第三十一話 アオキ

鎌倉でも横須賀でも、ちょっとした山道を歩けば、アオキは至る所に生えていて、実にありふれた植物です。日陰に良く育ち、寒さにも強く、庭木としても理想的です。アオキは東洋の特産で、ヒマラヤから日本にかけてわずか3種類しか知られていません。二百年余り前、イギリスからやってきたジョン・グレファーは、みごとな真っ赤な実と、特に緑に金色の斑入りのアオキに魅せられ、1783年に本国へ持ち帰りました。美しい葉はたちまち評判となりましたが、持ち帰った株は雌株だけだったため、結実することはありませんでした。人々は幻の深紅の実を待ちわびましたが、英国で見事な赤い実が見られるようになったのはそれから80年余り後の万延元年(1860年)に、王立園芸協会所属のプラント・ハンター、ロバート・フォーチュンにより雄株がもたらされてからでした。英国へは開港後間もない横浜から軍艦で運んだそうです。翌年には品川のイギリス公使館が水戸藩士に襲撃されるという、そんなぶっそうな時代でのことでした。

アオキの花をご覧になったことがあるでしょうか。雌雄異株ですので、雄株には雄花、雌株には雌花が咲きます。ともに4枚の花弁は濃い紫色で、大きさもほぼ同じなので、よく見ないとどちらが雄花か雌花かわからないほどです。これは雄花の花粉を食べに来たアブやハエなどを、雌花にも花粉を求めて訪れさせるための戦略ではないか、といわれています。同じような戦略はアケビの仲間にも見られます。アケビの場合は大きさに違いがありますが、雄花も雌花もとても色や形が良くにています。視覚に頼る昆虫をだまして花粉を運ばせる、見事な仕掛けですね。

良く熟れたアオキの果肉は、リンゴの様な食感があり、ほんのわずかですが甘みがあります。このため、ヒヨドリが好み、実をよく観察するとヒヨドリが嘴で咬んだ跡が見つかることがあります。咬むことによって、早く熟れるようだと、その昔、岩田さんから教えていただいたことが思い出されます。ヒヨドリは咬むことで熟れたかどうか確かめると同時に、刺激を与えて熟成を促しているのかも知れません。

イタリア中部のアッシジを訪れた折り、聖フランチェスコ修道院へ向かう坂道に面した民家の庭に、斑入りのアオキを見つけた時には、ほぉ、こんなところにもと、たいそう驚きました。はるばる日本からやってきた斑入りのアオキは、イタリアの片田舎の風景にすっかりとけ込んでいて、なんだか童謡「赤い靴」の女の子のようで、いじらしく思えました。

【学名】Aucuba japonica Thunb.
【英名】Japanese laurel
【属名】アオキバ(日本名の方言)から。ミズキ科
【種小名】日本の
命名者はリンネの弟子のツンベリ(ツンベルク、あるいはツュンベリー:Carl Peter Thunberg 1743―1828)目次へ



第三十二話 カキツバタ

「何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」
どちらもすぐれていて優劣のきめがたい意(広辞苑)ですが、優劣はともかく、花が咲けばその違いは私にもわかります。外花被片の基部に黄色と紫色の網目があるのがアヤメ、同じく中央より下に中央脈に沿って白色または淡黄色の先の尖った斑紋があるのがカキツバタです。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/kyoto/hanakoyomi01.html

カキツバタは、燕子花とも書き、尾形光琳(1658―1716)の有名な屏風絵は国宝「燕子花図」。カキツバタの咲く頃、これを所蔵する根津美術館で公開されるようですが、今年の予定はわかりません。六曲一双で、金一色の地に群青と緑青のみで描かれたカキツバタは、繰り返しのパターンながら絶妙の配置と、省略の大胆さに目を奪われます。
http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10301.html
「伊勢物語」の在原業平(らしき昔男の)東下りの折り、三河の国の八つ橋で詠んだ歌に寄せて、旅の僧がカキツバタの化身である美しい女性に出会う、という能の曲目から取られた題材だそうです。この絵にはない八つ橋(湿地などに幅の狭い橋板を数枚、折れ折れに継ぎ渡した橋)とカキツバタが描かれた、同じく光琳作の屏風がメトロポリタン美術館に収蔵されています。第二次大戦後に没落した所有者が手放したそうで、日本にあればやはり国宝でしょう。

同じく、八つ橋とカキツバタを題材にした「八橋蒔絵螺鈿硯(まきえらでんすずり)箱」は東京国立博物館の所蔵品ですので、(たぶん)いつでも鑑賞することができます。子供の頃、当時最高額だった500円切手の図柄として馴染みのあるものでしたが、実物を見て、こんなにすごいものだったのかと感心しました。ミュージアム・ショップで売られていたレプリカでも、ん百万円という値が付いていましたので二度びっくり。
http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=7&ID=w093&SubID=s000

京都聖護院の名物、ニッキの香りのするお菓子の八つ橋は、あれじゃ上を歩けないなぁと思ったら大間違い。あれは橋ではなく、箏(こと)の形を模したもの。「六段の調(しらべ)」「乱(みだれ)」などの箏曲で知られる八橋検校(けんぎょう:1614-1685)に因んでいます。検校は盲僧の高い位です。

カキツバタの語源は、古来、花汁を用いて布を染めたので書き付け花とよばれ、転化してカキツバタとなった(日本大百科全書:小学館)のだそうです。そういえば、おままごとで、朝顔の花で色水を作ったのを思い出しました。今どきの子供も、そんなことするのでしょうか?

