を抑えてきた。それには「牛乳パックづかみの奥義」の伝授が世代間伝達として定着してきたという事実もあるのかも知れない。人と物との関係はただ波風立たない関係の中で安住しているのでもなければ、人と物という二項でのみ成り立っているのでもないのであろう。人と人の関係はなおさらであろうが。


033 [97/08/04 1:26] 墓場のふくろう/中央線について

 宮沢和史というミュージシャンの曲に「中央線」というのがあって、「君の家の方に流れ星が落ちた」という一節がある。おそらくこれは夜の光景で、下り方向を指しているに違いない。
 東京という街の懐の深さは、群馬の県境の山中にまで及ぶことを以前思い知ったことがあるが、まあ、そんなに郊外まで出てしまわなくとも、杉並区以西になると、かなり落ち着いた郊外でありベッドタウンであり、家庭というものの方向ではあるのだろう。
 一方、友部正人の「一本道」という歌には、「ああ、中央線よ空を飛んで、あの娘の胸につきさされ」という一節がある。これは市ケ谷から神田辺りの上り方向を想定したものに違いない。「ふと後ろをふり返ると、そこには夕焼けが」あるのだから。都心の街に「あの娘」を重ねるところに、街へのアンビバレンツな感情を読み取ることもできよう。
 ところで、これら二つの曲の制作年次には10年以上の開きがあるはずにもかかわらず、この両者に同時性を感じてしまうのは、「君」や「あの娘」が描かれているからではない。これらメッセージを発する「私」の居所がつかみきれないのである。それとも、彼らはずっと電車に乗り続けているのであろうか。
 (と、昨日、吉祥寺の中道商店街を独り歩きながらふと考えた。)


034 [97/08/06 21:30] 墓場のふくろう/そんな昔の話じゃない

 歩道を歩いていると街並みを眺める視角が狭められて、街の風景というものをゆったりと捉えられない歯痒さを味わうことになる。先日、日曜日の夕方、秋葉原の中央通りの「歩行者天国」を歩きながら、足が道路の真ん中を拒絶しているのを感じた。主人公が車である東京の街で道路の中央を歩こうという姿勢が無意識に抑圧されたのであろうが、ぶらぶらと好き勝手に歩いているようで、街の運動原理に忠実に従っているおのれに恐ろしさを感じてしまった。
 そういえば、地震の際も、バイクは歩道を走ったが、人が車道を通るということはついぞ無かった。多量に、迅速に物資を、そして人を運んでくれる交通機関が優先されたがゆえであることには違いなかろう。車道は通過地点であり、そこで出会いがあったり、会話があってはならないのであろう。
 私にとっての青春時代、Hiroshimaの街を、それも歩道ではなく車道の上を、機動隊のおじさんと話しながら歩いたのを思い出す。おそらく道路の真ん中を胸を貼って歩くことのできる数少ない場所がHiroshimaであるだろうし、まだ当分のあいだは、Hiroshimaであらねばならないのであろう。
 「Ground zero Hiroshima そんな昔の話じゃない...」(白竜 "Third")
 (NHKラジオで韓国人被爆者の話題を聴きながら)


035 [97/08/20 01:23] 墓場のふくろう/反復強迫

 それは、甥のパソコンを触りたいという言葉に乗ってしまったことから始まった。
 実家の部屋の隅に歴史的遺産として置かれていたPC286、知る人ぞ知るPC9801のクローンだが、これを隣の部屋のテーブルの上に移して、使ったことの無かったゲームソフトを手当たり次第動かしてみたのである。このクローンは知人からもらい受けたもので、ゲームソフトもその時おまけでもらったものである。
 その中に"Sim City"があった。昔、Macで一世を風靡した都市シミュレーションソフトである。
 初めは甥がマウスを手にしていたが、それはいつしか私の手に握られ、二人の甥に囲まれて、街の予算建て直しに躍起になっている自分を見いだした。
 彼らが帰ってからも、昼から夜にかけて、ディスプレイに向かってしまった。ゲームでこれだけ時間を費やしたのは初めてであった。知らぬ間に、街を拡張しなければと自然に手が動き、時には税を吊り上げ、突然の地震で破壊された街を無心に修復していた。街全体の機能を円滑に維持するには、調和を保ちながら徐々に成長させてゆく必要があるという強迫的な思いがそれら行為を支えていた。
 カオスの支配するこの神戸の仕事部屋に戻って、積み木で作り上げた立派なお城を、ためらいもなく崩してしまう子どもたちのこと思い出した。
 「繰り返し 繰り返してキミは誘うよ...」(平沢進 "Sim City")


036 [97/08/26 01:09] 墓場のふくろう/ヒューマンインターフェース2

   「人にやさしい」=「人をだめにする」インターフェースとして、岩谷宏氏はアイコン方式のGUIを徹底的に批判する(「パソコンを疑う」講談社 1997)。氏は一貫して「文字型言葉型インターフェイス」の利点を主張する。
 確かに、私がNECのDOSマシンであったPC98LTを愛用していたからこそ、Macintoshの良さが「理解」できたのだ、と今になって感ずることもある。そのパソコンはPC9801とさえ互換性がなかったので、グラフィカルなソフトはなく、文字キャラクタで動く「テトリス」がせいぜいグラフィカルなものだった!そこで文字のコマンドを打ち、ディレクトリ間を移動した経験は、Macの「フォルダ」をいかにも「リアル」なものに感じさせた。
 初めからMacintoshに触れた人のファイルの階層構造に関する理解のお粗末さにはすさまじいものがある。文書ファイルをクリックしさえすればアプリケーションが起動する今のシステムでは、自分の情報とあらかじめ内蔵されているプログラムがどのように保存され管理されているのかに関する理解が阻害されることもあるかも知れない。
 しかし、今日Visual Cafeを使いながら、人工言語の学習という「獲得」のプロセスにとって、グラフィカルな側面があながち軽視されるべきでないという感想も一方で持つようになっている。
 マルチメディアの時代というのはそう一筋縄では行かないようだ。やはり、杏仁豆腐は開封しやすいほうが心地よく、また杏仁豆腐についてじっくり把握・堪能する機会を与えてくれるときもあるのだ。


