社会思想史レポート3 「ドイツの記念碑( das Mahnmal )」
宮井秀人
はじめに
ドイツにおいて戦争体験者が少なくなる中、若い人たちは独自にナチスの過去について模索し始めている。彼らの中には、スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」を見て、はじめてアウシュビッツの事実を知ったという人も多いという。また、若いダニエル・ジョナ・ゴールドハーゲンの長大な論文がベストセラーになり、評価されるなど、ナチス時代への関心は強まっている。
しかし、ここで注意すべきはスピルバーグもゴールドハーゲンもユダヤ系であることだ。つまり、ナチスの罪を振り返るのに、被害者側からの問題提起を契機にしているのである。
ドイツで現在、ナチスの犯した罪についての記念碑を作る動きが出ているのも、自らの手でナチスの罪を心に刻む「きっかけ」を作ろうとしているからかもしれない。
映画という記念碑
そこで、私が提案する記念碑は、後世にまで残る、映画というメディアを用いた記念碑である。「シンドラーのリスト」「ショアー」「スペシャリスト」「ホロコースト」など、過去にユダヤ人に対するナチスの残虐行為を描いた映画は数多く存在する。しかし、ドイツ人自身の手による作品は、意外なほど少ない。そこで、ナチス時代の貴重な映像をふんだんに使った映画を、ドイツ人監督(例えばヴィム・ベンダースのような)に自由に撮らせるのである。
そうして、DVDやビデオにして、世界中の人々に見てもらえるようにするべきだ。当然、ベルリンには常にそれらを上映している建造物を造らなければならない(この映画館も記念碑と言えるかもしれない)。
映画というメディアを用いる利点は、その何よりも魂に直接届く、雄弁さだ。ヒトラーが、映画というメディアをいかに大切にしたかを想起すればよい。ナチスの罪は、いわば血の川として、流れている。それを、どうして高くそびえる記念碑で表すことができよう。映画という、戦争の20世紀を代表するメディアのみが、これを可能とする。DVDという手段であれば、原価百円ぐらいで提供できるのではないか。世界にこれを配布すべきである。コピーも自由にさせて。
留意点
その際に注意しなければならないのは、脚色の問題である。どんな優れた映画でも、個人的な感情が入ってしまうものである。そのため、主観性はできる限り取り去らなければならない。「シンドラーのリスト」はその点では優れた映画であったと思う。映画の中では、その意味で当然、ヒトラー自身にもどんどん登場してもらわなければならない。最も民主的とされたワイマール体制の中から登場したヒトラーの姿に直に触れずに、どうしてドイツ民族はファシズムへの免疫を獲得できよう。
また、その映画は「公的な記憶」を前面に出すものであってはならない。様々な立場の人々に見てもらい、「個人的な記憶」を想起するのを、妨げてはいけないからである。
そのためには、映画は1本に限らず、どんどん作ったほうが良い。様々な監督が、様々な立場で映画を作れば、その分、多面的にナチス時代のことを想起できる。
おわりに
マルティン・ヴァルザーは、こうした映画に対し、「わたしのなかの何かが反発する」と言っているが、ドイツ人ならそう感じるのも当然である。しかし、大切なのはヴァイツゼッカーが言うように「心に刻む」ことである。心に刻むことのみが、真の抵抗力を生む。「国防軍の犯罪」展の成功から、ヴィジュアルなものが人間の記憶を想起させ、関心を持たせるのに有効であるのは明らかである。これからのドイツを担うのは、戦争を知らない世代である。彼らの関心に多面的に応える装置が必要である。
以上