【学名】Iris laevigata Fisch.
【属名】虹の意、転じて植物名。アヤメ科
【種小名】無毛の、平滑な、磨いた
 Fisch.:ロシアの分類学者F.E.L.von Fischer 目次へ
 八橋
1955年3月15日発行の500円普通切手「八橋蒔絵螺鈿硯箱」


第三十三話 ウメ

そろそろウメの実が熟れる季節。ウメは花もきれいですが、果実は食品としても重要です。梅干しに梅酢、そうそう、お菓子の「のし梅」は大好物です。のし梅は水戸が有名ですが、子供の頃に初めて食べた山形ののし梅の方があまり甘くなくて好みです。

青梅には青酸配糖体の一種、アミグダリンが含まれていて、分解する時に青酸ガスが発生します。大量に食べた小学生が亡くなったというニュースをずいぶん昔に聞いたことがあります。一つ、二つでは問題が無いようですが、体重の軽い小学生では、大量に摂取すれば、大変危険なことになります。

梅干しや梅酒に漬けてしまったものは安全だそうです。梅酒も美味しいですねぇ。昔、何年も続けて仕込んだことがありました。初めのうちは、年数が経つのが楽しみで、「もう飲み頃かな?」と時折ちびちびと飲んでいました。息子が産まれた年あたりから、飲むのを忘れてしまってそのままです。ということは・・・さぞ美味しくなっていることでしょうから、今年こそは飲んでみましょう。

梅ジャムって知っている人は少なくなったかも知れません。昔、紙芝居では定番で、小さなとんがったコーンに盛りつけます。他にはソースセンベイや水飴、割って文字を残す小さなセンベイもありました。残念ながら紙芝居での買い食いを禁止されていたので、ついに味わうことはありませんでした。あの真っ赤な梅ジャムって、どんな味だったのかしら。

梅は中国中部が原産で、飛鳥時代に渡来したようで、万葉集では「ウメ」と発音し、平安時代以降は「ムメ」となり、現代ではまた「ウメ」に戻ったそうです。学名を見ますと、Prunus mume Sieb.et Zucc.。シーボルトはウメが中国原産であることを知ってか知らずか、日本にちなんだ学名を与えており、シーボルトの時代には「ムメ」と呼んでいたことがわかります。子供の頃、おばあさんに「ムメ」さんという人が結構いたように思います。ウメを世界に紹介した日本植物誌(FLORA JAPONICA)でシーボルトは、多くの品種があること、また、梅干しの作り方にまで言及しているそうで、日本ではウメをいかに愛で、食品として常用しているのを驚いているかのようです。

サクラよりも好まれ、万葉集では118首詠まれているそうです。漫筆鳥話にも書きましたが、「梅に鶯」は、ウメが渡来する以前は「竹に鶯」だったそうです。そちらの方が実態を表していますね。

【学名】Prunus mume Sieb. Et Zucc.
【属名】plum(スモモ)に対するラテン古名。バラ科
【種小名】mume ウメ(日本名)
 Zucc. シーボルトと共に日本の植物を研究したドイツのJ.G.ツッカリーニ(1797〜1848) 目次へ


第三十四話 ネムノキ

夏の陽射しの中に咲く、鮮やかな薄紅色の綿が載ったようにネムノキの花にハッとすることがあります。

ネムノキはマメ科の落葉高木で、北海道を除く全土の山野、特に河原に多く、葉は2回羽状複葉で長い柄を持っています。夕方になると葉を閉じることが良く知られています。これを就眠運動といい、シロツメクサや、インゲンマメ、ブラジル原産のオジギソウなどにも見られます。

では、どうやって葉を閉じるのか、調べてみました。葉といっても複葉は難しい。ネムノキの葉は、一番太い軸を葉軸、そこから側軸が伸びて小葉が分かれ、それから更に小羽片が出ている、という言い方をします。複葉は、これ全部で一枚の葉とみなします。サンショウの葉を思い浮かべてみますと、あれが一番単純な複葉で、これが2回繰り返すのが、2回羽状複葉です。そして、そのそれぞれの軸の根元に葉枕と呼ばれる柔らかい関節のようなふくらみあり、これが葉を閉じる役割を担っています。

夕方に葉を閉じるのは、夜に産卵するガの仲間に卵を産ませにくくするなどの、何かネムノキの戦略があるのかも知れません。葉を閉じるメカニズムは、ネムノキ自体が持っている「概日リズム」によるそうです。これは一種の体内時計で、24時間弱の周期を持っています。ネムノキを真っ暗な中におく実験で確認できるそうです。光は、この概日リズムのスイッチを入れる役割をしているようですが、詳しいところまではわかりませんでした。

葉枕が関節のように働くのは、細胞の膨圧(細胞内部の浸透圧と外部の浸透圧の差)によるもので、外側、内側で差が起きれば、どちらかに傾くことになります。オジギソウでは、この作用を起こさせる拮抗する物質が見つかっていて、夜でも葉を開いたままにできるそうですが、触ると閉じてしまうため、メカニズムはもっと複雑なようです。

