47題指紋押捺拒否運動への疑問

指紋押捺拒否運動

 1980年代に在日朝鮮人で外国人登録証の指紋押捺を拒否する運動が盛んとなった。指紋押捺は外国人登録法第14条に明記されている義務であり、拒否者には逮捕者が出るなどの緊張した状況になったものだった。この問題は1990年5月の盧泰愚大統領の訪日の際に取り上げられて外交問題にまで発展し、最終的に1991年1月の海部首相訪韓時に調印された日韓覚書で2年以内の指紋廃止が決定し、拒否運動も終息した。そしてこの1月より指紋廃止は施行された。

 

佐藤勝巳氏の批判

 私はこの運動に直接関わらなかったが、次のような疑問を持っている。当時の民闘連のリーダーであった佐藤勝巳氏が、この運動の当初より厳しい批判を行なった。彼は裏切り者と呼ばれたようで、民族差別と闘う運動から身を引いた。しかし指紋押捺拒否運動の側から、彼の批判に対してまともに反論していないのである。

 彼の論点は、指紋は日本の利益から見て必要で妥当なものだということである。在日朝鮮人は1947年5月に外国人登録されることになったが、当初より外国人登録証の偽造・売買が多かった、韓国からの密入国が多かった、北朝鮮からの工作員潜入があった、という3点の状況から本人確認の一番確実な指紋が必要となり、1952年に指紋制度が実施され、現在に至っているというのが彼の主張である。

 

佐藤氏の主張の妥当性

 中公新書『オンドル夜話』の著者の尹学準氏は、1953年に密入国し、当時の金で3万円を使って外国人登録証を買い、「李継栄」という名で生活したと書いている。本人のいない登録証(いわゆる幽霊登録証)が売買されていたのは事実である。

 また在日朝鮮人同士の婚約で相手の親に紹介する際に居合わせた人に聞いたが、ちゃんとした人かどうか調べたいからと、その親が相手の登録証をじっくり見たという。これは密入国者かどうか調べるためである。あるいはまた、1960年代の終わりころから70年代にかけて、韓国からの密入国者たちを送還するための大村収容所を廃止しょうという運動や、そこに収容された人で日本に生活基盤を持ってしまった人の送還を止めさせようという運動があった。この問題についてしゃべることがあったが、多くの日本人の反応は密入国したのだから、あるいは罪を犯したのだから仕方ないと冷たいものであった。それはともかく韓国からの密入国が多かったのは事実である。

 彼らを摘発するのに有力な武器となるのが指紋であり、登録証携帯義務だったのである。佐藤氏が指紋を必要とする3点のうち、登録証偽造・売買が多かったということと、密入国が多かったということには、私には賛成できるものがある。しかしこの2点は、外国人登録の徹底管理や密入国者の激減により、1980年代にはもはやあまり問題にならなくなってきた。(現在は代わりに在留資格外活動、不法就労、オーバーステイが大きな問題となっている)

 佐藤氏が指紋の必要性で特に強調したのが、北朝鮮工作員の潜入である。彼によると、平壌放送で日本で潜入した工作員を呼び出すためのコールサインは六百数十種あるという。この平壌放送は深夜3〜4時頃に乱数表の数字を羅列するもので、私も何回か聞いたことがある。おそらく現在もやっていると思う。一人の工作員は幾種かのコールサインをもつが、工作員の下に何人かの補助要員がつくので、相当な人数が潜入していることになる。彼らの摘発に最も有効な手段が指紋である、と佐藤氏は主張する。

 

無視された佐藤氏

 指紋拒否運動側は、これに対してどう反論できるのか。二つしかない。一つは北朝鮮の工作員潜入はあり得ないことで、日本や韓国の公安当局が捏造したデッチ上げだとするか、もう一つは工作員潜入が事実だとしてもそれは大した問題ではなく、工作員の数は在日朝鮮人68万人に比べてごくわずかで、少数の工作員摘発のために圧倒的多数の指紋をとることは許されないとするか、どちらかである。しかし運動側はこのような反論もせず、佐藤氏を無視した。批判があれば、しかもそれが社会的影響力のある人による批判ならなおさらきちっとした反論がなされねばならないと私は思うのだが、そうすることもなく指紋拒否運動は終息した。

 

工作員潜入は公然の秘密

 私は1970年代の前半に朝鮮総連のHさんから朝鮮語を学んだので、総連系のパンフや本、金日成の著作などを読むことがあった。これらの文章は余りに面白くなく、実に骨が折れるものなので、そう真剣には読まなかった。しかし、その時は南朝鮮はアメリカや日本の収奪と朴正熙大統領の圧政のために民衆は苦しんでいるが、いずれ民衆は立ち上がり、朴政権を打倒して人民政権を樹立し、朝鮮は統一される、という総連の考えを素直に単純に信じたものだ。

 現代の世界は資本主義の最終段階の帝国主義から社会主義に向かっている、南ベトナムが解放されて北ベトナムと統一されたのと同様に、日・米帝国主義の植民地ともいえる南朝鮮もまさにそういった歴史を歩もうとしている、と思ったものだ。だから社会主義国の北朝鮮から南朝鮮、日本に工作員を潜入させるのは、南朝鮮や日本にとって不法であろうが、歴史の必然の流れの中では、統一や革命のためなら許されるのだ、と思ったものだった。何といっても金日成さん自身が「暴力闘争なしになんらかの平和的方法で、南朝鮮人民が権力をかちとることができると考えるならば、それはおろかな幻想にすぎない。」「北半部人民は同じ民衆として、南朝鮮人民の革命闘争を積極的に支持応援すべき義務と責任をもっています。」(1970年第5回朝鮮労働党大会他)と言っているのである。工作員の潜入は金日成さんの言葉を具体的に実践するもので、北朝鮮や総連は建て前上それを否定するが、それは公然の秘密と言える事実だと私は思った。

