第十六話 ヒメウズ ヒメウズ(姫烏頭)は、キンポウゲ科の多年草ですが、ヒメウズ属とするか(Semiaquilegia adoxoides)オダマキ属とするか(Aquilegia adoxoides)で、図鑑によって意見が別れています。種小名adoxoidesはレンプクソウ属(Adoxa)に似た、という意味だそうです。ウズとついてもトリカブトの仲間ではなく、オダマキの仲間であることは、ルーペで花をご覧になると納得できます。 ウズとはヤマトリカブトの根茎のことで、烏の頭に似ているからそう呼ばれます。その周りに付く小さなものは附子(ぶし、またはぶす)といい、ともに中枢神経毒であるアコニチンを含み猛毒です。1986年5月、妻に多額の保険金を掛け、カプセルに入れたトリカブトを飲ませて死亡させるという事件がありました。最近もトリカブトによる保険金殺人が埼玉県で発覚しています。 狂言の「附子:ぶす」を鑑賞したことがありました。主人が猛毒の「ぶす」と偽って桶に入ったものを留守の間守らせるが、気になって仕方のない二人の冠者は、なめて砂糖であることを知り、なめ尽くしてしまう。一計を案じ、主人の大事なものを壊しておき、帰宅した主人には、お詫びに桶の毒をなめて死のうとしたがまだ死に切れぬという。うそを見抜いた主人は怒って二人を追い立てる、というものです。 トリカブトの毒アコニチンは非常に強く、成人の致死量は2〜5ミリグラムといわれています。アイヌは、世界最強といわれるエゾトリカブトの毒を塗りつけた矢でヒグマを射殺ろしたといいます。ヒメウズにはこんな毒はありません。トリカブトの仲間は日本に20数種が生育しているそうですが、そのほとんどが全草に毒があり、触ったりしない方が賢明です。ヤマトリカブトなどは茶花にも使うそうですので、扱いには手袋をするなど注意が必要です。 近い仲間のオダマキは美しい野草で、愛好者も多いと聞きます。花の形が、つむいだアサの糸を、中を空洞にして丸く巻き付けた「苧環:おだまき」に似ているためです。オダマキといえば、この歌が思い浮かびます。 吉野山 峰の白雪 ふみわけて しずやしず 賤の苧環くりかへし 吉野山で義経と別れた静御前は、頼朝に捕らえられ鎌倉にやってきます。義経の居所を問う厳しい訊問にも固く沈黙を守り通しました。頼朝は、白拍子の静に鶴ヶ岡八幡宮の舞台で舞うことを命じます。静は頼朝と北条政子の前で、自作のこの二首を詠じて舞いました。歌を聞いた頼朝は激怒します。しかし北条政子は自分たち二人もかつて同じような身の上だったと頼朝を諭し、静は命を救われます。静はやがて義経の子を産むものの、男の子だったため、赤子は由比ヶ浜の海へ沈められてしまいます。・・・ しずは倭文とも書き、青・赤などの縞を織り出した古代の布のことです。しずとおだまきの巻き戻しになぞらえ、引き離された愛しい人を思う切ない気持ちを歌に託したのでした。取り巻いて聞いていた無骨な鎌倉武士たちも、静の度胸と貞淑さに心を打たれたことでしょう。 ヒメウズからトリカブト、オダマキへと話は逸れてしまいましたが、寒さのなか、日だまりに咲くヒメウズをご覧になったら、こんなことも思い出されてはいかがでしょうか。目次へ 第十七話 タンポポ 1月の第二自主探でも、タンポポ(遠目でしたが、おそらくセイヨウタンポポ)が咲いていました。勤め先の横須賀でも、年末、年始にかけてセイヨウタンポポが日だまりに元気に咲いています。というわけで、今回はタンポポにまつわるムダ知識を集めてみました。 タンポポって日本語としては奇妙な響きですね。漢名の蒲公英(ほこうえい)に、タナ(田菜)の字をあて、タナがタンに、冠毛(綿毛)がほほける意味のホホが加わってタンポポとなった、という説(大言海)がある一方、花茎を短く切って水に浸けると両端が反り返って鼓のようになることから、鼓を打つ音「たんぽんぽん」からという柳田国男の説(野草雑記)があります。牧野富太郎は綿毛を抜いたあとがタンポ槍の丸い穂先に似ているので「タンポ穂」からといっていますが、さて、どれがほんとうでしょうか? セイヨウタンポポ Taraxacum officinale の属名は、一説にペルシャの苦い草の名 talkh chakokから出た中世のラテン名からとも。種小名は薬用の、薬効のあるの意。 中国では綿毛を集めて枕の詰め物にしたそうで、ガマ(蒲)と同じ用途が、蒲公英の漢名からもうかがえます。 「火星年代記」「華氏451」で知られるレイ・ブラッドベリの小説に「たんぽぽのお酒」があります。これはDandelion Wineといい、米国ではよく作るのだそうです。どんなものだろうと調べたことがありますので、米国のWebサイトを参考にしたレシピをご紹介しましょう。 *用意するもの *作り方 #なお、本編は野草の採集を奨励するものではありませんので、たとえ外来種のセイヨウタンポポでも、お試しになる場合は、節度を持って行ってくださいませ。