日本語、そして日本文化の諸側面を代表するいくつかの言葉を取り上げ、そ
の歴史や用法を多面的に論じる「一語の辞典」シリーズの一冊。しかも「義理」
という、最も日本的とも言うべき言葉を通じて、日本人の人間関係を解き明かし
てみせる好著である。
冒頭の二章は、義理という言葉の形成史と研究史を跡づけた、やや学術的性
格の強い部分。煩雑と思われたなら、一般の読者は読み流して差し支えない。何
といっても中心は、近世以降の数多くの文学作品に現れた「義理」の諸相を描い
た二つの章なのだから。
著者によると、もともと道徳的原理を意味した朱子学の「義理」が、日本人
独特の行動原理を示す言葉へと変形し定着したのが、今日われわれの知る義理と
いう言葉である。それは一言でいえば人と人の水平的関係に関わる道徳であり、
ここには他人との関係を通じてはじめて自己を形成することのできる日本人の在
り様が表現されている。しかしそれは不変のものではなく、社会の変化とともに
微妙な変化も遂げてきた。
たとえば江戸文学における義理の変容。井原西鶴は、社会生活上の潤滑油と
しての町人の義理と、理想を重んじる武士の義理を明確に区別して描く。ところ
が近松門左衛門では両者が接近し、近松以降では外的拘束としての義理が前面に
出るようになる。
著者はここに、江戸社会が次第に均質化し、さらには商業組織が発展して人
々を拘束し始めるという、一連の変化が反映されているという。明治に入ると泉
鏡花が、資本主義化にともなう俗物主義の浸透に抗する庶民の行動原理として義
理を描くのだが、これは今日にも通ずる近代化後の義理の姿のひとつだろう。
読み進むうちに多くの読者は、自分がいかに義理という行動原理を共有して
いるかに気づかされるに違いない。その意味で刺激的な日本社会論・文化論であ
ることはまちがいないが、それだけに議論が戦前までで終わっていることが残念
でもある。
(1996.9月配信)