2010大学改革研究会『大学改革2010年への戦略』(PHP研究所・2100円)

 教育研究の分野における近年の事件のひとつは、これまであまり注目されることのない地味な分野であった高等教育論が、にわかに社会的注目を浴びたことであろう。
 高等教育論が盛んになったのはもちろん、大学設置基準の大綱化を契機とした大学改革の進行が社会的関心を呼び、教育改革のひとつの柱とみなされるようになったからである。それでは大学は良くなったのか。確かに、多くの大学でカリキュラムは変更されたし、組織改編も進んだ。しかし、大学教育が格段に良くなったとみる人はあまりいないだろう。
 私の見るところ、改革が実質的に進まない原因は二つある。第一に、改革の目標・方向についての合意がない。多くの場合、各大学が改革を進める理由は、文部省ににらまれたくないから、でなければ一八才人口の減少を控えての学生確保対策である。ポーズを示すことか学生確保が目的だから、教育の質的充実とは必ずしも結びつかない。
 第二に、改革を進めるための組織的・技術的手段が整備されていない。カリキュラムを少し変更するにも、数多くの会議が必要になる。おまけに大学教員は、議論をまとめたり合意形成したりするのが得意ではない。しかも入試制度や学位制度など、大学教育の枠組みを決定する基本的な部分は手つかずで、せいぜいどんな授業を何単位取らせるかというあたりしか、議論の対象とされない。これでは大きな改革は無理である。
 本書はこの二つの課題に答えようとしたもので、その視点はひとまず的を得ているとみていい。七人の共著だけに、必ずしも議論が一貫しているわけではないが、単純化すれば主張は次のようなものである。
 まず改革の目標は、生涯学習型高等教育への転換にある。ここには、職業型大学院などの社会人教育や、生きがいを求める高齢者への教育なども含まれる。次に改革の手段として、職業型学位の確立や単位制度の改善、個別学力試験の廃止を含む入試改革、大学管理のプロフェッショナルに正当な地位を与える機構改革、などが挙げられている。
 この両者がかなり整合的に論じられているのは、本書の強みである。たとえば第八章(館昭)。これからの高等教育は、すべての中等教育修了者に必要な時、必要な学習機会が与えられる「ユニバーサル・アクセス」の段階を迎える。このとき高等教育は必然的に多様化するので、そこでの学習結果の同等性を明らかにするため、学士レベルの学位制度の整備が必要になる。また、現行のように四年間での修業を前提とした学修制度では、成人を含む多様な学生に対応できないから、単位制度の確立・徹底が求められる、など。
 ただし全体としてみると、議論に重要な欠落があるように思う。それは、大学が日本の社会構造の中に埋め込まれたものであり、社会構造の決定的な影響力の下にあるという認識である。これは、これまでの多くの高等教育論に共通の欠落である。
 たとえば生涯学習型高等教育への転換というが、現状では新規学卒労働市場が労働市場の主柱であり、一度社会へ出たあとに取得した学歴が十分評価される状況にはない。日本的経営が崩れ始めていると言っても、今のところ企業の中核に位置するエリート層にまで変化がおよぶ兆しはない。したがって生涯学習型高等教育は、周辺部ホワイトカラーの生き残り手段として位置づけられることとなり、その意味で高等教育の周辺部分にとどまらざるを得ないのではないか。こうした問題を比較的意識しているのは第四章(山田礼子)で、企業が職業学位として修士号を評価することが必要だと指摘している。これは当然の指摘だが、あくまで企業への「提言」にとどまっている。
 私は以前から、教育政策は都市政策などと同じような総合政策として扱われるべきだと考えてきた。教育政策は、たとえば労働政策や社会政策と不可分の関係にある。新規学卒者の学歴別労働市場を主柱とした労働市場の構造がある限り、教育改革の効果には限界がある。また教育政策は、社会的不平等の是正の有力な手段でもある。これまで教育改革が期待される効果を上げることのできなかった最大の理由は、教育政策と他の諸政策との連携が意識されていなかったことだろう。高等教育政策も、その例外ではない。
 本書は一般向けのスタイルを取っているが、以上述べたところからお分かりのように内容そのものは、大学問題に強い関心のある人か、実際に大学に関わっている教職員向けの部分が多い。小中高校の教員が大学問題について考える材料にする、といった目的ならば、天野郁夫「大学・変革の時代」(東京大学出版会)、金子元久編「近未来の大学像」(玉川大学出版部)あたりをまず読み、その後で本書を読むのがいいと思う。

(『季刊forum 教育と文化』第5号 1996年)

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