目次へ 第十八話 椿姫 2月のある日、抹茶をいただく機会がありました。その折り、茶花にヤブツバキが活けられているのを見て、ツバキとチャの学名がこんがらかっていることに気がつきました。ヤブツバキはCamellia japonica L.ですが、チャは?Thea sinensis、それともCamellia sinensis、さてどちらだったか? *以前にJJさんから資料を頂戴しました。感謝いたします。 ヤブツバキもチャもツバキ科ですが、第十三話「イチョウ」にも登場したケンペルの『廻国奇観(1712年)』ではチャの属名に「Thea」を与えています。リンネは1753年「植物の種」でThea sinensisとしたのですが、なぜか同じ年にCamellia sinensisと改めています。1784年リンネの弟子であるツンベリが「日本植物誌」にチャをThea boheaと紹介し、1818年にイギリスのスウィートはチャとツバキは同一種であるとの説を唱え・・・と混乱が深まっていきました。当初、緑茶と紅茶は別の種からもたらされるものという、今から見ればお粗末な思い違いなどがあったりで、結局チャには200年の間に100以上もの学名が与えられることになったそうです。学生版牧野植物図鑑を調べてみると、ここではThea sinensis L.です。これはチャの花の構造がツバキとはわずかに違う(ツバキは萼が落ちる、チャは落ちない、チャは小包葉が二枚、ツバキは多数)ことからチャノキ属を独立させた結果なのですが、萼が落ちる(宿在性)には例外もあり、現在ではチャをCamellia属として扱う傾向にあるようです。 一方のツバキですが、1689年には欧州(バイエルン)に紹介されています。バラの様に豪華な花を付けるツバキはたいへんもてはやされたそうで、小デュマが1848年に「椿姫」を出版したときには、日本のツバキは欧州ではごく普通の花になっていたのでした。でも、なぜ「椿姫」はツバキを身に付けていたのでしょう?それは、ツバキは香りがしないからなのです。主人公は肺を患っており、強い香りは身体に障る、というわけなのです。現在では香りのあるツバキの品種もあるそうですが・・・ 「椿姫」は劇化されたのち、ヴェルディーによってオペラの名作となりました。初演はヴェネツィアのフェニーチェ劇場。この時、主人公マルグリット・ゴーチエはヴィオレッタ・ヴァレリーと名を変え、じゃースミレ姫だろうとなりそうなものですが、オペラの題名は「ラ・トラヴィアータ」。「迷った女」「道を踏み外した女」という意味だそうで、花柳界の女王が、青年弁護士との純愛の末、短い命を燃やしきってしまう悲劇なのです。これには実在のモデルがあって、本物の椿姫は小デュマをあっさり振ったのち、フランツ・リストと恋に落ち、肩書きのためにある伯爵と偽装結婚まがいのことまでしたのですが、望みかなわずわずか23歳で世を去ったマリ・デュプレシスという、それはもう大変な美女だったそうです。 準備期間が短かった初演は良い配役に恵まれず、ヴィオレッタ役はたいへん太っていたとのことで、とても今にも死にそうにない様子に、客席から失笑も洩れたそうで、失敗に終わったと云われています。原因はそれだけではなく、ヴェルディーの私生活上の問題もあるとの指摘もあります。しかし再演では大成功を収め、今日では最も人気のあるオペラの一つに数えられています。 リンネはツバキの属名にCamelliaを与えましたが、これは、フィリピンの動植物の研究者だったモラヴィアのイエスズ会宣教師カメルス(G.J.Camellus1661〜1706)を称える意味が込められたそうです。アケビ属(Akebia)のように、もし、リンネがツバキの名を用いていたらなぁ・・・とちょっと惜しい気がしました。目次へ アーモンドの花は、第七話で取り上げたアンズやモモと良く似ていています。アーモンドは日本では栽培が難しいそうで、なかなか見る機会がありません。それでも暖かいところでは育つそうで、インターネットで花を調べてみると、花弁の中心部も周囲も薄桃色なのがアンズ、中心部が濃いピンクなのがアーモンド、さらに濃いのがモモでした。 数年前の3月の始め、まだ寒さの残るイタリア中部のアッシジを訪れた時、街路樹はピンクの花で満開でした。なんの花か分からなかったのですが、落ちていた種を拾ってみてアーモンドだと分かりました。4000年も前から栽培されていたそうで、旧約聖書(電子辞書版新改訳聖書)を検索してみると、アーモンドという語句が、創世記に2か所、出エジプト記に3か所、民数記、伝道者の書、エレミヤ書に各1か所登場します。 原産地は現在のシリア付近とされ、今日の生産量3位はイタリア、2位はスペインです。では1位は?そう、米国カリフォルニア州で、世界の7割を生産しているそうです。米国にアーモンドを伝えたのはスペインのフランシスコ修道士会の神父ではないかと言われており、フランチェスコ修道院のあるアッシジで見たアーモンドの花とは無関係ではなかったようです。 