これを書いている時は、まだ梅雨のさなかです。カッと照りつける夏の陽射しの中に咲くネムノキが恋しく思えました。

【学名】Albizia julibrissin Durazz.
【属名】人名 約2世紀前に,ヨーロッパにこの属を紹介したイタリアの Filippo Delgi Albizzi の名を記念して付けられた。マメ科
【種小名】東インド名
 Durazz.については、残念ながら誰なのか分かりませんでした。*
(日本大百科全書:小学館や、インターネットなどで調べました。)
*不明だった命名者が分かりました。
Durazz. Antonio Durazzini(1972年ごろ活躍)生没年不明、イタリアの植物学者 
参考書籍等:園芸植物大事典(講談社)
以上の情報は、自主探に参加された内海 正久さまから、2008.4.28に寄せられました。
内海さま、ありがとうございました。目次へ


第三十五話 イヌビワ

7月の自主探で、唐島さんに怪しげなイヌビワとイヌビワコバチの話をしてしまいました。一部に誤りがあったような気がしますので、またかとお思いの方もおられるでしょうが、今月はイヌビワの受粉の仕組みです。私にはなかなかきちんと覚えられない、ちょっと複雑なお話を。

三浦半島にはどこにでも生えているイヌビワ。濃い紫色に熟れた実は甘くてとても美味しい。でも、いつまでも紫色にならない実もあります。雌雄異株のため、雄株の実は紫色にはなりません。イヌビワはイチジクの仲間で、未熟な実と見えるのは花で、内側にびっしり詰まっていて、果嚢(かのう:花嚢と書く人もいます)といい、この様な花序を隠頭花序とか、イチジク花序ともいいます。

ここからが難しいのです。イヌビワは単性花(雄しべだけの雄花、雌しべだけの雌花)で雌雄異株、つまり、雄花が咲くのが雄株、雌花が咲くのが雌株なのです。ところが、雄株には雌花も咲くのです!ただし、種子は出来ません。紫色に甘く熟れるのは雌株の雌花です。それには、こんなわけがあるのです。雄株の雌花に隠された秘密とは・・・

イヌビワは関東以西の暖地に自生しますが、イヌビワはイヌビワコバチというハチが受粉を助けるので、種子が出来るのです。イヌビワをはじめイチジクの仲間は花序が特殊な形をしているため、その受粉を助ける昆虫(イチジクコバチの仲間)がそれぞれにいるのです。イチジクでは受粉の仲立ちをするイチジクコバチが越冬できないため、日本のイチジクは全て雌株なのですが種子は出来ません。イチジクを食べたときプチプチいうのは、種子ではなく、受精しなかった胚珠なのでしょう。

さて、雄株の熟した果嚢の中で、翅のないイヌビワコバチの♂バチが先に孵り、胚珠を食い破って中にいる♀と交尾します。交尾をすませた翅のある♀バチは♂の空けた穴からはい出て、花粉を体に付けたまま果嚢から飛び立ちます。そして雄株のまだ緑色の若い果嚢にもぐり込む時♀は不要になった翅を落します。♀バチは中に咲いている雌花の付け根の子房にある胚珠に卵を産み付けます。生み終えると果嚢の中で死んでしまいます。やがて卵から幼虫がかえり、胚珠を食べて育ち、1カ月半位で成虫になります。このころ、イヌビワは果嚢の中に雄花を咲かせるので、果嚢から出ていく♀バチの体に花粉が付きます。ひとつの果嚢から100匹以上のハチが出てくるそうです。このイヌビワは雌花を咲かせますが、幼虫が子房を食べてしまっているので種子は出来ません。雄株の果嚢はハチを育て、雌株の雌花に花粉を運ばせるためにあるのです。

一方、花粉を付けたまま、雄株ではなく雌株の未熟な果嚢に入り込んだ♀バチは、雌花の子房に卵を産もうとします。しかし雄株の雌花とは作りが違って花柱が長いため、ハチの産卵管が子房の中の胚珠までとどきません。ハチが歩き回るうちに運んできた花粉が雌花に付いて種子が出来るのです。嗚呼、哀れ♀は産卵できずに果嚢のなかで死んでしまいます。イヌビワのしたたかな戦略ですね。
つまり、「雄株に入ったハチは子孫を残せたが、イヌビワがハチに付けた花粉は無駄になる。雌株の果嚢に入ったハチは、花粉を運ぶ役目をしたが、子孫は残せない。」ということになるのです。また、開花や受粉の時期は、ハチの成長に見事に合わせるようになっているそうです。

生態学ではこのことを「花粉媒介を行なってもらう代わりに、餌として受精した胚珠の一部を提供する特殊な相利共生関係にある」といいます。イヌビワとイヌビワコバチの関係は共進化の代表的な一例で、共進化は生物の多様性を生みだす大きな要因の一つなのだそうです。少しお利口になったような気がしますが、さて、いつまで覚えていられるか?それが問題です。

参考にした文献など
(1)たくさんのふしぎ「はながえらぶ、むしがえらぶ」福音館書店
(2)「イヌビワ・イヌビワコバチ共進化系の分子系統学」横山 潤 東京大学理学部 附属植物園

【学名】Ficus erecta Thunb.
【属名】イチジクに対するラテン語の古名。語源はギリシャ語の呼び名sycon からとされている。クワ科
【種小名】直立した
命名者はツュンベリー(Carl Peter Thunberg 1743―1828) 目次へ


第三十六話 イチジク

イヌビワに続いてイチジクのお話を。
イヌビワにはイヌビワコバチがいて、雌の樹で熟した果嚢には♀のイヌビワコバチが中で死んでいる、と聞いたとたんに、熟れた実を食べられなくなってしまう方もおられるかもしれません。知らなければ良かったのにねぇ。

