43金英達(キム・ヨンダル)さんとの往復書簡

拝啓

金英達様 初めてお手紙を差し上げます。

 私はかねてより、日朝交渉が開始されて以来、もし国交樹立されることになったら、在日朝鮮人たちはどうなるのか、について関心を抱いておりました。そんな折、本屋であなたの『日朝国交樹立と在日朝鮮人の国籍』という本を見つけ、早速買って読んでみました。なかなか参考になることが多く、勉強になりました。しかし、若干の疑問や意見を異にするところがあります。そこで一筆とりたく思い、手紙を差し上げる次第であります。以下、気がつくままに書きますので、まとまった文にはなりませんが、もしよろしければ、あなたの感想や反論をお聞かせ頂ければ幸いかと思います。

 

@ 「在日朝鮮人の個々人にとっても、分裂国家のどちらに帰属するのかという政治的選択肢、本国の両政府からも日本の政府からも否応なしに迫られ、真に民族的主体性が問われることになることを肝に銘じなければならない」(12頁 13〜15行)

「在日朝鮮人は、日本在住のまま、南をとるか北をとるかという二者択一の局面に立ったとき、何を基準にしてその国籍が判定されるかということだ」(15頁 14〜15行)

「自分の生活上の便利のためだけに国籍を選択しようとする政治的無節操な機会主義的行動は、いずれどちらの政府からも規制されるようになるだろう」(25頁 10〜11行)

以上は、日朝の国交が樹立されれば在日の選択肢は南北いずれかの二者択一しかあり得ない、というものであり、私もそう思っていたのであるが、

「ある局面では南を選択する行為をとり、別の局面では北を選択する行為をとることもありうる」(16頁 4〜5行)

「政治的信条として、あえて積極的な国籍選択をしない者は、当面する渉外事件の解決のためだけの目的で、希望する本国法の採用を書面で申し出たらよいだろう」(32頁 1〜2行)

「在日朝鮮人のなかには、その政治的立場あるいは独自の民族的信条から、統一が達成されるまではあえて積極的な国籍選択をせず、統一的名称としての『朝鮮』記載を望む者もいるはずである」(40頁 1517行)

と両方とも選択、あるいは両方とも拒否という道もあるように、あなたは書いておられる。

 前者(二者択一)と後者(両方とも)とは大きく矛盾していると思う。前者は現実性のあるものだが、後者はあなたの主観的願望として記述されたものと推察するのだが、どうか。

 

A 「在日同胞に対して、それぐらいの度量の広さをみせなければ、若い世代の祖国離れを食い止めることは難しい」(26頁 4〜5行)

「在日朝鮮人が、本国に対して保護と利益供与のみを期待し、国民としての義務についてはそっぽを向けるようでは、本国の民衆からけっして尊敬されないし、本国と在日との間に同胞意識にも亀裂が生じるであろう。海外在住者として、本国にどのような寄与ができるのかを考え、本国に貢献していこうとする姿勢がなければ、本当の主体的な国籍選択はできないであろう」(31頁 1316行)

 確かにその通りだろうと思うが、日本で生まれ育ち、日本語で考え話し、日本文化を享受し、日本の習慣・価値観を身に付けている在日二・三世(今は四世も誕生し始めている)を見ると、彼らは十分に同化されていると思う。近頃の彼らの文章を読んでみても、日本における自分たちの権利主張が多く、なかには日本に対し公務員就任権や参政権を要求する者まで現れているが、本国への「寄与」「貢献」についての文章は見かけなくなった、というのが私の印象である。そのような在日が本国に具体的にどのような「寄与」「貢献」する気があるのか、疑問である。かれらに本国が「度量の広さ」を見せても、彼らが「祖国離れ」「本国の民衆から尊敬されない」「本当の主体的な国籍選択ができない」存在になるという危惧は、現実性があると思う。

 

B 「場合によっては、『同族に対して武器をとらなくてはならなくなる分断下の現状にどちらの兵役義務にも応じられない』と明言するぐらいの在日の自主性があってもよいだろう」(31頁 1012行)