仁の苦い品種は香りが強く、含まれている青酸を化学処理して、アーモンド・エッセンスにします。仁の甘い品種は、多くのミネラルを含む健康食品で、お菓子の材料としても良く使われます。半分以上が脂肪なので高カロリーですが、油で炒って塩をまぶしたものは香ばしく、ビールやウィスキーにたいへん結構!中国ではアンズの仁(杏仁)の香りと非常に良くにていることから混同されているそうで、杏仁豆腐にも使われる、ということも第七話で述べました。 フランス語ではアマンド(amande)。・・・もう35年以上も前になるでしょうか、初めて行った六本木のアマンド。誰かが注文していたのを真似て頼んだルート・ビアのなんと不味かったこと。めげながらも店を見渡すと、近くのテーブルでフライド・チキンを長い指で上品に摘んで食べていたのは、いかにもハーフのモデルさんらしい飛び切りの美人!そんなことに見とれている自分には、なんだかひどく場違いな気がした、ほろ苦い記憶がよみがえってきました。目次へ
左:アーモンドの花(撮影:2008.3.27 横須賀市光の丘)、右:モモの花(撮影:2007.4.2 自宅) 第二十話 忍冬(スイカズラ) 一面を毛に被われたスイカズラ(Lonicera japonica Thunb.)の葉は青々として冬でも枯れず、そのため忍冬(にんどう)ともいいますが、白い花は後に黄色くなるために、金銀花とも呼ばれます。属名Loniceraはドイツの植物学者Adam Lonitzer(1528-1586)に因むそうです。4月の自主探で可憐な花を観たウグイスカグラもこの仲間です。吸葛とも書きますが、これは、花をぽんと引き抜いて、細い元の方に溜まった蜜を吸うところからです。その甘さと香りは素晴らしく、子供でなくとも試してみたくなります。カラスウリの花も同じようにして蜜を吸うことができますね。 英名でもjapanese honey suckle。suckは吸うですが、suckleは何かな?と思って調べてみると、乳を飲ませる、あるいは、乳を飲むということで、suckleはsuckling(乳獣、乳児)から逆に作られた言葉だとありました。電子辞書のマルチ検索機能を使って更に調べてみると、旧約聖書のサムエル記には、預言者サムエルは、迫り来るペリシテ人から民を救ってもらうため、まだ乳離れしない子羊(suckling lamb)を丸焼きにして生け贄とし、その香りを神に届けた、という記述が見られます。そういえば、ローズマリーで香り付けしたラムチョップの焼ける匂いは実に香ばしい・・・よーく冷えたビールがあればなお・・・おっとっと。 薬効(利尿、抗炎症、抗菌、鎮痛作用)があり、「忍冬」「金銀花」は生薬の名で、それぞれ、葉や茎を干したもの、蕾を干したもののことなのです。金銀花を梅酒のようにリキュールにすると忍冬酒になります。昔の忍冬酒は薬用酒で甘くはなかったようですが、このリキュールなら自分でも作れそうですね。 クズがそうだったように、欧州や米国では緑化のために輸入したスイカズラがはびこってしまい、いまではすっかり嫌われ者です。種が鳥によって運ばれるため、駆除するのは容易なことではなさそうです。 スイカズラの様な形をした花は、管状花といいます。クサギやツツジもそうですね。これらに共通しているのは、管の奥に蜜を溜めていることで、花粉を運ばせる見返りに昆虫に与えるわけです。管状になっているのは、花の方が花粉を運ぶもの(送粉者:ポリネーター)を選んでいる結果です。 クサギの花による観察では、口吻の長さが24mmを越えないと蜜が吸えないそうで、モンキアゲハ、ナガサキアゲハ、クロアゲハ、ホシホウジャクは訪れますが、ナミアゲハ、アオスジアゲハは訪れないそうです。(1) 花生態学で著名な田中肇さんの著書(2)によると、スイカズラの主な送粉者はスズメガとマルハナバチだそうです。マルハナバチの口吻がスイカズラの管の底まで届くのかどうかは不明ですが、スズメガは届くだけの長い口吻を持っています。スイカズラに対してはマルハナバチは花粉だけが目的かも知れません。じっくり観察してみると答えが見つかるかもしれませんね。 ・・5月の風は、その甘い香りを運んでスイカズラの開花を知らせてくれるでしょう。香り高く甘い蜜を、少しだけ頂戴するのも楽しいかもしれません。そんなとき、この蜜はどんな昆虫が吸えるのだろうかということにも、思いを巡らせてみてください。 (1)山下恵子:月刊たくさんのふしぎ「花がえらぶ 虫がえらぶ」福音館書店,1990 クチナシはアカネ科の常緑低木で、学名は Gardenia jasminoides 。 クチナシの名は、果実が熟しても口が開かず、種を散らさないことから、と一般的にいわれています。昔から果実を乾燥して染料としました。キントンの色付けに使われるのは良く知られていますが、戦国時代には兵糧米が変質するのを防ぐために、煎じた汁に米を浸して蒸し上げ、蓄えたそうです。