ではイチジクは?熟れた果嚢の中にイチジクコバチが?
いえいえ、その心配は入りません。栽培されている日本のイチジク(ほとんどがミッション系かサンペドロ系の夏果)は、受粉しなくても結実する系統なのです。

イチジクは大きく4系統に分けられるそうですが、そのなかのカプリ系とスミルナ系はイチジクコバチによる受粉が必要とのことです。カプリ系は雄花、雌花とは別にハチのために虫えい花を持っていて、花柱が短く、ハチの産卵管が胚珠に届く、というイヌビワの雄株の雌花と同じ役割をもっています。スミルナ系は雌花だけを付け、ハチから花粉をもらうのだそうです。ちゃっかりものですね。

イチジクの原産地はアラビア南部とされていますが、今日でも野生のものが多数見られるそうです。栽培の歴史は古く、紀元前3000年まで遡るといいます。紀元前に地中海地方から小アジアに広まり、中国へは唐代に、新大陸へは西インドに1520年、フロリダへは1575年ごろ、大産地となったカリフォルニアには1769年に導入されたそうです。日本へは寛永年間にポルトガル人により伝えられ、蓬莱柿(ホウライシ)と呼ばれたそうです。ひと月で熟すところから一熟(イチジュク)となったと、「和漢三才図会」にあるそうです。

イチジクは生で食べる他はほとんどが乾果として利用されます。他にジャム(プリサーブ)やシロップ漬けなどにされますが、赤ワインでコンポートにしても美味しそうですね。イチジクには緩下・駆虫作用があることから、お腹にはとても良い食べ物です。この話を聞いたとき、どうして「イチジク浣腸」なのかを理解しました。さらに先日、NHKのテレビ番組で、サイチョウが食べたイチジク(の仲間)の種子が、この緩下作用のために、未消化のまま排泄される様子が紹介されており、「そうだったのか!」と思わず膝を叩いてしまいました。

イチジクは聖書にも良く登場します。悪魔にそそのかされて知恵の実を食べてしまったアダムとイブは、「このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。」創世記第三章七節
数えてみますと、旧約・新約併せて58カ所に登場します。
一番最後は黙示録六章十三節。
「そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。」なんか、怖いですね。

ジョークをひとつ。
男「ねぇ、君、アダムとイブはイチジクの葉っぱで前を隠したっていうけど、どうやって隠したのかなぁ?」
女「きまってるじゃない、ヘア・ピンで止めたのよ」
男「・・・・」

【学名】Ficus carica L.
【属名】イチジクに対するラテン語の古名。語源はギリシャ語の呼び名 sycon からとされている。クワ科
【種小名】Carica イチジク 小アジアの古い地方Cariaに由来
 命名者はカール・フォン・リンネ(1707―78)
*(日本大百科全書:小学館)を参考にしました。 目次へ


第三十七話 トウガラシ

皆さんは「七味唐辛子」とおっしゃいますか?それとも「七色唐辛子」。
「七味」の方は関西系、「七色」の方は関東系です。
もっとも最近は関東でも「七味」という人が増えてきました。
江戸っ子は「七色とんがらし」でぃ!

辛い!は英語でHot!辛いは暑い。以前、新宿で昼食にカレー・ライスを食べたことがありましたが、そのお店、いくらでも辛くしますと言う。最高レベルはたぶん食べられないので、その次を注文。一口目は甘く、その瞬間、うわー、辛い! でも食べられないほどではない。元来、辛い物好きのわたし、なんとか平らげましたが、頭のてっぺんから滝のような汗。店の人曰く。「2番目でも全部召し上がった方は珍しいですよ、お客さんで四人目です」だって。おいおい、最初から言ってくれよ。下着もワイシャツも汗でびっしょり。これから仕事だっていうのに。

韓国料理は辛いと言いますが、日本経由で伝わったといわれるトウガラシの系統は、鷹の爪ほどではないそうで、ほどほどの辛さが韓国料理の旨さのようです。辛いので有名なハバネロも純粋なカプサイシンにはかないません。何倍の水で薄めたら辛さを感じなくなるか、という辛さの単位があって、スコヴァイル値といいます。日本の鷹の爪は3万、ハバネロはさすがに20万から58万、しかし純粋のカプサイシンは1600万だそうです。辛いのもほどほどがよろしいようで。

※146万3700スコヴィルという唐辛子の栽培に、オーストラリアの農家が成功したというニュースがありました。(2011.4.22)

※2012年にギネス・ワールド・レコーズに認定された「キャロライナ・リーパー(キャロライナの死神)」という品種は米国のもので,スコヴィル値は156万9300 - 220万だそうで,2016年時点で世界一辛い唐辛子だそうです。(Wikipedeiaから:2016.3.19)

ホット・ソースとして有名なタバスコは2500。今回ハリケーンの被害が伝えられているルイジアナ州のマキルヘニー社が製造していますが、もともとはトウガラシの品種名で、南米原産。タバスコは大好物で、目玉焼きの黄身に掛けて食べるのが大好き!魚介類には酸味と相まって抜群。特に生牡蠣にはなくてはならないですね。
富山の友人が昔、東京の大学へ通い始めた頃、学生街の喫茶店でサラダを注文したそうな。ケチャップと思ってたっぷり掛けたのがなんとタバスコ。食べてみてそれがなんであるのか、初めて気がついたとのこと。まことにお気の毒。

