実現しなかった話

 
 今西 錦司が白山山系の秘境、笈(おいずる)ヶ岳に登ったいきさつを書き残している。それにしても大笠山からついでに足を延ばして笈ヶ岳へ登ったとは、たいした脚力である。
  
笈ヶ岳
 
加羅頭から見る笈ヶ岳(Nov.4, 2000)
 

 深田君とは、とうとう1度もいっしょに、山へ登れなかった。登ろうと思っていたのであるけれども。
 かれは北国(ほっこく)-京都から越前や加賀を指して北国という-の生まれであったが、早くから東京へ出ていたため、地元の白山山脈にはまだ登りのこしている山があって、それがいつも気になっていたらしい。 とくに笈ヶ岳(1841メートル)には、執心していた。

 そのころ私も、岐阜側からようやく庄川すじに、足をのばしはじめていたので、それじゃ笈はいっしょに登ろうか、という話になった。約束というほどに堅苦しいものではなくて、まあ心当てにしている、といった程度のものであった。ところが、東京と京都にはなれて住んでいると、つい連絡が億劫になり、私はかれにすまないと思いながら、さきに笈へ登ってしまった。
 
 越中桂から大笠(1822メートル)へ登ったとき、その足で笈まで縦走したのである。
 
 その後かれも、加賀側の中宮温泉から、笈へ登ったことを知ったので、笈に関するかぎり、この話は、まずはめでたしめでたしで、すんだことにしておく。
  

 今西 錦司 :  1902年(明治35年)京都に生まれた。京大教授、動物生態学を研究。今西学説として有名な「棲み分け理論」を発表し、生物社会学なる新しい分野を構築した。
 
 引用図書 :   講談社発行   今西 錦司全集  第9巻
 
            上記文章の発表は1971年
            著作集として収められたのは  日本経済新聞社より 1973年出版 「そこに山がある」