(日本大百科全書:小学館) 漢方薬としては果実を梔子(シシ)、山梔子(サンシシ)というのですが、巵(シ)は古代中国の酒を入れた大きな器のことで、形が似ていることからというので、巵の画像を検索してみたのですが見つかりませんでした。徳利の様な器だったのでしょうか。 中国茶には、花の香りを付けたものが色々あります。クチナシの香りを付けたものは黄枝香単叢といいますが、まだ飲んだことはありません。飲んだら夢見心地になるかしら? 花は甘みがあり、江戸時代には食用とされていたそうで、菊もそうですが、日本ではずいぶん昔からエデゥブルフラワーの習慣があったのですね。農薬などを使わないで育てたクチナシをサラダに散らしたら素敵ですね。 クチナシの花よりも葉を好むのはオオスカシバというスズメガの幼虫で、会社のデッキにある植栽のクチナシも、毎年食欲旺盛な巨大なイモムシ達によって、無惨な姿になってしまいます。オオスカシバは昼に活動し、「ハチドリだ!」と大騒ぎした人がいましたが、確かに蜜を吸う様子は、記録映画で見たハチドリに似ています。翅の透き通った可愛らしいガなので、とても退治する気になりません。オオスカシバの翅が透明なのは、羽化した後に翅を震わして鱗粉を振り落としてしまうからなのだそうです。その一瞬を見てみたいと思いました。 昔、クチナシの花を浮かべたカクテルがある、と聞いたことがあったので調べてみたのですが、見あたりませんでした。スコーピオンというトロピカルなカクテルは、数種類の柑橘類のジュースに、ラムとブランデーを加えたものですが、チェリーの代わりにクチナシの花を浮かべるという変化を付けたものがあることが、辛うじてわかりました。カクテルを飲む機会があったら、バーテンさんに聞いてみることにします。ちなみに、とても強いカクテルなので、口当たりに騙されるとひどい目に合うことから、毒のあるサソリに例えられたとのこと。ハワイやタヒチなどで(いいなぁ・・)お召し上がりになることがあろうかと思います。どうかご用心下さい。目次へ 第二十二話 宵待草 宵待草はマツヨイグサのことですが、竹久夢二の詩による叙情的な歌曲「宵待草」は切ないメロディーがとても印象的です。それにはこんな逸話が・・・ 夢二は若い頃、千葉県銚子の君ケ浜に宿をとったことがあり、その時、宿近くに住む娘さんを見初めたのだそうです。再び訪れた時に娘さんは既に嫁しており、夢二の想いは叶いませんでした。そして生まれたのがこの詩なのだそうです。 「待てどくらせどこぬ人を 宵待草のやるせなさ こよいは月もでぬさうな」 生涯女性遍歴を続けた、恋多き夢二らしい逸話ですね。 オオマツヨイグサは明治初年に日本に入った北アメリカ原産の帰化植物で、学名は オオマツヨイグサといえば、オランダのド・フリース(1848〜1935)が、突然変異を研究したことで有名です。群落のなかに偶然見付けたオオマツヨイグサの2種類の変り種(矮性だったそうです)に興味を引かれ、11年間に5万本以上の栽培を行って8種の変異株を見いだしたそうです。今ではド・フリースが得た結果は現代の遺伝学でいう突然変異とは異なる、染色体数の変化によるものだということなのだそうですが、そうはいっても、その執念というか、根気強さには驚かされます。さらに面白いことに、ド・フリースと同じような研究をしていたドイツのコレンス、オーストリアのチェルマクの3人は、ほぼ同時期に35年も前のメンデルの論文に触れ、「メンデルの法則」を「再発見」したことも有名ですね。 オオマツヨイグサは、開花の瞬間に音がする、ということでも知られています。ハスの花も音がする、と聞いたことがあったのですが、大賀一郎(1883―1965)は音がしないことを確認しています。ということは、音がする花ってオオマツヨイグサだけ? 毎年、数家族でオートキャンプに出掛けます。1996年7月28日は、富士五湖の一つ西湖でしたが、テントの周囲はオオマツヨイグサの大群落。開花寸前のつぼみを多数見付けたので、周囲のテントのお子さんやご両親に声を掛けて、大勢で一緒に観察しました。夕方6時半頃からでしょうか、あたりに夕やみがせまる頃、つぼみを包んでいるガクの一部がさけて、黄色い花びらがほどけてきます。やがて、はなびらが一枚、ゆっくりと動いてひろがっていきました。花が動くのを眼の当たりにした子供たちは声を上げ、驚いたようすでした。「耳を澄ますと、開くとき音がするよ!」・・・騒いでいた子供たちも固唾を飲んで見守っています。やがて、「パサッ」という小さな音と共に、夜目にも鮮やかな黄色い大きな花が一瞬で開きました。中には音をさせずに開く花もあるのですが、あちらで一つ、こちらで二つと、次々に開いていきます。夕ご飯のことも忘れて、真っ暗になるまで、夢中で観察しました。 三浦半島でもオオマツヨイグサを見ることができます。機会があればぜひ、そのかそけき開花の音をお聞きになってみて下さい。