私が初めてタバスコに出会ったのは、自主探にも何回か参加したことのある友人T君に連れられていった六本木のGTというお店。目立たない地下にあり、外国人がやけに多いうさんくさい店でしたが、席に着くなり彼曰く、「ピッツァとコークを頼もうぜ」ピッツァもコークも初めて。もっともコークはコカ・コーラが出てきて、なんだそうだったのか。T君は「タバスコをピッツァに掛けて食べると旨いよ、辛いから少しにしておけよ」と言うのを忘れませんでした。ドゥの裏がちょっと焦げていたけど、ピッツァは非常に旨かった。R&Bを踊る黒人客の華麗なステップに見とれながらほおばった30数年前を思い出します。

辛み成分のカプサイシンは、寒いときに末梢を温める効果、腸内で働くと脂肪を燃焼させるとか、催涙ガスにして熊除けなど護身用、色のきれいな品種は観賞用にもなる、なんとトウガラシは人類に貢献していることでしょうね。

(おまけ)JJさんならきっと「すこびる辛いわけね」と仰るに違いない。

【学名】Capsicum annuum L.
【属名】ギリシャ語、capsa(袋)。トウガラシ(ピーマン)の袋状の果実を指した名。ナス科
【種小名】一年生の
 命名者はカール・フォン・リンネ 目次へ


第三十七話 紅葉狩り

「紅葉狩り」・・秋に野や山へ出かけて、紅葉の美しさを愛でるという、なんとも風情のある行事です。なかには、酒宴が目当てで、春の桜もそうですが、花やモミジなんぞはさっぱり見ずに、ただ酔っぱらうだけの御仁もおられるようで。って、誰かさんのことを言っているわけではないですよ。

日本人はよほどこういうことが好きとみえて、万葉集にもあるそうです。いにしえの頃は高貴なお方達の行事だったそうで、江戸時代以降になって、やっと庶民のものに。江戸では浅草の正灯寺と品川の海晏寺(かいあんじ)、上野の根津権現山、目黒不動、滝野川などが名所だったそうな。そういえば、独身時代に親友T君と品川七福神巡りで海晏寺にも立ち寄った思い出があります。

秋に、葉が赤や黄色に変わることをモミジするというのですが、奈良時代は「モミチ」と濁らなかったそうで、漢字で黄葉、平安時代以降に紅葉と書くようになったそうです。(広辞苑) モミジの代表はなんといってもカエデです。中には、花札のモミジ→鹿→もみじ鍋と連想してしまう辛党の方もおられるかも。

カエデは世界に160種あるそうですが、不思議なことに欧州では、化石には多くの種類があるのに、現在イギリスに自生するカエデはたった1種、ドイツやフランスでも4種しかないそうです。これは、第四期氷河による厳しい気候のためで、アルプス山脈に南下を阻まれ、多くのカエデが絶滅したためと考えられているそうです。(日本大百科全書:小学館)

それに較べ、氷河の影響が穏やかだったアジア、特に我が国は、世界でも有数のカエデの野生種が多い国なのだそうです。園芸品種も200種以上あり、上代からカエデを愛でた国民ということが出来ます。道理で紅葉狩りが盛んに行われるわけですね。

カエデからメープル・リーフとくればカナダの国旗や金貨の図柄。サトウカエデの樹液から作られるメープル・シロップはホット・ケーキにはなくてはならないものです。我が国でも十和田湖付近のイタヤカエデからも一時カエデ糖の生産が行われていたそうです。甘い樹液はシラカバからも採れます。これから作られる天然甘味料がキシリトールで、抗菌作用があるため、甘くても虫歯にならない、ということでガムに配合されてすごい人気です。

サトウカエデの樹液からお酒が造られていないかなぁと調べてみたのですが、この樹の炭で濾過したお酒がジャック・ダニエルだ、ということしか分かりませんでした。左利きとしては残念・・・抗菌作用でもあるのでしょうか。

10月の終わりに、松島湾、鳴子峡・立石寺、奈良と小旅行をしましたが、今年は平均気温が高いようで、紅葉は今ひとつでした。

モミジの代表として、
イロハモミジ Acer palmatum Thunb.
【属名】カエデの一種A.campestreのラテン名 この言葉には裂けると云う意味があり,切れ込んだ葉形に基づく。カエデ科
【種小名】掌状の *カエデの古名は蛙手、学名の発想も同じですね!
命名者はチュンベリ 目次へ


第三十九話 葡萄

今年のボージョレ・ヌーボーのお味はいかがでしたか?なかなかの出来でしたね。これはガメィという品種で作られます。ブドウの野生種は約60種だそうですが、現在までに1万を超す品種が作り出されたそうです。ブドウ栽培の起源は古く、紀元前5000年から栽培されていたといい、紀元前4000年にはシュメール人がワインを作って飲んだといわれています。野生種は雌雄異株ですが、栽培種は雌雄同種だそうです。

旧約聖書では、「ノアは、(洪水の後)ぶどう畑を作り始めた農夫であった」(創世記9章20節)とあり、ワインを飲んで寝てしまう、という記述がみられることからも、ワインはビールの歴史よりずっと古いかもしれません。

ワインの醸造技術は海外との交易を盛んに行ったフェニキア人により、ギリシャからその植民地である地中海沿岸諸国へと伝えられました。ローマ時代になると、当時ガリアと呼ばれたフランスでは、ブドウ栽培に適した、石灰岩質で日当たりの良い場所がブドウ園として高く評価されるようになりました。ブルゴーニュ・ワインの名品「ロマネ・コンティ」の農園は、まさにローマ人がワインのために拓いた場所なのです。(コンティは、ポンパドゥール夫人と農園の所有を巡って争った公爵家)

