もしも日本が冷戦期にドイツのように分割されていれば

宮井秀人

はじめに

　歴史に「もしも」は御法度である。だが、ソ連と融和的であったルーズベルトが第二次大戦末期に死ななければ、日本がアメリカ側とソ連側に分割されていた可能性はあったというべきである。実際にドイツは米英仏ソに分割占領され、その後、1949年に相次いで東西ドイツが独立したのであるから、日本が同じ状況に置かれることも十分考えられたのである。

　ところが、実際はそうはならなかった。その理由は、ルーズベルトの死後すぐにドイツが降伏し、アメリカが「原爆」を開発し、ルーズベルトの後を継いだトルーマンが、原爆を使用して、ロシアより先に日本を降伏させることに成功したことが大きいと思われる。アメリカが事実上、全ての日本占領の主導権を握ったため、日本は分割されなかったのである。

　では、日本がドイツのように分割されていたら、どうなっていたのだろうか。

ドイツの問題

まず、ドイツにおける東西分裂を振り返ってみる。

前提

　まず、ドイツと日本は同盟国であり、ともに連合国に敗れた敗戦国である。軍事以外でも文化や経済など、交流は深かった。

　次に、敗戦後は両国とも、東西対立の防波堤となった。

　さらに、西ドイツと日本の経済復興は、ともに早かった。日本が分割されていたとしても、西側は西ドイツのような経済成長を遂げたと思われる。

　また、両国はともに血統主義をとり、出生地主義をとるアメリカやフランスに比べ、多文化社会を受け入れない傾向があった。これが、ドイツのユダヤ人、日本の中国・朝鮮人排斥の原因であったと考えられる。

　しかし、ここが重要なのだが、ドイツも日本も、もともと異なる文化圏から構成された国家であり、「単一民族」というのは幻想であるという点である。

　日独には、以上のように、いくつか共通点がある。そのため、ドイツでの結果は（韓国・朝鮮などに比べ）、このシュミレーションにおける良い材料になるだろう。

過去への取り組み

西ドイツの場合

非ナチ化への動き

　西ドイツでは、「人道に反する罪」を行ったというナチ時代の「負の連続性」が、強く続くことになる。そのため、60年代以降、各団体の克服、反省が始まる。しかし、医学、法学、歴史学の分野では、戦争の反省が大きく遅れた。

戦争責任を巡る裁判

　戦後、ナチスの戦争責任を巡って、いくつか大きな裁判が行われた。それらを年代順に見ていくことにする。

国際軍事裁判（ニュールンベルク裁判（1945））

その後、行われる極東軍事裁判（東京裁判）とともに侵略戦争を犯罪とし、非人道的行為についても個人の責任と問うものとした点に重要な意義があった。

アイヒマン裁判（1961）

逃亡先のアルゼンチンで捕らえられた、ユダヤ人虐殺の責任者アイヒマンがエルサレムで裁かれた裁判である。

アウシュヴィッツ裁判（1963-65）

ドイツ人によるドイツ人の戦争犯罪を裁いた軍事裁判である。これによって、ナチス犯罪の時効を認めないものとした。しかし、日本にはこれに相当する裁判は開かれていない。

歴史論争・平和運動

ドイツでは、「過去の記憶」と「歴史」を巡って、様々な論争が繰り広げられた。

ヴァイツゼッカーの演説（1985）

大統領が5月8日のドイツ敗戦40周年の日に行った演説で、世界で高く評価された。

歴史家論争(1986)

ハーバマスがノルテら歴史家の歴史への取り組みを批判したことから、行われる論争。

緑の党

70年代の末には、市民運動を背景に「緑の党」が誕生する。

東ドイツの場合

非ナチ化への動き

　圧倒的にナチスの信奉者の多かったドイツ人には、ソ連軍を「解放軍」として受け取ることはできなかった。西ドイツよりもナチスへの追求が強かった。それが原因で西ドイツに亡命した人もいたほどである。

　こうした不評な状況の中、ソ連による「上からの改革」が行われ、非ナチ化が行われる。日本で行われた「公職追放」よりもはるかに徹底した措置だった。（本多勝一「ドイツ民主共和国」朝日新聞社　224-225p 付章・永井清彦「ドイツ民主共和国」と称した国より）

平和運動

　西ドイツの緑の党結成に触発され、市民運動が活発になる。しかし、「東ドイツ政府は官製の平和運動しか認めようとせず、市民の運動は抑えにかかった。」（本多勝一「ドイツ民主共和国」朝日新聞社　237-238p 付章・永井清彦「ドイツ民主共和国」と称した国より）

分割後の変化

西ドイツ

社会のレベルでの変化

「一民族二国家」論

西ドイツは、独立当初から再統合を前提とした国家であった。

個人のレベルでの変化

　西ドイツ国民には、経済発展にともない、西側民主主義の価値観が強く定着するようになった。また、コール首相の国民的アイデンティティーを昂揚させる「歴史政策」がうまくいかなかったように、大きな経済成長を遂げた大多数の西ドイツ人にとって、東との統合は、もはや大きな問題では無かった。