037 [97/09/21 23:50] 墓場のふくろう/転居

神戸の仕事部屋の引っ越しをした。
面積が2倍になっただけで、ずいぶんと気分が変わるものである。
といっても、以前の部屋は朝の11時以降は日光が差し込まないような部屋だったから、
これは至極、当然といえば当然であろう。
普段はあまり気にかけていない無駄な空間というものも、生活にとっては必要なこともあるものだ。
蟹の横這いをせずとも部屋の中を移動できるのがこれだけ心理的に解放感を与えるものか、と驚いた。
以前、毎朝実行していた体操(我流)を再び復活しようかとも考える。
冷蔵庫の導入に関しては当分保留することになりそうだ。
フィルムの保存もできると推奨してくれる人たちもいるが、残念ながら私にはそこまで凝った写真の趣味は無い。
最近はいろんなものが冷蔵庫で保管されているらしい。
ずっと変わらずに残しておきたいものならば何でも、冷蔵庫で保管できるのなら考えないでもないが。


038 [97/09/22 00:36] 墓場のふくろう/消しゴムについて

冷蔵庫で思い出したことがある。
消しゴムの話だ。
小学校のころ私は消しゴムが「ものを消すことができる」ということに思いをめぐらし、
「もしや、これで人を擦ったら、その人は消えてしまうのではないか。」とふと思い付いて、
すぐさまその不可能性に思い至り、消しゴムが「消す」ということの意味について理解を深めたことがある。
しかし、現実は思いの外に進んでしまったらしい。
メディアの中で消すことができるものは、現実にも消してしまうことができるのである。


039 [97/09/24 22:55] 墓場のふくろう/ヒロシマわが愛

以前、広島に来るとよく立ち寄った食堂に行こうと、夕方、八丁堀付近まで散歩して歩いてみた。
残念なことにその店が消えていた。
もしかしたら、通りをひとつ間違えたのかもしれない。
そこでの食事はあきらめる。
記憶とは曖昧なものだ。
そのうち、気がついたら原爆ドームも消えているかもしれない。
まだ幼稚園にも行かぬころ、家族で訪れた広島で、原爆ドームは広島の象徴であった。
しかし、町中にたつ現在の原爆ドームは世界平和の象徴へと抽象化されてしまった。
近くにはこぎれいなフランス料理店やらが店を並べる。


040 [97/10/05 23:45] 墓場のふくろう/身体が移動する

第1日
KCATで関西空港に向かう途中、反対方向に走ってくる同型の船に出会った。
おそらくこの船もあのように、飛ぶように走っているのだろうと思いながら、
いつも人を前にして、「他人は自分の鏡になるのです」と話していたことを思いだした。
しかしあまり鏡を見ている気持ちにならなかったのは、おそらく、私が船に感情移入できないからかもしれない。

夜のバス便で千歳から東室蘭駅南のバスターミナルに着いた。
中学のころ、父と2人で旅行してこの駅を通過したのを覚えている。
学校では室蘭を製鉄業の街と学んだ記憶がある。
駅前に大きな製鉄所のようなものがあったような記憶が残っている。
もちろん、それが駅前だったかは正確ではない。
今その建築物が残っているのかは知る由もないが、
ホテルまでの道にコンビニエンスストアとファーストフードの店があるのだけは確かなようである。
いつものヨーグルトを購入してホテルで賞味する。
おそらく死ぬまでこの街を二度と訪れることはないのだろうが、せっかく訪れた街なのだから何か興味深いものを発見して帰ろうと思う。
最初の収穫は、深夜のバスターミナルで道を教えてくれた親切なおばさんと、愛想のよいホテルのフロントのおじさん、そして午後11時以降は使えないホテルのユニットバスだった。

第2日
朝起きて、ホテルの窓から前方を眺めると、記憶にあった前述の工場が遠くに見えた。記憶がよみがえって少なからず感動。
ミスタードーナツでいつもの朝食。
午後の雨の降り始めた、だだっ広い体育館の会場でPowerPointをクリックしながら超早口で報告。それでも制限時間ぎりぎりで質問の時間がとれず。
私の生の声で報告できたことが、ここまできて出席した意味だと考えると悲しい。
夜は知人たちと3人で、北海道の地図を拡げながら、唯一旅行気分の食事。旅というのは必ずしも新しい場所を眺め回し、未知の人に出会うことだけではないのであろう。明日の観光を2人に託す。

第3日
早朝の室蘭東口バスターミナルには旅行に向かうおばさんたちとビジネスマンらしき男性2名。そしてパソコンを抱えた怪しい男性が1名。ISDN電話からメールを確認する。東京とU.S.A.からのメール。私はなぜ北海道にいるのか。
神戸に戻る。岡本で昼食の後、近くの「生活文化センター」で茂山一門の狂言の会を観劇。「千作さんは先代に似てきたなあ」などと年寄りじみた感想。早朝4時30分に起きて移動してきた甲斐があった。何となく充実した気分で、大きな鞄を抱えてそろりそろりと帰宅。


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