コンピューターの思考ツールに見る記号論(課題2)
宮井秀人
- はじめに
- 先日、北陸先端科学技術大学院大学の知識科学研究科長・教授である野中郁二郎氏の講演を聞いた。氏は長嶋茂雄に代表される直観型の知識を「暗黙知」、野村克也に代表される綿密な分析型の知識を「形式知」と定義し、@暗黙知から形式知、A形式知から形式知、B形式知から暗黙知、C暗黙知から暗黙知と、4つのマトリックスの中で行われる変換プロセスを「SECIモデル」として説明した。そして、「個人の暗黙知を組織がかりで製品やサービスに具体化する『組織的知識創造』」(「日経情報ストラテジー」1994年10月31日)の必要性を説いた。氏は、コンピューターの発達で、Aの過程は強力に効率化されたが、@やBは人間を通してしか、行えない困難な作業であるという。
私は「記号論 ヴァーチャルについてのレッスン」の授業でのパースの「三項図式」を思い出した。「解釈項」(Interpretant)としての人と、ReferentとしてのObject、そして「記号プロパー」(Representation)で構成されるこの図式と、野中氏の「SECIモデル」とは、通じる部分があるように思われたからである。しかし、「ヴァーチャルについてのレッスン」によれば、「コンピューターは一方向のメディアと異なり、「解釈作用」の高い
メディアである」という。そうなると、コンピュータは野中氏の上記のAだけでなく@やBも効率化させていることになるだろう。実際、パソコンが普及した近年、@やBを効率化させるツールはいくつも出てきている。そのいくつかを調査してみた。
- 発想ツール
- @の作業においては、これまでに「発想」(暗黙知)を「整理する」(形式知に変換する)作業をサポートするソフトウェアがいくつも開発されてきた。いくつかを取り上げ、分析してみる。
- アウトラインプロセッサ
- いつごろ生まれたのか定かではないが(パソコンの操作にマウスを主に用いるようになってからという説がある)、アウトラインプロセッサというソフトウェアがある。発想の見出し(アウトライン)を書き出し、箇条書きに並べることで、思考を整理するツールである。並べた項目の順番を変えたり、階層を変えたりできる。この階層構造が重要で、下の階層になるほど、段落のインデントが下がり、これによって、どのアイデアがどのアイデアに所属(Referent)するのかが視覚的に理解しやすい。一般にその階層/順序関係は、家族関係に例えて「娘」や「姉」と呼ばれている。近年ではMS-WordなどのワープロソフトやPowerPointのようなプレゼンテーションソフトにも内蔵されることが多くなり、その有効性が広く理解されはじめている。ちなみに、ほとんどのアウトラインプロセッサには階層を折り畳む機能があり、一番上の階層のみを表示することができる。これはいわば目次(Index)の状態であり、パースの言うところのIndexにも近いものである。
- ダイアグラム
- 従来よりアイデアを何枚ものカードに記述して自由に並べて思考を整理する手法が一般的であったが、その作業をコンピュータ上で行えるようにしたのが、この形態のソフトウェアである。いくつものトピックを画面上に並べ、それらをマウスのドラッグで線を結び、関連づけることができる。線には直線や曲線、矢印の形を選ぶことができるので、Referentを明示的に示すことができる。組織図作成などではすでに一般的なソフトウェアだが、思考支援にも多いに役立つ。代表的なものに米Inspiration
Software 社(http://www.inspiration.com/)のInspirationがある。同ソフトはアウトラインプロセッサの機能も内蔵しており、ダイアグラムと両方の形式を用いて思考をまとめることができる。
- Mandal-Art
- 日本人デザイナーの今泉浩晃氏が考案したソフトウェア(http://www.mandal-art.com/)で、3×3の9個の格子を用いる斬新な発想ツールである。9個のマンダラと呼ぶテキストボックスに、おのおの文字を入れていくのだが、その9項目の相関関係をタテ、ヨコ、ナナメ、螺旋型とどのように用いても良く、その各ボックスから新たなマンダラにハイパーテキスト的にリンクされている。つまり9個の「Index」マンダラから、無限にマンダラを拡げることができるのである。
- その他
- データベースソフトはその名の通り、情報を蓄積することで発想をサポートしてくれる。1986年、米Apple
Computerのプログラマーであったビル・アトキンソンが開発したHyperCard(http://www.apple.com/HyperCard/)はカード型データベースとハイパーテキストを組み合わせた初めてのソフトウェアであった。やがてそれは、WWW(World
Wide Web)やそれを支えるHTML(Hypertext Markup Language)の精神に受け継がれ、グローバルなデータベースとしてますます便利に発想の手助けをしてくれるようになった。
- ブラウジングツール
- Bをサポートするのには、デジタル記号を「解釈項」(Interpretant)である人間に理解させねばならない。そのため、情報を明示的に表示させるソフトがいくつも開発されてきた。
- ウェブブラウザ
- 1989年、ヨーロッパの粒子物理学研究所(CERN)のティム・バーナード・リー研究員が考案したWWW(World
Wide Web)は、文字や画像,音声などさまざまな情報を組み合わせ、それらをHTML言語を用いてハイパーテキストとして記述するものであった。そこで開発されたのがHTML言語を解釈するWebブラウザである。Webブラウザはハイパーテキストを読み取り、マウスのクリックによって、インターネット上をあたかも自らが旅(サーフィン)をしたかのごとく情報の海を行き来することを可能にした。
- ビュアー
- インターネット/マルチメディアの普及とともにあらゆるデジタルデータ形式を再現する必要性が生まれてきた。そこでウェブブラウザに付随する形でいくつもの情報表示ソフト(ビュアー)が登場した。これらはやがてインターネットのリアルタイム性を生かし、インターネット中継や株価情報、掲示板、チャットなど、さまざまなライブ情報へのアクセスを可能にした。
- テキストビュアー
- 上記のビュアーのなかで興味深いものがテキストビュアーである。従来、ワープロやテキストエディターで作られた文字情報は一度プリントアウトしないと非常に読みづらかった。しかし、インターネット上で様々な情報が、ますます視覚的、聴覚的に鮮やかになる時代の要請に押されて、画面上でもテキスト情報を読みやすくするソフトが開発されるようになった。代表的なものには米Voyager社のT-Time(http://www.voyager.co.jp/T-Time/)がある。同ソフトは文字にアンチエイリアス処理(ジャギー(ドットのギザギザ)をなくす技術)を行い、ある程度のサイズのフォントを用いることで、画面上のテキスト情報を読みやすくすることに成功している。
- おわりに
- このように、コンピュータにおける発想ツールおよび、情報表示ツールの発展は目覚ましい。今後、コンピュータのさらなる処理速度のアップにより、デジタル記号の表示や処理がさらに効率化されるだろう。また、バーチャルリアリティの発展は様々な可能性を生み出すことだろう。しかし、忘れてならないのは、どれほどコンピューターが便利に、また賢くなろうとも、野中氏の言うように、@やBの処理はやはり人間しか行えないプロセスである、ということだ。今後、膨大な記号を処理するフィルターとしての「解釈項」・人間の主体性がますます問われてきている。
以上