目次へ 第二十三話 ヒマワリ 今月は夏を代表する花、ヒマワリの謎についてを調べてみました。 謎というのは、ヒマワリは本当に「日廻り」なのか?ということです。 ゴッホのヒマワリも強烈な印象を与えますが、わたしにとって一番印象に残るのは、ヴィットリオ・デ・シーカ監督、マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン主演で1970年に製作されたイタリア映画に登場した一面のヒマワリ畑です。映画の題名もそのままの「ひまわり」でした。 映画に登場したヒマワリは、種を食用にし、油を絞るための品種、ロシアヒマワリだそうで、同じ方角を向き一面に咲いた様はたいへんな迫力でした。 開花したヒマワリはみな東を向いています。でも、太陽を追って花の向きが変わるわけではありません。元大阪大学教授の柴岡弘郎さんは、中学生の時、理科の先生に「ひまわりの花はほんとうに太陽を追いかけて動くのですか?」と質問したところ、先生の答えは「そんなこと、自分で調べろ!」 この様にヒマワリは太陽を追いかけるわけではありません。また、柴岡さんによると、花が必ずしも東を向くというわけではなく、東に塀や木立があれば、より強く光の来る西を向くのだそうです。ただ、南や北には絶対に向かない、ということでした。 面白いことに例外は何にでもあるようで、ちゃんと太陽を追うヒマワリもあります。小型の園芸種で、葉の表面に細かい毛のあるシロタエヒマワリは、花が咲いても太陽を追いかけるのだそうです。 というわけで、ヒマワリの謎を解いたのは先生の素っ気ない一言がきっかけになったというお話でした。 おまけ:学名について ヒマワリの学名は、Helianthus annuus L.。北アメリカ原産の不耐寒性一年草で、北アメリカを中心に約160種が知られています。heli〜は太陽ので、helianthusは日に向かって咲く花の、という意味。種小名 annuus は、一年生の、という意味です。目次へ 第二十四話 ヒヨドリバナ 「ヒヨドリが鳴く頃に咲くからヒヨドリバナという」という解説をよく見かけますが、ヒヨドリは一年中いるのになぁと思う方も多いと思います。とはいえ、ヒヨドリは秋の季語で、おそらく昔は、北方、といっても大陸ではなく(ヒヨドリは日本列島特産の固有種)北海道や東北地方で繁殖したヒヨドリが、秋になると数百羽の群単位で、大挙して里にやってくるからだろうと思います。一年中いるヒヨドリもいますが、武山でも秋になるとそれこそヒヨドリだらけになることもしばしばです。 ヒヨドリバナの頭花は散房状で、筒状花が5〜6個集まって一つになっています。先にふさふさしたものが見えますが、これは花柱が二裂しているためです。花の色は赤みがかったものもありますが、ほとんどは白です。葉はしばしばウィルスによって斑入りになっています。このことを最初に詠んだのは孝謙天皇で、万葉集(752年)の「この里は/継ぎて霜や置く/夏の野に/わが見し草は/もみちたりけり」の歌は、黄色くなったヒヨドリバナの葉を一枚摘み取って詠まれたそうで、実は、これが世界最初の植物ウィルスの記録となりました。 ヒヨドリバナはフジバカマ属なので、フジバカマに大変良く似ていますが、フジバカマの葉のように三つに裂けていないのと、花にあまり香りがしないことで区別できます。フジバカマは葉がもっと小ぶりで、枯れたものや生乾きのものは、桜餅に巻いてある塩漬けのオオシマザクラの葉が持つ、あの清々しい強い香りがします。これはクマリンの香りなのですが、クマリンは昔はトンカ豆(どんな豆なんでしょうね?)から抽出した天然香料でしたが、1875年、英国のパーキンによって合成された最初の人工香料なのです。現在は食品に使用することは禁止されています。 フジバカマは非常に古い時代に中国から渡来したようで、日本書紀や万葉集に詠まれているそうです。奈良時代には既に野生化していたようですが、現在では衰退してしまい、野生のものはほとんど見ることはありません。 以前、ヒヨドリバナの同定のために、葉を一枚図鑑に挟んでおいたら、とても良い香りがしました。ヒヨドリバナもクマリンの香りがすると、東京薬科大学の指田豊先生が漢法科学財団でのご講演で述べておられます。 桜餅を召し上がる時など、クマリンの香りを味わいながら、上代に思いを馳せてみてはいかがでしょう。 第二十五話 キンモクセイ 夜道を歩いている時、どこからともなく漂ってきた甘い香りで、花を見ずともキンモクセイが咲いたことを知る、というご経験はどなたもお持ちのことと思います。 モクセイは広い意味では、キンモクセイ(金木犀)、ウスギモクセイ(淡黄木犀)、狭い意味でのモクセイ別名ギンモクセイ(銀木犀)の総称で、花はどれも甘く香るそうですが、キンモクセイの香りが一番強いそうです。 キンモクセイはモクセイの変種で、原産国の中国では古くからその良い香りで知られていました。