日本てんかん協会が、高校の国語教科書に掲載された筒井康隆の小説に差別的表現があると指摘した問題は、「断筆宣言」という思わぬ展開を見せて多くの議論を呼んだ。
筒井は、文学は「タブーなき言語の聖域」でなければならない、という。マスコミに登場した人々の間では、これに賛同する声が大きく、てんかん協会の主張は「言葉狩り」と非難される結果となった。
実際にてんかん協会が要求したのは教科書からの削除であり、文学表現そのものの制限ではなかった。現行の教科書制度の下では、教科書の内容を国家が承認し、生徒はその学習を強制される。この内容に誤りや偏りがあってならないのは当然だろう。その意味で、この要求には正当性があったと思われる。
しかしさらに進んで、「文学」そのものを問い直すことも可能かもしれない。渡部直己著「日本近代文学と<差別>」(太田出版・一八〇〇円)は、そんな試みである。
明治初期から現代までの、差別問題を主題に含んだ小説の数々を分析しながら著者は、これらの小説のほとんどが偏見に基づくものや、差別を助長するものであったことを論証していく。文体はやや難解だが、その論理は明晰である。
著者によると、「物語」は「常ならぬもの」への欲望に基づいている。だから物語は絶えず差別を求め、また差別は物語を生み続ける。文学と差別は必然的な関係にあるのだ。こう考える著者にとって文学は、むしろ「撲滅すべきもの」である。そして筒井らの主張は、文学を特権視する傲慢にすぎない、という。
一方、筒井康隆著「笑犬樓よりの眺望」(新潮社・一五〇〇円)は、断筆宣言そのものを含むエッセイ集。セクハラを告発するのは「女性的サディズム」だと断じたり、タバコを吸わない人間は同情心に欠けると嫌煙権運動を批判したり。独断と偏見に基づく記述が多く、今回の騒動も起こるべくして起こったという感を強くするが、面白く読ませることは確かである。
(1994.7月配信)