自己の哲学の深耕(事例)
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 1.真言密教との出合い
    会社時代から仏教と仏像に関心があったが、突っ込んで学習したのは朝日カルチュアの
   「暮らしの中の仏教」という講座で、真言密教の教義と空海の世界観に触れてからで
   ある。
   八田講師の原典に基づく学究的な講義の虜になり、講義の進展につれ神仏習合から神々の
   世界へ、そして中国や西洋の思想との比較へと自然に関心が向いていった。
   世界観の再構築の必要性を痛感するだけでなく、東洋思想と西洋哲学、それに日本の思想
   と文化につての関心が高まり、自己の哲学を再構築するキッカケとなった。。

 2.仏教から西洋哲学へ
    仏教の理解には、伝来のルートを辿って歴史的な流れを把握するだけでなく、インドや
   中国の文化や思想を理解する必要があった。そのため老荘思想もかじって見た。
   八田講師から仏教と西洋思想の思想的な類似点を学んでいたので、仏教から西洋哲学へと
   関心が向き、西洋の哲学史の学習へと発展した。
   キリスト教へ向かなかったのは、宗教を信仰の対象とせず学問的に理解しようとしたため
   か、家の宗教が浄土真宗であったためなのか、判然としない。

 3.日本の思想に学ぶ
    西洋哲学の学習方法は、空海の世界観のように特定の人の思想を勉強するというのでは
   なく、思想史から入った。
   その為、概括的な理解と誰々がどう言ったという理解に終止した。
   奥行きの深さを感じる。西洋哲学の学習はそれ自体の理解よりも、自己を見つめ直し、
   自己の人生観や存在を考え直すキッカケとなった。自己の存在を知るため日本思想を学ぶ
   ことにした。
   日本の思想史の学習の中で、日本古来の神々の世界、奈良時代以来の仏教や中国思想の
   影響と文化の進展、加えて西洋思想の導入による近代化など、これまでの学習が一つに
   収斂していく想いがした。

 4.死生観へ
    自己をみつめるという自己の哲学の深耕は、最終は宗教の問題となり死生観の確立へと
   向いた。
   日本の宗教は家の宗教であり、個人のものではない。
   世界観を開かせてくれたのは、家の宗教である浄土真宗ではなく、真言密教であった。
   あまりにも世俗的なりすぎた在家の宗教に背を向けての旅たちであったが、
   自己の哲学を考え、死生観にいきつくようになって、自分の思想の中に忽然と阿弥陀仏が
   現れた。
   死の先に浄土へと導いてくれる阿弥陀仏としてではなく、生の先へと還元し生死を超えた
   世界へ導いてくれる仏としての阿弥陀仏の認識である。

   神仏は共に生きて行く上で必要であり、崇めるものであると思う。