ブドウの栽培種は、欧州系、米国系と大きく分けられるそうですが、欧州系の起源は中央アジア。我が国にも中国を経由して、優良な欧州系の品種が持ち込まれたようで、1186年(文治2)ごろに自生種の中から強い甘みを持つ「甲州」が発見されたのだそうです。それ以外の日本の野生種は北海道のマンシュウヤマブドウ、ヤマブドウ、エビヅル、サンカクヅル、アマヅルなどが知られています。野生種の糖度は低いのですが、耐寒性や耐病性が高いので、その性質の利用が注目されているそうです。

ワインには発泡するものもあります。シャンパンと呼ばれるものは、フランス北東部のシャンパーニュ地方で作られるものだけに与えられる名称なのですが、このシャンパンを作ったのは、僧院の酒倉係をしていたドム・ペリニョンという盲目(盲目ではなかったという説もありますが)の僧で、製法はその僧院の秘法とされたそうです。

余談ですが、発泡酒といえば、新婚当初住んだ家の大家さんの奥さん(相当の高齢でしたが)は、どぶろく作りの名人でした。一瓶頂戴したことがあり、飲みかけを一年、冷蔵庫に忘れていたら、澱が沈み、発泡した見事な辛口のお酒になっており、惜しみつつ味わったことを思い出します。では、良いお年をお迎えください。

ヨーロッパブドウ Vitis vinifera L.
【属名】ラテン古名。vita は生命の意だが,これに結び付くかどうかは判らない。ブドウ科
【種小名】ブドウ酒を生ずる
(日本大百科全書:小学館、牧野植物図鑑などを参考にしました) 目次へ


第四十話 イチゴ

明けまして、おめでとうございます。今年こそ、平和な良い年となりますように。

お店には、ほとんどいつでもイチゴが並んでおりますが、かつては静岡県久能山の石垣イチゴが12月から栽培され、1月にやっと店頭に並んだものでした。出始めのイチゴは粒が大きく、甘みが強くて食べでがあり、楽しみにしていたものです。

イチゴは一度低温を経ないと発芽分化が起きないため、普通栽培されるイチゴの収穫は3〜6月です。促成栽培は、8月上旬〜9月上旬の一ヶ月(女峰の場合)、苗を高冷地の低温にさらしたものをハウスや温室で育てます。これを「山上げ」といい、日光・戦場ヶ原で行われたのが有名です。さらに、ハウスでの暖房を行うことにより、今では東北地方でも栽培が可能になりました。

イチゴの原産地は南米だそうで、現在の栽培種は、北アメリカ東部の野生種との雑種が起源と云われています。日本には江戸末期に南蛮船によりもたらされたため、オランダイチゴと呼ばれるようになったのですが、欧州での栽培は主にオランダを中心に行われたので、その命名は正しいものだったようです。現在の栽培種は明治以降に導入された品種とその子孫と云うことです。

イチゴはどうやって召し上がりますか?私の場合、昔は良くイチゴミルクにしました。牛乳がイチゴのクエン酸で凝固して(幼少のみぎりには不思議に思ったものですが)、とろりとした、独特の食感と香りになりました。なんだかとても懐かしい。コンデンスミルクを掛けたり、ホイップクリームで食べたり、結局生のままに落ち着いたり。生クリームで作ったイチゴのショートケーキの美味しさに衝撃を受けたのは、いつのことだったかしら。

その昔、酸っぱくて小粒の安いイチゴで、ジャムやプリザーブを作りました。こんなに簡単に出来るものかと感激したことを思い出します。作っているときに部屋中に漂うあの良い香り!今ではすっかり辛党になってしまい、ケーキどころか、イチゴのリキュールにすらあまりお目に掛からなくなってしまいましたが。

英語でstrawberryですが、ストロベリー・フィールドと云えばジョン・レノンを思い出します。先月8日はジョンの25回忌でした。ダコタ・ハウスの前で、ジョンに「ヘイ、リッチマン!」と呼びかけた男に、手を振って応えた直後に撃たれたのでした。犯行の動機は「有名になりたかったから」。このニュースを聞いたときは、ただただ悔しかった。たったそれだけの理由で・・・

今年こそジョンが願った平和な世界が訪れますように。
♪Imagine all the people Living life in peace...

【学名】Fragaria grandiflora Ehrh.
【属名】野生のイチゴのラテン名 fraga から来た。語源は fargare(薫る)。果実が芳香を持つため。バラ科
【種小名】大きい花の
命名者は、スイスの植物学者 Jacob Friedrich Ehrhart (1742〜1795)
(牧野植物図鑑、日本大百科全書、インターネットでの検索結果を参考にしました) 目次へ


第四十一話 甘藍

甘藍はキャベツの古い呼び名です。プロローグでも書きましたが、子供の頃に見た「蔬菜(そさい)図鑑」にそう載っていました。なお、蔬菜とは野菜のことです。

原産地は欧州南部の海岸地域だそうで、有史以前から利用されていました。野生種は結球せず、結球する品種が現れるのは8世紀の末以降。日本へはオランダ船によって伝えられました。これは結球しないか半結球性のもので、味は良かったのですが、食用としては広まらず、もっぱら観賞用として栽培され、ハボタンが生まれました。

明治以降に欧米品種が導入されましたが、日本の気候風土に合わず、大正・昭和になってやっと日本の気候にあった品種が民間の手で作られました。三浦半島は温暖なため、他の産地では春にならないと作れない冬の時期(11月下旬〜3月上旬)に「早春キャベツ」が作られます。春キャベツはもちろんで、有機栽培農家が増えているために、甘くて美味しいキャベツが評判です。