モクセイは木犀と書きますが、これは樹皮が動物のサイの皮膚に似ていることからといいます。中国ではモクセイ科の仲間を桂とするのですが、日本では桂の字にカツラを当てたため、混乱が起こりました。(第八話の月桂樹参照)日本の山野に自生するカツラはモクセイ科ではなくカツラ科で、花に良い香りはありません。カツラの花は裸花といい、ガクも花びらもない風媒花なのです。昆虫を呼ぶ必要がなければ、良い香りも必要有りませんものね。 世界的な観光地として名高い桂林という地名は、モクセイ科の樹が多く植えられているからといいます。キンモクセイも有名だそうですが、花期はわずか一週間なので、花の時期に桂林を訪れた人は幸運ですね。 キンモクセイの甘い香りは合成することができ、トイレの消臭剤に多用されています。小さい頃からこの香りをトイレで嗅がされていたため、本物のキンモクセイの香りに出会った時も「トイレの香り」と感じてしまうという、気の毒な子供が増えているそうです。私の場合はユーカリ油の香りがこれに当たります。幼少のみぎり、我が家では「煙出しネオ片脳油」をクラシックなトイレで使用していたので、今でも「ホールズ」のキャンディーなどを口にすると、キンモクセイの子供と同じ心地がいたします。 中国ではキンモクセイの甘い香りを、花をワインに漬け込んだ桂花陳酒や、桂花茶というお茶にして楽しんでいるそうですが、最近になり、この甘い香りはただものではないことがわかってきています。2003.10.19放送の「所さんの目がテン!」という番組で紹介されました。それによると、キクの一種のメランポジウムという花とキンモクセイの花に、モンシロチョウを放したところ、キンモクセイの香りの強さはメランポジウムの3倍あるにも関わらず、全てのチョウがメランポジウムの方へ行ってしまいました。つまり、この香りはチョウを忌避する作用があるというわけです。キンモクセイの香りに唯一寄ってくるのはホソヒラタアブだそうで、これはおそらく、一週間という短い開花期間に、他の虫を寄せ付けず、効率よく受粉させるキンモクセイの戦略なのでしょう。このチョウを忌避した物質はγ−デカラクトンといい、番組では、出演者がこれを腕に塗って100匹の蚊の入ったケースに腕を入れてみせたのですが、まったく刺されないということでした。 こんなすごい戦略をもったキンモクセイですが、日本にあるのは、近縁のヒイラギを台木にして接ぎ木で育った雄の樹がほとんどだそうで、せっかくの戦略も実を結ぶことがない、というのはなんとも皮肉なものですね。 【学名】Osmanthus fragrans Lour. var. aurantiacus Makino 大仏ハイキングコースを抜けて源氏山に至る手前に、かなり大きなマユミの樹がありますが、毎年この時期には、可愛らしい赤い実が、天秤の様に吊り下がっています。赤い色はきっと鳥を呼んでいるのでしょうね。 「マユミは真弓の意で、古くはこの材で弓を作ったことによる」と図鑑などの解説にありますが、調べてみますと、縄文時代の弓はイヌガヤ、イヌマキ、クワ、カシが多く使われていたそうです。いつものくせで、弓について調べてみました。我が国の弓は縄文以前からあったようですが、世界的にも一万年ほど前から、狩猟用具や武器として使われたそうです。日本の弓は、木をそのまま利用した丸木弓から発達し、現在のものは木に竹を張り合わせてあり、まさに「木に竹を接つぐ」わけなのですが、この場合はそれによって非常に強靱となり、また形も美しく、これ以上改良の余地がないほど洗練されているといいます。 大相撲で結びの一番の後に行う弓取式では、補強のために藤を巻き付けた重籐(しげとう)弓を用いますが、これは大将の象徴だそうです。勝力士の代理のお相撲さんが行司から受け取ると、土俵を掃くように弓をさばき舞います。弦を張っていないので、逆側に反っており、それを知らなかった子供の頃には、あんな形では弓の役にたたないのではと、奇妙に思ったものです。 弓にはもう一つ、弩(ど、いしゆみ)があります。石を飛ばして城壁を破るような大型のものもありますが、弩は西洋の十字弓(クロスボー、ボーガン)と同じです。子供の頃に観たテレビ映画「ロビン・フッドの冒険」では、リチャード・グリーン演ずるロビンは長弓を使いますが、悪代官の手下は十字弓でした。一方の弓の名手、ウィリアム・テルも十字弓でしたね。弩は日本にもあったようですが、室町時代には絶えてしまったそうです。 話を戻して、マユミには檀の字も使われます。古代、マユミの樹皮を漉いた和紙を檀紙(だんし)と呼び、最も品位が高い紙と言われたそうですが、陸奥紙(みちのくがみ)も檀紙と呼ばれたそうで、コウゾを主な原料にし、時にマユミの樹皮も用いられたのではないか、と推察されています。(日本大百科全書:小学館) 紫檀、黒檀、白檀、栴(せん)檀にも檀の字が使われますが、それぞれマメ科、カキノキ科、ビャクダン科、センダン科で、マユミはニシキギ科です。