第29題金正日の肩書き

二つの肩書き

北朝鮮の最高権力者である金正日の肩書きは、日本のマスコミでは「総書記」となっている。しかし韓国のマスコミでは「国防委員長」である。果たしてどちらが正しいのであろうか。

金正日が現在自称するの場合の肩書きは国家の「国防委員長」である。それは1993年の最高人民会議(日本の国会に当たる)で選出されて就任した役職名に由来する。しかし1997年10月8日に、朝鮮労働党中央委員会、同中央軍事委員会の連名で、金正日の朝鮮労働党総書記推戴を宣布するという報道が発表された。それ以来、周囲が呼ぶ肩書きは党の「総書記」となった。

つまりは1997年以降において自称の肩書きは「委員長」であり、周囲の呼ぶ肩書きは「総書記」と異なることになったのである。結局はどちらの肩書きも正しい、が正解である。

なぜこのような事態になったのか、その経過を追ってみたい。

 

これまでの肩書きの経過

 金正日は90年代初頭までは労働党の「書記」という肩書きであった。しかし1994年初め頃から書記の肩書きがなくなり、国家の「国防委員会委員長・人民軍最高司令官」だけとなった。この肩書きは父親の金日成の死(1994年7月8日)に伴う葬儀でも変わっていない。

 ところで北朝鮮において党の最高役職名は「総書記」であり、国家の最高役職名は「主席」である。しかしこの国は、国家よりも党が優位にあるというのが建国以来の国是である。亡き金日成の最後の肩書きは「党総書記・共和国主席」で、党の方が先にきているのはその表れである。そうであるにもかかわらず、後継者である金正日の肩書きからは党の「書記」がなくなってしまい、国家の「国防委員長・人民軍最高司令官」のみとなったのである。

そして昨年2000年6月における韓国金大中大統領との「南北共同宣言」でも、彼は「朝鮮民主主義人民共和国国防委員長」という肩書きで署名した。

つまり彼が自ら名乗る際の肩書きは「書記」「総書記」といった党の役職名ではなく、国家の役職名のみであるということになる。これは党が国家より優位であるという国是と明らかに矛盾するものである。何故このような事態になったのかについて、私なりの分析を試みたい。

 

肩書きの分析

 1996年12月7日、金正日は金日成総合大学を視察した際に演説を行なっている。韓国の雑誌『月刊朝鮮』97年4月号に、それが「金正日12・7秘密演説」として掲載された。おそらく黄長Y書記の亡命に関係して韓国にもたらされた文書と思われる。

 このなかに次の一節がある。

 

「首領様におかれては生前に私に絶対に経済事業に巻き込まれてはだめだとおっしゃいながら、経済事業に入り込むと党事業もできず、軍隊事業もできないと何回も念をおされました。 今日の複雑な情勢の中では軍隊を強化することが何よりも重要であるので、私はしばしば人民軍部隊を現地指導しています。」

 「今、軍隊では党政治事業を活発に展開していますが、社会の党政治事業は、みじめなものです。今まで軍隊の党政治事業は社会の党事業の影響を受けませんでした。」

           (訳はどちらも現代コリア研究所)

 

 亡き金日成は、息子の金正日に軍事に専念せよ、経済に関わるなと言った、ということだ。ややこしいが、「党事業」には軍隊内で行なうものと、社会一般で行なうものとの二種類がある。金日成は、息子に後者の党活動を禁止して党の役職を辞めさせ、国の「国防委員長」として軍事に専念させることにしたのである。北朝鮮では金日成の言葉は絶対で、彼の発言を取り消すことができるのは彼自身だけである。しかし彼は取り消すことなく、突然亡くなってしまった。絶対権力者の命令は死後も有効で、息子は党に復帰できなくなったというわけである。
 しかし党の方は、実質的に最高権力者の金正日が最高の地位である「総書記」でなければ組織を運営する上で困ることになる。そこで党の大衆運動として彼を「総書記」に推戴する決議を各地方組織で上げさせて、前述したように97年10月の「総書記推戴を宣布する」となったわけである。しかし父親の命令があるので、金正日は党の総書記に就任できない。
 つまり、彼は父親の遺言を守って党の総書記に就任せず、従って総書記の肩書きを名乗ることができない。しかし党は彼を総書記として推戴し、その肩書きで呼ぶことにした。このような経過によって彼の肩書きが分裂する事態となった。
 金正日の肩書きについてこのように分析してみた。実際はどうであるのか現時点では分かるものではないが、当たらずといえども遠からず、と思う。

 

(註)北朝鮮では書記のことを「ピソ(秘書)」と呼んでいる。だから総書記の原語は「チョンピソ(総秘書)」となる。しかし秘書は日本語では全く別の意味で使われており、誤解を招くものなので、「ピソ」「チョンピソ」を「書記」「総書記」と訳すことは誤りではない。

 

(金正日の肩書きの経過)

1980年代〜90年代初め  「書記」という肩書き

1993年4月        最高人民会議で国家の「国防委員会委員長」に選出・就任

1993年後半頃       党の職名である「書記」の肩書きがなくなる

1994年7月        父の金日成の死に伴う葬儀では「国防委員会委員長・人民軍最高司令官」の肩書き

1996年12月       金日成総合大学における秘密演説

1997年10月       党の中央委員会等が金正日を「総書記」に推戴することを宣布

2000年6月        韓国の金大中大統領との南北共同宣言で「国防委員長」という肩書きで署名

 

(付録)

金正日のご子息、金正男が日本にやってきた

北朝鮮の金正男が5月1日に偽造パスポートで来日し、日本当局に拘束された事件が起きました。まさか、こんなことってあるのか、という事件です。

常識からかけ離れている点は、やっぱり北朝鮮です。

 それにしても、日本政府が簡単に国外退去させたのは、理解できない。小泉内閣となって、少しはまともな外交をするのではと思っていたのですが。

 身元確認せずに早期に退去で、あの国に「貸し」をつくった、と考えているようです。しかし要請があったのなら「貸し」をつくったことことなりますが、そんなことはなさそうなので日本の一方的思い込みに過ぎません。

 かつてのコメ援助でも、「日本がくれるというから、もらってやったんだ」と広言する国です。常識で測ってはいけない国なのです。

 今回の件では、金正日様のご威光を日本が恐れたからだ、というような感覚でとらえているのではないか、と思います。

 

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