76題 在日朝鮮人の犯罪と生活保護

かつての犯罪率

 45年前とかなり古い資料だが、故森田芳夫氏の「数字からみた在日朝鮮人」(『外務省調査月報』第1巻第9号 1960年12月――後に『数字が語る在日韓国・朝鮮人』1996に所収)という論文に、在日朝鮮人の犯罪について次のように分析されている。(註1)

 

被疑者新受(被疑者として検察庁が受理したもの)の刑法犯の1959年の統計について‥

 通常、犯罪率は、犯罪者数を14歳以上の有責人口から算定するが、朝鮮人の犯罪者統計には、外国人登録をしない不法入国潜在者もふくまれているので、正確な犯罪率を出すことはできない。しかし、この点を考慮しても、刑法犯の犯罪率は日本人よりも相当に高い。在日朝鮮人には、女が少なく、老人が少ないこと、教育程度のひくいものが多いこと、また職業のうえで、農業従事者が少なく、定職のないものが多いことなどが犯罪率を高くする要素となっている。

 今後、年齢構成の変化と教育程度の高まりと、生活の安定とともに、犯罪率は低下していくであろう。」(明石書店『数字が語る在日韓国・朝鮮人』31〜32頁)

 

罪名別の日本人・朝鮮人の刑法犯(被疑者新受)(1959年)

罪 名

日 本 人

朝 鮮 人

総 数

窃 盗

傷 害

詐 欺

恐 喝

贓 物

その他

593,349

194,448 (32.8%)

125,701 (21.2%)

 43,442 ( 7.3%)

 43,051 ( 7.3%)

  8,367 ( 1.4%)

178,340 (30.1%)

22,121

 7,501 (33.9%)

 6,562 (29.7%)

   869 ( 3.9%)

 1,333 ( 6.0%)

 1,375 ( 6.2%)

 4,481 (20.2%)

             (同書55頁より)

 

 当時の日本人の人口は『日本の統計』(総務省統計局)によれば、1959年で92,002,000人(註2)、朝鮮人は森田氏の論文より1959年9月末で618,840人(ただし外国人登録者数で、不法入国者は含まない)である。従って人口比では日本人の0.7%が朝鮮人である。しかし犯罪者(総数)の比では3.7%となる。数がつかめない不法入国者を勘案しても、在日朝鮮人の犯罪率は日本人の5倍となろう。そしてこの高い数字は60年代末に至るまで変わらなかった。(註3)

この数字はどういうことかを例えていうと、隣の空家に誰かが引っ越してきた場合、朝鮮人であれば日本人の5倍の心配をせねばならないということである。それほど当時の両者の関係は緊張するものだったのである。

なお犯罪の内訳で、朝鮮人が日本人より多いのが傷害(粗暴犯である)と贓物(いわゆる盗品故売など)で、少ないのが詐欺(知能犯である)であることについては、かつての在日を知る者には成る程と思うだろう。

 

かつての生活保護率

 同じく森田氏の論文のなかで、生活保護について次のように分析されている。

 

現行の生活保護法は、日本国民に限り適用されることを原則とするが、在日朝鮮人には、従来の経験と生活困窮者の多い点から、平和条約発効後も、準用されている。朝鮮人の被生活保護者はその後激増し、集団的要求もあって、1955年末には、13万8,972人(在日朝鮮人の登録人口の24.1%)を数えるに至り、社会的に問題視された。しかし、その後、生活実態調査の結果、適正な保護が行なわれる傾向になり、1960年7月には、1955年末にくらべて約6万人の減少を示している。しかし、外国人登録に対する生活保護率は13.2%で、日本総人口に対する保護率1.81%にくらべるとはりかに高い。」(同書31頁)

 

 在日朝鮮人は1955年時点で4人のうち1人が生活保護(以下「生保」)を受給していた。その後5年間に社会問題化されて60年には半減した。これは適正でない生保つまり不正受給があったからである。当時の在日の年齢構成は男性しかも働き盛りの若中年が多いという特徴があり、また短期間に生保が半減してもその後の彼らの生活に大きな影響がなかったのであるから、働かないで生活しようと考えた者が多かったということなのである。生保の適正化政策は意味があったといえる。

樋口雄一は戦後の生保急増の原因を日本社会の「社会・経済的な差別」に求め、その後の適正化を「朝鮮人抑圧政策」としているが、これは疑問である。(註4)

 当時の生保については、私自身が何人かの一世の方からお話を聞かせてもらったことがある。日本は大嫌いだと罵りながら生保を受給している人、福祉が来た(福祉事務所が生保の状態を調べに来ること、打ち切りにつながる)と聞いたらみんなで集まって追い返したという思い出話をする人、福祉の人に家財道具を隠して貧乏しているように見せかけるのが惨めだからと周囲の反対を押し切って生保を自分から打ち切った人、真面目に働いていたら差別される訳がないと批判する人‥‥。様々な一世の姿があった。

 

現在では問題でなくなった

在日朝鮮人の犯罪や生活保護のについての最近の数字が分からない。近頃の犯罪白書でも、在日朝鮮人は在日米軍や在留資格不明等と合わせた「その他の外国人」として数字が出てくるのみである。現在は来日外国人の犯罪が大きな問題であって、在日朝鮮人の犯罪はもはや問題にならなくなったということであろう。また生活保護もあまり問題ではなくなったものと思われる。