異なる樹木になぜ檀の字を使うのか不思議ですが、材が硬くて美しく、有用な樹に檀を用いたのかも知れません。 マユミ クリスマスの季節になり、スミソニアン博物館やメトロポリタン美術館からミュージアム・グッズのカタログが送られてきました。ページをめくるとクリスマス・ツリーに飾る金や銀、緑や赤の素敵なオーナメントに目を奪われます。子供の頃、日曜学校に通っていた教会で、大きなモミの木の枝に真綿の雪を載せたり、色とりどりのオーナメントを吊す飾り付けを手伝った、楽しかった思い出がよみがえります。 枯れ木の目立つ頃、ケヤキやエノキに、ちょうど酒林(さかばやし、あるいは杉玉)のような、緑色の球形になったヤドリギ(宿木・寄生木)が目立ってきます。酒飲みなので、ちょっと脱線。酒屋の軒先に吊される杉玉は、酒箒(さかぼうき)酒旗(さかばた)などとも呼ばれます。新酒が仕込まれた印なのですが、古くは御神酒を入れた瓶を「みわ」と呼び、また酒の神である大和・三輪山の三輪神社が杉を神木とした縁によるといわれているためだそうです。(宇田敏彦;日本大百科全書:小学館)また、中国から渡来したともいわれ、かの地では杉玉と青・白の布を旗にして酒屋の印としたそうで、杜牧の「江南の春」にある「水村山郭 酒旗の風」がそれ。(知恵蔵:1999年版) さて、ヤドリギですが、雌雄異株で日本のものは実が熟すと半透明で淡黄色です。若宮大路、一の鳥居近くのエノキにも見ることができます。1991.3.17、ヒレンジャク23羽が来たこともありました。変種にアカミヤドリギがあり、実は橙黄色に熟します。これに対して、ヨーロッパのものはセイヨウヤドリギで、こちらの実は白く熟すそうです。クリスマスの飾りにも使われますが、それには、こんないわれが。 書物にはシーザーの「ガリア戦記」の他、ほとんど記述がないという古代ケルトの謎の祭司ドルイド。霊魂の不滅、輪廻転生、死の神が世界を支配するというなんだか「指輪物語」の世界のような話ですが、このドルイド*が神聖視したものが、オーク(カシではなく、ミズナラに近い落葉樹)の木に生えるヤドリギなのです。冬至と夏至に金の小刀で恭しく切り取るという儀式があったそうです。北欧でも冬至の火祭りに、人形と共に火に投げ入れられ、光の新生を祝ったそうです。アイルランドでは聖パトリックによってキリスト教化されると次第にドルイドは排斥されていったそうですが、クリスマスかざりにその名残をとどめているというわけです。 英国では、クリスマス飾りのヤドリギの下にいる女性にキスをしてもよいという習慣があるそうです。(1)「ママがサンタにキスをした」というクリスマスソングの歌詞に、 では、Merry Christmas!そして世界が平和でありますように。 【学名】Viscum album L. var. rubro-aurantiacum Makino form. lutescens (Makino) Hara (1)イギリスのクリスマス(大関啓子:大学英文学科教授)実践女子大学図書館報(Library Mate 第21号,1998.12)目次へ 第二十八話 ダイダイ 今年もどうか平和な良い年でありますように。 お正月飾りに使われるダイダイ(Citrus aurantium L.)は、果実が落ちにくく、二代、三代に渡って実がなる例もあるため「代代」と呼ばれます。縁起物として、江戸時代から正月の飾り物に使われたそうです。 欧州に伝わったダイダイはサワー・オレンジと呼ばれ、耐病虫性に高いため、オレンジ類などの台木に使われるそうですが、ある種のウィルス病には弱いという弱点があるそうです。 果汁は酸味が強く甘みが少ないのですが、絞った汁をオランダ語でポンス(pons,フルーツ・ポンチのポンチに同じ)といい、ポン酢の語源となりました。果皮はマーマレードにもなりますが、マーマレードは本来マルメロ(marmelo:オランダ語、西洋カリン、バラ科)から作られます。(1) 紅茶好きの方ならご存知かもしれませんが、アイス・ティーに良く使われるアールグレイは、本来はダイダイの風味だったそうです。1793年にジョージ・スタウントン卿が、中国茶には柑橘類で匂い付けされたお茶があると報告しています。(2) 当時の首相グレイ伯爵に、中国に派遣された外交官から献上されたダイダイで匂い付けされた紅茶が、人気のあった首相にちなんで「Earl Grwy:グレイ伯爵」と名付けられました。伯爵自身は一度も中国へは行ったことがないそうです。伯爵はこの紅茶をいたく気に入って、同様なレシピでジャクソン社に作らせたそうですが、現在ではそのレシピは失われています。今、私達が口にするアール・グレイはベルガモットで匂い付けされていますが、これはダイダイとレモン、あるいはライムとの雑種から由来したものと考えられ、本来のダイダイとは異なった香りです。 季節は早いのですが、アイス・ティーになさるなら、アール・グレイ・クラシックをお薦めします。普通のアール・グレイはラプサン・スーチョンというかなりスモーク・フレーバーの強い中国茶がブレンドされていますので、好き嫌いが激しいものです。私も失敗しました(^_^;)。夏にアイス・ティーをお飲みになるときにでも思い出してください。 【学名】Citrus aurantium L. (1)日本大百科全書:小学館 第二十九話 サフラン
