39題 同和地区における不動産価格

藤田敬一氏へ

昨年末の藤田さんの講演で、同和地区内の住宅がなかなか売れなくて、道一本隔てた建売住宅が基礎工事の段階で完売になったという話を聞き、思い出したことがあります。

 私の友人に不動産屋さんに勤めているひとがいます。十数年前に三里塚闘争で逮捕され、一年近く留置場と拘置所を体験した後保釈され、その後食い扶持を求めて建築・不動産の勉強をして、いまや有能な不動産営業マンです。数年前に私がマンションでも買おうかなと思った時、それを聞きつけて早速我が家にやってきました。その時は不動産業の様々な裏話・本音を聞かせてくれて、なかなかおもしろかったのですが、その中に同和地区内の住宅についても聞かせてくれました。

 

 あそこのホリゲって君も知っているやろ。同和地区や。こんなこと言うたら、僕自身もむかし狭山闘争なんか行っとったンヤから、どうかなと思うンヤけどな。これ見てみ。このファイルの最後にある5〜6枚、全部そこなんや。これだけ広くて、築年数がこれで、駅からもまあ近くて、それがこんな値段や。2割どころヤない、もっと安い、それでも売れんのや。差別はあかんことは分かっているンヤけど。売れんものはしゃーない。あんまり売れんのでそのままにしてたから、ほら見てみ、そこの紙、みんな紙の色が変わってるし、端がボロボロになってしもうタ。

 

 記憶のままに思い起こして書いてみましたが、おおむね間違いないと思います。はたして彼の言がどれだけの真実を伝えているのか、よく分かりませんが、私は彼が嘘を言っているとはとても思えませんでした。

 同和地区内の不動産の評価が他地区に比べて低いのは事実だろうと思います。それが具体的な数字としてどれだけ低いのか、各同和地区によってその「低さ」の違いはどれだけあるのか、その「低さ」は何に起因するものなのか、住宅環境、教育環境、自然環境、大都市までの交通便利性、下水道・道路等の都市基盤整備の度合い…等々、不動産の評価には色んな要素があると思うのですが、同和地区の「低さ」はどんな要素のゆえの「低さ」なのでしょうか。それは同和地区であるがゆえの「低さ」としか私には思えないのです。

 しかし、「低く」評価する責任はだれか、となると行政でもない、不動産屋でもない、同和地区の住宅を買いたがらない国民としか言いようがないのではないでしょうか。つまり具体的に責任追求が可能な行政や企業ではなく、漠然として実態がなく、責任追求しようの国民の差別的体質ではないでしょうか。このような国民に。あなたは何故同和地区の住宅を買わないのか、と問うのは、あなたは部落の者と結婚できるか、と問うのと同様の全くの愚問でしかないと思います。

 次は私の勝手でバカな想像です。同推校(同和教育推進校)では教育熱心な先生が多いし、ほかの学校よりも偏差値が高い、一流の国公立の大学にもいける、などという評判がたてば、多くの国民は喜んで同和地区に住もうとするのではないか。今の何とも言いようのない学歴差別社会と偏差値重視の詰め込み教育を見ると、このような感想を実際持ってしまいます。つまり「同和教育」なるものが「偏差値輪切り」という現実の本音の教育思想を凌駕しえていないのではないか、と思うのです。

 十数年前のことですが、ある解同の支部の幹部の人が、私が大学を出ていると聞いて、「大学出というのはわしは嫌いなんや。うちのムラでも大学にいったもんはみんなムラから出て行きよる。一人もムラに帰って来ん。」と言ったことを思い出します。彼の言が真実かどうか私は確認したことがありませんが、おそらく一面の真実を語ったのではないかと思っております。

 

藤田氏より返事

 被差別部落内の土地が安いことは、以前から指摘されてきました。全国自由同和会では、それを部落差別の表われととらえ、土地価格の平準化が部落問題解決の一つの指標だとしています。しかし土地価格の平準化が即差別撤廃ともいえないようです。都市化と混住が進み、価格面で特に安いということもなくなっている地域もありますが、そこでの意識のありようは複雑で、差別意識がなくなったと簡単に断定できそうにないからです。

 それにしても自分の住む土地が被差別部落だとされるがゆえに忌避され,結果として土地価格が安いという事実の確認は人々をいらだたせます。被差別部落に隣接する団地が、同じ地名の使用を拒否して通称を押し通そうとしたり、自治会への加入を断ったりする話を聞くにつけ、なんともいいようのない気分になる。

 「なぜ同和地区の住宅を買わないのか」。おっしゃるように、これは愚問といえば愚問です。しかし解決への道が杳としてみえないもどかしさのあまり、愚問を承知でたずねたくなるのも人情ではありますまいか。匿名による落書き・投書・電話にしても、責任の所在を特定できないし、解決策も明確というわけにまいらない。まして結婚の問題となれば、要因は多様で一義的にこうだとはなかなかいいきれない面がある。それだからこそ、みんな悩んでいるのです。悩みをもったまま思索をつづけるしかないように思うのですが、どうでしょう。

 

(追記)

  これは7年ほど前に同和問題についての講演を聞いた時に、講師の藤田敬一氏に出した手紙とその返事です。彼のミニコミ誌に公表されたもので、ここに再録しました。

 藤田氏は『「同和はこわい」考』(阿吽社1987)など話題になった著作を出しておられます。また現在はこの問題について鋭く迫る月刊誌『こぺる』の編集責任者として活躍しておられます。

 

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