第六十一話 菠薐草

アカザ科の二年草で、起源はイランだそうです。東西に分かれて伝播していき、東へは漢代に中国へ伝わり、ペルシア(菠薐(ほうれん)国)から来たので、この名が付きました。

日本へ先に伝わった東回りが在来種の日本ホウレンソウとなり、江戸時代に伝わった西回りの西洋ホウレンソウは、当時は好みに合わず、受け入れられなかったそうです。日本ホウレンソウは葉が薄くて切れ込みが深く、赤い根で味が良く、西洋種は葉が厚く全縁で、根があまり赤くないのだそうで、見分けが付きそうです。とう立ちが遅いので、春から初夏に収穫されるのが西洋種だそうです。現在では両者のハイブリッドが栽培されています。

母は戦中・戦後の食糧難の時代に、家の周りに生えていたアカザを茹でて食べた話を良くしました。決して美味しいものではなかったと言っていたのを思い出します。同じ科とはいえ、いかにも食感が悪そうです。

ホウレンソウといえば、コミックの「Popeye」を思い出しますが、ポパイが登場した当初、ポパイが食べてパワーを発揮したのは、なんとキャベツだったそうです。キャベツでは大きすぎて不自然なので、ホウレンソウの缶詰になったということです。当時はまだホウレンソウの缶詰は市販されておらず、コミックが引き金になって市場に並ぶようになったそうです。ホウレンソウ嫌いな子供への殺し文句「ホウレンソウを食べないとポパイみたいに強くなれないわよ」は、確かに良く効きました。

雑誌「POPEYE」が創刊された頃、ポパイの綴りがpop-eyeだったことに気がつきました。それまで、どうしてpopeyeがポパイと発音できるのか不思議でした。popeyedって「出目」とか「びっくりしてまん丸い目」という意味ですよね。はたしてそうなのか、今でも疑問です??

【学名】Spinacia oleracea L.
【属名】spina(刺)に由来する古名。果実を包む苞に二本の硬い刺があるため。アカザ科
【種小名】食用蔬菜の,畑に栽培の
POPEYE
*写真は大事にしている創刊100号記念号で、26年前のものです。 目次へ

第六十二話 カリン

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

カリンと来たら「きっとこの歌が出るな」と思われた方、さすがです。
宮沢賢治の童話「風の又三郎」の冒頭に登場します。

このカリンは、バラ科の落葉高木で、平安時代に中国からもたらされたそうです。今頃はまだ、黄色い大きな実が成っていることと思います。生では食べられず、カリン酒にはするそうですが、まだ飲んだことがありません。熟した匂いは良いので、美味しいことでしょう。また、輪切りにして砂糖と煎じると、鎮咳、利尿の薬効があり、材は床柱、家具、彫刻に使われます。

東南アジアに産するマメ科のカリン(花櫚)に似ていることから、この名があるそうですが、仏壇などに使われるインド紫檀は、このマメ科の方だそうです。

カリンを使ったお菓子があるというので調べてみると、熊本市・山城屋の「加勢以多:かせいた」は、有名な茶菓として百科事典にも載っています。どんなものかとさらに調べてみると、一度途絶えそうになったものを、かつてこの菓子を幕府へ献上していた細川家からの要望で、熊本の香梅というメーカーが、復元したことがわかりました。

メーカーによると、「加勢以多」の由来はポルトガル語の「マルメロ・ジャム入りの小箱」という意味の「Caixa da Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ)」だそうで、本来はマルメロを用いていたが、熊本には根付かず、実が手に入りにくいため、現在はカリンを使用しているとのこと。

熊本・水前寺公園内の茶室「古今伝授之間」の茶菓子として供される銘品で、ここでしか手に入らないため「お取り寄せ」してみました。なるほど、ほのかに甘酸っぱい、なんとも風雅な味わいでした。一人の職人がかかり切りで、一日30箱(1箱16個入り)しか作れないそうで、これ以上生産を増やす予定もないそうです。

カリンも吹き飛ぶ木枯らしの季節です。お風邪など召しませんように。
良いお年をお迎え下さい。 
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【学名】Chaenomeles sinensis Koehne
【属名】chaino(開ける)+melon(リンゴ)。裂けたリンゴの意で,熟した果実に裂け目が出来るため。バラ科
【種小名】支那の
命名者】Bernhard Adalbert Emil Koehne (1848-1918) 
オトメユリワタスゲ
 カリンとカセイタ

第六十三話 ミカン

明けましておめでとうございます。
今年も、身近な植物について、色々調べてみることにします。
いつまで続くかわかりませんが、おつき合い下さい。

冬は炬燵でミカンと相場が決まっておりましたが、近頃はどうでしょうか?三浦半島はミカンの栽培が盛んで、沢山のミカン園があります。甘いだけのものより、酸味と甘みのバランスが良い地元産・津久井のミカンが大好きです。一般に、ミカンといえば温州(うんしゅう)ミカンを指します。温州(ウェンチョウ)は中国浙江省南部の港湾都市で、ミカンの集散地として有名ですが、ウンシュウミカンの起源は実は日本で、鹿児島に原木があったそうです。中国産のミカンの実生から偶然生まれたと云われています。