東ドイツ

社会のレベルでの変化

「二民族二国家」論

　「一民族二国家」論はもともと東ドイツの論法だったが、西ドイツがこの立場を採用すると、今度は「二民族二国家」論に退いていった。（本多勝一「ドイツ民主共和国」朝日新聞社　235p 付章・永井清彦「ドイツ民主共和国」と称した国より）そして、この立場になると東ドイツは「われわれはドイツ民族ではない。社会主義的民族だ」という主張するようになる。

個人のレベルでの変化

　様々な理由で、大量の西への亡命者がでることになり、1961年、ベルリンの壁が築かれた。

　東に残った住民の生活も、本多勝一氏の「ドイツ民主共和国」（朝日新聞社）に見られるように、高官やコネを持たない人以外は決して快適とは言えない生活（電話や水道すら通っていない家庭も多く、町も汚れている）を送っていた。

再統合について

再統合について、西ドイツ国内でいくつかの立場があった。

賛成派

Flakhelfer（高射砲）の世代

　1920-30年代生まれの人々で、戦争の最も悲惨な状態は経験していないが、分割前のドイツを知っているため、ドイツ統合への強い願望がある世代である。

反対派

ギュンターグラスなど少数派の意見

ドイツが多様性を失うことへの反発。

「こんな祖国を私は今すぐに裏切ります。私の祖国はもっと多様で、多彩で、近所づきあいが良く、艱難によって賢くなり、ヨーロッパ並に協調性に富んでいなければなりません。」（ギュンター・グラス著　高本研一訳　「ドイツ統一問題について」　中央公論　10p）

西が東を一方的に飲み込むことへの抵抗。

｢私たちの隣人に我慢してもらえるかもしれないドイツ国家連合に、なぜ繰り返し余計なものを一つ加えなければならないのでしょう？（中略）包括的な統一、より大きな版図、凝集した経済力と言ったものは、いったい追求するするに値するほどの成長でしょうか？それらはすべて、またもや大きすぎないでしょうか。｣（ギュンター・グラス著　高本研一訳　「ドイツ統一問題について」　中央公論　10-11p）

変化

　通貨統合が東西統合の契機であったように、経済的な変化が主体であった。しかし、東側の低所得はほとんど変わらなかった。

日本の問題

では日本についてはどうか。ドイツと同様に見ていくことにする。

前提

冒頭で触れたように日本に「原爆」が落とされなかった場合を想定する。

人口重心（郡上八幡）あたりで東西に分かれたと仮定する。

東京は、ベルリンと同じく、共同管理される。

過去への取り組み

西日本

　朝鮮戦争で、日本が西側の防波堤になった以上に、西日本はアメリカにとって重要な拠点となるだろう。そのため、西日本は、現在の日本以上にアメリカの影響を受けることになる。

　では、ドイツにおける「アウシュヴィッツ裁判」のような、自国民を自らで裁く裁判は行われたであろうか。

　私は「世界の中での日本という位置づけを正確に認識する（網野善彦　「東と西の語る　日本の歴史」講談社学術文庫　313p）」ため、裁判は、行われた可能性は高いと考える。

東日本

戦争犯罪は反ファ・ブロックのもと、徹底的に裁かれたであろう。

しかし、他の社会主義国同様、それはあくまでファシズムを根絶するためであり、他の民族に対しての謝罪の意味ではない。

　両日本とも天皇制は廃止されていたであろう。日本が分裂した以上、統合の象徴が必要となった理由はない。ルーズベルトが存命なら、マッカーサーが自由に振る舞えた可能性も低い。

分割後の変化

「単一民族」の幻想

　前記のように、複雑な領邦国家であったドイツ同様、日本も決して「単一民族」ではない。従って、意外に東西の分裂は、文化的には、居心地がいい。当然、東京一極集中もない。このことについて網野善彦氏は次のように言及している。「歴史学において、「もしも」ということは本来許されぬことであるが、いま、あえていうならば、もしも日本列島の北方、北海道・沿海州に強力な勢力があったら、また、もしも朝鮮半島を通じて強大な政治勢力--モンゴルのような勢力が海をこえて西日本の一部を押さえていたならば、東国と西国が分裂し、別個の民族となり、国家となった可能性も、大いにありうると思う。ヨーロッパ大陸の諸民族の動きをみても、それは決して全くの想像とはいえぬであろう。スペイン・イタリア・フランス、あるいはオランダとドイツ、ノルウェーとスウェーデンなどの違いの幅と、東日本と西日本と朝鮮半島の違いの幅と、果たしてどのくらい違うのであろうか。」（網野善彦　「東と西の語る　日本の歴史」講談社学術文庫　312-313p）

　東西の文化的・経済的な差異を強調する指摘は多い（網野氏の本以外では、大野晋、宮本常一ら著『西日本と東日本』日本エディタースクール出版部1981年など）。徳川時代、江戸は金本位制、大坂は銀本位制であった。林屋辰三郎氏のように、源平の合戦、関ヶ原の合戦、明治維新に、東西の対立を見る意見もある（『日本文化の東と西』講談社現代新書1974年）。

