■■■ 一刻館探訪記 ■■■



このページは、私が1999年秋から2000年初頭にかけて一刻館のモデルとなったアパートを探すべく悪戦苦闘した探訪記(奮闘記?)を掲載するものです。残念ながら、明確なモデルは発見できませんでしたが、一部の方には多々お世話になりましたし、今後の参考にでもなればと思い公開しました。(しかし疲れました・・。何故かは読んでいただければ分かります(^^;)



■ 一刻館モデルは存在するか

少年サンデーグラフィック・スペシャル 劇場用アニメ「うる星やつら」完結編 ボーイ・ミーツ・ガール(以下SGと略記)収録インタビュー、「めぞん一刻」文庫版収録インタビュー、バークレー大学HPに以下の記載があります。

私は学生時代、中野の5万5千円のアパートに住んでいたんですが、そのアパートの横にかなりヤバイ感じのするアパートがあったんです。(中略)「めぞん一刻」はあのアパートを描いてみたかった。(中略)外から見た感じでは典型的な安アパートなんです。玄関があって廊下が連なっている。「めぞん一刻」で描いたアパートの構造は、おそらくあの安アパートに似てるんじゃないかと。(SG86頁)

私が学生時代に住んでいたのは木造モルタル2階建ての、二世帯しか入らないような所だったんですけど、そこの隣というか向かいというかに、本当にああいうアパートが建っていて、そこが凄く面白そうだったんですよ、そとで見てて。それでなんとなく、あ、こういうのも良いな、と思いまして。(文庫版収録インタビュー)

Takahashi was born in Niigata, Japan, in 1957. After passing the difficult entrance exam for Nihon Joseidai (Japan Women's University), she moved into a small student's apartment in Nakano, Tokyo where she live for several years. This experience was later to form the basis for her series _Maison Ikkoku_.(バークレー大学HP・出典不明)

Q. Where did you get the inspiration for MI?
A. When I was in college, there was a rooming house located behind the place where I was living. It was rather run down, and there seemed to be a number of strange/interesting people who lived there. I wondered about what their lives might be like, and the story grew from that.(バークレー大学HP・高橋先生が94年に訪米した際のインタビューのようです)

したがって、高橋先生が学生時代にお住いだった中野区内又はその近辺に実在する(した)ことがわかります。



■ 一刻館モデルの所在地は  〜その絞り込み〜

(1)中野区近辺
時計坂のモデルが東京都東久留米市であることは既に定説となっておりますが、上記の通り一刻館の建物自体のモデルは、高橋先生が学生時代にお住いだったアパートの近くにあるようです。したがって、一刻館のモデルは中野区近辺にある(あった)とまず絞り込むことができます。

(2)中野駅周辺
中野区近辺と判明しても、人海戦術を採るならともかく、その全域を調べることはほぼ不可能です。中野区は東京でも有数の人口密集地で、道が狭くアパートも多い上、広さも馬鹿になりません。それでも何とか探しだしたい…という衝動にかられて調べるうちに、以下のような高橋先生の言葉に気付きました。

「勝手なやつら」は増刊に載るはずだったんですが、運良く週刊に載ることになりました。掲載号の発売日は6月、天気はまあまあ、ちょっと早起きしてスタタタタッと中野の駅にいって、少年サンデーと手に入れて。(SG85頁)

スタタタタッと中野駅に行った(^^;という描写から、中野駅周辺にお住まいだったと推測できます。したがって、中野駅周辺のアパートを探せばよいのでは、と考えました。

(3)中野区中野2丁目・3丁目、中央4丁目・5丁目、杉並区高円寺南5丁目



いよいよ絞り込みも佳境に入ってきました。この絞り込みの根拠は、

根拠1 中野駅から徒歩10〜15分圏内であること
中野駅から南北方向に10分、東西方向に15分以上離れると、JR中央線の東中野駅、高円寺駅、営団地下鉄の東高円寺駅、新中野駅、西武新宿線の沼袋駅、新井薬師駅の方が距離的に近くなってしまいます。また、下宿ですから駅からそう離れた所には住まないだろうとも考えられます。

根拠2 「桃園」という地名
「うる星やつら」初期(まだ高橋先生が中野にお住いだった頃です)には、「桃園××」という店舗が散見されます。たとえば、

桃園米店 (第2話「やさしい悪魔」7頁、8頁・第16話「幸せの黄色いリボン」7頁、14頁 鏡の文字)
桃園米店の朝 (第3話「悲しき雨音」11頁 新聞の見出し)
桃園酒店 (第8話「酒と泪と男と女」15頁)
桃園薬局 (第8話「酒と泪と男と女」16頁)
桃園果実店 (第9話「憎みきれないろくでなし」10頁)
MOMOZONO MAN(SION?) (第37話「魔のランニング」4頁)