普通は花粉が働かず、種なしになるため、初めはこれが嫌われたそうです。気候が温暖だと花粉が働くこともあり、また他の柑橘類の花粉でも受精して時々種有りにも遭遇します。時代が移ると種の無いのは「品がよい」となり、栽培が盛んになりました。苗木を輸出するようにもなり、当初鹿児島からであったため、温州ミカンの英名はSatsuma mandarinとなりました。このため、外国では温州ミカンをSatsumaと呼ぶことが多い、とTV番組で見たことがあります。米国での栽培も盛んになり、ミカン産地の地名にSatsumaというのまであるそうです。

子供の頃、ミカンの汁であぶり出しを書いた方も多いことでしょう。皮をつまんで飛び散る油滴はリモネンなどを含み、ロウソクの炎に飛ばして燃やしたり、眼に飛ばすと痛がるのでいたずらしたり(よい子は真似をしないように)折り込み広告のインクや発泡スチロールが溶けてしまったりと溶剤としての作用があります。リモネンを含む油汚れ用洗浄剤もありますね。また、枝に付いていたおへその様な部分を上手に剥がすと、凹みの下には中の袋の数だけ斑点があり、皮を剥かずに袋の数を言い当てる遊びをしたことがありました。

昔のことですが、町内会でミカン狩りをしました。食べ放題なのですが、いちいち皮を剥いてでは、そう数を食べられるものではありません。絞ってウォッカを加えたら「スクリュー・ドライバー」というカクテルになるという意見が出るまでに、そう長い時間は掛かりませんでした。当日、絞り器とスミノフが大活躍した結果、ミカンの皮を入れるバスケットが輪切りにした皮で一杯になりました。それを見たミカン園のオーナー夫人でしょうか、「こんなことされてはたまらない!」と激怒。早々に追い出されてしまいました。追い出される前に、絞ったジュースを魔法瓶に詰めて持ち帰った猛者もおりましたが・・・。ミカン園には申し訳ないことをしたなぁと、思い出します。 目次へ

【学名】Citrus unshiu Marcovitch
【属名】ギリシャ名 kitron(箱)。朔(草冠+朔)から来たラテン語で,レモンの木に対する古い呼び名。ミカン科
【種小名】ウンシュウミカンの略
【命名者】Vasil Vasilevicz Marcowicz(1865-1942)
ミカン
温州ミカン(横須賀市津久井浜)

第六十四話 ネギ

冬の鍋物には欠かせないネギ。くたくたに柔らかくなったのと、まだ辛みや歯ごたえが残るのと、どちらがお好みでしょうか?
納豆の薬味にも欠かせません。これに暖めて柔らかくしたモチをちぎっていれると、これは美味いですよ。大根おろしも入れちゃいましょう。
チャーハンの火を止める前に、細かく刻んだネギを大量に入れるのも、これが実にうまい!

ネギの原産地はシベリア、バイカル、アルタイ地方といわれていますが、中国西部とする説もあるそうです。日本へは中国、朝鮮半島を経て古い時代に伝わったようです。
ネギを積極的に利用したのはアジアのようで、欧米では17世紀から19世紀になるまで利用することはなかったようです。関東地方で普通、私たちが目にするネギは、千住・合柄(せんじゅ・あいから)系の「根深ネギ」です。ノビルの時にも述べましたが、辛みや匂いの元はアリル硫化物で、ニンニクなどにも共通のものです。ビタミンB1と結びつくと、疲労回復に効果が高いことで知られています。

独身時代、幼なじみ数人と大晦日の京都へ行ったことがありました。八坂神社のオケラ参りの後に、寒さに震えつつ火縄を回しながら食べた暖かいお蕎麦に入っていた、青いネギが実に美味しかった。これは九条ネギでしょうか。

結婚当初住んだ横須賀の長井。大家のおばちゃんは元蕎麦屋さん。ソバやうどんの打ち方を教えてもらいましたが、その時に薬味のネギの切り方も教わりました。その方法とは(右利きの場合ですが)、ネギの白い部分を左手で根の方を上に立てて握り、親指でネギの先端を押さえ、親指の爪に沿わせるように包丁を当てて、空中で連続してスパスパと輪切りを切り落とす、というものです。まな板なしであっという間に薬味が出来上がり、見事なプロの技に驚嘆しました。
おばちゃんは、ほかにも新婚の私たちに色々なことを教えてくれました。随分前に亡くなりましたが、薬味のネギを切る時に、懐かしく「長井のおばちゃん」を思い出します。

【学名】Allium fistulosum L.
【属名】Allium ニンニクの古いラテン名。語源は「匂い」と云う意のalere
又は ha-lium と云う。ユリ科
【種小名】fistulosum 管状の,管形の
【命名者】リンネ
*主に日本大百科全書:小学館、牧野植物図鑑を参考にしました。 目次へ

第六十五話 ヨモギ

ヨモギも柔らかな葉を膨らませる季節となりました。
学名を調べてみると、随分と高貴な名前に驚かされます。
Artemisia princeps
属名はギリシャ神話の女神アルテミスで、ローマ神話ではディアナと同一視されます。婦人病に薬効があることから、この女神を記念して付けられたそうです。
種小名は「元首」とか「第一人者」の意で、ローマ皇帝の地位を指す称号でもあります。「ローマ人の物語:塩野七生著」を読んでいるところなので、ちょっとした驚きでした。
そんな高貴な学名を持つヨモギですが、どこでも見られ、餅に混ぜられたり、モグサになったり、至って身近な存在です。

