27 「白丁」考

「白丁」とは?

 在日朝鮮人たちと部落問題について話し合う機会があると、必ずといっていいほど言われることが「私らはあの人たちと違う」である。

 確かにその歴史的経緯が違うし、その在り様も違う。第一に一方は日本人なのに、他方は朝鮮人だ。その違いは明らかだが、日本社会ではともに差別される存在として同様視されている。今なお日本人の結婚の際になされる差別発言は「部落と朝鮮はダメだ」であり、私自身もよく耳にしたものだ。しかし、なぜ在日朝鮮人たちは被差別部落との違いを強調するのか。それはどうやら朝鮮社会にある「白丁」差別と関係があるらしいと思うようになった。

 「白丁」というのは日本の「穢多」と同様に、かつての中世朝鮮社会で畜獣の屠殺などの仕事に従事してきた被差別民で、職業のみならず結婚、住居、衣服までもが厳しく制限された。一九世紀の末に李氏朝鮮王朝のもとで、形のうえで身分解放が行なわれたが、「白丁」差別は厳存した。1923年、日本の水平社の結成に刺激されて衡平社を結成し、身分差別解放運動を果敢に闘った。しかし第二次大戦後(朝鮮独立後)は再び団結することはなかった。

 白丁は『韓日辞典』(高麗書林1972)では「四っつ、えた、新平民、屠殺や柳行李などの製作を職業とした賎民」と説明され、『朝鮮語大辞典』(角川書店1986)では「@(古い社会で)屠殺を本業とし柳行李づくりを副業としていた人(賎民)、A牛・豚・犬などを屠殺すること(者)、B人をののしっていう語」と説明されている。

 

「白丁」の使われ方

 「白丁」━━その漢字を見れば、日本の「穢多」と違って差別的なものは全くない。しかし「ペッチョン」と朝鮮語読みをすれば、それは朝鮮人たちに独特の響きをもって聞こえてくるようだ。

 韓国から来た人で、同和地区のすぐ近くに住んでいた人と少し親しくなった。何気なく「あそこは同和地区といって、韓国でいう『白丁(ペッチョン)』といわれている人たちが住んでいる。」と言ったら、その人の顔が急に変わり、「すぐに引っ越さなくては」と言う。その語気の激しさに、こっちがびっくりした。

 私はT市に住む在日朝鮮人のHさんの家に、同じく在日のS君らと一緒に訪れて写真を撮ったことがあった。そこはいわゆる朝鮮部落で、古いバラック風の建物が並んであった。S君は家に帰ってからその写真を家族に見せたら、家族の一人が「なんや、ペッチョン部落やないか」と言った、という話を聞いた。

 今は有名な事実として知られるようになったが、二十年以上前、北朝鮮が当時の韓国の朴正煕大統領を罵倒する言葉として「インガンペッチョン」(人間白丁)を使った。最初これを書いてあった雑誌を読んだとき、まさかいくら何でも社会主義国がそんな言葉を使うなんて、ウソ八百だろうと思ったのだが、事実であった。総連系の日本語パンフや新聞では、「人非人」「屠殺者」という表現であったと記憶するが、その原語は「ペッチョン」だったのである。

 これも雑誌に書いてあったものであるが、1980年の韓国全羅南道で起きた光州事件(市民と軍隊とが衝突し、200人近い死者が出た事件)の際、双方から「ペッチョンノム」(白丁野郎)という言葉が飛び交ったという。いろんな韓国人を知ると、こういうことには驚かなくなった。さもありなん、と思う。

 

今なお残る身分差別思想

 在日一世のお年寄りたちに日本語を教える教室をやっていた時、作文の練習として「あなたのお母さんはどんな人でしたか」というような質問に答える、という勉強をしたことがあった。その質問に「あなたの家はヤンパン(両班━李氏朝鮮時代の支配階級)でしたか」「チョッポ(族譜━系図のこと)はありますか」というのを入れたのだが、ある一世が顔色を変えて「こんなこと聞くもんやない。何も知らないからこんなことを書いたんやろうけど、こんなこと答えられるか。」と怒った。

 その後、朝鮮の歴史を読んで、「白丁」には族譜がないことを知った。またほとんどの朝鮮人は自分が両班出身だと考えており、そうでないと言ったら下層階級の者に見られてバカにされる、ということも知った。尹学準著『歴史まみれの韓国』(亜紀書房)によれば、この両班意識は近代化に成功したはずの韓国においても、ほとんどの韓国人の意識に強く残っているという。あんな質問は、「あなたの先祖は白丁ですか」と聞くようなもので、朝鮮人には余りにも失礼だったのである。朝鮮社会において今なお引きずる身分差別思想を垣間見た。

 

(参考)

「韓国は差別がゆるい」? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/28/344906

 

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