中野駅の南側、中野2丁目・3丁目、中央4丁目・5丁目には「桃園××」という店舗が実在します。中野3丁目には「桃園通り」という商店街があるためか桃園にちなんだ名前の店舗等が多数存在し、中野2丁目、中央4丁目・5丁目のものも中野3丁目寄りの地域に見られる傾向があります。ゼンリン住宅地図1978年版と、私自身の実地調査による主な結果は以下の通り。

桃園通り (中野3丁目・現存)
桃園市場 (同・喪失)
桃園美容室 (同・喪失)
桃園医院 (同・現存)
桃園食糧販売所 (同・現在は桃園米殻店)
桃園マンション (同・現存)
桃園薬局 (同・現存)
桃園児童遊園 (中野2丁目・現存)
酒場桃園 (中央4丁目・喪失)
桃園食堂 (中央5丁目・現存)

この地域外では、桃園教会幼稚園(中野5丁目)、桃園第2小学校(中野6丁目)などの少数の例外を除き桃園にちなんだ店舗、施設はほとんど見つかりません。また、桃園通りというか桃園商店街は、大通りからややはずれた中野3丁目の住宅地の中にあるため、高橋先生が他地域にお住まいだったとしてわざわざこの小さな商店街まで来るだろうか、という想像も成り立ちます。

もう一つ、注目すべきは「桃園米店」です。上記の通り「うる星やつら」に頻出していますが、実際に中野3丁目の「桃園食料販売所」の店舗に「桃園米店」という看板が出ています。看板が当時からあったかどうかは分かりませんが、字体や金メッキの剥げ具合からはかなり古い物と思われます。この他、桃園薬局、桃園マンションの実在を確認しました。

以上より、中野3丁目及びその周辺地域を探せばいいのではないだろうか、と考えました。その中でも中野3丁目、高円寺南5丁目は可能性が高いと思われます。その理由は駅に行く途中必ず桃園商店街を通ることになるということに基づきます。もちろんこれは推測にすぎませんから、他地域も綿密に検証する必要があることはいうまでもありません。とりあえず中野3丁目、高円寺南5丁目付近の可能性が最も高そうだ、ということです。

探索すべき地区リスト

<重要地区>
中野2丁目全域  探索完了
中野3丁目全域  探索完了
中央4丁目北部  探索完了
中央5丁目北部  探索完了
高円寺南5丁目東部  探索完了

<参考地区>
中野4丁目東部  探索完了
中野5丁目西部  90%探索済み
高円寺南1丁目北東部  90%探索済み

(4)隣接するアパート2棟
高橋先生はモデルのアパートと、ご自身のアパートについて次のように述べられています。

(高橋先生の)アパートの裏にかなりやばい感じのするアパートがあったんです。夜中にアパートの中と10メートルぐらい離れた道路の間で、トランシーバーで通信やってる住人がいたりする(笑い)。”うるさい!何やってんのよ”と、私はおそるおそる見てたんですが。(SG86頁)

私が学生時代に住んでいたのは木造モルタル2階建ての、二世帯しか入らないような所だったんですけど、そこの隣というか向かいというかに、本当にああいうアパートが建っていて・・(中略)(文庫版インタビュー)

I ended up living in a roku-jo room (about 150 sq. ft.) along with my assistants. It was so crowded that I had to sleep in the closet!(バークレー大学HP・出典不明)

したがって、隣接又は向かい合った2棟のアパート(それも片方はかなり小さい)を調査すれば良いことになります。(慎重を期すため、調査は1棟単独のアパートも含めて該当地区のアパート全てについて行いました)

(5)アパートの特徴
モデルとなったアパートの特徴は次の通り。これも高橋先生のインタビューからです。

結局、私は怖くてそのアパートには一歩も踏み込めなかったのですが、外から見た感じでは典型的な安アパートなんです。玄関があって廊下が連なっている。「めぞん一刻」で描いたアパートの構造は、おそらくあの安アパートに似てるんじゃないかと。(SG86頁)

また、先述した「?の疾病」の最終頁には高橋先生のアパートと、その隣の一刻館モデルと思しきアパートがわずかながら描かれています。一部だけしか描かれていないので断言はできませんが、絵から推測するに、かなり古ぼけた木造アパートと思われます。

(6)まとめ・探すべきアパートは
図書館の閉架書庫で1978年当時のゼンリン住宅地図をコピーし、(3)で掲げた地区のアパートを片っぱしから赤ペンでチェックしました。その数、およそ500棟。あとは実地調査のみ。この中から以下の条件に合うアパートを探します。

@ JR中央線中野駅から徒歩10〜15分圏内、それも中野3丁目周辺があやしい
A やばい感じのする安アパートである
B その周囲に小さな別のアパートがある
C 玄関があって廊下が連なっている、構造が一刻館に似たアパート




■ 実地調査

(1)アパートA(杉並区高円寺南)







