横川和夫 大切な忘れ物 1997 共同通信社


 著者の名を知る人は多くないかもしれない。しかし本紙の読者なら、彼が教育について書いた文章をすでに何度も目にしているはずだ。
 何しろ全国の何十にも及ぶ地方紙に向けて教育関係のルポルタージュを書き続けてきた、共同通信社のベテラン記者である。本書はその著者が定年退職を前に一年を費やして書き続けた好評連載をまとめたもの。記者生活の総決算とも言うべき一冊である。
 登場するのは、学校や家族に傷つけられた子どもたち、子どもを傷つけ、自らも傷ついてきた親たち、そして日本の教育を変えようと地道な活動にとりくむ人々。
 学校に行きたがらない子どもを前に、親たちはうろたえる。学校へ行くことを強要する親たちが、子どもをますます追いつめる。しかし後に、親たちは気づきはじめる。自分が学歴中心の価値観にとらわれていたこと、そして自らも子どものころ、「いい子」になろうとして傷つけられてきたことに。ここから「忘れ物」探しの旅が始まるのだ。
 著者は教育制度の問題点を、大上段に論じたりはしない。出会った人々から体験を丹念に聞き、その体験を読者にも共通の問題として問いかける姿勢が好ましい。
 著者は言う。「自分らしく生きる道を求めようとすると、今の日本社会、学校、そして家族は、さまざまな壁となって立ちはだかってくるように見える」。学校と核家族が緊密に結びつき、生まれ落ちてから「社会人」になるまで自分らしさを押さえつける。硬直した教育制度と学歴社会が、その背景にある。その構図が、人々の肉声から自然に浮かび上がってくる。
 適応するか、自分らしく生きるか。そんな二分法に、反発を感じる読者もいるだろう。しかし表面的な教育制度批判ではなく、「ありのままの自分」という視座から教育のあり方を根底的に問い直す姿勢には、共感できる点が多い。なお最後の三つの章は、シュタイナー教育の紹介としてすぐれている。


(1997.6配信) 

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