子供の頃、父は自分で灸を据えていたので、小引き出しにはいつもモグサが入っていました。モグサは、ヨモギが10cmに満たない程度まで生長したものを乾燥させ、それを細かく砕いて、葉の裏に残った白い綿毛だけを集めたものです。いたずら盛りの頃、柔道師範でしつけの厳しかった父は、云うことをきかなかったということで、日頃の脅しを実行しました。はるかに年上の二人の兄達に私の手足を押さえつけさせ、おへその上にお灸を据えたのでした。熱さに泣き叫ぶ弟を見かねてか、下の兄が息を強く吹きかけたため、火の点いたモグサは転げ落ちてしまいました。兄は父に「吹いて火を強くしようとした」と言い訳をしましたが、さて、どっちだったのか。未だに本当のところは確かめておりません。とはいえ、その時の小さな火傷の痕は、ずっと心に残ったままです。

ニガヨモギというと、チェルノブイリを連想しますが、ロシア語のチェルノブイリはArtemisia vulgarisのことで、ニガヨモギのArtemisia absinthiumとは別物です。どこかで間違って報道されてしまったようです。ロートレックの名画「アブサンを飲む女」でも良く知られる、ニガヨモギの入ったお酒として有名なアブサンですが、現在では毒性があるということでニガヨモギを使用できなくなり、代わりにアニスの実が使われているそうです。しかし、アブサンの中毒症状といわれるものが、ニガヨモギの毒であるツヨン(ツジョン)のためなのかは、はっきりしないということです。

ヨモギは餅草とも呼ばれます。もとはハハコグサを用いたそうですが、室町時代からはヨモギが代わりになりました。関西ではよもぎ餅、関東では草餅と云います。
幼い頃、まだ草ぼうぼうだった隣の晴海(東京都中央区)へ、母と草餅にする「餅草」を採りに行きました。「こういう小さなのでないとだめなのよ」と教えられながら、一生懸命探したものです。
祖母が菓子屋を営んでいたこともあり、嫁いだ母は祖母から色々な菓子の作り方を教わったそうで、草餅などは簡単な方だったようです。
未だに、草餅を食べる度、幼い日に母と摘んだヨモギのことを思い出します。

【属名】Artemisia ギリシャ神話の女神Artemis(Diana)を記念して付けられたヨモギの古名。婦人病に効くためと云う。キク科
【種小名】princeps 王公,貴公子のような,最上の
*日本大百科全書:小学館、牧野植物図鑑などを参考にしました。 目次へ
ヨモギ
 ヨモギ(横須賀市佐島の丘)

第六十六話 ヒサカキ

この原稿を書いている3月下旬、近所の公園などを散歩すると、ちょっと奇妙な匂いが漂ってきます。ヒサカキの花です。神棚はもちろん、仏壇にもお供えするヒサカキは、本来はサカキ(榊)を用いるのですが、サカキは関東以南に分布するため、関東では近縁のヒサカキを代用します。公園などの背の低い生け垣に、やはり近縁のハマヒサカキがよく植えられており、城ヶ島の白秋碑があるあたりの公園にも植わっていたと記憶しています。

この三種とも、花には「独特の匂い」があり、ちょうど、タクアンと福神漬けを混ぜたような、なんとも奇妙な匂いです。ガス漏れ?と勘違いなさる方もおられるとか。ご存じのように、都市ガス・プロパンガスには「タマネギの腐ったような」匂いのする、メチルメルカプタン(メタンチオール)が添加されています。サカキの仲間がこの様な匂いをさせるのは、昆虫が比較的少ない春先に開花するため、ハエの仲間を効率良く呼ぶためと想像されます。ハエの仲間は乳酸菌発酵したものを好み、野菜などが発酵する匂いに敏感なため、ハエの好む匂いを持つことは、サカキの仲間の巧みな戦略なのでしょう。蜜も豊富なためミツバチも訪れ、蜜に匂いが付かないか心配ですが、問題はないようです。

ヒサカキと云えば神棚ですが、柔道の町道場だった実家には、神棚がありました。小学生の頃、それまでは兄の仕事だった暮れの神棚の掃除が、私の役目となった時のことでした。新しいしめ縄に取り替え、小さなお社を降ろして、ホコリを払い、いつもは閉まっているお社の扉を開けてびっくり!中に鎮座していたのは神社のお札ではなく、キリスト像が描かれた、英文のパンフレットの様なものでした。

父はクリスチャンだったので、見た目は神道でも、中身は耶蘇教、という訳だったのです。道場の最盛期は門人が200人もおりましたので、毎日の稽古は三部に分けていたほどでした。稽古を始める前、父は神棚を前に、門人達も後ろに正座して、「神前に礼!」とやっていたのです。門人達を欺すつもりなど毛頭無かったとは思いますが、父はとんだ「隠れキリシタン」だったのでした。

