44(続)金英達(キム・ヨンダル)さんとの往復書簡

拝復 お手紙拝見しました。

 この問題(もし日朝国交樹立することになれば在日朝鮮人はどうなるか)について、どういうわけか在日朝鮮人社会内部での関心がきわめて低いなかで、日本人の辻本様からご意見をいただき、忸怩たる思いです。お手紙を読み、正直に言って、こうまではっきりした問題意識と意見を持っている人は、いったい何者だろう、という感を抱きました。

 ともあれ、お手紙の内容に即して、私の意見を述べたいと思います。

 

@  在日の国籍選択は南北いずれかの二者択一しかありえないのではないか、という点ですが、国家(政府)の側からの「政治的帰属の選択を迫る」という面では、そうとおりだろうと思います。おそらく、本国の韓国政府・共和国政府も在住国の日本国政府も、どちらかにはっきりしろという態度で、中間的立場や二重帰属や逃避的立場を認めない政策を打ち出すでしょう。

しかし、南北朝鮮を二重承認した日本政府は、本国官憲の国籍証明書があるかぎり、それに従って、帰属の変更を認めざるを得ず、同時に二つの国籍認定は避けるとしても、いったん認定した南北いずれかの国籍に当人を固定することはできないのではないでしょうか。つまり、韓国のパスポート(あるいは在外国民登録証明書)によっていったん韓国国民であると認定しても、その後、新しい日付の共和国のパスポート(あるいは在外公民登録証明書)を持ってこられたら、改めて共和国国民であると認定せざるをえないと思うのです。

 

A  在日朝鮮人の若い世代が日本人化(同化)しているのは事実ですが、本国の民衆とは違った考え方、行動様式を持っているからこそ、在日の独自性があります。また、南北と等距離に位置し、日本にいて南北全体を一つの視野に収めることのできる有利な立場にあります。このような本国の人間にはない独自性・有利性を発揮してこそ、在日朝鮮人が本国に貢献できる積極的可能性があると私は考えているものです。

   ただし、本国の人々がこのような本国の文化・習慣を知らない在日の人々を民族的に劣った者だと見下しているかぎり、本国と在日の摩擦・軋轢は避けられないものであり、一方的に私たち在日だけが努力すればよいというものではないと考えています。

 

B 民団、総連の組織の力は大きいものでありますが、民団や総連などの本国政府に従属した団体だけが在日朝鮮人社会ではありません。本国政府が対立しているかぎり、従属団体である民団と総連が協調することは考えられません。したがって、本国政府に従属しない立場の在日朝鮮人社会の大衆が自主的な立場で、本国に物申すということですが、現状では大きな力とはなりえないことは確かです。しかし、力の弱いものは、黙っておれ、動くな、ということにもなりませんから、言うべきこと、言わなければならないことは言うつもりです。

 

C 日本政府は対在日政策で一貫するほどの信念はなかったとのご意見を読み、なるほどと考えさせられました。戦後の国際政治のダイナミックスのなかで日本政府の在日朝鮮人政策の固有の論理は何であったか、これから勉強しなおしたいと思います。

 

D 「共和国は法治国家ではない」という意見は、まったく同感です。「首領制」という特異な国家形態の北朝鮮は、およそ法治国家とは縁遠いものです。しかし、そのことをズバリと言うことをさしひかえて、とりあえず国籍法を中心に具体的な質問方式であぶりだすという書き方をしました。かえってその方が説得力があるのではないかと考えてのことです。

 

E 外国人登録の国籍欄の記載事項は、たしかに日本政府(法務省)の政治的判断が優先します。であればこそ、国内での在日朝鮮人社会の混乱(民団と総連の争い)を避けるということが日本政府の政治的目的になれば、国籍欄の記載を一元的な統一用語(たとえば「コリア」)で行うということもありえます。外国人登録の窓口を混乱させることは、南北朝鮮二重承認の下では、日本政府としても避けたいと考えるでしょう。

 

F 私は、日朝国交正常化は請求権(賠償)問題を先送りしてすぐにでもなされるべきだと考えています。そうすることが、北朝鮮の閉鎖性を突き崩すことにつながり、現在の共和国の体制を崩壊させるのに有利に作用するものだと考えるからです。北朝鮮の現体制が続く限り、朝鮮の統一はありえないからです。

 

G 韓国政府の「1910年の併合条約は無効で、植民地時代においても大韓帝国の国籍は潜在的に存続していた」という主張は政治的建前にすぎず、韓国の法制度からみれば、日本統治時代から米軍政府時代そして大韓民国時代と法体系は連続しており、断絶はありません。