西日本

社会のレベルでの変化

　軍事面では、西ドイツというよりも、現在の韓国と同様になる可能性が高い。そのため、徴兵制が敷かれ、韓国のように、日本もヴェトナム戦争に参戦したかもしれない。経済は、今よりもっと欧米寄りになり、グローバルに発展するであろう。ただ、軍事費はの負担は大きい。国際的には、南北朝鮮対立と連動しあって、東西日本の対立がいっそう深まるだろう。

個人のレベルでの変化

　西ドイツの人々がそうであったように、日本人としてのアイデンティティよりも、西側民主主義国家の中での自らの位置づけを考えるようになるだろう。

東日本

社会のレベルでの変化

　戦後、ファシズムを弾圧する中で、共産党独裁が始まる。こちらでもやはり徴兵制が敷かれるだろう。他の国家同様、ある程度までの経済復興の後は、産業が停滞し、西側との所得の格差が生まれる。

　また、日本には共産党の実力者がスターリンによって粛清されているので、東ドイツのウルブリヒトに相当する人物がおらず、従って、東日本は東ドイツ・北朝鮮以上に弱体であったと思われる。

個人のレベルでの変化

　やはり、ドイツや朝鮮同様、大量の西への亡命者が生まれるだろう。また、北朝鮮のように大飢饉が起きることはないにしろ、国民は貧しい暮らしを余儀なくされる可能性は高い。

再統合について

変化

　そもそも、朝鮮の南北対立が今なお続き、統合の兆しが見えてこない現状からは、もし、このうえ近所に日本という東西対立の国家が存在していれば、相乗効果で対立がいっそう深まり、ますます再統合は難しくなる、と推測できる。

　そのためには「おそらくまず間違いなしに多くの血を流して」（網野善彦　「東と西の語る　日本の歴史」講談社学術文庫　313p）、その後にようやく統合がなされるに違いない。これは無血統合を果たしたドイツとは事情が異なるだろう。

　統合後も、東の経済は芳しくないのは、ドイツの現状を見れば容易に推測がつく。しかし、「あらためてみずからのものとした日本人像、日本民族の意識は、現在のような、ぼんやりとした薄っぺらなものとは、はるかに違ったものになるに相違ない」（網野善彦　「東と西の語る　日本の歴史」講談社学術文庫　313p）。

感想

分裂の是非をめぐって

　網野善彦氏が「東と西の語る　日本の歴史」（講談社学術文庫）で書かれた「日本が東西に文化圏が異なっていた」という説は、大変興味深かった。確かに、網野さんのように「もしも日本が東西に分かれていたら・・・」を考えたくなる気持ちも良く分かる。

　今なお根強く残る「日本人が単一民族である」というデタラメが、はっきり間違っていたことが分かるし、再統合されたときに、まったく違った「日本人像」が生まれることは望ましいことだろう。

　しかし、これは「もしも」に留めたい。

　ここで、再び前記のギュンター・グラスの意見に戻ってみよう。

　確かに分断によって「多様性」が維持されるだろう。しかし、あの段階で発生していた東西の巨大な経済的差異を越えて、文化的差異を維持し、「西が東を一方的にとりこむ」ことに反対するグラスの「抵抗」は、強者の弱者に対する勝手な主張のきらいがあると、私は思う。

　私は以前BBCのドキュメンタリーで、ハンガリーが東ドイツ人を大量にオーストリアに逃がした、いわゆる「ヨーロッパピクニック計画」の模様を見た。東ドイツの人たちが西に逃げおおせたときの感動で涙する姿は、あまりに劇的で、こちらまでもらい泣きをしそうになるほどであった。東側の人々が、こんなにも悲惨な暮らしを余儀なくされていたのか、と思うと、いたたまれなくなった。それをグラスのように「隣人に我慢してもらえるかもしれない」というのは、いかにナチス時代の「全体主義」の経験がひどかったことを割り引いても、身勝手だと思う。

　また、近年のユーゴスラヴィアの悲劇を見れば、あれだけ多くの「血」（しかもいわゆる「兄弟殺し」で）を流したうえでの国家の独立を、「多様性」というきれい事では語れないと、私は思う。そもそもユーゴ解体の発端は、経済的に最も裕福だったスロヴェニアの独立であった。グラスは、西ドイツはスロヴェニアであれ、というのだろうか。

　本多勝一氏の「ドイツ民主共和国」（朝日新聞社）には、東ドイツ人が、いかに無茶苦茶な生活を送っていたのかが、面白おかしく、しかし痛烈な批判も込めて書かれている。グラスの犯したミスは、こういった個人や社会のレベルを無視したうえで、統一反対を論じた点にあったのだろう。

以上

参考文献

網野善彦　「東と西の語る　日本の歴史」　講談社学術文庫

本多勝一　「ドイツ民主共和国」　朝日新聞社

ギュンターグラス　高本研一訳　「ドイツ統一問題について」　中央公論社