
深田君とは、とうとう1度もいっしょに、山へ登れなかった。登ろうと思っていたのであるけれども。
かれは北国(ほっこく)-京都から越前や加賀を指して北国という-の生まれであったが、早くから東京へ出ていたため、地元の白山山脈にはまだ登りのこしている山があって、それがいつも気になっていたらしい。 とくに笈ヶ岳(1841メートル)には、執心していた。
そのころ私も、岐阜側からようやく庄川すじに、足をのばしはじめていたので、それじゃ笈はいっしょに登ろうか、という話になった。約束というほどに堅苦しいものではなくて、まあ心当てにしている、といった程度のものであった。ところが、東京と京都にはなれて住んでいると、つい連絡が億劫になり、私はかれにすまないと思いながら、さきに笈へ登ってしまった。
越中桂から大笠(1822メートル)へ登ったとき、その足で笈まで縦走したのである。
その後かれも、加賀側の中宮温泉から、笈へ登ったことを知ったので、笈に関するかぎり、この話は、まずはめでたしめでたしで、すんだことにしておく。
今西 錦司 : 1902年(明治35年)京都に生まれた。京大教授、動物生態学を研究。今西学説として有名な「棲み分け理論」を発表し、生物社会学なる新しい分野を構築した。
引用図書 : 講談社発行 今西 錦司全集 第9巻
上記文章の発表は1971年
著作集として収められたのは 日本経済新聞社より 1973年出版 「そこに山がある」