   現在の韓国の国籍法は、米軍政下の1948511日公布施行の南朝鮮過渡法院の「国籍に関する臨時条例」(法律題11号)を出発点としており、その内容から見て植民地時代の「内地」戸籍・「朝鮮」戸籍の在籍者の区別をそのまま「朝鮮国籍」(1948815日からは「韓国国籍」となりますが)の基準に採用しているように思われます。

   

 

 以上、私の拙い考えを述べさせていただきましたが、拙著がもともと問題意識と議論の喚起を目的としたもので、粗雑な論理を展開していることはご賢察のとおりです。それでも問題点の指摘はそれなりに的外れではないと思うのですが、肝心の同胞社会からの反応は今のところさっぱりです。そのうちに日朝国交樹立が現実化してくると議論もおきてくるでしょうが、そのときになって在日朝鮮人社会が右往左往しないように願わずにはいられません。

 今後とも、朝鮮問題・在日朝鮮人問題についての関心を深められ、ご活躍なさいますことを期待しております。

 

辻本様

金英達  

拝復 金英達様

 早速ご感想をお寄せいただき、ありがとうございます。

 お手紙を読ませていただきましたが、なお納得できないところが2点あります。一つは在日のあり方のことであり、もう一つは北朝鮮の評価のことです。

 「在日の独自性」というのは、本国および民団・総連という団体から離れるという意味にとれるのですが、それで「本国に物申す」ことができるのかどうか。「力弱き者も言うべきことは言わねばならない」とありますが、いつまでも力弱き存在であっては「本国に貢献できる積極的可能性」はないと、私は思います。

 いま在日が出来ることというのは、先進国でありまた科学技術分野の多くで世界のトップクラスをいく日本にせっかく住んでいるのだから、努力・研鑚を積んで自らの経済力、技術力、科学力を、日本に、ひいては世界に認められるぐらいにまで高めることではないかと思っています。高い評価を受ける在日は日本だけでなく本国にも貢献できるし、発言権も大きくなると思います。

なぜこんなことを言うのかというと、民族差別や強制連行、民族性抹殺の歴史を訴える多くの在日を見てきましたが、日本社会でも認められるぐらいに地道に努力・研鑚していこうとする人が余りにも少なかった、という私の経験的事実があるからです。「一方的に私たち在日だけが努力すればよいというものではない」と書いておられますが、本国の人々が見下そうが何と思おうが、在日は一方的に努力せねばならないと思います。京都MKタクシーの青木定雄(兪奉植)氏は「在日だからといって、いいわけして努力しない人間は結局、どこへ行ってもダメなんですわ」と言っておられましたが、私もその通りと思います。

北朝鮮について、「日朝国交正常化が北朝鮮の閉鎖性を突き崩し、体制を崩壊させるのに有利」と書いておられます。しかし、北朝鮮の思想統制、報道統制、国民の動向把握は全く完璧であり、たとえ日朝国交樹立してもその閉鎖性を崩すものとははならず、国民の力で現体制が崩壊することは考えられません。国家中枢部内に反金正日派が形成されているのなら、体制流動化の可能性はありますが、それは日朝の国交とは関係のないことと思います。北朝鮮にとって日朝国交樹立は、あくまで現体制の強化につながるものでなければなりません。

愚考を述べさせてもらいました。かつて在日朝鮮人問題に関わったことのある一日本人の意見として読み流していただければ幸いです。

これからのますますのご活躍とご健康を祈念します。

敬具   

金英達様

つじもと       

 

往復書簡はこれで終わり。これは1992年の終わりごろに金氏と間でなされたものです。ご本人から「公表して大いに議論を起こしてほしい」と承諾を得て、翌年ミニコミ誌に発表しました。

彼が信じられないような亡くなり方をされてから2年ちょっとが経ちます。追悼の意味でここに再録しました。

当時は南北の対立が激しかった時代でした。今のように融和傾向になって、韓国が北朝鮮に対して警戒心を解いてしまうような事態はとても予想されるものではありませんでした。従ってこの往復書簡は今の時代にそぐわない部分がかなりあります。しかし日朝が国交を樹立したとしたら在日の国籍はどうなるのかという議論については、的を得た部分が多いと考えております。

 

(参考)

下記の論考で金英達さんに触れています。彼は緻密な考証家ですが、陥穽がありました。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

2007212日記)

 

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