ザウエルクラウトをご存じだと思います。ビール好きの方はソーセージに添えた酸っぱいキャベツが堪らない!私はフランクフルトと一緒に煮込んだのが好きですが。ま、それはどうでもいいのですが、ザウエルクラウトはとても簡単に出来るのだそうです。

キャベツ中1個を細かく刻み、水200ccと塩(キャベツ+水の重量の2%)を加えて、重しをして漬け込みます。水が上がってきたら表面をラップし、20℃くらいの室温ならば3日目くらいから食べられるそうで、冷蔵庫に入れておけば2週間は大丈夫だとか。定番のキャラウェイ・シードやディル・シードで風味を付けるとさらに良いでしょう。今年は自分で作ってみるか・・・

赤ちゃんはキャベツ畑から拾ってくる・・・西洋ではそんな伝説があるそうですが、中世スコットランドでは、万聖節の前夜(ハロウィーンですね)に、収穫後のケール(キャベツの祖型)畑に未婚の男女が集い、根を引き抜いて互いの相性を占ったそうで、これが伝説を生んだのでは、という見方があるそうです。

キャベツって昔のものはもっと青臭くて、苦みのあるものもありましたね。トンカツに添えるキャベツの千切りは、そういうちょっとえぐいくらいのが良かったのですが、今の品種はみな甘くて柔らかい。それでもトンカツにはなんと言っても千切りキャベツ!自主探の帰りに、鎌倉駅西口の「勝烈庵」に寄って、ヒレカツとビールが楽しみな私です。

脱線ついでに、勝烈庵の「カツサンド」にはキャベツが入っていません。昔、神田・万世橋の「肉の万世」でカツサンドを買い、銀座まで歩き「ほこ天」で腰掛けて食べたのが忘れられません。ぎゅっと押しつぶされたキャベツに染みこんだソースの味!うーん、たまらん。

【学名】Brassica oleracea L. var. capitata L.
【属名】キャベツの古いラテン名。ケルト語でもキャベツのことを bresic と呼んだ。アブラナ科
【種小名】食用蔬菜の,畑に栽培の
【変種名】頭状の,頭状花序の
(日本大百科全書:小学館、インターネット、牧野植物図鑑などを参考にしました) 目次へ


第四十二話 野蒜

野蒜(ノビル)はユリ科の多年草で、ネギの仲間です。野を歩けば至る所に見られます。縄文時代から食用とされていたようで、遺跡の土器から、炭化したノビルが出土しているそうです。古代から栽培されていたものが逸出して、野生化したものと考えられています。三浦半島では「のんのひる」と呼ぶ方がおられました。「ののひろ」と呼ぶところもあります。

ヒル(蒜)は、ノビル、ニンニク、ネギなどの古名で、大蒜はニンニクのこと。あの臭い、いかにも「効きそう」です。これらに含まれるアリインは、細胞を潰したりして空気にふれると、自らの酵素によってアリシンに変化します。これがあの「ニンニク臭」です。ビタミンB1とアリシンが結びつくと、アリチアミンというニンニク型ビタミンB1ができます。これは体内への吸収が良く、また蓄積されるためにその利用効果が高いことで知られています。商品名でよくご存じなのはアリナミンですね。最近は独特の臭いのないものも販売されています。アリチアミンは、戦後、京都大学医学部で作られたものだそうです。

さて、肝心のノビルですが、若葉も食べられますが、鱗茎をそのまま味噌を付けて食すも良し、軽く湯がいて酢みそ和え、味噌や醤油につけ込んでも良し、キムチにしたものも、好きな人には堪らないものがあります。キムチの専門店に行くとあります。熱いご飯に載せて食べるノビルのキムチ!美味いですよ〜。

花は五月頃に咲きますが、淡い赤紫色です。でも、全部が開かないで、多くはムカゴに変化してしまいます。種子以外に繁殖手段をもっているので、花はあまり重要ではないのかも知れませんね。

【学名】Allium grayi Regel
【属名】ニンニクの古いラテン名。語源は「匂い」と云う意の alere 又はhalium と云う。ユリ科
【種小名】北米の分類学者A.グレイの(二格)
【命名者】ドイツの分類学者でロシアの植物を研究したE.A.フオン・レーゲル
*日本大百科全書、牧野植物図鑑、インターネットの検索などで調べました。 目次へ


第四十三話 菜の花

水田の裏作物として、また春の風物詩として、かつては盛んに栽培されたナノハナですが、日本での栽培は年々減少し、今では菜種油用の栽培は青森や鹿児島に限られるそうです。

在来のナタネ(菜種)、セイヨウアブラナ、切り花として出回るチリメンハクサイの改良種も、ナノハナと呼ばれます。セイヨウアブラナは、アブラナとキャベツの仲間との雑種らしいということです。

アブラナの種子は3〜4割もの油を含み、絞ったものが菜種油です。独特のカラシ臭があり、酸性白土で精製したものが「菜種白絞油」です。菜種油は心臓障害や成長阻害を起こすエルシン酸や、甲状腺を肥大させるグルコシノレートを含みます。油粕を家畜飼料にせず、肥料にするのはこのためです。そこで、遺伝的にこれを含まないキャノーラ種の栽培がカナダなどで盛んです。ところが、最近では少量のグルコシノレートはガンの抑制効果があるということで、これを含むアブラナ科植物が見直されています。色々ですね。

