Profile etc.
画家紹介 さいとう あきら(似顔絵画家) 1958年福島市に生まれる。芭蕉が奥の細道で寄った文字摺の里で、子供時代を過ごす。似顔絵のキャリアは1988年の夏、サンシャイン60展望台で始まる。以来いろいろなことがありましたが、お陰様で何とか似顔絵でやって来れました。

東京を拠点に全国で描いた人は、数だけは10万人は超えてるんじゃないかなと思う…数えたことは無いけど。TBS『新ウンナンの気分は上々』に似顔絵講師としても出演。偶に週間朝日の『似顔絵塾』掲載。『トリビアの泉』『天才!志村どうぶつ園』『IQサプリ』などTV番組や広告・パンフレット用などの似顔絵も偶に制作。似顔絵は、その人の印象や“らしさ”を捉えようと表現するので、写真より解りやすくなったり、その人の印象がはっきりしたりします (^^)

顔とは不思議なもので、勉強しなくてもわかるものなので、老人の方から赤ちゃんでさえ似顔絵を通じて関われてしまうものなのです。イベントなんかでは2,3歳の子供でさえ、その場でこれが誰の似顔絵か指を指して答えてくれます。そんなやり取りは楽しいものです。それぞれに反応や関わり方が違っても、似顔絵って実に面白いものなのです。 それに自分の顔の一瞬一瞬の表情が自分で観れてないので…自分の顔のイメージと周りが観てるイメージとちょっと食い違う…。そんなところのやり取りが面白かったりします。

TBSの『新ウンナンの気分は上々』に似顔絵講師として出演。ああ…しんどかった。収録中、緊張しすぎて胃に出血大サービスだったと思う。笑わすはずが笑われてしまった。身内や知人にはカメラを無視した妙な動きがうけたけど…。笑わすってほんとムズカシイ。薄々は感じてはいたものの、自分がはっきりボケキャラだと分かる。生徒になってくれた清水ミチコのほぼ日刊イトイ新聞の2000年1/12の日記で場慣れせず一人浮いていて夢遊病者のようなこんな僕を“起こした”と書いていた。ナットクナットク。  ■この似顔絵シリーズ第1弾の後の、第2弾も似顔絵を描こう!〜路上編として横浜でロケし、放映になりました。

週刊朝日の『山藤章二の似顔絵塾』の掲載は数だけはあり〜絵が載ると薄謝もらえるよ、皆も出してみよう! 漫画的、イラスト的に遊びのある絵を描きたい。そんな絵がみんなのパーソナルな挿絵になれば、よろしく。

TV『トリビアの泉』『天才!志村どうぶつ園』『IQサプリ』などのTV番組似顔絵制作や雑誌などの広告用似顔絵イラストなど 

  ■右の絵は清水ミチコさんが僕を描いてくれたもの。寝てはいなかったものの、ボーっとしているのをよく捉えていて、さすがミッちゃん、みちみちうんこして…飾っておいても飽きない、さすがエンターテイナーの絵 →

Awards: かつて似顔絵で町興ししていた山梨県櫛形町(現在は南アルプス市)『日本一似顔絵コンクール』で山口桂三郎賞、審査員特別賞、入選多数。あとは特になし。

Tools: 主にペンに水彩。デジタルはやるけど、苦手なのでいつまでも初心者級のレベル。

Home: 入間市在住、お茶畑に囲まれてます。中世は修験道の修行の場だったらしく、湯殿山・羽黒山・月山の石碑が近所にあります。でも最近は、お茶畑も少しずつ宅地になり、近所の還暦迎えた大きなケヤキの樹が2本も切られてしまいました…悲しい。

昔の写真〜最初の写真は1990年頃、フリーになり、原宿のクエストホール前辺りで似顔絵を描く僕です。朝11時と夕方4時に原宿警察が3,4人でみんなを一斉撤去しに来たなぁ…。一部のイラン人がけっこうたくさん上野に集まり、偽造テレホンカードを売っていたなんて頃です。隣にいるのは無愛想なフランス人、彫金を売ってました。近くではチンピラ風のお兄ちゃんがアイドルの生写真を売っていたりして、その近くではメキシコ人がいて…奥さんが日本人で練馬に住んでたり。路上はペルーの音楽演奏やイタリアから来たユダヤ系の似顔絵描きなどあふれていました。今思うと面白い時代でした。写真を撮ってくれたのは苦楽を共にした我敬愛する、同じ似顔絵とイラストをやっている先輩の原田タカオ氏です。赤塚不二夫と谷啓を2で割ったような顔で、漫画にするとアンパンマン、雰囲気は謎の台湾人というところか。原田さんは、2005年秋から読売新聞の似顔絵作家になり、読売新聞紙上や読売Weeklyなどで活躍しています。右は、原田さんがスケッチしてくれた2011年の僕です。その次の写真は、2010年、下の大きな写真は2009年、その下は2017年の僕です。

BOOK

■学研のTV LIFE編集部から、『新ウンナンの気分は上々。』放送200回記念の本が出ました。ぼくの分は2000年1/28、5/5の「似顔絵を描こう」の回の放送に似顔絵講師として出演した時のことで出てまぁ〜す(P.134〜135)

ぼくにとっちゃあ3年前のことだけど、まあもう懐かしいと言った方がいいかなぁ。でも今考えても笑える。ビデオに撮り、家族で3回も観たがその都度大爆笑で、僕は笑いものにされコケにされるのだった。まあいいかぁ。たぶん今でも笑える。自分ってホントは結構おかしなものなのだ。(2003年5月8日記)

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