 

工作員潜入は事実

 朝鮮語を学び始めた時、総連の若い男性がやってきて「朝鮮に興味があるのですか。北朝鮮に行ってみませんか。」と言ってきた。

 「一度行ってみたいと思うが、日本人で北朝鮮に行った人は年に数人ぐらいしかいない。日本政府がなかなか許さないでしょう。難しいでしょう。」と答えると、

「だいじょうぶ、私にまかせなさい。行かせてあげますよ。」

「もっと朝鮮語や主体思想を勉強してからでないと、行っても仕方ないでしょう。」と、その時は断った。

 その人が「行かせてあげる」と自信をもって言った態度が忘れられない。北朝鮮へ行くのに正規でない不法なルートがあると思わせるもので、当然それは日本に潜入した工作員によるルートだろうとおぼろげながら感じたものだった。工作員潜入は今でも事実だと思っている。

 

工作員は何をしたか

 工作員の目的は、南朝鮮で反体制勢力を組織し、反政府行動を起こし、革命状況をつくることにある。そのために彼らは日本に潜入して一体何をしたのか。

 1970年代には彼らは在日韓国人をオルグし、その一部を北朝鮮に密出国させてスパイ教育をうけさせ、その後南朝鮮に送りこんだ。韓国では在日韓国人留学生ら数十人が北朝鮮スパイの容疑で逮捕された事件(11・22事件)があったが、彼らを操っていたのが日本に潜入した北朝鮮工作員だったのである。このことは逮捕された者自身が供述しており、受刑後に日本に帰国しても事件が捏造だとは語っていない。

 また1974年の文世光事件(在日韓国人文世光が日本の派出所から拳銃を盗み、友人の夫になり替わって日本旅券を入手して韓国に入国、朴大統領に向けて拳銃を発射、大統領夫人が射殺された事件)では、犯人の文世光を指導し、犯行を指示したのが北朝鮮工作員であったことが、ほぼ確実なようだ。

 大韓航空機爆破事件で逮捕された金賢姫の供述により、彼女の日本語教育係の李恩恵が工作員によって拉致連行された日本人女性であることが明らかになった。これに関連して、工作員たちは彼女だけでなくアベックや中華料理店の店員等の日本人十数人も拉致連行したらしいことが報道されたが、これらもほぼ確実なようだ。これは日本潜入する工作員に日本人化教育する人間の確保と、日本のパスポート入手のためと言われている。

 日本の公安当局が詳しい内容を公表しないのでなかなか分かりにくいが、1970年代から80年代前半にかけて、日本に潜入した工作員らがこのような事件を引き起こしていたのは確かである。

 

北朝鮮について議論を!

 このようなことを書いてきたら、おまえは公安の手先になったのかと言われそうだ。そうなったつもりはない。私は朝鮮問題に関わる多くの日本人が北朝鮮のことにあまり言及しない、あるいは腫れ物にさわるようにしか言わないことに不満を持ってきた。韓国の政権をファッショ的独裁政権と批判するなら、なぜ北朝鮮も同様に批判しないのか。朝鮮の統一を語るのになぜ南だけの変革が必要と言うのか。日本や韓国を鋭く分析してきた作家や評論家が、北朝鮮のことになるとその鋭さがなくなるのは何故なのか。

 指紋拒否運動でもそうである。せっかく佐藤氏が工作員潜入に言及して「北朝鮮の対南朝鮮解放路線が変わらない限り、指紋押捺制度を撤廃してはならない」と言ってくれたのだから、彼の意見に反対するにしろ、北朝鮮をどう見るのかの議論があってもよさそうものだった。しかしそれは全くのタブーのごとく扱われたのである。いつまでもこんなことが続くのは、はなはだよろしくないと思う。

 

 

(追記)

 10年くらい前にミニコミ誌で発表したものの再録ですが、意味のない部分を削除して、小見出しをつけました。

 今は拉致事件で金正日自身が工作員の存在を認めたので、このような文章を発表しても大丈夫ですが、当時はかなり勇気が要ったものです。何しろ総連ははるかに元気だったし、指紋押捺拒否に取り組む市民運動も激しかった時代です。しかし小さなミニコミ誌でしたから、ハナから無視されたようです。

 ところで現在もなお北朝鮮工作員とその補助要員は数百人が潜入しているだろうとされています。また今の日本は中国等からの密入国者の増加や外国人犯罪の急増で治安の悪化が心配されています。これらのことを考えると、あの時に外国人登録証の指紋押捺制度を撤廃したのは失政・失策だったのではないか、と思います。

 

(追記の追記)

 1952年4月の講和条約締結までは日本は占領下で独立国家ではありませんでした。従って正確に言うと、この時までは「密航」、それ以降は「密入国」となります。しかし大体の人はこういった意味の違いを気にしないで使っています。拙論でもややこしいので「密入国」を使っています。

 

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