「私の自然:古都鎌倉の自然」

−−−鎌倉は東京の近くにありながら、フクロウやオオタカのいる自然が残っています。しかし現在、地価が値上がりする中で、大きい影響を受けようとしています。その現状について、今朝は高校生の頃から15年にわたって鎌倉の自然を見つめてこられたナチュラリスト、岩田晴夫さんにお話をうかがいます。

−−−岩田さんが世話役をしていらっしゃる自主探鳥会グループ、これは毎月第2日曜に決まったコースを歩いていらっしゃるとうかがいましたけれども、何人位の方が参加なさいますか?

『毎月、日によって違うんですけれど、多いときですと、例えはバードウィークなどですけど、そのような時は50人ぐらい、あるいはもう少し多いときもあります。それから真夏の非常に暑いときですね、こういう時はやはり皆さん海の方へ出かけますので、10人から15人位という場合もあります。』

−−−コースはどういう所を?

『コースは、鎌倉へいらっしゃる方は大体表口の八幡宮の方へいかれると思うんですけど、まぁ、我々江の電側なんて呼んでますけど、そちらの出口からまっすぐ市役所の方へ歩いていただいて、それから山の間を・・・我々谷戸と呼んでますけど、その中を、民家の間を縫うようにして歩いております。
で、最初に行き着く場所は、佐助稲荷という、銭洗い弁天の近くなんですけど、頼朝ゆかりのお稲荷さんの所で鳥を観ます。それから、大仏ハイキングコース沿いに源氏山公園の方へ入っております。』

−−−名前は探鳥会ですけれども、鳥だけではなくて自然一般をご覧になると。

『もともとは我々、日本野鳥の会というところで活動しておりますので、鳥が中心なんですけれども、やはり鳥だけというのは、自然のごく一部を観ることになりますので、鳥を中心に観ながら、当然鳥が食べている虫とか、植物の実とか、花から虫から、自然全般に目を向けております。』

−−−すると、同じコースを毎月一回歩いていらっしゃるというと、鎌倉の自然の移り変わり、あるいは環境の変化、こういうものもはっきりとお感じになることができるわけですねぇ?

『一年間ずっと通して観ておりますと、もちろん冬は寒いですし、春は青葉がきれいな時期、色々あります。同じコースを歩くことによって、四季の変化を肌で感ずることができると思います。しかも気の知れた仲間と一緒に歩きますと、自分一人の眼というのはどうしても限られたものしか観れませんけども、いろんな感受性をお持ちの人と歩きますので、自分で発見できない新しいものをどんどん々観られる、という自分で発見するという楽しみ、人と一緒に新しい発見を共感するというか、そういう楽しみも含まれてくるかと思います。』

−−−これは何年くらい続いているんですか?

『おかげさまで、12年ちょっとになります。』

−−−その後、第4日曜に別なコースを歩くことになさった。これはどういうねらいがあるんですか?

『第4日曜をやりはじめたのは、第2日曜の場合には、源氏山公園という、いわゆる観光客ずれしたところですけど、自然観察する場合、大人数になる場合がありますので、大勢で訪れても、それほど自然に対してインパクトの無いところ所ということで、最初に選んだんですね。ところが第4の方はどうかといいいますと、今、たまたま、市の方で鎌倉中央公園というのを計画しているんですけど、そこの予定地になったところで、・・我々なるべくそこに入らないようにしていたんですが・・、逆にそういう開発計画が持ち上がりましたものですから、基礎的な自然のデータというのが必要になります。ほかに熱心にそういうところで調査される人がいないものですから、我々が中心になって観察を続けることによって、自然のデータを残しておこう、それから行政に対して、色々なアドバイスをしていきたいということで始めたわけです。』

−−−これはいま問題になっている、開発か保護か、ということにも係わってくるわけですね。

『そうなんですね、よく−自然保護と開発−、対峙されるような言い方をされるんですけど、なかなか難しいところなんですが、一般論としてお話すれば、我々の考え方としては、人間あっての自然ですので、いかに調和した開発、・・本来の開発というのは、やはり我々の住環境というのをより良くして、しかも自然とうまく調和するということだと思うんですね。そういう手法を模索していくというか、積み重ねていくということを、我々の活動の目的の一つとしております。ですから普段自然観察しながら、基礎的なデータを蓄積しているんですけど、こういうような行政などの計画がありますと、こちらから積極的に、データを提供しまして、あるいは我々でも気が付くような範囲で、いろいろ計画にアドバイスをさせていただいております。』

−−−鎌倉に頼朝が幕府を開いてからちょうど800年という年ですけど、庶民の暮らしというのはその前からもあったと思うんですね。そういう暮らし方、自然との接し方、そういうようなものを何かお感じになることがありますか?