*牧野植物図鑑、日本大百科全書:小学館、Wikipediaなどを参考にしました。

【学名】Eurya japonica Thunb.
【属名】eurys(広い,大きい)。ツバキ科ヒサカキ属
【種小名】日本の
【命名者】Carl Peter Thunberg (1743-1828) 目次へ
ヒサカキ
 ヒサカキ(横須賀市光の丘)

第六十七話 フジ

何度か訪れたことのある亀戸天神のフジは、歌川廣重の「名所江戸百景」にも描かれており、満開の時は、色と匂いが素晴らしかったことを思い出します。人出もすごかったですが・・

山野でも見かけるフジは、ノダフジと呼ばれ、この品種発祥の地、大阪・野田に由来するそうです。房が長く垂れ下がり、見応えがあります。一方、ヤマフジというものもあります。武山などで見かけたフジを、山で咲いているのでヤマフジだろう、と勝手に思っていたら、ヤマフジは兵庫県以西にしか分布しないそうで、間違っていたことが今頃分かりました。花が大きく、房も丸くなるので、分かり易いようです。

識別点の一つはツルの巻き方で、ノダフジは「左巻き」、ヤマフジは「右巻き」と書いてある本があります。が、ちょっと待って!「左巻き」のわっちが云うのもなんですが、一体、どっちから見て、右だの左だのとおっしゃる。ツルの巻き方は、上から見てだと思っておりました。ところが、「左下から右上に向かって巻くのを右巻き」と本には書いてあります。え、そうですか?これを上から見たら「左巻き」じゃないですか。
というわけで、巻き方の表現には混乱がありますので、要注意です。

ネット検索していたら、右手でツルを握って、親指の方向へ巻いていればノダフジと覚える、という記述が見られました。右だ左だというより、分かり易いかも知れません。

フジは、ツルから繊維やカゴなどの工芸品を、花は湯がいて天ぷらにと利用できますが、種にはレクチンの一種、ウィスタリン(wistarin)という毒があります。豆が本来持っている、植食者に対する防衛機構なのでしょうが、豆を生で食べるとお腹をこわすことになるので、要注意ですね。

ヤブマメでも経験したことがありますが、フジのサヤも乾燥すると、豆を弾き飛ばします。ねじれたフジのサヤを拾って、手でねじれを戻そうとした時にサヤが割れ、硬い部分の先で手に怪我をしたことがありました。乾燥したサヤは非常に硬く、ナイフでサヤを削いでみて、何層もの構造になっていることに驚きました。おそらく、手を刺した硬い部分が乾燥して応力を溜め、ついに開裂するときサヤの左右が瞬時にねじれ、種子を弾き飛ばすのでしょう。晩秋の乾燥した真昼、頭上から大きな種がばらばらと降ってくるのは、面白い光景でした。

【学名】Wisteria floribunda (Willd.) DC.
【属名】アメリカの Philadelphia の有名な解剖学者Caspar Wistar教授(1760〜1818)に因む。マメ科
【種小名】花の多い
【命名者】Willd.= Carl Ludwig von Willdenow(1765-1812),DC.= , Augustin Pyramus de Candolle(1778-1841) 
*牧野植物図鑑、日本大百科全書:小学館、The International Plant Names Indexを参考にしました。目次へ
fuji
 ノダフジ(横須賀市光の丘:水辺公園)

第六十八話 クスノキ

日没時刻も延びた今日この頃、夕方の6時頃から、爽やかな風に吹かれながら、三浦海岸から三崎口までジョギングすることが楽しみな季節になりました。京浜急行の線路沿いを走っていると、ほのかな花の香りが漂っていました。そこはクスノキの並木で、ちょうどクスノキが開花していたのでした。

クスノキは鎌倉でも沢山植えられており、鎌倉駅西口広場や御成通りの街路樹で馴染みの深いものです。もともと南方系の植物で、関東よりも西に見られます。本来日本には自生はしていなかったのではないかという説がありますが、魏志倭人伝に日本の産木として「だん」の名で取り上げられているそうです。「楠」に南が付くのもいかにも南から来たことを示しています。中国ではタブノキの仲間を指すようですが、「大和本草」では匂いの強いものを「樟」の字を当ててクスノキとし、「楠」はタブノキ(イヌグス)とした、とあります。

防虫効果のある材は建築資材や仏壇に使われます。材や葉を蒸留して得られるほんものの樟脳は最近とんと見かけません。樟脳舟で遊んだことのある方も少なくなってきていることでしょう。その船も、ニトロセルロースに樟脳を溶かして作られたセルロイドでした。燃えやすいので、学生服の襟や下敷きを細かくして鉛筆のサックに詰め、ロケットを作った「悪い子」だった覚えのある方もおられるのでは?また樟脳はカンフル(あるいはカンファー)とも呼ばれ、「カンフル剤」は今では言葉だけになってしまいました。

虫が嫌うはずのクスノキですが、その葉を食べて育つアオスジアゲハはいかにも南国のチョウの風情。クスノキと共に日本にやって来たのでしょう。クスノキの葉はいわゆる三行脈ですが、その又の部分に丸い「ダニ室」を持っています。ここにはクスノキにとっては無害なフシダニを住まわせています。フシダニは増えると葉に這い出ます。するとこれを捕食する他のダニが集まってきて、その結果、常に葉の上には一定量のダニがいることになり、クスノキにとっては有害な虫こぶを作る種類のフシダニを排除しているのだそうです。クスノキの巧みなサバイバル技術に感心してしまいました。