調べてみますと、スパイス、薬用になるサフランの学名はCrocus sativus L.。アヤメ科クロッカス属です。日本ではクロッカス属の秋咲き種をサフラン、春咲き種をクロッカスと呼んでいます。(日本大百科全書:小学館) サフランの花柱は三裂した長い糸状で赤く、これを乾燥したものがスパイスのサフランです。たいへん高価で、なかでもギリシャ北部、マケドニアのコザニという町近くで栽培されるものが最高級品です。1万五千個の花から100グラムしか作れないのに、この地方だけで年間7〜8トンのサフランを生産するそうで、規模の大きさがわかります。サフランの花から、赤い柱頭だけを手で選り分けるのだそうで、大変な手間がかかります。9割以上が輸出され、その8割がフランス、スペイン、イタリアで消費されるそうです。(1) 日本では大分県竹田市が100年あまり前からサフランを栽培しています。年間生産量は50kgで、国内生産の9割以上にもなるそうで、ほとんどが製薬会社へ出荷しています。国内の大きな産地は竹田市のみで、現在76戸が生産しているということです。 サフランの成分は黄色のカロチノイド配糖体クロシン、苦味配糖体ピクロクロシン、芳香精油成分サフラノールなどを含み、サフラノールはピクロクロシンの加水分解によって生じるそうです。サフランが古くなると苦味が少なくなり、芳香が強くなるのはこの加水分解のためだそうです。(2) スパイスとしての利用の他、さまざまな薬理作用がありますが、なかでも注目されるのは、マウスでの実験ですがエタノールによって障害された学習、記憶過程を改善させる作用が確認されているそうです。う〜ん、私には必要かも・・・。そういえば、中学か高校の教科書に「サフラン」という短編が載っていました。 「名を聞いて人を知らぬと云うことが随分ある。人ばかりではない。すべての物にある。」ではじまる「サフラン」(「番紅花」1914(大正3)年3月)は文豪、森鴎外の作。蘭方医の息子であった鴎外の、サフランとの幼少の頃の出会いと、軍医総監となってからの再会が、簡潔な文章の中でみごとにえがかれています。インターネットの「青空文庫」(3)でも読むことができます。お暇なときにでもいかがですか? (1)http://www.nostimia.com/diet/saffron/ 【学名】Crocus sativus L. あちこちから、ジンチョウゲの良い香りが漂ってくる季節になりました。ユーミンの「春よ、来い:1994年」の歌詞にも登場しますが、そこでは「ちんちょうげ」と発音していたように思います。間違いではないかもしれませんが、標準和名はジンチョウゲ:沈丁花。 沈丁花の由来は、香料の沈香(ジンコウ)と丁字(あるいは丁子、チョウジ)になぞらえてのこと。沈香は熱帯アジア産のジンチョウゲ科の常緑樹で、大きくなれば20〜30mにもなるそうです。樹液に芳香があり、最上のものは巨木となって倒れて水に沈み、樹脂だけ残ったものだそうで、正倉院御物のなかにも見られます。蘭奢待(ランジャタイ)とよばれる黄熟香(タイかベトナム産らしい)は2mもある巨大なもので、聖武天皇(在位724〜749)が命名したと伝えられています。これには切り取った跡が2カ所あり、一カ所は足利義政と言われ、もう一つは、東大寺の僧が信長に見せたところ、信長はその場でのこぎりで切り取ったと言われています。気の短い信長らしい逸話です。蘭奢待の字の中に「東大寺」の字画が含まれており、そのため東大寺の異名をもつそうです。(1) もう一方の丁字(クローブ)ですが、フトモモ科の常緑高木で、赤道直下のモルッカ諸島原産。かつてはクローブとナツメグの産地として知られ、Spice Islandsと呼ばれていたそうです。(2)そういえば、我が家にも同じ銘柄のスパイスの瓶が並んでいます。そういうことだったのか・・・ 肝心のジンチョウゲですが、雌雄異株で、日本のものはほとんどが雄株で実を結びません。本来の花弁はなく、花弁に見えるものはガクです。牧野植物圖鑑の絵を見ると、雄しべが上下二段になっています。こんど観察してみることにしましょう。この仲間のオニシバリ、ミツマタ、ガンピは樹皮から繊維を取り、紙に漉くことで知られています。 春の宵、漂うジンチョウゲの香りを楽しみながら、ご存じのことばかりかも知れませんが、こんなことを思い浮かべてみてはいかがでしょう。 【学名】Daphne odora Thunb. (1)http://www33.ocn.ne.jp/~kazz921/zatsugaku/kenbun.html |