『非常に感心するのは、昔ながらの・・鎌倉に昔から、幕府以前から住んでいた人達が汗水垂らしてようやく開いた水田なんかが、未だに代々残されているということですね、これに非常に感動いたします。
田圃を維持するためには、当然色々なものが必要になってきます。たとえば、まず水が必要になってきます。ではその水は何処からくるかといいますと、鎌倉には大きな河は無いんですね。よく「やとだ」とか、「やちだ」とかわれますけど、小さな谷戸の、まぁ、小高い丘と考えていただくといいんですけど、そういうようなところの斜面から湧いてくる水を利用しているわけなんです。そういう水が定常的に流れるためには、当然林がないとだめなんですね。林をまず如何に管理するかという工夫が必要になります。
それから、そういう湧き水というのはどうしても低温です。じかに田圃へ引いてしまうと、非常に水温が低いですので、稲の成長が阻害されますので、それを例えば小さなダムみたいなものですけど、溜池を作っておく。その溜池で水を貯めておくことによって、水が常に安定的、定常的に供給されるというメリットと、水温がある程度一定に保てるということもあると思います。水を供給してくれる、そういう林というは、もちろん光合成なんかをしておりますので、間接的には田圃へ栄養素も送ってくれるわけですね。そういうメリットも考えられますね。』

−−−これは稲作を中心に考えたときの一つのシステムですけれども、そのシステムの持っている水とか林とか、あるいは広がった空間とか、そういうものは、人間が期待していない生物の暮らしにも、必要なものであると。

『そういう、いわゆる雑木林といわれている林のことを、お話したんですけれども、雑木林は、水も(そうですが)今の話とともに、昔は今と違ってエネルギーは薪とか炭を使ってましたんで、そういう利用もされていたんですね。逆に人手がうまく加わっているというところというのは、意外に自然が複雑になっている場合もあるんですね。たとえば、自然林、原生林みたいなところというのは意外に、構成というのはパターンが決まってしまって、そこに住む生物というのは決まってしまうんです。むしろ、人間がうまく自然に作用しているところというのは、より多様性のある自然として残されますので、そこに住む生物というのは非常に多くなります。
たとえば身近な我々が昔生き物として愛していた、最近タヌキなんていうものが増えていますけども、タヌキ、イタチとか、かなり大きな動物もたくさんいたんですね。』

−−−鎌倉に幕府が開かれたときに、幕府の責任ある人達というのは、町造りというようなことについて、何か考えていたというようなことはうかがえますか?

『良くいわれることなんですが、鎌倉の特徴として、頼朝が幕府を開かれたときに、一方が海で、三方が山に囲まれている、これは今の我々の価値観とはだいぶ違うと思うんですけども、都市の設計という面から考えてみますと、やはり、自分達が住むところを守る、昔ですと、山城の考え方なんですけど、大きな山城と考えて、その中で自給自足ができるような体制を確保するというような意味で、鎌倉が一番適したんだと思います。
最近は漁師さんは余り居りませんけども、昔、江ノ島に東洋一の大きな海洋研究所があったんですけど、そういうことからも分かるように、非常に魚介類には富んでおりましたので、そういう面でも、やはり食料確保という点では非常に良かったと思います。それから、もちろん有名ですけれども、鎌倉のところには、中国からの貿易をするためのちっちゃな港がありましたよね。そういう意味で海もいまく活用されていたんだと思います。』

−−−環境をできるだけ保全して、しかも、自分達の暮らしにプラスになるものは利用していく、そういう知恵というのは、これからも、というかこれからこそ必要かも知れませんね。

『頼朝達が幕府を開いたときの考え方と、もともとそこに住んでいた人達がいるはずなんですね。どちらかというと、自然とのうまい付き合い方としては、そういう昔からいた人達の方がはるかに歴史もあるし、上手だったと思うんです。
基本的には、やはり頼朝達が幕府を開いたというのは、自給自足するということよりも、むしろ自分達の身を守るというのがかなり優先だったんじゃないかなと思いますね。
昔から住んでた人達というのは、谷戸の地形をうまく利用して、それぞれ適した作物を作り、エネルギー源として、あるいは農作業の栄養や水分の源として、うまく活用されてたわけですね。
飢饉の時なんかでも、こういう林がありますと、たとえばドングリとか、そういうようなものを食べることができますので、非常食としてもかなり役立っていたはずなんですね。』

−−−目的は違うにしても、そういう風にして残されてきた自然の仕組み、これはやはり残しておきたいですね。

『そうですね。また少し話が戻りますけど、我々中央公園計画について、いろいろお話する際に、もう一つの側面で考えているのは、鎌倉で唯一いま自然の状態の谷戸として残っているところ、この自然の状態というのもまたいろいろな尺度があると思うんですが、要素としては、まず、溜池が昔ながらの形で残っていること。昔から今に至るまで、ずーっと水田が耕作されていること。畑があって、当然雑木林があって、ある程度自然林があって、また草原みたいなところ、あるいは湿地みたいなところ、トータルで鎌倉を代表する山里の風景が残っているところとして、この山崎の谷戸ということを非常に重視しているんですけれど。
こういうようなところが、もう鎌倉でここだけになってしまった。最後のところを守っておかないと、例えば20年後、30年後、今の価値観が大きく変わってしまって、鎌倉の昔の自然を取り戻したいって思っても、我々いくら技術が進んでも、・・いま、ホタルがあちこちで守られてますが・・、例えは鎌倉のゲンジボタルを取り戻そうとしても、その種(タネ)がなければ取り戻すことができません。遺伝子を、まぁ、いくらあれしても、たぶん元通り作り直すことはできないと思います。
鎌倉からゲンジボタルがいなくなってしまうのは非常に寂しいですので、そういうホタルだけでなくって、鎌倉の生物、昔からいた生物の種を残しておく、いわゆる遺伝子のプールという考え方ですけど、こういうものの一つの拠点にしたいなと考えております。』

( NHKラジオ第一 1992年1月26日 AM 6:40〜55放送)