【学名】Cinnamomum camphora (L.) J.Presl
【属名】Cinnamomum 桂皮のギリシャ名。cinein(巻く)+amomos(申し分ない)と考えられ,巻曲する皮の形と芳香を称えた名。クスノキ科
【種小名】Camphora 樟脳のアラビア名
【命名者】リンネおよび、Presl, Jan Svatopluk (Swatopluk)  (1791-1849)
*日本大百科全書:小学館、International Plant Names Indexから引用しました。 目次へ
クスノキ
 クスノキの花( 三浦市南下浦町上宮田)

第六十九話 ザクロ

会社の庭にヒメザクロが咲いていました。
ザクロは、石榴、柘榴とも書きます。果物としては古く、旧約聖書の出エジプト記にもその名が見られます。イランやヒマラヤが原産地だそうで、日本では昔、人肉の味がすると信じられていたため、嫌われたそうです。美味しいのにねぇ。
ザクロといえば鬼子母神・・・「鬼子母神は、もとは訶梨帝母(かりていも)といい、王舎城という国に住む鬼女で、産んだ子は500人とも千人とも云われ、これを養うために、王城に住む子等を盗んでは我が子に与えたため、王城内には毎夜、子を失った母達の鳴き声が絶えなかった。これを聞いた釈尊は訶梨帝母の末の子を隠した。訶梨帝母は気も狂わんばかりに探し回った末、釈尊に相談したところ、母が子を思う気持ちは何人も変わらぬことを諭し、人肉の代わりにザクロを与えた。訶梨帝母は仏教に帰依し、安産・子育ての守護神・鬼子母神となった。」

実は全体が大きな割には、果実一粒は小さく、種は大きくて食べるにはちょっと面倒ですが、種なしの品種もあるようです。美しい色合いの果肉は独特の清々しい味で、絞ったものをグレナディンと呼びます。カクテル好きの方なら、このシロップを使ったピンク・レディーやサンライズが思い浮かぶことでしょう。

石榴石といえば、ガーネットのことですが、青以外は様々な色を持つため、美しいものは宝石とされます。真っ赤なガーネットは一月の誕生石ですね。ザクロ木のラテン名granatusに由来するそうです。宝石にならないものは、硬度は7前後と硬いため、紙ヤスリの研磨剤にもなります。また、石榴口というと昔の風呂の入口で、湯が冷めるのを防ぐ工夫ですが、かがんで入ることから、屈み入るを「鏡鋳る」に掛けたもの。銅鏡はザクロの汁で磨いたことに由るそうです。

石榴にちなんだギリシャ神話といえば・・・「冥王・ハーデスにつれ攫われたペルセフォネは、地上に帰されるとき、ハーデスが差し出したザクロを口にしてしまう。半分を食べたため、神々の取り決めに従って、1年のうち半年を冥界で過すこととなり、母である大地の女神デメテルはその期間嘆き悲しむことで地上は冬となった。」
ラファエル前派を代表する画家の一人、D.G.ロセッティの「プロセルピナ(=ペルセフォネ)」がこれで、ザクロを手にモデルとなったのはウィリアム・モリスの妻ジェーンで、夏の間だけ別荘でロセッティと共に暮らしたという逸話が残されています。ロセッティの弟子であったモリスは、どんな思いでこれを許したのでしょうか。

鬼子母神にちなんで一つ。「おそれ入谷の鬼子母神、どうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師さま」という蜀山人の元歌があり、それを庶民がアレンジし、「おそれ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺、うそを築地の御門跡」という江戸の地口が生まれたそうな。下谷の広徳寺は関東大震災で焼失し、現在は練馬区桜台に移転しています。下谷に行っても広徳寺はありませんので、びっくりなさいませんように。

【学名】Punica granatum L.
【属名】punicus(カルタゴの)の意。ザクロがカルタゴ原産と思われていたことによるらしい ザクロ科(ちなみにポエニ戦役はthe Punic Wars)
【種小名】粒状の
*日本大百科全書:小学館、Wikipedia、牧野植物図鑑、週間美術館:小学館などを参考にしました。 
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ザクロ
 ヒメザクロ(横須賀市光の丘)


第七十話 アサガオ

夏と云えばアサガオですね。「おそれ入谷の鬼子母神」は朝顔市でも有名です。入谷付近は江戸時代からアサガオ栽培が盛んで、それを展示するために開かれた市は明治時代が起源だそうですが、一時廃れ、戦後復活したのだそうです。
七夕の頃に開かれるのにはこんな訳が。アサガオの種子は中国伝来で、牽牛子(けんごし)といい、生薬として高価だったため、これを贈られた人は「牛を牽いて」礼をしたことによるそうで、この牽牛、それに織女と結びつけ、縁起の良い花とされたためだそうです。

