49合理的な外国人差別は正当である

日本は民族差別に満ちている?

 20年以上前、民闘連(民族差別と闘う連絡協議会―現在は在日コリアン人権協会という)に関わった当初より感じていた疑問であるが、彼らが民族差別問題を訴える時において、外国人差別と民族差別とがゴッチャになっていた。それは外国人であるが故に受ける差別と朝鮮人であるが故に受ける差別とが区別されていないということである。

 しかし民闘連は「在日外国人の九割は朝鮮人が占めている。外国人差別は朝鮮人への民族差別と同じことだ。」と、当時はこんな論理を語っていた。日本国の基本である憲法において「国民」というのは「日本国民」を意味して外国人を含まないこととしており、従って憲法に基づく法律や条令・制度も当然外国人を排除・制限することとなるが、民闘連の論理ではそれらはすべて民族差別を意図するものだということになり、まさに「日本は民族差別に満ちている」ということになる。

 その時は私もそのように自分を理解させていたのだが、やはり十分に納得できるものではなく、今ではその考えが間違いであると思っている。

合理的な外国人差別は正当である

 『同和はこわい考を読む』(阿吽社 1988)という本のなかにある崔文子さんの「姜信子さんの『ごく普通の在日韓国人』を読んで」に次のような一文がある。

 

私は在日です。この日本で暮らしたいが、不安が一杯ある。私の子供達はもっと不安だ。指紋は嫌だ。くやしいもの。せっかく勉強しているのだから、それを生かした仕事につきたい。再入国の許可なんか取らずに自由に日本と外国を行き来したい。この国を一緒に担う為に選挙権も被選挙権も欲しい。何よりも日韓条約で決定した分の永住期間しか無いというのはひどい。警察の公安課に私自身の情報をすべて握られ、監視されているというのは気分が悪い。外登証の常時携帯も面倒くさくてイヤ。

これらの事を権力に(国に)訴えると共に、一般日本人にわかってもらえるよう、声を出していきたい。

 

 ここに書かれてあるのはすべて外国人差別であって、民族差別ではない。なぜならこれらのことは、日本国籍の取得すなわち帰化すればすべて解決するものであるからだ。

 一方の民族差別は、朝鮮人であるという生来的なもの故の差別であるから、帰化しようが解決するというものではない。それは明らかな人権侵害であり、絶対にあってはならないものである。

しかし外国人差別となると、話は違ってくる。外国人が内国民と違った取り扱い方を受けるのは当然のことである。少なくとも外国人が内国民と全くの同様の権利を有するということは、国家の論理としてあり得ない。国家が国家たる以上、自国民を外国人より有利に取り扱うのは当たり前だ。問題があるとすれば、それが合理的なものかどうかであろう。つまり、合理性のある外国人差別は正当であるということだ。

 

在韓外国人の処遇との比較

それでも内外人平等は絶対でなければならない、国家の論理そのものが間違いだ、と主張する人もいるだろう。ならば、在日の本国である韓国における外国人の処遇がどういうものであるかを見てからにしてほしい。

韓国では現在約1万8千人の中国人が在住している。彼らは植民地時代から居住している人が多く、当然韓国生まれの二・三世が大多数を占める。この国における外国人差別は、公務員就任権や参政権がないのは勿論であるが、他に法律で定められたものでは、土地所有の制限、営業店舗面積の制限、株式保有の制限、農地所有の禁止、貿易商登録の禁止、定期刊行物発行の禁止、金融機関設立の禁止などがある。(以上は鄭大均著『日韓のパラレリズム』三交社51頁等による)

また指紋押捺では、韓国の全国民は一本指の指紋押捺が義務付けられているが、在韓外国人の場合は十本指すべての押捺義務がある。(西岡力「戦後日韓不愉快史」『マルコ・ポーロ』9211月号所収による)

こういった制度的差別により、在韓中国人はその数が70年に32千人、802万7千人、そして911万8千人と大きく減少しており、その多くは国外脱出し、台湾やアメリカなどに移住している。(鄭大均著上掲書72頁による)

まことに韓国というところは、外国人には住みづらい国である。

韓国は我々日本人にとって他国であるから、その政策をとやかく言うことはできないが、在日朝鮮人は自分の国のことであるから問題化することが可能だ。だが彼らは、日本において自分たちが外国人として差別されていることを訴えても、自国における外国人差別がもっと厳しいものであるのに、それを問題とすることがない。日本での自分らへの差別は我慢できないが、自国での自分らと同じ境遇の外国人への差別は甘受すべきだ、と思っているのであろうか。

こういう問いに対する「民族差別と闘う」在日の答えは予想できる。在日朝鮮人と在韓中国人とは歴史的経緯が違うもので関係がない、在韓中国人の問題を持ち出して日本における在日朝鮮人への差別を合理化・正当化するものだ、日本の民族差別は厳しいもので韓国における中国人差別とは違うものだ。おおよそこういう類の答えであろう。

外国人差別を民族差別とみなす在日の「民族差別と闘う」論理は、自国を含めて世界で外国人という存在がどのように扱われているかを無視し、外国人でありながら内国民の権利を主張するものである。それは、権利だけは日本人と全く同じようにせよと主張しながら、帰化はしたくない、本国に帰ることのない外国人であり続けたい、しかし本国の国民の当然の義務(徴兵など)は嫌だ、という身勝手な論理に見えるものだ。

 

(追記)

 拙著『「民族差別と闘う」には疑問がある』(199312月)の一節の再録。

 逆に言うと合理性のない外国人差別は不当だ、ということになります。要は合理性があるかないかです。私はこの考えを今でも維持しています。

 なお在韓中国人の人数についてはその後増加傾向にあり、1996年で2万2163人(台湾・中国籍)だそうです(『ほるもん文化9』182頁)。

 

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