「国籍選択にともなう無用な混乱を防ぐためにも、本国政府は同一歩調をとってなんらかの有効な対策を講じてほしいと切に念願するものである」(36頁 4〜5行)

 こういったことが実現されるには、まず総連と民団とが意思一致し、それぞれの本国に影響力を行使して、南北対話の議題の一つとして、在日の法的地位、兵役、家族、財産等のことを取り上げるようにする、というシナリオしか考えられない。しかし、これまで総連も民団も本国の対立をそのまま日本に持ちこみ、激しく醜い争いを日本人の前でも見せてきた。このような経過を見せられた以上、「在日の自主性」「念願」はあなたの主観的楽観的願望に過ぎず、まさに「無用の混乱」が実際に起きると見るべきだ、と思う。

 

「この過度期の在日朝鮮人の法的地位を考えるにあたって重要なことは、在日朝鮮人の政治的立場の自由と生活の安定を中心におくことはもちろんであるが、何よりも本国の統一に向けた思考が要求される」(88頁 1113行)

 まず「在日朝鮮人の政治的立場の自由」の中身がわからない。つぎに南北が厳しい対立を続け、互いの信頼が全くない状況で、そしてこの対立が在日にまで持ちこまれている以上は、南北から等距離に、しかもかなり離れた安全な場所に自らの身を置いて「統一に向けた思考」というのは、両本国から受け入れられないと思う。もしそういう「思考」が可能だとしたら、南北間に信頼感が生まれた上で在日が一つにまとまり、南北双方に影響力を持つ存在になるというのなら可能であろう。しかしそんな条件はおよそ考えることができない。「本国の統一に向けた思考」というのは、今細々と続けられている南北対話を固唾をのんで見守るしかない、と思う。

 

C 「日本政府が一貫して進めてきた朝鮮民族の分断政策の大いなる成果であったと認めざるをえない」(37頁 7〜8行)

 私の知る限り、日本政府が一貫した分断政策を持っていたとは思えない。大いなる成果(『朝鮮』籍は北朝鮮系、『韓国』籍は韓国系という政治的レッテルが定着していること)は、南北の対立を在日に持ちこんだそれぞれの政府と、その代理戦争を在日の社会で繰り広げた総連・民団の一貫した行動によるものと思う。日本政府はその対立の中で、国交関係のある一方の韓国の主張を受け入れつつ、その場しのぎをしてきたのが実状で、自ら一貫した政策をとらなかった。分断にしろ何にしろ、在日について一貫した政策をとるほど日本政府は信念がなかったし、今もない。なぜなら、もし東西冷戦のなかで西側陣営に立つことを国是とする日本政府が対在日政策で信念を持ち、一貫したそれをとるとしたら、それは国外追放を含む総連への徹底した弾圧であったろうからである。

 

D 「三 共和国国籍法の不明点」(1722頁)の章で同国の国籍法についての疑問を呈しておられる。この疑問に対して共和国からのちゃんとした回答は難しいと思う。なぜなら、共和国は法治国家ではないからだ。

 十数年前のことであるが、総連の人から、共和国というのは人間の身体みたいなもので、金日成元帥様(こんな肩書きだったと記憶している)と労働党は頭、人民は手足であると解説してくれた。これは今から考えてみると、実に的確な表現である。手足は頭から発せられる指示にそのまま従うのみで、頭に対してその指示の根拠は何かとか、前例がないとかの疑問を持たないものだし、ましてや異議申し立てはあり得ない。この関係が国家と国民の関係にまで引き上げられるのであるから、たとえ「法」というものがあっても一貫性や整合性は問われず、金日成元帥様や労働党の恣意によってその解釈、執行、政策そして「法」そのもの存在の有無までもが左右されるのである。このような国家は何と名づけたらいいのか分からないが、法治国家と呼べるものではない。

 この国家に「法」についての質問をしてみても意味がないのではないか。金日成元帥様や労働党に接触できない我々にとっては、彼らが国籍法について具体的に何を言い出し、どのような政策を打ち出してくるのか、じっと見守るしかないと思う。