先日、箱根のラリック美術館に行ったのですが、展示品のガラス器の中にもアサガオの鉢があったようですが、あまり印象に残っていません。目録を買っておけばよかったかなぁと後悔しています。ミュージアム・ショップでちょうど欲しかった文庫本の「日本植物誌:フロラ・ヤポニカ」があったので求めました。シーボルトがツッカリーニと共に出版した日本の植物151点のその中にはアサガオはありません。しかし、東京大学総合研究博物館にライデン大学国立植物学博物館から寄贈されたシーボルト・コレクションの中にはありました。実は、シーボルトよりも早く、ケンペル、ツンベリが紹介してしまっていたので、載せなかったのでしょう。シーボルトは対抗意識の強い人で、前任者の轍を踏むのを極度に嫌ったようです。

調べていて、ふと思い出したことは、小学校の絵日記でした。もう50何年も前のことですが、つい最近まで、その絵日記は手元にあり、時々読み返していたのです。そこには、アサガオの押し花が貼ってありました。長い年月を経て、くすんだとはいえ、かすかな紫色を残して、紙よりも薄くなった少年の日のアサガオ。そういえば、近所の同級生達と、色水を作った時には(もちろん女の子とですよ)、アサガオやツユクサを使いました。淡い水色が、思い出の向こうにうっすらと透けて見えます。

色水の色は、酸性か、アルカリ性かで変わります。強い酸性では赤、次第に桃色となり、中性では紫、弱アルカリでは青、そして青紫、さらに強いアルカリ性になると黄緑、pH14ともなると黄色になるそうです。色の元はアントシアニン系の色素で、紫キャベツやブルーベリー、ナスの皮の色と同じです。

同級生達と色水遊びをしているときに、こんなことを知っていたら、すごくもてたかも知れないなぁ・・残念。

【学名】Ipomoea nil (L.) Roth (1797)
【属名】Ipomoea ips(芋虫)+homoios(似た)の意で,物に絡み付いて這い登る習性から来た名。ヒルガオ科
【種小名】Nil アラビア名(藍色から)
【命名者】リンネ、および、Albrecht Wilhelm Roth 1757-1834
*日本大百科全書:小学館、牧野植物図鑑、Wikipedia、The International Plant Names Indexなどを参考にしました。
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第七十一話 クズ 

秋の七草の一つ、クズ(葛)の葉の上でカンタンが鳴き始めるのもそろそろでしょうか。秋の七草、そらんじられますか?・・・はぎ、おばな、ききょう、なでしこ、おみなえし、くず、ふじばかま、あきのななくさ・・・いつ覚えたのかは忘れてしまいましたが、結構調子よく口をついて出てきます。今月はクズについて調べてみました。

クズといえば「葛きり」。佐助の「みのわ」さんで召し上がったことがある方なら、上等な葛きりがどんなものかをご存じのはず。弾力、喉越し、透明度・・そして味わい深い黒蜜。あぁ、たまらない・・これで結構甘党なもので。

くず餅も忘れてはいけませんが、これはくず粉を使っていません。関東のものはほとんどが小麦粉を発酵させたもの。家内が葛飾区の出身なので、亀戸天神・船橋屋のくず餅は好物です。船橋屋のHPによると、発酵は15ヶ月にも及ぶとのこと。独特の食感と風味、そしてほのかな酸味。きな粉と黒蜜の絶妙なバランス。こ寿々のわらび餅とはまた違った風情です。

食べ物ついでに、クズの芽を3〜4cm摘んで、天ぷらにしてもいけますよ。塩・コショウでいただけば、立派なビールのつまみ。というお話しは、常連さんには耳タコ。

ところで、葛はなぜ「くず」なのでしょうか?一説によれば「国栖(または国樔・国巣)の人々が葛粉を売り歩いたことによる」とあります。国栖はいにしえの大和国吉野郡の山奥にあったという、他とは隔絶した世界に住んでいた人達、あるいはその村落のこと。特異な風俗のため、朝廷からは大和民族と思われていなかったそうな。奈良・平安の頃は宮中の節会に参加し、酒を献じ、彼ら伝統の歌舞音曲を奏したといいます。吉野以外にも、各地に国栖と呼ばれる非農耕民がいたのだそうです。謎がまた一つ増えました。

植物としてのクズは、その生長の良さが買われて、飼料や園芸用として19世紀末、米国・フィラデルフィアの博覧会に展示されて以降、気候の適した南部に爆発的にはびこり、今では侵略的外来種に指定されてしまいました。英名もKudzuと日本名そのままなのに、厄介者扱いとは。

そうそう、良くお腹をこわして寝込むことの多かった子供の頃、母が作ってくれた「くず湯」を思い出します。あれも葛粉ではなく、片栗粉(とはいえ、馬鈴薯澱粉ですが)を湯で溶いて、砂糖を加えただけのものでした。別に美味しいという程のものではないのですが、独特の湯気の匂いと共に、看病してくれた母のことを思い出します。

【学名】Pueraria lobata (Willd.) Ohwi
【属名】Pueraria スイスの植物学者Marc.N.Puerari(1765〜1845)の名に因む。マメ科
【種小名】lobata 浅裂した
【命名者】Willd., Carl Ludwig von Willdenow (1765-1812) Ohwi, 大井次三郎 (1905-1977)
*牧野植物図鑑、日本大百科全書、広辞苑、大辞林、Wikipedia、The International Plant Names Indexなどを参考にしました。
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クズ
 クズの花(横須賀市長沢)

