自発的なる犠牲者 ランソワーズ・ジルー「イェニー・マルクス」他

 
 社会主義が崩壊した今でも、マルクスの名は誰もが知っている。しかしその妻、イェニー・マルクスの名を知る人はそう多くあるまい。フランソワーズ・ジルー著「イェニー・マルクス」(新評論・二五〇〇円)は、彼女を中心にすえながらマルクス一家の実像を描いた書である。
 神格化されることが多かったマルクスも、最近ではその実像が知られるようになってきている。金銭感覚のなさや権力欲、そして家政婦に自分の子を産ませたことなど。人格や行動のすべてを賛美する傾向はみられなくなった。
 イェニーについてはどうか。これまでは彼女も、夫とともに理想的な人物として描かれることが多かった。その代表はピエール・デュラン著「人間マルクス」(邦訳は岩波新書)だろう。そこで彼女は、夫を理解し夫に献身する、ある種の「理想的」な妻として描かれている。
 本書にもその一端はうかがえる。夫の思想を深く理解し、その仲間たちを思いやる美しい妻。ところが反面、遺産が手に入ったとたんにぜいたくを始め、元男爵令嬢であることをひけらかし、舞踏会を開いて主役に収まる。マルクスにつきまとった生活苦の責任は、彼女にもあったようだ。
 しかし著者は、概してイェニーに同情的だ。人生の大部分において彼女は、生活を省みない夫の犠牲であったし、そして科学的社会主義という欺瞞の「最初の自発的なる犠牲者」だったのだ。
 木原武一「ぼくたちのマルクス」(筑摩書房・一一〇〇円)は、マルクスの思想を社会主義の崩壊という現実に立ちながら平易に論じた好著。結論を乱暴にまとめれば、資本主義社会の分析には現在でも通用する部分が多いが、社会主義についての議論はマルクスの願望の表現に過ぎない、といったところである。
 ある意味では当り前の結論だが、これが当り前として受けとめられるようになったのは最近のこと。マルクスはようやく、冷静な評価の対象になってきたのである。

(1995.3月配信)

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