それは在日が日本に定着して安定した生活を送るようになったということであり、また同時に彼らの意識も同化して日本人と変わらなくなってきたことでもある。この変化は、日本社会において彼らに対する差別事象が大きく減少したことにつながるものである。

 

すべてを知ってこそ真実の歴史

在日朝鮮人の犯罪や生活保護に関する以上のような事実は彼らの歴史を語る上で重要な要素の一つなのであるが、これまでの在日関係の本ではこれを書くことが非常に少ない。最近では皆無ではなかろうか(註5)。これに触れないということは、在日は昔からみんな清く正しく生きてきたという誤ったイメージを形成させるものであろう。実際のところの在日の姿を直視すべきである。

明と暗、表と裏、正と悪、被害と加害‥‥すべてを知ってトータルに見なければ、真実の歴史に迫れるものではない。在日の「明」を追求するときには「暗」を同時に見なければならないし、日本の「暗」を追求するときには「明」を忘れてはならないのである。

 

ところで在日のこの問題に関する研究は、森田氏以降では管見において見当たらない。誰かご存知の方がおられればご教示願うところである。

 

 

(註1) 金英達は森田芳夫について、次のように書いている。

森田氏は、その職務上、在日朝鮮人に関する官庁資料を縦横に駆使することができた。そして、その統計数字の利用は、資料の長短を踏まえた客観的なものとして定評がある。今日もなお、在日朝鮮人研究において、これらの著作は、統計資料の所在の索引として、また統計数字の見方の教本として、その有用性を失っていない。」(『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』の序文)

 この高い評価には私も同意する。

 

(註2) 『日本の統計』では5年毎の数字しか記されていない。1955年が88,678千人、1960年が92,841千人であり、比例配分により1959年の数字を算出した。

 

(註3) 鈴木二郎は、1960年代末に在日朝鮮人の犯罪について次のように書いている。

彼ら(在日朝鮮人のこと―引用者注)は、日本人による差別と偏見にさいなまれて心もゆがみ‥‥けっきょく、あきらめの沈滞ムードに落ちこむか、反逆的・反社会的行動に走る者が多くなる。この結果が、在日朝鮮人の犯罪率を高くして、凶悪犯で日本人の五倍、粗暴犯で七倍、せっ盗犯で四・五倍という数字をうみだすことになる。」(鈴木監修『現代の差別と偏見』(新泉社 1969年5月 263頁)

 60年代でも在日の犯罪率が高いままであったことを示している。そして鈴木はこの原因、責任を日本人側に求めている。しかしこのような考えは責任転嫁に過ぎず、ひいては犯罪を正当化することにもつながるものである。

68年の金嬉老事件(借金のトラブルから二人を殺害した後、静岡県寸又峡に人質をとって立てこもった事件)の被告は裁判において、事件をおこしたのは日本社会が差別をしたからだ、自分には責任はないと主張したことがある。鈴木の考えと共通するが、私には醜悪にしか見えない。

 

(註4) 「生活保護は、社会・経済的な差別で朝鮮人の生活が窮乏化していくにしたがって受給希望者が増加して、受ける人々も増加した。日本人の保護率は経済的復興がすすむなかで減少したが、朝鮮人の場合は増大したのである。‥‥この生活保護の『適正化』は、‥具体的な朝鮮人抑圧政策であった。この調査によって全国の在日朝鮮人の窮迫は一挙に進んだ。」(樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』同成社 2002年6月 183・186頁)

 彼らは異国の地での生活で、しかも字の読み書きも不十分な人が多かったのであるから、非常に苦労したのは事実である。しかしそのほとんどは日本の経済成長の恩恵に多かれ少なかれ与かってきたのであり、当時の韓国や北朝鮮よりはるかに生活レベルが高かったのであるから、「窮乏」「窮迫」という見解は疑問である。また生保の適正化に伴う打ち切りを「抑圧政策」とする評価はさらに大きな疑問である。

 

(註5) 在日朝鮮人の歴史に関する本は数多く出版されているが、犯罪率には触れないし、生活保護は打ち切りには言及しても不正受給には触れないというのがほとんどである。

 

 

【追記】

在日の生活保護の法的根拠

今発売中の『諸君!』4月号の浅川晃広さんの「見苦しいゾ『在日』の二枚舌」と題する論考があります。内容は朴一大阪市大教授の著作『「在日コリアン」ってなんでんねん?』を批判するものです。本掲示板でも12月9日から28日にかけて、この本について「間違い・誤解・矛盾・重要事実の隠蔽が随所に見られる」と批判しましたが、浅川さんの方が説得力があります。
 しかし一点だけ疑問なところがあります。それは在日の生活保護の根拠のところです。

 彼は在日の生活保護について


>「在日コリアン」が対象外であっても当然のはずの生活保護

>これ(在日の生活保護受給)は‥‥国会、法律、ひいては国民を無視した措置なのである

>「在日コリアン」の生活保護受給は、法律的に極めて疑義があることはもちろんのこと

173〜174頁)

と、その法的根拠に疑義を書いておられます。

在日の生活保護は、1965年までは法に基づくものではなく、法の「準用」(森田芳夫による)によっていました。従ってこの時点までは、法的に疑義があるとする彼に一理があります。
 しかし65年に締結された日韓条約の在日韓国人法的地位協定のなかに、教育・生活保護・国民健康保険について明記されています。つまり在日の生活保護は、この条約によって法的根拠が与えられたのです。
 この点が彼の言説の中で疑問とするところです。

2006年3月6日記)

 

(参考)

金守珍さんhttp://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/07/355613

 

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