日本へは蔬菜として渡来したアブラナですが、油を採る重要な作物となり、戦国時代から盛んに栽培されたそうです。江戸時代には行燈などの明かりに使用する灯油として、また食用はもちろん、機械油までも作られました。

菜種を含むアブラナ科は非常に重要な作物で、ダイコン、カブ、キャベツ、ハクサイ、コマツナ、カラシナ、チンゲンサイ、ブロッコリー、カリフラワー、ワサビ、ルッコラ・・・とたくさん挙げられます。これらは花弁が4枚なことから「十字花植物」と呼ばれます。今頃水田には、種籾を水に漬ける頃に花が咲くことから、そう呼ばれるタネツケバナが花を開いています。花は小さいのですが、クレソン(ウォーター・クレス:オランダミズガラシ)にそっくりで、味もよく似ています。毛が無く葉の大きなオオバタネツケバナは山菜としても有名です。普通のタネツケバナでも立派にクレソンの代用をこなします。

唱歌「朧月夜」に歌われた広大な菜の花畑は、もうなかなか見る事ができませんが、せめて、かつての農村の春の情景に思いを馳せる、今日この頃です。

アブラナ(在来の菜種)
Brassica campestris L.
【属名】キャベツの古いラテン名。ケルト語でもキャベツのことを bresic と呼んだ。アブラナ科
【種小名】原野生の 命名者はリンネ

*日本大百科全書、牧野植物図鑑、インターネットの検索結果を参考にしました。目次へ

    葉山町上山口

第四十四話 シャガ

佐助稲荷の参道にシャガが咲き始めると、一段と風情が増します。学名は「日本のアヤメ」なのですが、なんと外来種です。日本の野生種はすべて3倍体で種子が出来ません。中国には2倍体があるそうで、古い時代に中国から渡来したもののようです。日本のアヤメ科の中で、唯一常緑なのだそうです。群落を作るのは、根茎から匍匐枝を延ばして増えるためです。

漢字では著我・莎我。射干とも当てますが、射干は本来ヒオウギのことで、中国ではシャガは胡蝶花といいます。ヒオウギとは知らずに、漢名の射干を当てて「しゃかん」と読み、シャガになったという説があります。また、ヒオウギ(檜扇)と、根本の重なった葉の付き方が似ているため、とも言われます。射干を「やかん」と読むと、漢方ではヒオウギの根の生薬名となります。この様な和名での混乱は、カツラ(桂)でもありました。

学名(属名)のIrisは、ギリシャ神話の虹の女神。タウマスとエレクトラの娘で、ゼウスとヘラに伝令として仕えたとされています。虹色の衣をまとい、有翼の姿で描かれます。その聖花がアヤメというわけです。アイリスはまた瞳の虹彩のことで、メラニン色素の量によって色が変わるためにそう呼ばれます。先日、「題名のない音楽会」の公開録画を観覧しましたが、ウェールズ生まれのゲスト、メゾ・ソプラノのキャサリン・ジェンキンスを、「引き込まれる様な緑色の瞳をなさっています」と、司会の羽田健太郎が言っていました。舞台が遠かったので、単眼鏡で辛うじて分かる程度だったのが残念です。(放送予定は2006/6/11 9:00 テレビ朝日 6/14 21:00 BS朝日)

シャガはアヤメの仲間のなかでも、とりわけ配色が美しく、小振りですが沢山花をつけます。一面のシャガが咲くと、心が和みます。路傍の花をこれほどまでに装わせる自然の力に、見るたびに感動を覚えます。

Iris japonica Thunb.
【属名】虹の意,転じて植物名。アヤメ科
【種小名】日本の 命名者はチュンベリ。

*日本大百科全書:小学館やインターネットでの検索を参考にしました。目次へ


第四十五話 アカンサス

和名はハアザミ(葉薊)ですが、アカンサスはキク科ではなく、キツネノマゴ科です。写真で花を調べて納得しました。ちょうど今頃咲いているのですが、近所には見あたりませんでした。

最近はやりのソーシャル・ネットワーキング・サービスの一つに加入しましたが、そこの植物コミュで「これ何?」と質問が寄せられたのがアカンサスとその花でした。私はまだ花を見たことがないのですが、葉の形でアカンサスと分かりました。

アカンサス文様という装飾がありますが、古代ギリシャの彫刻家カリマコスが、コリント式建築の柱頭装飾に用いたのが初めとか。建築・工芸にと、その特徴ある美しい葉の形が好まれました。葉の先が尖っているのがギリシャ風で、葉先の丸いのがローマ風なのだそうです。

初めて見たのは、ローマのポポロ広場でした。艶々とした美しい葉がとても印象に残りました。北鎌倉の尾根道にあったそれを田中さんに教えていただくまで、名前を知りませんでした。銀座七丁目のビア・ホール「ライオン」のタイル壁画の中に見つけた時は、嬉しくなってメートルが上がりました。

このモチーフは案外色々なところに使われており、現行の日本銀行券、つまりお札ですが、一万円、五千円、千円を見てみると、そこここにローマ風のアカンサスが使われています。そんなところにも、ギリシャ、ローマからの流れがあるなんて、面白いですね。(アカンサスは銭洗い弁天のトイレの前にも花を咲かせていました。2006.6.11)

Acanthus ギリシャ語のakantha(棘)から。目次へ
アカンサス銭洗い弁天のアカンサス
写真は「ライオン」の壁画と銭洗い弁天のアカンサス