第七十二話 ナツメ

  あの子はたあれ

      作詞:細川 雄太郎  作曲:海沼実

 あのこはたあれ たれでしょね
 なんなんなつめの はなのした
 おにんぎょうさんと あそんでる
 かわいい みよちゃんじゃないでしょか

童謡に歌われたナツメですが、実物を知ったのはつい最近のこと。会社の植栽にあったのです。花の時期には咲いていることに気が付きませんでした。小さく黄色い花が数個集まって咲きます。秋になって、そのナツメが沢山実りました。昼休みに庭師と収穫しましたが、高いところのものは鳥達のために残しておきました。事実、鳥がつついた痕がある実がいくつもありました。良く熟れたナツメの実は、リンゴの様な食感があり、かなりの甘みがあって、美味しいものです。皮ごとかりかりと何粒も食べてしまいました。いただいた分は、氷砂糖を加えて、焼酎に漬け込みました。焼酎は奮発して「いいちこ」です。ところで、下町のナポレオン・・・ってどんな意味??

さて本題ですが、ナツメはクロウメモドキ科の落葉高木で、中国では3000年以上も前から食用・薬用にされていました。日本へは1000年以上前にはもたらされたようです。当時は「奈都女」または「奈豆女」と表記されたとあります。薄茶用の茶器で、抹茶を入れる漆塗りの容器も棗(なつめ)と呼びますが、その形からきています。果実は干して食用にしたり、お菓子の材料になります。また漢方薬としても使われます。韓国料理がお好きな方なら、サムゲタンにも入っているのをご存じかも。健胃、強壮などの作用があるとされています。

お釈迦様が、断食行に入るとき、初めは一日にナツメの実を一粒ずつとり、その後は米を一粒、さらにゴマを一粒というように減らしていって断食に入ったと仏典にあるそうです。今はやりのバナナ・ダイエットとは比べものにならない究極のダイエット。骨と皮ばかりになられたお姿のガンダーラ仏が目に浮かびます。(合掌)

【学名】Zizyphus jujuba Mill.
【属名】Zizyphus アラビアの植物名 zizonf が元でギリシャ名 zizyphonとなり,更に今の名に変わった。クロウメモドキ科
【種小名】Jujuba アラビア名
【命名者】フィリップ・ミラー(1691-1771)スコットランドの植物学者
*日本大百科全書:小学館、牧野植物図鑑、Wikipedia、インターネット検索などを参考にしました。
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ナツメ
 ナツメ(横須賀市光の丘)

第七十三話 セイタカアワダチソウ

その名の如く、泡立つような金色の花が目立つようになりました。更地に入り込んで、一面に生い茂ってきますが、何年か経ると、やがてススキに取って代わられます。

セイタカアワダチソウは、根からcis-DME(シス・デヒドロ・マトリカリア・エステル)という物質を出し、他の植物の生育を抑制します。しかし、この物質は自分自身の生育も阻害するので、いずれ、在来種が繁茂してくることとなり、ついには劣勢に追いやられてしまいます。もしかしたら、ススキにもセイタカアワダチソウの生育を抑制する性質があるのかも知れません。

阻害ばかりではなく、生育の促進も含め、この様な性質をアレロバシーといい「他感作用」と訳されています。植物が分泌する物質は、エチレンが良く知られていますが、フィトンチッドも実はアレロパシーなのです。この植物の持つ不思議な作用を生物農薬に応用する研究も進んでいます。

ブラジルでは、ムクナというマメ科植物をトウモロコシなどのイネ科植物と混植すると、雑草の繁殖が抑制され、イネ科植物の生育には影響がなく、収量が上がることが知られています。またソバにも雑草を抑制するアレロパシーがあります。コムギやライムギ自体にも、雑草の生育を阻害する作用があるそうで、これらの枯死したものを畑に撒くと、雑草が生えないということです。アレロパシーの研究が進んで、化学薬品を使用しない、安全な生物農薬が実用化されると良いですね。

在来種のアキノキリンソウは滅多に眼にしませんが、これに取って代わって秋を彩る花に定着してしまいました。北アメリカ原産で、もともとは切り花として輸入されました。良くブタクサと間違われ、毛嫌いされていますが、養蜂家が蜜源植物として利用していることからも、花粉を飛ばす風媒花ではなく、虫に花粉を運ばせる虫媒花であることははっきりしています。黄金色の穂を揺らしては「そんなに嫌わないでね」と訴えているのかも知れませんよ。

【学名】Solidago altissima L.
【属名】solidus(完全)に接尾語の ago(状態)の付いた形。多分傷薬としての評判による名。キク科
【種小名】非常に高い,最高の (命名者はカール・フォン・リンネ)
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セイタカアワダチソウ
 セイタカアワダチソウ(横須賀市光の丘)

第七十四話 ツワブキ

ツワブキの黄色い花がとてもきれいに咲いていましたが、それもそろそろ寂しくなってきました。福島県より北には分布していないようで、我が三浦半島ではごく普通に見られます。ツワブキの名の由来を調べてみると、艶葉蕗(つやばぶき)から転じた、とあります。普通のフキとは違って厚手の、艶のある葉です。花もフキの花とは随分異なります。分類を調べてみると、属のレベルで違い、フキはフキ属、ツワブキはツワブキ属でした。