 「かりに共和国政府が『わが国の国籍法にてらし、日本に帰化した者およびその子孫も共和国の国籍を喪失しておらす、共和国公民である』と宣言したら、大多数の帰化者には青天の霹靂となることはまちがいない。」(22頁 5〜7行)

とあるが、あなたの言う通り、共和国はそういう類のことを言い出す可能性があると思う。

 

E 「外国人登録の国籍欄の記載」(3742頁)の章では非常に楽観的なことを書いておられる。この問題は「〈付論〉外国人登録欄の『朝鮮』『韓国』記載の変遷について」(4380頁)にあるように、まさに「実は、きわめて政治的な問題」(43頁 8行)であったわけで、はたして日本政府が

「『大韓民国』と『朝鮮民主主義人民共和国』の二つの正式国号を併記したらよいだろう。あるいは両者の総称として、たとえば『コリア』というような記号を特別につくるのも一つの考えである。この場合は、日本政府の職権で(本人の意思にかかわりなく)一律に国籍欄の表示変更するのが、かえって混乱がなく望ましい」(40頁 5〜8行)

「両面的国交下で、日本が分裂国家の双方を承認している特別の外国人には、その国籍のあり方を忠実に反映させる特別の記載実務があってあたりまえである」(41頁 9〜11行)

というようなことができるのかどうか。国籍欄に「韓国」とするか「朝鮮」とするかで、本国政府含めて民団、総連が争ってきた経緯からして、日本政府が独自の判断で国籍欄に表示する国籍を書けるのかどうか、きわめて疑問だ。この問題も従来どおり混乱するものと、私は考えている。

 

F 私は、共和国と韓国との対立が現状のままで日朝国交樹立することは、在日にも日本にも大きな混乱をもたらし、再び大きなエネルギーを消耗してしまうことになると思っている。「日朝階段の妥結より先に朝鮮の統一が達成されれば、二重のねじれが一挙に解消しうる地平が開ける」(3頁 1314行)とも思えない。

 統一というのは、南に人民革命政権が樹立されて北と統一するか、

 ドイツのように北の社会主義が崩壊して南に併合されるか、

要するに北の主導権によるか南の主導権によるかの統一しかありえず、南北対等な立場で平和的に統一するというのは建前上、理想上のことで、あまりにも非現実的であると思う。たとえ統一されても、いずれの統一か、その主導権はどれくらいの強固さがあるのかによって、混乱はさらに大きくなるかしれない。

 論理飛躍するようだが、私は混乱なき統一の確かな展望が見えてくるまでは、日朝国交樹立してはならないと考えている。

 

「本書の内容を批判、攻撃する声が挙がっていることを期待するものである」(4頁 8〜9行)という言葉に甘えて、勝手な手紙を送りつけたようで恐縮です。感想をお寄せ頂ければと思います。

 

追伸

G 韓国の国籍法についてちょっと質問します。この法の条文はあなたの本で初めて読みます。韓国は1910年の日韓併合は最初から無効なもので、植民地時代においても朝鮮人は日本国籍を有していたことはない、と主張しているはずです。韓国の法では、大日本帝国の植民地政府である朝鮮総督府の作成した朝鮮戸籍はどのように位置付けられているのか。つまり日韓併合が不法・不当である以上、朝鮮戸籍も無効なものとしているのか、それとも朝鮮戸籍を有していた者は同法第二条にいう「大韓民国の国民」としているのか。そのあたりがよく分かりません。それについて解説している本等をご存知ならば、お教え願いたく思います。

 

 

(追記)

これは『日朝国交樹立と在日朝鮮人の国籍』(明石書店 1992)の著者である金英達氏に送った手紙です。もう10年も前のことです。従って内容には、今ではそぐわない部分がかなりあります。

 彼は00年5月にまことに不幸な亡くなり方をされました。朝鮮関係の研究者としては実証主義的で、俗説に惑わされない優秀な方でした。惜しい人を失ったと思います。今はご冥福を祈るのみです。

 次回は彼から来た返事です。

 

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