バースタイン&クライン ディジタル・ウォーズ 三田出版会 1996

 
 原著が書かれたのは、一九九五年の前半であるようだ。デジタル技術を駆使したコンピューターネットワークや映像メディアなどを扱う本書にとって、一年半の歳月は決して短くない。そのためウインドウズ95について書かれた部分のように、時代遅れの記述も散見する。
 にもかかわらず、本書には広く読まれる価値がある。というのは、テクノロジーと社会構造の関係という、より本質的な問題に焦点が当てられているからである。こうした本書の特質がもっともよく示されているのは、「持てる者と持たざる者」と題された最終章だろう。
 インターネットの積極的な利用者は、若い高学歴の白人男性に集中している。自宅にコンピューターを所有するのも、大部分が富裕な人々である。デジタル技術の恩恵を被ることのできるのは、豊かな人々に限られるのだ。
 さらに、仕事の上でコンピューターを使う人と使わない人の所得格差は、急速に拡大しつつある。新しいテクノロジーの出現は、新たな不平等の拡大をもたらしつつあるのだ。こうした現状認識に立って著者たちは、技術革新と公共目的を両立させるための政府の役割を強調する。
 著者たちの冷ややかな視線は、インターネットが切り開くとされてきたさまざまな可能性に対しても、容赦なく向けられる。インターネットはもともと、核攻撃に耐えられるように集中管理を避けた、ルーズなシステムとして作られた。機密や金融情報を送るには、信頼性が低すぎる。オンラインショッピングが普及すると言われるが、利用者の圧倒的多数が男性なのに、なぜそんなことが可能なのか。
 コンピューターやインターネット関連は、今や最も多くの読者を獲得する出版分野のひとつだが、本書のように、技術の進歩が社会にもたらす結果を冷静に分析した本格的評論は少ない。このように辛口で良質の評論が日本でも書かれるようになるのは、いつのことだろうか。
 なお、第二章は日本官民が総力を挙げて開発したハイビジョンが、土壇場でデジタル方式に逆転される過程を描いた息詰まるドラマ。これだけでも読むといい。

(1996.12配信)

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