フキとの違いは、葉の艶や花だけでなく、フキは夏の間しか茂りませんが、ツワブキは一年中緑の葉を茂らせています。日陰でも良く育つので、庭に植えられることも多いですね。かつて旅行したことのある島根県の津和野は、ツワブキのある野からの地名とか。

ここらでだいたい書くことがなくなり、ご想像の通り、食べ物の話へ行くわけですが、フキと云えば「キャラブキ」です。本物のキャラブキはツワブキで作るのだそうで、茎の真ん中が空洞ではないのだそうです。ずいぶん前からこのことは知っていたのに、今までキャラブキを買うときに意識したことがありませんでした。だめじゃん。

ツワブキを用いたキャラブキの作り方、というのを調べてみました。春先の新芽を使うそうで、茎の綿毛をたわしなどできれいに取り去ります。葉を取り除いた茎は、塩で板ずりをしてアクを抜きます。茹でてあく抜きする方法もあるようです。後は醤油と味醂で煮詰める。これなら、私でも出来そうです。

キャラブキは、漢字なら伽羅蕗で、伽羅は沈香の中でも最上級のものを指します。第三十話のジンチョウゲで取り上げた正倉院の蘭奢待(らんじゃたい)は伽羅です。伽羅色というのは濃い茶色の様ですね。醤油で濃く煮しめたものを伽羅煮と呼ぶそうですが、醤油が身近な調味料となった頃に、この様な洒落た名前が一般化されたのかも知れませんね。

それでは、良いお年をお迎えください。

【学名】Farfugium japonicum (L.) Kitam.
【属名】キク科のフキタンポポ(Tussilago Farfara)の古名から。その元はfarius(列)+fugus(駆除)か。キク科
【種小名】日本の
【命名者】リンネ、および、北村四郎:キクを専門とした分類学者(1906-2002)

日本大百科全書:小学館、牧野新日本植物圖鑑、Wikipedia、その他インターネットでの検索、The International Plant Names Index(http://www.ipni.org/ipni/plantnamesearchpage.do)を参考にしました。 
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ツワブキ
 ツワブキ(横須賀市光の丘)

第七十五話 ハス

おせち料理につきもののハスは、先が見通せると云うことから縁起を担いでいるそうなのですが、どちらかといえば、唐辛子の効いた、しゃきしゃきのキンピラが好みです。(誰もあんたの好みなんか聞いてないよ・・)

ハスは英名がLotus。有名な英国の自動車メーカーがありますが、そのエンブレムもハスにちなんだものだとか。角の丸い三角は、創立者が仏教思想に感銘していて、ハスの実の形なのだそうです。

蓮根を採るための栽培種は中国から入ってきたのですが、日本には自生種がありました。それが証明されたのが大賀ハスで、千葉県検見川の落合遺跡から出土した古代ハスとして知られています。昭和26年、草炭層に埋まっていたクリ舟や櫂と一緒に、ハスの花托が見つかったのがきっかけでした。そこは3000年前の船着き場であったと推定されました。当時、関東学院大学非常勤講師だった大賀一郎博士は、既に中国で300年前のハスの実を発芽させていた実績があり、発掘に当たりました。

当初、簡単にハスの実が見つかるだろうと博士は考えていたのですが、なかなか見つかりませんでした。資金も底を尽き、調査打ち切りが明日に迫った日、ボランティアで発掘にあたっていた花園中学の女生徒が夕刻までがんばっていたところ、地下6mから一粒のハスの実を発見し、博士に示しました。発掘は延長され、さらに2粒が発見されました。

貴重な3粒は博士の手で発芽が試みられ、2粒は発芽したものの枯死し、最後の1粒が翌年、開花までこぎつけたのでした。博士は年代測定のため、クリ舟の一部をシカゴ大学の原子核研究所に送り、炭素14による年代測定が行われました。その結果、ハスの実は少なくとも2000年前の弥生時代以前のものと判明したのでした。

硬い殻に守られて、2000年の眠りから醒めたハスの花。なんとロマンがあることでしょう。大賀ハスは花弁が細いなど、現代のハスにはない特徴があるそうですが、残念ながらまだ実物を見較べてみたことはありません。(2011.7.18大船フラワーセンターで,大賀ハスを見ることができました。係の方にお聞きしたところ,現在のハスとの違いはほとんどないとのことですが,根茎で増やしたものと,種子から分けたものとでは,種子からの方が花弁が大きいということでした。雑種強勢が働くのですか?という質問には,そうかもしれない,というお答えでした。)

本年もどうぞよろしく。

【学名】Nelumbo nucifera Gaertn. (Geml.:グメリンとなっているものもあり)
【属名】ハスに対するセイロンの土名から付いた。スイレン科
【種小名】堅果を持った
【命名者】Joseph Gaertner (1732-1791)

「ハスと共に六十年」大賀一郎:著 アポロン社、The International Plant
Names Index、Wikipedia、牧野新日本植物圖鑑、日本大百科全書などを参考にしました。 目次へ
ハスのきんぴら

 ハスのきんぴら(横須賀市光の丘・ローズテリア), 大賀ハス(大船フラワーセンター)