住所は杉並区ながら、10メートルも歩けば中野区になる所に位置します。周囲に小さなアパート4、5棟が密集しています。外壁は最近塗り変えられたものと思われますが、建物自体は想到の年期をへているらしく内部はかなり薄汚れ、柱は黒光りしています。写真ではちょっと分からないかもしれませんが、「ヤバイ感じ」は十分に感じられます。玄関の奥に廊下があって、各部屋の扉があって、今時めずらしい本物の下宿という点では一刻館と一緒。一刻館は玄関を入って左右に廊下が連なりますが、このアパートは入口から奥に向かって廊下が伸びる構造をとっています。

このアパートの最も特筆すべき点は、既にお気づきの通り入口のひさしと柱です。街灯がない等の相違点はあるものの、全体としては一刻館の入口と酷似しています。

写真には撮れませんでしたが、管理人さんがいらっしゃっるらしく、玄関前をホウキで掃除してらっしゃいました(笑)。ただし、竹ボウキではありませんし、おばさんです(^^;;;。


(2)アパートB(中野区中央)







外観は比較的似ていますが周囲に小さなアパートはありません。裏に別のアパートがありますが、高橋先生がおっしゃるような小さなものではないため該当するかどうかは疑問が残るところです。ただ、外観、塀の形、玄関の街灯の位置、アパートの裏側の雰囲気が原作とよく一致し、また、写真では見えにくいですが各部屋の窓に備え付けられた手すりも比較的似ています。



■ 結論

現時点では結論は出すことはできませんが、(1)(2)ともにモデルである「可能性」については言及できるかと思います。玄関から入って廊下が伸びる構造や、怪しさ、北側道路に面していること、周囲のアパートの存否からすれば(1)、玄関の街灯の位置、塀の形からみれば(2)が優勢と思われます。ただ、(2)は周囲に小アパートがないという点からみると説得力に欠けることは否めません。

結局、結論は出せずじまいです。上のアパートを一刻館のモデルというには少し早計とお思われます。問題点を以下に列挙してみました。



■ 問題点

(1)建物喪失の可能性
めぞん一刻の連載開始から既に20年が経とうとしています。20年前に既にオンボロだったアパートが現存しているかは疑問の残るところです。現に、調査したアパートのうち、既に改築、消滅したものも少なくありませんでした。

(2)見過ごしの可能性
500棟以上のアパートを確認する必要があるため、当然そのなかにはチェックがおろそかになるものも出てくるものと思われます(チェックを「忘れる」の意ではなく、チェックが「甘くなる」の意)。つまりモデルとなったアパートが、さほど一刻館に似ていない場合は見過ごしてしまう心配があります。

(3)高橋先生の学生時代の住所
中野駅周辺であるということ以外不明です。先生のアパートの近くにモデルのアパートがあったのは間違いありませんから、先生の学生時代の住所が分かれば特定することが可能ですが、結局わかりませんでした。

(4)アパートAについての問題点
@中野区の隣接地域にあるとはいえ、住所が杉並区である以上、その隣にある高橋先生のアパートもやはり杉並区にあったと考えられます。このとき、「中野の…」という発言が出るかという問題があります。高橋先生は中野駅を利用していたため、そのような意識で発言したのかもしれませんが検討すべき点かと思われます。

A廊下が奥に伸びている構造を参考に、果たして一刻館のような左右に伸びる廊下を描くだろうか、という懸念があります。

B外壁が一刻館のような木材むき出しではなく、モルタルである点。もっとも、最近塗り替えたと思われるので、木材の上にモルタルを塗りつけた可能性は否定できませんが(建築学上こんなことが可能かどうかは定かではありません)。

(5)アパートBについての問題点
最も大きな問題は、周囲に高橋先生がお住まいだったと考えられる小さなアパートがないことです。また、アパートAと同じく外壁が木材でない点もマイナスポイントです。



解明できたのはここまでです。労多くして功少なし、やっぱり無謀でしたかね〜(^^;。でもこんなに時間のかかる調査、学生のうちでないと出来なかったですし、まあいろいろと楽しめたのでよかったかな、とも思います。とりあえずは参考になることを祈って。



■ 参考文献

・「めぞん一刻」ワイド版
・「めぞん一刻」文庫版
・「うる星やつら」ワイド版
・「けもの24時間」
・「?の疾病(なぞのしっぺい)」
・少年サンデーグラフィック・スペシャル 劇場用アニメ「うる星やつら」完結編 ボーイ・ミーツ・ガール
・漫画専門誌「ぱふ」83年11月号
・「マンガ夜話 vol.4」
・「桜楓の百人  日本女子大物語」
・めぞん一刻 Mailing-List
・ひろゆきさんの「めぞん一刻 Homepage」
・飛鳥杏華さんの「飛鳥杏華のホームページ」
・平山さんの「めぞん一刻小辞典」
・五代君さん・メロンパンナさんの「犬が良いんですか?」
・バークレー大学の「Maison Ikkoku Homepage」

■ 協力

・「レポート・めぞん一刻」のくろべさん
・日本女子大学卒業生のIさん
・サークルの友人S君
・国立国会図書館
・早稲田大学中央図書館
・中野区役所区政資料センター


Copyright (C) 1998-2006 Touch